維新の礎(1)
文久もいよいよ2年目に突入した頃、久坂達長州藩の志士達に一つの危機が訪れていた。
この頃藩は尊攘論から少し外れたモノへと変わり、その執政を牛耳り藩主・敬親を
その流れに傾けていた。
敬親に信任されたその男、長井雅楽。
彼とそれに追従面々が提唱した『航海延略政策』、これは久坂達が塞き止めんと
する公武合体理論(朝廷・幕府の政治的結束)に似通ったもので、尊皇攘夷及び
討幕を志す彼等にとって思いもよらぬ思想であった。
当然これを知った久坂達も手を拱いている訳ではない。
何度か、長井らに掛け合っては議論を設けようとするも、当時長藩で重用されていた
長井雅楽の論がそう易々片付けられるわけも無い。
真向から立ち向かえども、藩論を傾けるだけの事あって長井もなかなかの達者者であった。
京での活動に一旦区切りをつけて、久坂は萩へと再び足を運んだ。
懐かしい我が家へと帰宅して、ゆっくり寛ぐ間もなく藩庁の周布政之助を訪れ、彼に従って
長井雅楽を訪ねた。
「航海延略策に組みした手前強くは言えぬが・・・しかし、突然思想そのものを急転
させるなど如何なる事か?」
周布は対座したと同時に話を切り出した。
対する長井は落ち着き払っており淡々と茶を啜りつつ言った。
「欧米諸国がこの日ノ本を隙有らばと狙っておると言うのに、君らはまだ幕府だの
朝廷だの言いよるのか?もはや国家存亡の時に一刻の猶予もないのじゃぞ。」
「仰りようは御尤も。然しながら僕等とてそれが解らぬわけではありませぬ。ただ
今の幕府に諸外国と渡り合っていくだけの力は無いと思えるからこそ、新しい有能な人材によって
作られた新政府こそ必要であると考えるのです。現状維持ではもはや国家体制を作るのは難しいと考えます。」
長井の言い分に久坂も負けじと言い返す。
両者共、国を思う気持ちと意地は強いらしく暫しにらみ合いが続いた。
「ふむ、全く君の考えが解らぬ訳ではない。しかし、今直ぐに新政府とやらを樹立するのこそ夢想に過ぎんと
思うがね。現実に執政を取っている幕府と古来より神国を統る天朝様が手を結び合う方が早いのではないか?」
最もな言い分は更に続く。
遂には久坂も論戦にキリが無いと判断し、この場は潔く退出するのであった。
「お帰りなさいませ。」
改めて妻の出迎えを受けると、帰ってきたのだという安堵感が心一杯に広がる。
活動に身命注ぐ彼に休む間など殆ど無かったし、京では生命の危険すらも覚える
事暫々。
漸くぐっすりと休める事が出来ると喜ぶ一方、長井とのやりとりが脳裏を過りその度
居てもたっても居られないほどの焦燥感がこみ上げてくる。
(もしこのまま上手く彼を説得出来なんだら・・・・)
ふと思い至って戸から洩れる月夜の光を仰ぎ見る。
師・松陰と同志達の顔をその夜空に浮かべつつ、久坂は一つ決意を固める。
(長井雅楽を制す他ない・・・・刺し違えてでも・・・だ・・・)
そう誓って書斎に向かい筆を認めていた手を再び動かすのであった。