松下村塾(3)
松陰との面会をして早くも半日過ぎようとしていた。
「ところで久坂君、君は私のことをどの様に見て居ったのかね?」
「はい、僕は実は宮部先生にお会いするまでは失礼ながら先生の事を、ただの狂人であると見ておりました。」
「ふふふ、そうじゃろう。確かに私は狂人です。いや、この時代という歯車を回転させようとするならば・・・この私一人の犠牲で日ノ本を守れるのであれば喜んで狂人とでもなりましょうぞ。」
久坂は松陰の言葉の中に、志の重さを感じた。
「久坂君は色々な方と面識があるようですね。」
「ええ、兄・玄機の繋がりで・・・数々の著名な方に良くしてもらっております。」
久坂は幼い頃に父母や兄達を失い、天涯孤独の身となっていた。藩医として後を継いだ兄・玄機は、月性らとよく交わり勤皇の志を強く持ち続け、同志達の間では名を馳せた人材だった。玄機自身も仲間を訪れる際、よく弟・玄瑞を同行させるなどしていたため彼も幼い頃より勤皇思想の士との交流を得、強い影響を受けていたのだ。
「玄機殿は実に優れた才をお持ちの方と聞いたが・・・惜しいかな。是非ともお会いしたかったが。」
「・・・・・・・・・・。」
久坂はしんみり遠くを見つめ呟く松陰の姿をただじっと見守っていた。何より兄を評価してくれる事が嬉しかったのだ。
松陰に対する今までの憤怒や軽視は全てこの日を境に洗い落とされ、久坂は純粋な思想を持ち彼の意思を伝え広めていく一人の志士として戦っていく事になるのである。
「先生、僕達はこれからどうすれば宜しいのでしょう。夷荻は日々国土を侵そうと幕府に理不尽な要求を突きつけています。この大きな
時代の流れの中、一体何が出来るのか・・・・・・。」
こうしたい、ああしたいという理想は次々と頭に浮かぶのだが、いざ手始め何をしようという段になると人間なかなか思うように体も頭も働かぬものである。久坂も例外ではなく、理想と現実の狭間でただ揺れ動いていた。
「久坂君、先程にも言ったが。狂人とでもなる他ないだろうね。これから戦うべきは武士ではない、草莽あるのみだ。」
「草莽・・・武士身分で無い民百姓、町人に至るまで全て・・・・・・ですか?」
松陰の”草莽”という言葉に久坂は思わず首傾げた。
この時代の身分階級は士農工商と4段階に分けられていた。武器を取る事を許されたのは士、すなわち武家だけであり農民(百姓)や町人がそれをする事は原則禁じられていたのである。だから、久坂が首傾げるのも無理は無い。そういう理念を植えつけられていたのだから・・・。
「そう、この激動の時代を乗り切るには日ノ本の民が一丸となり国を建て直し、正しい眼で見通せる政府の樹立が必要なのです。」
「・・・・・・幕府に代わるものでありますか・・・。では長たる方は天上の方で?」
久坂は松陰の台詞を聞いて初めて、”日本の民” ”政府の樹立”という真新しい言葉を覚えた。
「幕府の古く脆い統治下では優れた人材は生み出せぬ。優れた政府の樹立には先程の身分の枠を超えた人材が志をもって望まねばならない。
その為には全ての権力は無用と考えねばならない。」
「幕府体勢がいかんのであれば・・・当藩も・・・でありますか?」
「・・・・・・長藩も然り。全ての現状ある権力ではいかんのだ。」
松陰は今まで築き上げてきた武家独特の封建制を完全に否定している。久坂は全ての権力というところにふと疑問を抱いた。
「全てというと・・・朝廷もですか?」
ゴクリと唾を飲み込んで、質問したことへの回答を待つ。
暫しの静寂の後、松陰はふぅと溜息漏らし淡々とした口調で述べるのである。
「・・・・・・草莽が屈起するにおいて、恐れながら天子様も求める為政者ではありえぬ。」
久坂はこの言葉を聞いて雷に打たれたかのように体が硬直し、顔もやや青ざめて黙してしまった。日ノ本のすべての民が神ぞと崇拝する天朝様を全く為政者としてありえぬと断言する松陰にどう言葉を返してよいのか定まらず、目を見開きただ彼を見守る他無かったのである。
「ただ、残念ながら今直ぐに幕藩体制を変革する事は難しい。私は必要とあればいつでも脱藩する覚悟がある。」
「・・・そんな!先生、脱藩は重大なる罪ですよ。そこまでの御覚悟を・・・」
脱藩・・・・・・・・・国抜けともいう。江戸時代これは藩を脱したもの、武家社会においては主君を裏切る恥じるべき行為として重罪として扱われ、脱藩した本人だけではなくその親族知人に至るまで罪を着せられるというものである。
当時の社会は、現代の様に他の都市へ出かける事は簡単ではなく、国暇の許可(藩を一定期間離れる為の許可)を取らねば成らなかった。
例えば長州藩から出て、他藩へ旅をするのにも逐一藩庁の許可承諾が無ければ捕縛されてしまう。
この時代、藩同士はあくまで隣接する他国という意識のもとにあり、現代の県や町のような感覚とは一切が違っているのである。
そういう理由から松陰の言葉に久坂がうろたえるのも当然といえる。
藩を出、危険に身を晒してまで志に徹しようとする松陰の姿勢は終生久坂の脳裏に焼きつき、彼自身の志とこれからの活動に大きな影響を与えるのであった。