維新の礎(17)
※サイト本編より先へ進みます。
暫く更新が乱れますが、ご了承くださいませ。
藩政を牛耳った長井を追い落とした後は、品川焼討事件、馬関攘夷戦と久坂玄瑞を中心とした村塾
の志士達は連戦連勝の勝ち戦を味わい、弁舌にも一層深みが増していった。
外国人嫌いは兄譲り、火の玉小僧よと言われた久坂玄瑞も、20歳を過ぎ10代の頃と比べると
幾分大人の冷静さが垣間見える様になっている。
宮部鼎蔵は、若い盛りの志士達を、この成長を見守る親の気持ちでゆっくりと見渡すと再び久坂に
視線を向けた。
「久坂君、君たち長州の活躍は誠に我等尊攘の士にとってこれ以上ない位の大きな成果だ。
これで、幕政派の連中に空念仏の攘夷論なぞ誹謗もなくなろうて」
「評していただき恐悦至極に存じます。して、今後成すべきは天皇の賀茂、石清水八幡行幸出御座いましょう。
思うに、これに大樹を随行させるのは如何かと考えまするが」
久坂は恭しく礼を述べると、続き様に次なる案件を提示した。
その瞳は燃えるように熱かった。
宮部は例え馬関攘夷戦の報復で大敗となろうが、実践する力を見せ付けたという成果は大きいと見て
評価していた。だからこそ、今成長した彼と面会しその論を肥後の若い者達に聞かせる事を喜び見守
っているのだ。
「将軍を同行させるのは良い案だな。これで如何に幕府が朝廷に従う構図となる・・・」
「ああ、天下に勤皇の世が真と示される大事な意味合いを持つ」
「将軍に従者の如き役割を持たせるのは面白かろうて」
肥後の知己である轟武兵衛、河上彦斎等が久坂の案件に次々同意を示す。
「・・・その行幸自体が絶えてない事だが・・・どうしたものかな・・・」
流石にここで、宮部だけはやはり長老の位置にあって冷静なものだった。
「先生、攘夷祈願は全ての先へつなげる為の布石にすぎませぬ。我等の最終目的は日本統一で
あります故・・・ご心配の事は解ります、しかしこれを始めねば先が絶たれて仕舞いかねません」
久坂は熱意の眼差しを宮部に向けた。
彼は既に覚悟をしている目をしている・・・
宮部はそれを見て先ほどまで固かった表情を微かに緩ませ、静かに頷いた。
「そうじゃな。我等は元より命捨つる覚悟でここへ参ったのだ。日本御為に先々の日本人の為に
命を張って訴え動かねばならぬ・・・。いや、久坂君すまなんだ。行幸をまずは第一目標に
じっくり遂行していかねばな。」
「宮部先生、さすれば我々肥後勤皇の志士は如何に動きましょうや」
じっと座って話に耳を傾けていた肥後の加屋。
彼は、チラっと久坂を見てから、宮部に視線を移すと攘夷戦の話から先を促す。
「では、今後我等肥後勤皇党のすべき事は長州と共に勤皇派として結託し、主上の行幸を取り付ける。
攘夷の旗頭として是非ともその御祈願を古都たる大和にて行いたいものぞ。」
宮部は淡々と大和行幸の詔を得るべしの論を唱える。
加屋はただ、宮部を見つめ深く頷いていた。
当然その願いは長州と久坂玄瑞共に願う事であり、天子を動かすという大事業こそ、志士達にとって
天下を動かした大きな証と成るのである。
天子を得たものこそが、次世代を担う―・・・
そんな権力争いさながらの謀略による戦いが風雅の都・京都で静かに成されていた・・・
今日の都は奈良から遷都されて長い。
1000年の都なんて言う位の歴史が流れている。
これまでも、野心家や多くの人々が憧れ敬ういしにえの都であったが、この江戸末期の京都は暑く
燃え上がらんばかりに、日本の回転を働きかける志士達でごった返していた。
当然、幕府側の取り締まりや、組みする者もあってか、穏やかで風情ある町並みは一転し、ジリジリと
殺気すら犇く・・・そんな戦場染みた空気が流れていたのである。
「そうじゃ!天子様さえ攘夷祈願をしてくだされば、我等勤皇の志士が台頭できる!」
「我々は日本の為に奔走するんじゃ!天子様とてお分かりくださる」
志士達は熱くなって、次々と熱意を言葉に変える。
宮部も久坂も・・・歴史に名を遺した人々は皆、こうした人々の入り混じり論ずる姿に吉田松陰達先人の
志をみつめていた。
『草莽屈起』
この言葉がやがて、久坂やこの場に集まるもののみに止まらず、萩郷里にある盟友によって、より実践的な
組織とし実現する事になる。
久坂玄瑞達の戦いは真っ白だった景色に次第に彩りを与えられ、錦絵の如く燃え盛るのである・・・