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久坂玄瑞伝  作者: sigeha-ru
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維新の礎(19)


いつの間にか、時は過ぎ去り元号が変わってから3年が経過していた。



文久3年(1863年)・・・




長州藩という雄藩の存在は、他藩勤皇派にとって頼りとなる存在であった。

彼等は進んで、尊攘思想を掲げる者たちを身分問わず受け入れ金子の援助などしていたから、

藩邸やその周囲は志士達でごった返していた。

・・・最も全てが思想の為、勤皇が為命顧みぬ志士であったとは言い切れぬ所もあったが。

従って、その他藩対応にかける熱意と共に、接待しながら共闘を求めつながりを深めるという

方針は、多額の財を掛け豪華を極めたから、京の茶屋揚屋、料亭などは彼等長州藩の人間を

「長州様」と呼び、贔屓目に呼んでいた事もある。

まさに、佐幕攘夷、開国派といった対する思想主義を持つ人々からすれば恐ろしい敵とも

言えようか。

殊に、幕府より大事を預かる会津藩などは、この長州の過激な活動を苦々しく見守っていても

どうする事も敵わず、対策を考えあぐねていた。

今このご時勢、長州藩とその思想に同じくする諸藩志士が京の都を牛耳り朝廷内部の掌握力も

事実上操作する力を有し絶頂期にあった。

久坂玄瑞もまた、志士達の指導者として、如何なくその才を発揮していった。



・・・が、ここで思わぬ転機を迎える事になる。




今日、尊攘思想を掲げ京を中心に独走する長州藩に大きな事変が起こる。

長州の朝廷政権独走を危ぶんだ薩摩は、同じくどうしたものか手を拱いていた会津に、長藩系

志士の京追放の一策を持ちかけるのである。薩摩と長州は共に犬猿の仲であり、かつて薩摩

志士には長州によって京政界から落とされたという恥辱の念が残っていた。



「会津に諮って長州藩の警護役を解く策を講じようではないか」



「新兵衛の仇もあろうが。あの一件で我等は御門警護を解かれ都を追われた」



「今こそ、その恨み晴らすべし」



薩摩も長州も肥後にせよ、朝廷の御門を警護する役を担い、遠く藩より参集し都に滞在しており

尊攘や佐幕と関係ない藩の責務として暫しの滞在をしていた。

それが、あの黒船来航より思想熱が急激に上がり安政の大獄を境に一気に恨み骨髄とあの事件のあだ討ち

染みた思想熱は更に急上昇。その流れはこうした藩に対する警護役という参集に於いても思想色を見せ

それぞれ勤皇党なる組織を生み、それに連なる人物が多く京へ入ってきていた。

当初より、薩摩と長州は「芋」「猿」と同じ思想を掲げる藩としていがみ合っていた。

当時の日本では藩は即ち一国の意識で区切られていたから、他国人という蔑視は已む無いものであった。

そんな犬猿の仲の薩長を更に悪化させる事件が勃発する。

何者かにより、姉小路公知暗殺が成され、その際田中新兵衛(人斬新兵衛として恐れられており、土佐勤皇党

党首・武市瑞山とは義兄弟の契りまでした人物)の刀が現場に残されていたのである。

その殺人犯として新兵衛は当然疑われ、尋問の最中に自ら愛刀を掴み腹に突き立て自刃したのだった。

結局真相はわからぬままであったが、彼の属する薩摩藩にまでその嫌疑は及び、遂には冤罪とも知れぬままに

皆揃って警護役を解任され、泣く泣く引き下がるという屈辱に塗れたのである。


薩摩藩内でこうした長州藩に対し、田中新兵衛の仕業とも何とも解らぬ不可解な事件とその罪を問われた事実が

事件後モヤモヤとしこりを残し、何時の日かと憎しみが重なっていたのだった。

だからこそ、この長州藩の独走態勢は耐え難く防ぎたいという気持ちがここで爆発したのである。

そこへ丁度舞い込んできたのが長州志士達の「大和行幸」である。


大和行幸と言うのは、帝を日本の原点である奈良大和へ連れ出し攘夷祈願させるものであり、これが成れば

日本に尊攘思想が確固たるものとして、長州藩の地位も朝廷の権限も一層強固なものへと代わる大きな意味を

持っていた。

薩摩は会津に打診し、その動きをなんとしてでも止めると、日々奔走するのであった。



「我等を理解くださるお方に働きかけ、会津と共闘し長州の企てを阻止せないかん」



「おう。これを潰し、貴奴等の薄汚い魂胆を暴いてやれば、おい等と同じ様に恥辱を味あわせてやれる」



「何が何でも長州を朝敵にしてやろう」



そんな密議が成されたのは深夜・・・

日付も変わる頃だ。



古い時計は西洋の文字盤を日本向けに改造されたものだが、正確に時間を示している。

それをある藩士はちらっと見て、目を細めた。


今丁度日が変わって8月14日となった所である・・・





維新の礎・・・ここで終了です。

ここから、久坂玄瑞史、幕末史として重大な事件が続きます。恐らくご存知の方多いと思いますが、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

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