終焉の炎(11)
元治元年7月19日
その戦いは日付が変わるとほぼ同時刻に始まった。
長州側は伏見より北上する福原隊が先鋒となって幕軍に攻め寄せる。
彼等は皆必死の形相で食いついて来るが、近代的な兵力を要する薩摩と精悍な会津の迎撃に遭い
次第に隊列は乱れ、傷つき斃れていく。
「恐らく貴奴らが長州軍の中心部隊であろうな。この程度とは片腹痛し」
「いんや、こん位では何らか後詰なぞ用意しておるかも知らん。用心に越したことはない」
様々に意見が飛び交うなか、やはり幕軍として主力部隊に相違ないとの見解が主流となった様だ。
長州勢を退けたと言わんばかりに緩んだ空気が一瞬流れた様である。
―蛤御門―
・・・カカッ
・・・・カカッ
(・・・何じゃ。何か音が近寄ってくるが・・・)
一人の兵士が何か歪な音を聞き取った。
それが何かは解らぬが、地を踏む様な音が微かに響く。
チラと仲間を振り向くが、気にする様子もない。
長州伏見勢を追い返した事にすっかり高揚した兵士達の声でこの微かな音はかき消されているのか。
自分だけが戦場という緊迫した環境下で脆く女々しい恐れを抱いて敏感になっているだけなのか。
「なあ、何か聞こえないか?」
兵士は隣の仲間に静かに尋ねた。
しかし、仲間の兵士から返された答えは期待に添うものではなかった。
「お前、初陣ってんで臆病になっているんじゃないか?俺にゃ何も聞こえんぞ。」
兎に角、取り合ってもくれない事に不満を覚えながらも、改めて音を探ってみると―・・・
・・・カカッ
・・・・カカカッ
ザクザク・・・
音がどんどんはっきり聞こえてくるではないか。
しかも、一つ二つのどころではない。
沢山入り乱れながら迫ってくる音が聞こえるのだ・・・
(・・・新手か・・・)
ブルっと兵士は身震いした。
武者震いなんてものではない。まだ見えぬ敵が確かにすぐそこまで迫ってきている・・・かも知れぬ恐れ。
兵士は咄嗟に蛤御門の外に向けて槍を構えたが、なんとも頼りなく足を震わせていた。
ドンッ
突如大きな音が鳴った。
皆余り急な事に、ユラユラと振り子の様に身体が揺れている。
ぽかんと間の抜けた表情で口元が緩んでいる。
戦場で急襲や騙しあいの様な駆け引きは当然の法であるが、しかし主力がやられた筈の長州勢がここまで
喉元へ接近していようとは、想像以上の事であった様だ。
敵兵が一瞬うろたえた隙を逃さず、御門に攻撃を加える者たちは我先にと斬り込んでくる。
その時、野太い怒声が轟いた。
「撃て!御門を押し開け!」
ドカンと黒金の筒が火を放つ。
不気味な漆黒の砲台が木製とはいえ、頑強な御所の門に容赦なく打ち当てられると、周囲にいた兵士らを巻き込んで
発火、暴発する。吹き飛ばされる血潮に肉片・・・木屑が生々しく舞い、漸く幕軍の兵士達は我に返って武器を構えたのである。
先ほどから音を聞き、警戒していた兵士は怒声を放つ方へ引き寄せられるように突き進んだ。
声は高い位置から聞こえて来た。
大きな馬蹄と烏帽子に陣羽織が目に飛び込んでくる。
嵯峨の軍勢を率いる侍大将、来嶋又兵衛である。
彼は長く修練を積み自らが育ててきた力士隊、遊撃隊を引き連れて門が開くや鋭く刃の切先の如き陣営を組んで薩摩会津の
軍勢に斬りかかった。その隊士らの勢い凄まじく、勇猛果敢な来嶋部隊によって幕府側の旗色が悪いかと思われた。
・・・・が、その時である。
パンパンッと耳を劈く様な銃声が響き渡ったと同時に、馬上にあった老将の身体が酷く揺れた。
どっと巨体が地に倒れる姿を敵味方双方、時の流れが止まったかの様にじっと静止し見守っていたのである。
「やった!」
「このまま砲撃を続け、敵を一人として逃すな」
我に返ったのは薩会か。
その声にハッとして斃れこんだ来嶋又兵衛に駆け寄る長州兵。
戦場の空気、勝敗の流れはこの一瞬で変わってしまった。
力士隊は来嶋の巨漢を担ぎ上げ、蛤御門と建礼門の間に位置する松ノ木の下まで逃れた。
「・・・・・・降ろせ。もう、ここでよい」
苦しげに血に塗れた身体で息も絶え絶えに来嶋が命じると、力士隊士らは静かに彼の巨体をその根元に落ち着かせた。
まだ、戦いは続いており発砲する音と怒声、阿鼻叫喚の生き地獄ともとれる戦場の冷ややかな空気が漂っている。
隊士らは、彼を護り取り囲むように座して最期の命を待った。
「わしは此処で死ぬ。これよりお前達は国司殿に従い若君の下へ合流果たし、長州へ撤退せよ。」
そういい終えると、親しい者へ介錯を委ね来嶋又兵衛は腹を十字に裂き果てた。
嵯峨部隊が壊滅の憂き目にあった頃、久坂率いる一隊は堺町御門に攻め寄せる所であった。