幕末期到来(7)
二人は話を進めながら、先程大楽が言った絶景の地へと到達する。
ここは萩城下まで見渡せる正に展望の庭。久坂は初めて自分の住まう大地を見下ろし感慨深くその場に立ち尽くしていた。
「久坂君はそういえば初めてここへ来るのだったな。どうかな?」
「はい。本当にこれ程の景色を一望出切る所があるなんて感激しております。」
「萩城下も下を歩いている時は大きく偉大にさえ思えるものだ。しかし、こうして広い視野で見据えた時の頼りなさは堪らぬだろう。」
久坂は大楽の言わんとしている所がおよそ検討ついた。
彼は既に宮部鼎蔵と対談している。その前には大楽自身とも・・・・・・。だからこそ、この絶景から伺える
小さな故郷を何に例えているのかも理解できるのだ。
「今我々に足りぬのはこの絶景そのものだろう。幕府だの藩だの・・・そんなものに固執している時ではないというのに。」
「大楽さん・・・。それは私も感じます。幕府も藩も結局は保身しか考えては居ない。」
「久坂君はそういえば松本村へ行くと行っていたな。どうであった?」
大楽はそれを憂い考えているもう一人の人物を思い出しつと久坂に尋ねた。
「え?ああ、吉田松陰殿ですか。私はまだあの人物に正直理解ができません。宮部先生が何故あれ程薦めるのか・・・」
半ば愚痴とも言える久坂の苦言を黙って大楽は聞いていたが、徐に口を開いた。
「彼は口先だけの論者ではないからな。なんというか、見かけによらず派手な御仁だ。およそ常人では理解できんだろう。」
大楽は一度だけ松陰なる人物と対座した事がある。その時の彼の論から察した松陰像である。
「空念仏の攘夷を嫌い、自身が常に先駆けになろうというところがある。君ならば多少なり話に合う所が在るとは思ったが。」
「私はあのように人の志を否定する人物を好くは思いません。ただ、もう少し彼とは論じようと思っておりますが。」
松陰を認める様な話し方の大楽に、何処か子供が親を取られて嫉妬するかの如く反撥をする。久坂は、益々松陰との論戦に熱意を向けるようになる。
「さあ、論は一時休戦にしよう。ふふふ、実は少々酒なぞ用意してきたんだが、一献どうかね?」
涼しく心地よい風が吹く中二人は絶景の中、フサフサした芝に腰下ろし、酒を嗜む。
「大楽さん、酒の肴に詩歌なぞ如何です?」
「よし、では互いに幾つか出し合おうじゃないか。」
両人共、この幕末期に多くの詩を詠んでいる。何れも美しく世情を憂い志に燃える志士の詩が殆どである。
彼等の残した数々の詩は今も良く賞賛を受ける傑出したものである。
久坂・大楽はそれぞれの詩に酒に酔いつつもこの絶景を時間をしかと心に焼き付け自身の志の一部へ据えようとしていた。
詩歌の宴は日が暮れる頃まで続き、二人は詩を歌ったり時には時勢を論じたり談笑に興じたり・・・・・・
動乱の時代の一時の安らぎを共に味わった。
絶景を見下ろしながら、いよいよお開きにしようという時、久坂は酔って赤らんだ顔のまま大楽に向き直り、
「大楽さん、またこの様に今後も語って行きたいものですね。」
と、真摯に彼に告げた。互いに世を憂い変革願うものとして親友として真実認識した時であった。
「それは私とて願っても無いこと。・・・・・・しかし、今宵はよう飲んだな。久坂君がよければ何時なりとも。」
大楽は天狗の様に赤くなっている若い久坂の顔をみて笑いながらもしっかり約した。
彼もまた久坂を無二の親友であれると思ったのだろう。何時もより明るい口調で話をしながら連れ立って山を下っていくのだった。
久坂の方が大楽より8つか歳が下である。兄分の気持ちで大楽は酔った久坂を家へ、肩を支えながら運んでから彼は屋敷を出て行った。
家へ帰り、その酔いのまま着物を面倒そうに脱ぎ捨てて久坂はごろんと敷いておいた布団に横たわる。
今日のことが未だ夢の様にぼんやりと浮かんでは実に満足そうに、彼はそのまま眠りについた・・・・・・