松下村塾(12)
−松門思想−
久坂玄瑞を初め、高杉晋作や入江九一、野村和作など多くの門徒達にとって、新たなスタート地点となる
学び舎が遂に完成した。
彼等の活動拠点となる松下村塾の誕生である。塾の入り口にはかつて松陰の叔父であった、玉木文之進が
塾を開講し使用していた「松下村塾」という古い看板を立て掛けそのままの名称で呼ばれるようになった。
「やっと僕達の塾が出来たんじゃな・・・。」
一同が完成した塾を囲むように立ち其々思い思いに自分たちの講堂を見上げる中、高杉は一人誰に言う
でもなくポツリと呟いた。
この共同作業を経て彼は自身の手で新たなものを構築し、生み出す事への関心を一つ持つようになる。
そんな高杉の感嘆を横で伺っていた久坂は、少しばかり嬉しくなった。
以前は身分階級の狭間で、どちらかというと輪から外れがちだった高杉が、こうした小さな苦労を共に
したことで、”僕の”から”僕たちの”という同志的な意識を持ち始めたからである。
「さて、塾も完成した事じゃし・・・・晋作に負けんよう明日からまた勉強に励むとするかな〜。」
久坂は、彼特有の大きく透りの良い声でワザとの様に隣の高杉を刺激する。
それを聞いた高杉は感慨耽っていた頭を左右に振り、思考を元に戻すと、聞き捨てならんといった
形相で隣で意地悪そうに笑む久坂に食って掛かった。
「突然なんじゃ!?あっ!そうか、この間先生が僕の詩稿を褒めたから妬いとるんじゃろう?ふんっ、
こちらとてそう易々負けるかい。」
悔し紛れか、余裕なのか高杉は鼻でフンと笑いながら久坂の挑発には乗らぬという仕草をみせた。それ
でも、怒っている訳ではない。寧ろ顔には笑みすら浮かべている。
久坂の挑戦を受ける構えを表現し、同時に良き好敵手として切磋琢磨していこうという共生の意味も含まれているのだ。
久坂は流石に、この高杉の意をしっかり読み取りこちらも笑みを返した。
そんな二人を見守る松陰は何時にも増して嬉しそうであったし、今まで特に高杉に対し、身分の壁でやはり深く関わり
辛かったほかの門人達も、彼等の若者らしい爽快な笑みにつられ堅苦しい空気を氷解させるのであった。
ここで、彼等は昼夜問わず講義、または議論に明け暮れ当初は丁度良い広さであった講堂も、徐々に口々に広まった
塾の評判により門人が増えて行き、遂には小さな講義室に多い時には80余名の門下生が集うなど大変な盛況振りであった。
初めは、一塾生として指導を受けていた久坂や高杉も、塾生が増えるにつれ門人から指導者の役割も受けねばならぬ事も
あり、彼等は徐々に松下村塾内部で大きな存在と位置づけられていくのである。