松下村塾(6)
後に松門双璧と並び称される二人もこの時未だ全くの他人であり、何れ双方助け支えあう知友になろうとは、想像もし得ぬ事であった。
「・・・吉田先生。折角の紹介、申し訳ないが所用の為、今日はお暇します。」
高杉は、沈黙を打ち破り、松陰にそう述べると、後は何も言わずさっさと久坂の前から姿を消した。久坂はただ、引き止めるでもなくその場に
立ち尽くし、彼の去るのを、見守るしかなかった。そんな久坂に最初に声を掛けたのは松陰であった。
「久坂君、今の青年がこの間お話した高杉暢夫ですよ。これからここで君と共に論じ学んで頂くから、共に切磋琢磨し学に努めてください。」
松陰は高杉の去った方から視線動かさず、静かに告げた。
「先生、彼の僕を見る目は、どこか殺気を放つ様な所がありましたが、何かあったのでしょうか?」
久坂は先程の高杉の射るような目が気になっていた。自分は彼に恨まれるような事をしただろうか?全く見当つかぬが・・・。
う〜んと頭を抱えながら考え込む久坂に、松陰は可笑しそうな表情を作り、
「大丈夫ですよ。高杉君は人を恨んだりする様な事はない。アレは・・・まあ色々ありましてね。」
意味ありげな事をサラリと言い放ち、可笑しそうな顔をこちらへ向ける師を訝るも、取り合えず恨み事でないとわかり、彼はホゥッと安心の溜息を
漏らした。一つ間をおいて、久坂の後ろに控えていたお文が、
「兄上様、廊下で何時までも立っていては何でしょう。お茶をお持ちしますからお部屋で対談なさいませ。」
と、一言か細い声で告げると自分は足早に台番所へ去っていった。
「ああ、そうでした。久坂君、立ち話も何じゃ。あちらでしっかりお話伺いましょう」
と、彼を促し連れ立って客間へと入っていった。
高杉晋作という稀有な存在は、久坂の脳裏にしかと記憶され、以後の塾での活動に大きな好影響を及ぼす者となるのである。
「久坂君、実は先程の高杉君の事なんですがね。」
そう言って、松陰は彼の書いた詩作を出した。
「これは・・・。」
「彼の作です。本人にとっても自身のある作の様ですよ。」
高杉作という詩稿は七言絶句「立秋」という。
昨雨炎を洗って涼味新たに
今朝秋立って葉声頻りなり
始めて看る林景の詩意に堪えゆるを
残月依々として影半輪・・・・
一通り詠み終え、顔を上げる。
「なかなかお見事・・・ですね。」
「ふふ、そうでしょう。荒削りながらも一語一句に才をチラつかせる。彼は実に先の楽しみな人物です。」
「・・・で、この詩は良いのですが、先程の彼の目は・・・僕は本当に何か以前失礼でもしたのか。検討つかぬ事では在りますが。」
久坂はどうこう言っても彼の敵視する様な視線が気になっているようだ。
しかし、松陰はその訳を教えず、ただ双方の反応を楽しそうに見るだけであった。
その理由は後に明かされることになる。