幕末期到来(4)
肥後の夜が明け、久坂は何時も通りに目覚める。
何時もと少し違うのは、自身に新たな同志と呼べる存在が出来た事。久坂はふっと笑み横を見る。
そういえば昨晩は宮部と廊下で別れてから、河上の部屋で寝る寸前まで彼と論に興じたな、と隣の寝具でまだ静かに寝ている河上を見る。
歳は久坂より上だが、その容姿は彼より遥かに小さく色白くどちらかというと女性的で、言ってしまえば優男である。
茶を嗜む一方、密かに鍛え上げた剣術も相当なモノになってきているらしく、これはかなり大きな人物になるだろうと久坂は若いながら隣に寝る同志をそう評した。
やがて河上も起き上がり、宮部や久坂と共に朝餉の席を囲む。
久しぶりに一人ではない朝の時間を過ごした久坂は、沢山の論と得た知識を土産に肥後藩から長州へ帰藩するのであった。
長州へと長旅から帰った久坂に一通の手紙が届いた。
差出人には”吉田寅次郎松陰”と書かれている。相当力が篭っているのだろう・・・書は随分くしゃくしゃになっていた。
「吉田寅次郎松陰・・・・・・宮部先生のおっしゃっていたあの吉田殿か?」
久坂は早速封を解くと、奥の間・・・書斎に入り机に向かって座ると手紙を広げ始める。
(あの捕吏に捕らえられている男が一体私に何のようだろう?)
逸る気持ちを抑えつつ、じっくりと文面に書かれた字を追う。内容の理解をしていくにつれ久坂の表情は次第に険しくなっていく。
内容はごくごく当たり前の挨拶に始まり、文頭はまずまず一般的な内容が記されている。
問題は、中程からの文章が明らかに九州への旅やこれまでの秀才と歌われた自身を否定する様なところである。
その上、自身が作り書き送った詩歌に対して、軽鋭だの時勢を知らぬだの厳しい言葉ばかりが並べてありこれには流石の久坂も絶句した。
実はこれは松陰が久坂を試す為に書き送ったもので、本気で罵倒するものではない。
しかし、若い久坂にはそんな隠れた松陰の意図など読む余裕は無かった。だからこそ兎に角苛立ち彼にこの後に続く様な返信を綴ったのである。
「ふ・・・ふっふふ、吉田殿は全く何を考えておいでなのか。宮部先生も何故こんな浅い男を紹介など・・・」
不気味な位どんよりした空気の中、久坂は苛立ちのままに返書を書き始めた。
・・・・米使を寸断にして諸外国に日ノ本の武威を見せるべきではないでしょうか。
貴方の仰るとおり、私は一医生であり国家の大計を論じる事は分相応な事では
無い。しかし、私は終生医生として過ごすのではないかと怏々悩む事あっても他
者に語ることは出来ませんでした。此度は貴方が豪傑の士と聞いたからこそ書
を示したのだ。
・・・・先日、宮部先生が貴方を称賛し豪傑なりと評したのもいざこうして見ると、みな誤りだったのかと思われて仕様が無い。
・・・・以上憤激の余り、可の様な撃案致しました。
怒りのままに書き殴る半面、久坂はこれを人づてではなく直接叩きつけてきたいと思うようになっていた。あれ程自尊心を痛めつけた吉田松陰なる人物がいかなる男か・・・どうしても知る必要があった。
久坂は書き終えた手紙を荒々しく封して握り締めると身支度整えて松陰の手紙にある”松本村”という場所へ大またで歩いていった。
細い路地を歩いていくと、以前語り合った山県と通路の角で出くわした。
「あ!これは山県先生、こんにちは。」
先程の苛立つ気持ちを押さえ込んで、久坂は打って変わっての丁重な声でそう言った。
「ああ、久坂君か。随分慌ててどうかしたのかな?」
対する山県は、流石にその態度が何時もと若干違っている事に気付きあえてこう返すのであった。
「え?あ、そうですか?実は小用で松本まで行く事になりまして・・・」
「ふふふ、そうか。まあ何事も慌てず冷静にな・・・・・・」
意味ありげな笑みを返し目の前から少しずつ、自分の来た道へと歩き去っていく山県の姿が小さくなるのを見ていたが、当初の目的を思い出しまたせっせと歩き
始めるのであった。
一旦は立ち去った山県もつと歩みを止め、久坂の後姿を振り返るとやや哀れむ様な目でその消えゆく様を見届ける。
(全く、松陰殿も人の悪い。さっさと認めてやればよいものを・・・。もっとも久坂君がこれしきの事で萎えるとは思わぬが・・・)
ふっと苦笑しながら山県は帰途についた。
一方の久坂、あぜ道を足早に歩いていくとだんだんと民家が多くなり、景色は明るくなってくる。
やがて、緑の大木に覆われた静かな屋敷が姿を現すと一度そこから少しばかり離れた松ノ木の下で少し乱れた呼吸を整え、今度はゆっくりと歩いて門戸へと近づいていった。
久坂はここで運命とも言える人々との新たな出会いを迎えるのである。