激動の風(10)
長州萩藩・・・・・・
薄暗い牢獄の中、松陰は一人正座し瞑想している。
外はすっかり闇に包まれているようだ。何一つ物音なく辺りは静まり返り自分ひとりが
取り残された何ともいえぬ気分である。
(そういえば・・・また私はここに居るのだな。世を憂えば枷を与えられる。江戸でも
幾多数多の志士が囚われ命を落としていると聞くが・・・。)
フゥっと重い溜息を吐くと暗い格子から覗く夜空に目を向ける。
黒で覆われた空の遥か向こうには多くの知人や同志らがいるだろう。
彼等もまたこの闇をどんな思いで眺めているのだろうか・・・。
松陰はぼんやりと幾人かの顔を思い浮かべながら、傍らに置かれた木箱へと手を伸ばした。
その木箱は筆硯など、必要な筆記具一式が整えられている。
その中に丁寧に畳まれている一通の手紙を取り出すと、小さな机上に広げ備え付けてある
小さな蝋燭の光を照らし読み直す。
送り主は江戸から数ヶ月前に送られてきたもので、彼にとって愛すべき弟子達によって
認められたものであった。
(久坂君、中谷君、高杉君、桂君・・・・皆の言うとおりになってしまいましたね。しかしながら、
私は死を恐れて志を貫く事は難しいと思います。恐らく私はこれからこの牢獄を出て江戸へ送られる
でしょう、そしてもうここへは帰れぬやもしれない。
ですが、私は最後まで志だけを守ろうと思います。身よりもすべき事を重んじたい。
君達同志にはその決意だけでも伝えたいと思い−・・・・・・)
江戸からの手紙を傍らに畳み、松陰は紙と筆を手に取ると硯の僅かな墨を頼りに思うまま筆を走らせた。
愛弟子達へ自身の揺ぎ無い決意を・・・
その彼の思いは今薄暗い牢獄の中、小さな明かりと共に煌煌と輝いていた。
それから幾日か後・・・・・・一見鎮火したかのように思えた今回の事件は、予想すらし得ぬ新たな
展開を迎えていた。
何とか萩藩だけで決着をと臨んだ藩主・毛利敬親の思いも虚しく、遂に事は幕府へと露見するのであった。
長州藩・指月城−・・・・・・・・
「なんと!では、寅次郎を江戸へ出せと・・・!?」
「はっ、此度の事如何なる筋からか洩れたので御座いましょう。唯でさえ志士狩りに躍起になっている幕府。
寅次郎の一見が如何に伝わったかまでは存じませぬが・・・、あちらにとって捨て置けぬ事であったのでしょう。」
「ええ、後日江戸の伝馬町で申し開きせよとの事。」
「・・・・・・。よもやアレを斬るのではあるまいな。」
藩主は幾分青ざめた顔で重臣達の報告を耳にする。
嘗ての江戸幕府ではない。井伊大老へと変わってからの彼等は反乱分子と判断
すれば、過激な刑罰を科していく様に変貌した。
寅次郎の様な未遂事件とはいえ、今までの様に寛大には行くまい。
誰もがそう思っていた。