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久坂玄瑞伝  作者: sigeha-ru
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巣立つ時(6)





「医者身分で安寧の生涯を送る事は、僕にとって最良の道とは言い難いのです。」



久坂は語った最後にもう一度そう付け加えた。



「−・・・そうあろうとするならば、君は差し当たって今の境遇を少しでも変えられるよう


努めなければ成らないね。」



対する松陰は至って冷静に述べる。その表情には微かな笑みが込められていた。



「・・・・・・?」



「今君は好生館で主に寝泊りしているのだったね。」



何を言い出すのだろう。久坂は小首を傾げて師を見つめた。松陰は尚も続ける。



「好生館での学問に打ち込むのも大事であろうが、国事を語る場が無いのも困った事です。

君のような秀才が世に出んとするならば、もっと多くの有志と語らいその言一句に至るまで洩らさず

自分の力とせねばならない。その為には今の場所に押し込められる境遇は余り望ましくないな。」



ぽつりぽつりと話を進める松陰の言葉に耳を傾けながら、久坂は縋るような気持ちで問いかけるのである。



「先生、どうすればその様な大事を成せるのでしょうか。僕は今からどうすれば良いのでしょう・・・・・・?」



と、少し俯き加減に訪ねる。



「・・・・・・・・。」



松陰は暫く腕を組んで瞑想し、良策を思案していた。

久坂が今藩医分を避けるというのは難しくても、せめて常時近くで自分達と語らう事が出来れば・・・。

それだけでもかなり彼にとっていい環境が得られるというのに。一つの案が浮かんでは消え浮かんでは消え・・・。

考えあぐねている二人の室に、丁度良く入ってきた人がいる。



「寅兄様、お茶をお持ちしました。」



「む、お文か。有難う、お入りなさい。」



スーッと襖を開けて、入ってきたのは末妹のお文であった。彼女の持つ盆の上には萩焼の薄く焼かれた

独特な色合いの茶器が二つ並んで置かれている。

ツツと静かに茶を並べると、少しだけ笑みを残してまた来たと同じ様に物音立てず静かに退出していった。



この妹の仕草を一部始終見つめていた松陰は、ふと一つ妙案を浮かばせる。

そういえば、あの娘は・・・・・・、少し考えていや待てと考えを打ち切り違う話題を振ってみる。



「さ、まあ一先ず茶でも飲んで一服つくとしましょう。」



「そうですね。頂戴いたします。」



久坂はようやく落ち着いた笑みを浮かべ器を手にとって口を近づけた。

熱い茶は彼の疲れた心に一つ癒しを与え、幾分効果があったようだ。彼は師と向かい合って、この一時の休息を味わっている。

やがて、一頻り寛いだあと、再び松陰は久坂に向かって話を再開した。



「久坂君、医者になる気が無いのであれば、好生館にいつまでも居続けるのは辛かろう。あそこから出て見れば

良いではないですか?」



突拍子も無いが、最も彼が望む言葉を投げかける松陰に、暫く目を瞬かせていたが、目の前の師に何か良策があるのかと、

思わず見を乗り出し次の言葉を伺う。



「確かに何時までもあそこに居る気にはなれませんし、折りあらば出たいとは思うておりますが。・・・・・・しかし、

もう先だって屋敷を人に譲り渡してしまったので・・・。」



「それならば、どうかね。僕達と共に住まえば?」



松陰は最も魅力的な提案を提示してきたのである。

塾に通うという手間が省け、尚且つ松陰と始終論ずる事が出来る。

なにより、幼くして肉親を失った久坂にとって杉家の様な家族団欒の風景は非常に懐かしくありがたい物でもある。

彼は松陰の真面目な誘いに一瞬目を輝かせた。


「その様な事が出来るのならば・・・・・・良いでしょうが、しかし・・・。」



「父母達は君の人柄はよく知っているし、妹だって顔見知りなんだから大丈夫でしょう。」



確かに、久坂は杉の家族とはなんども顔合わせしているし、ここで食を頂戴した事もある。

彼等とは全くの初対面という訳ではなく、杉家の一同も快く迎えてくれるだろう。

しかし、久坂には一つ気になることがあった。



「父上殿や母上殿は良くても、その、お文殿はまだお若い方ではありませんか。僕の様な男がその様な方が

いる場に上がりこんで良いものではありますまい。」



久坂の気にする所というのは、まだ15歳の若い師妹の事であった。

年の行った父母なら兎も角、未婚の男女が一つ屋根の元に揃うのはいかなものか、久坂自身もまだ、

18歳と若いが女性に全く無関心な年齢ではない。

それ故、この問題は捨て置けぬ事であった。



「それならば大丈夫です。お文とて君の来訪は慣れているし家族としてすぐ認識すると思いますよ。」



「・・・・・・・・・。」



「まあ、杉の方はなんら問題はない。あとは、君が気が向いたらその仕様じゃないか。」



考え込んでいる久坂の肩をポンと方を叩いて、松陰は部屋を出て行った。

久坂にとっては、まさに幸運な事であるが直ぐに承知とするにはいろいろと考えねばならぬ問題がある。

彼も松陰に遅れて、部屋を後にし寮へ帰ろうかと思った所、玄関口でお文に突然呼び止められた。



「久坂さん!お帰りになるの?今日はもう暮だし泊まっていかれては。お部屋の御支度は仕上がってますのに。」



話題に上った人物の不意打ちに驚き、固まってしまった。

そんな久坂の様子などに気付かないのか、お文は少しだけ相手の袖を引いて再び中へ導こうとする。



「さ、どうなすったのです?今日はどうぞお入りになって・・・。」



結局彼は自分より遥かに小さい少女の引く手に負けて、その言葉に甘える様に成ったのである。



「それでは、お言葉に甘えて・・・。しかし、お文さんは良いのですか?」



久坂は思い切って聞いてみた。この若干15歳の嫁入り前の娘の屋敷に自分などが入って寝泊りなぞ・・・

良いものか。



「・・・・・・構いませぬ。久坂さんは私を気遣ってお出でなのでしょう?ふふ、ご心配なく。ここはお客も

良く泊まられますし、もう慣れて居りますので。」



あっさりした口調で淡々と語る少女。自分を全く男と意識していないのかどうなのか・・・。

少々気になる所だが、余り深く考えぬよう久坂は努めていた。


やがて二人の男女の影は室内の明かりへと導かれ、その中へ溶け込んでいくのであった。











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