松下村塾(8)
大楽と談じてから明くる日、久坂は松本村の塾へ行こうと田畑・あぜ道を歩いていた。
いつもの通り、杉家が見えてきたが、今日はいつもと違う空気が流れている事を感じ、
思わず立ち止まる。
杉家の玄関には何時も通りお文がいて、掃除中だったのだろう竹箒を手にしている。
しかし、いつもとは違いもう一人、女の隣にいる人物に目がいった。
先日好敵手と認めた高杉晋作その人である。
今一番顔合わせが辛い人物が直ぐそこにいるものだから、どうしたものか考えあぐねていると、どうやらお文が気付いたらしく、
「あ、久坂さん。いらっしゃい、お早いですね。」
と、快活な声を掛けてきた。
当然彼女の隣にいる高杉も彼の存在に気付く。
久坂は心底参ったなという表情で少しばかりうろたえたが観念し、お文に軽く会釈した後、高杉にも一言だけ軽く挨拶した。
「この間もお会いしましたね。高杉殿。」
「・・・・・・ああ、しかし君も熱心だなぁ。毎日来とるのか?」
気まずそうに話す久坂とは裏腹に、高杉は親しげに返事を返す。
傍から見れば逆にその親し気な態度の方が怖いのだが・・・・・・。
「えぇと・・・高杉殿こそ今日も先生と対談ですか?」
「うん?あ〜まあそうじゃな。そういう君だって先生にようじゃろう?」
「ええ。しかし、先約がお在りなら僕は遠慮して・・・・・・。」
しかし、高杉はそう言って退こうとした彼の腕を掴みその場へ留まらせる。
「折角じゃ、君とも論じてみたいし一緒に上がろうではないか。今日は僕達だけじゃない。他にもえっと門人が来とるそうじゃ。」
そうまで言われてはもはや引き返す訳もなく、久坂は高杉の言うまま家屋へと入っていった。
彼等の様子を暫く見つめていたお文は、ふっと少しばかり笑むと、さっさと台番所の方へ歩いていった。
一方家屋へ入った二人は多くの門人の間に入り、早速対談を始めた。
「よし、じゃあこの辺りに座って暫くじゃが話そうか。ま、先生が来る迄じゃが。よかろう?」
「え、ああ。構いませんが。不肖、高杉殿の談についていけますかな?」
「久坂君、高杉殿はやめてくれ。呼び捨てで構わん、先生の教えじゃないか。晋作という字がある。そう呼んでくれ。それから堅苦しい言葉は抜きじゃ。」
豪快に笑いながら、高杉は気さくにそう言った。
その気さくな態度に緊張が解れ、久坂も自然と笑みがこぼれた。
「じゃあ、徐々にという事で。僕の事もお好きなように呼んでください。」
こんな会話から始まり、談じて行くうち互いに”晋作””玄瑞”と、親しみを込めて呼び合えるようになっていくのであった。
多くの門人が待つ中、遂に松陰が部屋に姿を現した。
松下村塾は杉家の一室で最初の講義を始めるのである・・・。