巣立つ時(5)
高杉と連れ立って講堂へ歩く。
久坂はただ、先を行く盟友の後を追った・・・・・・。
途中、何を思ったのか高杉は突然歩みを止め、久坂へ向き直った。
「なあ、玄瑞。そういや君はまだ妻帯しちゃおらんかったかいの。」
「なんじゃ、突然。・・・そりゃ僕はまだ見ての通り一人者が。それがどうかしたんか?」
「いや、ただちょっとな。気になっただけだ。」
「?」
「ま、まあええじゃないか。行こう行こう。先生も皆も待っちょるぞ。」
唐突な質問をしておいて勝手な自己完結をする高杉。
久坂はそんな盟友を見て訝り気になったが、先生が待っているという言葉に渋々従い黙って
ついていった。
草履を脱いで、一歩踏み込むと既に大勢の門人達が集まっており、二人はその間を何とか縫って
松陰の傍へと近づいた。
「先生、遅れてしもうて済みません。」
「先生お久しぶりじゃ言うのに申し訳ありません。」
二人が口々に謝罪すると、松陰は少し顔をあげ、
「いえいえ、一人で待つわけではなし・・・。それに君たちとて家業がおありでしょう。そちらを
忠に全うするのは良き事です。」
と、かえって穏やかな口調で二人の若者を諌めるのであった。
久坂と高杉は、久しぶりの松陰の講義を受ける事になった。
講義といっても、ほぼ彼等の場合師弟間の議論が主体なのだが・・・。
久しぶりに会った二人の議論を聞きながら松陰は、ちゃくちゃくと日ノ本を支えてゆける若い人材が
生まれてきているという事に喜びを感じつつも彼等がこれから起こると思われる様々な事件難題に
辛苦するであろう事に少なからず痛みを覚えていた。
ふと、松陰は久坂の方へ向き直り一つ、
「そういえば、久坂君は今はほとんど好生館の寮へ泊まり切りかね?」
「え?あ、はい。家督を継いだ以上は藩医として一日も早くお役に立てねばならぬので。」
「では、お家も今は寂しかろうね。」
松陰が何を言わんとするのかこの頃の久坂には皆目検討もつかなかった。
ただ、高杉は何か知っているらしく始終ニヤニヤしてはいたが・・・。
やがて講義もひと段落し、門下生らはぞろぞろと解散して行った。
高杉も藩士として勤めがあるのでと、足早に席を立って帰っていった。
ただ一人、久坂だけは席を立つ事無くじっと松陰に向かい合っていた。
二人は静かになった講堂で静かに対峙した。
どの位たったろう・・・久坂はポツリと口を開き話し始める・・・。
「先生、僕は最近このまま藩医になってただ家督を継ぐだけではいかん思うとります。」
「確かに、家督を継いで絶やさぬというのは立派な事であるし大事な勤め、しかしながら今日の様な
急要する事態が迫っているならまた話はべつでしょう。」
「ええ、だからこそ僕は迷っているのです。なんというか・・・。」
「つまりは、久坂君は医者になる気がないと・・・こう言いたい訳だろう?」
松陰は言いにくそうに言葉を濁している久坂の代弁をするかのように、サラリと述べた。
対する久坂はあっさり確信をつかれて決まりが悪そうにすこし俯いてしまった。
「実は・・・・・・その通りなのであります。僕はこの時勢、のんびり藩医などで生涯を大人しく
終えるのが苦しゅうて仕様が無いのです。」
この師と対峙すると不思議と嘘は付けなくなる。
久坂は泣き縋る様に、これまでの好生館での安穏とした書生生活、大楽との対話一つ一つを
掻い摘んで話した。
松陰は黙ってそれらを真摯な眼差しで受け止めながら、眼前の門人・同志の嘆く声を静かに
聴いていた・・・・・・。