終焉の炎(1)
数日後の8月17日・・・
薩摩と会津が密かに密議を凝らし、朝廷掌握を進める一方、久坂にとって一つ変化が起こる。
これまでの功績を鑑みても彼は藩内で大きな役割を担い、日本の中で長州藩の存在をこれほど
大きくし朝廷の覚えも地位も確固たるものとしたそれを評さぬ事はあるまい。
この日、彼は藩庁へ向けて改名届けを提出し玄瑞という通称を「義助」と改め
武士身分に昇格している。
かつての彼は医者坊主であった為、本来ならば頭を丸めるのが習いである。
兄・玄機が憤死してから、いや・・・それ以前から武士という存在は彼の中で特別のものであり
憧れて止まぬものだった。
兄から継いだ久坂家と兄の刀。
彼は大きな役割を担う長州藩内の指導者的存在でありながら、政務役などには就けぬ身であるが
それでも、此の度武士の名を頂戴した事だけでも彼にとってこれ程無い幸福で、武士として死ねる
事だけで満足であった。
話は戻るが、久坂は大小を差し、まだ短めな髪を纏め上げ結うと少し先日を思い出していた。
8月13日、多少の曲折はあれど大和行幸は何とか取り付ける事ができた。
その翌々日学習院での打ち合わせ、首謀者ともいえる真木和泉が「背水の陣の手立て」と称し
た、ある策を持ちかけていた。
これが実は久坂にとって、頭の痛いものである。
真木の「背水の陣」とはこういうものだった。
―天子が京都を出たら二度と帰らじ・・・
大坂遷都を目論み事を進める。その為に京の都はその機能を無くすべく
炎上させ焦土と化す。
伊勢宮を本陣とし、関東入りを果たし討幕に向かう。―
真木は久留米の神官である。
宗教的な信仰概念はともかく、京都という長い歴史で築かれた都を焦土に変えるなど
一般的な思考では正気の沙汰ではなかろう。
流石に、過激な尊攘志士を束ねる久坂もこれは途方も無い事だとうろたえた。
「真木さん、ともかくその一件は桂さんに相談していただかねば・・・」
そういって、一先ず真木の説得を桂に預けるしかなかった。
真木も微かに苦笑いして「久坂らしからぬ慌てぶりよ」と軽く言い漏らして退室して行った。
久坂にとって、まだまだ心配種はある。
吉村寅太郎、土佐脱藩の郷士である。
彼は先に大和へ向かい、兵を整えて行幸を待つと言って、軍資金を調達しているから僅かに
出せぬものかと訪ねてきて以来である。
彼が今どうしているのか、多忙な久坂に気にする余裕もなかったが、いざ真木の件で考え悩み
始めると、次々こうした悩みの種は出てくるもので、吉村に渡した30両で彼が何を仕出かそうと
するものか、心配になった。結局吉村とはこの30両を渡した日が永別の時となったのだが・・・。
次々と訪れる人々。
過激なものも居れば、慎重なものも居る。
久坂は当初長州藩という雄藩の重要な指導者として、皆を引っ張り纏めてきた。
その立場が徐々に変わろうとしている。
彼も、もう20歳半ばに掛かる年である。
気付けば、彼より先に進み倒れて行くもの、または新たな指導者の一人として真新しい思考を広めるもの
様々な人が老若関わらず増え、己の存在は徐々にそれらの大きな波に飲まれ埋もれていく気さえするのだった。
「時代が確かに変わって来ているのだろうな・・・」
そういった彼の頬を夏の暖かな風が撫でる。
ふと、のんびりした気持ちにさせられてポツリとつぶやいた。
かつて吉田松陰が自分たちを見つめ見守っていたであろう、その心境が今自分に当てはまる。
・・・先生、僕は先生の志の一部なりと果たせておりますか・・・
先生の草莽屈起に近い形が確かに誕生しようとしとりますよ・・・
今も魂となって見守ると言って消えた松陰に語りかける様に思いを馳せる。
久坂は、近くに迫る影にまだ気付かずにいた。
8月18日前日の出来事である。