上洛論戦(1)
吉田松陰の死より久坂玄瑞は変わる・・・・・・。
死の一報を届く事になるその日、久坂は妻と共に縁台に座り庭の景色をぼんやり眺めていた。
(松陰先生はどうなったろうか・・・。まだ厳しい取調べをされとるんじゃろうか)
彼が伝馬獄へ送られてから1日経つのがこれ程遅く感じるとは・・・・・・。
ふぅ、と小さく溜息吐いてまた庭の景色に目を遣る。そこで、久坂は小さな気配を感じた。
「檀那様・・・?」
小さな気配は妻のものであった。お文は心配そうな表情を久坂に向けている。
おそらく彼女も兄・松陰の事を考えていたのだろう。
夫たる自分の苦痛の表情を垣間見てその不安は僅かながら高まったのであろう。
少女ともとれる細くて小さな肩が震えているのが見て取れる。
久坂はその妻の姿見て、不甲斐ない自身を恥じた。
「文、不安にさせてすまなかった。きっと先生は大丈夫じゃから・・・・・・。」
そう言って、文を慰める様に彼女の肩に手を置いた。
庭先の木の葉が冷たい風で1枚、また1枚と乾いた空に舞っていた・・・・・・。
翌朝、早くに目覚め何時も通り書斎に篭っていた久坂は、聞き御覚えのある声にハッとして立ち上がると、
庭を歩いて玄関先へ向かった。
「おお、玄瑞!此れを見てみい!」
其処に居たのは、帰藩したばかりの高杉晋作。
確か、先日に実家へ戻ったと聞いたばかりだった。肩で息をしながら自分に一通の書簡を出す盟友。
その手にあった手紙を早速受け取ると、カサカサと音を立てながら開いていく。
「・・・・・・これは・・・・・・!」
暫く手紙の文字を追うように黙々読んでいた久坂の表情が固くなり、信じ難いと言わんばかりの声を上げる。
傍に立ってその様子を見ていた高杉は同じ様に苦痛の表情を浮かべ静かに頷くのであった。
「・・・僕が江戸からここへ戻った日にな。人づてに先生が伝馬獄で処されたと聞いた。・・・・・・入江らも
その内許されて出てこれるじゃろうが・・・先生だけは・・。」
「そんな・・・・、斬首だと?先生は切腹すら許されなんだか・・・!」
久坂は手紙をしわくちゃに成る程握り締めた。
「それでな・・・あと、これはご遺族にも読ませちゃってくれ。辞世の句という奴じゃ。僕や他な塾生はまた後日
集まって聞かせてもらう。先にご両親や妹御らに・・・。」
そういうと高杉は久坂の肩をポンと慰めるように叩き、振り返る事無く立ち去っていったのである。
残された久坂は、彼の後姿を放心した様に見つめていたが、やがて重い足を引きずる様に再び家屋へと歩いていった。
「あ、檀那様。如何なさいました?高杉様がいらしたの?・・・・・・檀那様?」
書斎に戻ってみると、妻が何時もの様に掃除叩きを手に立っていた。
「・・・・ん、ああ。なぁ、お文・・・皆を広間に呼んでくれんか?一つ話したい事が出来た。」
「え・・・?は、はい。今すぐに・・・・・。」
疲れた声で久坂が頼むと、妻は僅かに訝しんだが直ぐ頷き部屋を出て行った。
パタパタと妻の軽い足音が遠くなると、久坂は深く長い溜息を吐いて柱にズルズルと縋り滑り落ちてしまった。
暫く部屋の中で当ても無く視線ばかりを泳がせていると、再び小さな足音が近づいてくるのが解る。
「檀那様、皆呼んで参りましたよ。広間へいらしてくださいな。」
「ああ、すまないね。直ぐ行こう。」
妻の声に居住まいを正し、相変わらず力の無い声で返事をすると久坂は重い腰を上げて広間へ続く廊下を歩いていくのであった。