幕末期到来(6)
やった。言いたい事は全て書き込んできた。あとは松陰自身がこれにどう答えてくるか・・・・・・それを待つばかりだ。
久坂は、松陰が手紙を読んで感嘆するであろう様を想像し、意気揚々と帰宅の途についた。
一方、手紙を預かった文はいそいそと兄の居る一室へ足を運んでいた。
「寅兄様、文に御座います。兄様へ手紙を言付かっておりますが。如何致します?」
小さな声でそっと中の人へ問いかける。
暫くすると内側からカタカタと音がし、やがてスーっと襖が開かれた。
「僕に手紙?はて、誰からだろう。」
何も知らぬと言いた気なその口調とは裏腹にその表情は実に嬉しそうである。松陰自身、本気で問うているのではない。
その手紙を誰が置いて行ったものかよく承知しての言葉だった。
「まぁ、寅兄様ったら・・・。ふふ、先程久坂玄瑞様とおっしゃるお方がいらしたのですよ。」
「ほう。久坂君か・・・。お文、お前から見て彼はどんな男じゃった?」
機嫌の良い表情を崩さぬまま、松陰は妹に訊ねた。そう聞かれて文は暫し目を天井へ向け考える様な顔をしていたが、直ぐまた松陰の方へ視線を下ろすとこう述べた。
「そうねぇ、最初は可笑しな人だと思いましたよ。だってお坊様が刀を佩いてるようにしか見えなくて。」
「ほう・・・・・・。」
「何も言って無いのに”怪しいものではありません”だなんて・・・ふふふ、本当に可笑しな方だったわ。でも、凄く真面目な方だとも思いましたよ。」
「ははは、成る程、確かに頭を丸めた武士姿は見たことも無いだろうからなぁ。」
「でも、兄様。折角ここまでいらっしゃったのに、お会い成らなくて残念ですわね。」
文はそう付け加えて静かに席を立った。
松陰は彼女が去ってから、ゆっくりと封書を解き始めた。
台所へ戻り、片付けの作業を再開しようとしていた文はまたもや、一人の客らしい人物の来訪を迎える事になっていた。
自宅へと帰った久坂は、羽織袴を脱ぎ楽な着物姿に戻ると、書斎へ入り再び机に向かい筆を取る。今度は松陰ではなく、自身に律する詩を書く為である。
刻一刻時間は経っていく。書きながらもやはり松陰の返書が来るかどうか・・・気になって仕様が無い。久坂は詩を書き上げると、ふと外の景色に目を移した。
今日は本当に忙しく、そして慌しく過ごしたものだなと、落ちる木の葉を眺めつつふと溜息吐いた。
(宮部先生・・・吉田松陰とは先生達が称賛するに値する人物なのでしょうか。私には未だ解りかねます)
久坂にとっての最初の松陰像は師ではなく、論に限っては敵対する一勢力に他ならなかった。まさか後の自身の生涯に深く影響する事になるとは全く予見できぬ事であった・・・・・・・・・。
翌朝、久坂は山県の屋敷を訪れる事にした。
(この頃、山県源太郎は大楽家の養子として入る為、姓を以後「大楽」と改める)
「先生はご在宅でしょうか?」
家人に尋ねたが、どうやら彼は何処かへ明け方から出ていて居ないらしい。久坂は非常に残念だったが諦めて自分も同じ様に散歩にでも出かけようと小高い山道をゆっくり登っていった。
暫く登って行くと、向こう側から小さな人影が見える。久坂は眇め(軽斜視)の目を細くして人物を見ようとした。先程不在と聞いた大楽源太郎その人である。
久坂は彼の姿を認め、嬉しそうに近づいていった。大楽も久坂の姿に気付くと少し微笑んで彼の方へ歩を早めた。
「大楽先生!こちらに居られるとは。実は先程そちらへ伺った所でして・・・。」
「それは悪かったな。天気がいいし、何か良い詩作が浮かばんものかと思い、散策をしていた所だ。」
「先生もですか?実は私もこんな天候の良い日に室内では勿体無いと思い、お誘いしよう思うて居たんですよ。」
「はは、考える事は皆同じだな。それより、この山の中腹に小さな庭が造られていて眺めは絶景だぞ?行って見るかい?」
「是非に。大楽先生の詩作もご披露願いたいものですな。」
「ああ、もう”先生”はお止めなさい。堅苦しくて如何。」
「・・・それでは、先生・・・と、大楽さんの仰る通りにしましょう。」
苦笑い交じりに言う大楽に、久坂は嬉しそうに頷いた。この両人は共にこの後も親友として交流を持っていくのである。
久坂、大楽の二人は小高い山を再び、今度は連れ立って話を弾ませながらゆっくり登って行くのであった。