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久坂玄瑞伝  作者: sigeha-ru
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激動の風(14)



松陰が江戸へ送還されてから何ヶ月経ったろうか・・・・・

久坂は萩の東に位置する松本村・杉家に居た。

吉田松陰の取調べが江戸の伝馬町獄で行われる中、一族や門下生の内、彼と思想近しい者達に対する

嫌疑の声も少なからず起こっていた。

藩は、この動きに対し松陰の思想を色濃く受け継いでいると思われる杉家で彼の義弟となった

久坂玄瑞に目を付けた。

彼を追って過激な行動に出ぬよう、周りの同志を扇動させぬようにと久坂に対し、自宅謹慎を

命じたのである。



「檀那様・・・寅兄様は大丈夫なんでしょうか。」



お文は不安を滲ませた表情で一室に篭っている夫に訊ねる。



「それは僕にもわからんが・・・先生ならば大丈夫じゃと信じちょる。お前も余り思いつめるな、

もう遅いから休みなさい。」



久坂も正直松陰が無事この萩へ戻ってこれるのか不安だったが、今はそれを考えたくなかった。

目の前の妻は松陰の実妹に当たり、彼を大層慕っている。


彼女にとって胸中にある不安を告げ悲しませるのは好ましくない。

自分だって信じたくは無い・・・・・・松陰が処せられるかもしれぬという事は・・・。

だから今は無理やりにでも安心させる様な言葉を吐くしかなかったのである。



(先生が遠い江戸の地で苦しんで居られるのに、僕は・・・・・・)



ぎゅっと血が出そうなほど唇を噛みしめ、久坂は外の月を睨んだ。

時に脱藩という事が頭に浮かぶが、残される家族を見ると中々踏み切れない。

志士となる人間が小事に拘る事は愚かと言えようが、彼にはやはり覚悟が定まらぬのであった。




その頃、伝馬町牢獄に押し込められている吉田松陰はお取調べも一通り済み再び獄舎に入れられていた。

数日前までここへ訪れては衣類や紙筆を世話していた


高杉晋作も今は藩命で萩へ帰ってしまった。

唯一の支えも無くなりいよいよ彼も自らの命運を悟ったのか、徐に筆硯と紙を取り出すと、硬い床の上に

きちんと正座し小さな机に広げた紙に筆を走らせる。


それこそ、松陰最後の筆記といえる留魂録となるのである。


師として、兄として、子として、一体自分はどれだけの物を残してきたのだろうか。

今後活躍するであろう弟子たちへ何を残していこうか・・・。

様々な人々の顔を脳裏に描き、その晩彼は何かに取り憑かれたかのように作業に取り掛かった。


数日経過すると、それは立派な書物の様に厚みを帯びており、面に走り書きした留魂録の文字も生きてくる。

松陰が納得して筆を休め姿勢を僅かに崩した所で、獄舎に声がかかった。



「吉田松陰寅次郎、お主の処遇が決まったそうじゃ。出よ、判決が下される。」



役人の下へ引き出され、松陰はいたって平静を装い言葉を待つ。



「長州藩士・吉田松陰寅次郎、そなたはあろうことか間部様暗殺を企てた。結果として事に至らなかったが、

これ罪は非常に重きものである。よってそなたに極刑を命じる。明日、斬首とし刑場に引き立てよ。」



幕府役人達と共に控えていた長州藩士は思わず顔を上げる。

暗殺を企てたとて、それは全く実行されていない。彼の言動は確かに危うさあるがそれだけで斬首とは・・・。

例え命助からずとも切腹はさせてもらえると思っていただけに、その衝撃は大きい。井伊直弼の尊皇志士弾圧の

激しさはこれ程のものだったか・・・・と同行の藩士はがっくり肩を落とした。


そんな中、松陰は顔色も変えず淡々とした面持ちで、一言「承知仕りました」とだけ述べると役人達に其々一礼を

して番人とともに獄舎へ戻っていった。


その夜、彼は今まで慈しみ理解し常に傍で支え続けてくれた両親へ最後の句を一つ認めるのである。



−親思ふ こころにまさる 親ごころ けふの音づれ 何ときくらん−



松陰は自身が案ずる家族への気持ちより更に強い想いで自分を思ってくれる父母へこれから降りかかる出来事を

どう彼等が受け止めるのか・・・そう思うと胸が張り裂けんばかりに痛んだ。


そして、最後の最後、見送りに付き添ってきた弟子達、可愛い妹を娶り義弟となった愛すべき義弟・久坂玄瑞や

時が許すまで傍で励まし続けた高杉晋作への最期の句を残すのである・・・。



−身はたとへ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂−



自分の魂はこの地で明日にも消えようとしている、しかしながら今まで大事に抱え守って来た志は不滅のものとして

この国で生き続けるのだ。その心を同じくする久坂始め多くの秀才達によって・・・・・・。


松陰は書き上げて大事に封に納めると、此処でひと段落という様に大きな溜息を吐いた。

やるべき事はした、訴える事は皆言い、そして伝えた。


人生に悔い無しとはやはりいい難い所もあるが、志を思いを誰かが引き継いでくれるのならばそれで良しとも思う。

あとは、もう眠りについて天より見守ろう・・・・・。


そう思い至って松陰は疲れたのか目を閉じるのであった。






翌朝、松陰は遂に獄舎から刑場へ引き立てられた。

刑場へ向かう際もそしてその瞬間までも・・・・・・彼は薄汚れた白い着物を着ていたが凛とした姿で最期の時に

望むのであった。



そうして、彼の細い首はは暗い土穴の中へ引き込まれるかのように消えていくのである。

後に、彼等志士の弾圧が行われ無念の死と悲劇を引き起こしたこの事件は「安政の大獄」と呼ばれ、伝えられて

いくのであった・・・・・・・・・・・・・。













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