幕末期到来(3)
静かに入ってきた青年に二人は会話を止める。
襖を開け何か茶器を盆に載せゆっくりとした足取りで丁度二人の間に座る様な格好になる。そこで、手にしていた茶器一式を広げ、普通より大きく深い器にお抹茶を一掬い茶さじで移し、座した所よりさほど離れていない位置にある
釜より熱い湯を汲み上げ先の器に注ぎ込む。久坂は、その青年の一連の動作の見事さに思わず感嘆する。
そんな彼の視線に気付いているのか居ないのか青年はさっさと手早く茶せんで溶くと、これまた見事な手つきで宮部、久坂両人にお薄の茶器と茶菓子を差し出した。
甘い菓子を頂戴し、点てられた茶をゆっくり喉へ注ぎ心身ともに先程の高揚から解き放たれ落ち着きを取り戻す。
「結構なお手前で・・・」
決まった挨拶を軽く交わし終えると、宮部は早速今度は落ち着いた口調で向き直る。
「久坂君、少し落ち着いたな。」
ふっと笑みを浮かべて言う宮部は一瞬父の様な優しく強い印象を得られる。
「ええ、本当に見事な・・・。宮部先生、あの方は茶の湯でも教えておられるのですか?」
先程からの青年の慣れた技に感心しつつも、久坂は青年の腕の逞しい事に少し疑問を持っていた。だから、冗談半分宮部に茶の師かと問うたのである。
「ははは、いやいやあれは違う。のぉ河上君や。まぁ折角じゃし紹介でもしておこうかな?」
宮部は親しげに片付けを終え控えている青年、河上に話しかける。
「はい。私は先も先生がおっしゃったが、河上彦斎と申します。城内で茶坊主として努めております。」
「成る程、貴方は剣術でもして居られるのですか?随分お強そうな・・・」
河上は久坂の言いたい所が解ったので苦笑いしながら返答する。
「ははは、これは目ざといことで・・・。少しばかり剣に感心ありましたので、仕事の合間に裏庭で修業しております。」
青年二人の会話を楽しそうに聞いていた宮部は河上に一つたのみ事をする。
「河上君。すまないが、書斎の棚にある地図を持ってきてくれんかね。」
「はい。宮部先生、その・・・私も後からお話に加わっても宜しいですか?」
此処へ来る途中の廊下で先程の久坂との対話が聞こえたのだろう。国情に感心高くなっていた河上は是非にと宮部にそう願い出た。宮部は河上の師でもある。
弟子の様な彼の学や時勢への関心は歓迎すべき事であり申し出を断る理由もなかったので直ぐ良しと答えてやった。
「有難う御座います、では直ぐ持ってまいります。」
嬉しげに廊下へ消えていく河上を見送ると、宮部は再び久坂の方を向いた。
「どうかな、久坂君。長州へ帰ったら一度でもいい、吉田寅次郎松陰・・・彼に会ってはくれんか?」
「・・・・・・そうですね。私も戻って機を見計らって松本村を訪ねてみようかと思っております。」
久坂がやや俯きながらそう答える様に宮部は満足して大きく笑顔で頷いた。
それからまた数時間、久坂と宮部、河上は今の幕府の政治外交に対する討論を繰り返し、今後どうするべきか・・・自分達は一体どの様に動いていくのか、夜が更ける頃までしっかりと話し合った。
その晩は遅いと言う事もあり、宮部邸で一夜を明かす事になり彼の人生の上で山県(後の大楽)に次いで、宮部・河上との今回の交流は久坂が描く大きな思想の原点となるのである。