巣立つ時(2)
久坂は大楽源太郎と対座して、これまでの好生館での講義や同僚達との対話等掻い摘んで
話した。幼い頃の自分ならば、父の後継者としてこの医業を喜んで習得するであろうが
今は違う・・・それを聞いて欲しくてまず彼の元へ来たのだ。
「・・・成る程。久坂君はこのまま医者にはなる気はないと言う訳か・・・。確かに、
今の時勢のんびり医業だけを継いで過ごそう訳にもいかんからな。君の様に色々な
人物達から良く影響受けた人ならなお更だろう・・・。」
大楽は頷きながら言った。
「源太さんの仰るとおり、僕は藩医分で一生過ごそうとは思ってません。出来る事ならば、兄・玄機が目指した様に・・・。源太さん達の様に武士として、いえ成れずともせめて
志士として活動したいのです。しかしながら藩命には逆らえませぬ。どうすればよいもの
かと日々思案しとりました。」
久坂はがっくり頭垂れて切に訴える。
その悲痛の声を瞑目し聞きながら大楽は、あれこれ思案していた。藩医として努める事は
久坂家を継いだ彼の義務であり、藩命であるから到底逆らえない。何とか良い様にして
やりたくても、出来ぬのが現実。
士分を持って京都で既に活動盛んな大楽を羨み、共に活動をしたいという久坂の切な願いも
痛いほど解るが、今の彼等にはその身分とすべき役目の壁を払って行く事は出来無いので
ある。
「ふむ・・・。藩命は絶対だからなぁ。論議だけならばここや松門でいくらでも出来よう・・・。他藩との接触を望むなら学業習得を理由にして国暇(他藩へ出かける許可)を
申請すればいい。取り敢えずはこの位の方法しか浮かばぬが・・・どうろう?」
一つの案を出され、少しだけ頭を上げ久坂は大楽の言葉を反復する。確かに彼の言う通り、
今はそれ以外に活動をする方法が見つからない。取り敢えずは・・・大楽の言う通りに
ここで論を鍛え、それから活動へ入ればいい、久坂はそう結論付け今度はちゃんと顔を
上げた。
「ならば、源太さん。医業に励みながら、こちらや松門で論を鍛えようと思います。申し
訳ないが、少々ご厄介になりますよ。まあ、源太さんの邪魔にならない様にはしますけど。」
屈託の無い笑みを溢しながら、久坂は大楽にそう告げた。
「ああ、私も暫くは萩に落ち着こうと思うし、いつでも論を吹っかけに来なさい。」
先程とは打って変わって明るい表情を取り戻した久坂が微笑ましくもなり、釣られて
極めて明るい口調で大楽も言葉を返すのだった。
久坂は数時間話し込んだ後大楽邸を後にした。その晩、布団の中で、天井を仰ぎ今日の
決意を思い起こす。
(まだ諦める事は無い。時代は必ず変化する。兎に角今は今すべき事をしっかり修めて
いくべきだ。)
自身の意思を確認し、身の置き所をしかと認識した久坂は、緊張し悶々とした日々から
解放され安心したのか、急速に眠りの渦へと入り込んでいった。
翌日目が覚めた時には、既に正午を過ぎていた。
久しぶりの快眠を楽しんだもつかの間、彼は先日の誓いを思い出し、大慌てで松門へと
走っていくと、途中、明倫館から出てきた高杉と運悪く鉢合わせになるのである。