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スペリオルシリーズ

スペリオル外伝~虚無の魔女 ミーティア~

作者: ルーラー

 どの世界にだって、相容れないものは存在するのだろう。


 それは、『光』と『闇』であったり。

 あるいは『水』と『油』であったり。

 そして、あるいは『犬』と『猿』だったりする。


 あたしの知る『神』と『魔』も、そのひとつ。

 当然、その力を借りた『神界術しんかいじゅつ』と『魔界術まかいじゅつ』も。


 『神』の力を借りた魔術は、なるほど、確かに『正義』を行うためのものに見えるのだろう。

 逆に『魔』の力を借りた術は、どうやら『破滅』を招くものに映るらしい。

 少なくとも、『神族』からしてみれば。



『――いかに『魔』を滅することができようとも、その力が『魔』のものであることに変わりはないだろう』



 それは、かつてあたしが霊王ソウル・マスターアキシオンに叩きつけられた言葉。

 『魔界術』を使う存在は『悪』なのだと決めつけられたのが悔しくて、『魔界術でだって、魔族を滅ぼすことはできる』と思わず口にしたときに返された言葉。


 いまにして思えば、霊王の口にしたそれは、確かに正論なのだろう。

 けれど、あのときと同じく、神界術であろうと魔界術であろうと、魔術は行使こうしするものの『心の在り方』がすべてなんだ、と思う気持ちも消えなくて。

 あのとき、そのようなことを言ったあたしに、霊王はこう返してきたのを憶えている。



『ならば、汝はどうなのだ。なにかを護るためにも使えると言う汝のやったことは、どう見るのだ。かつて、お前は界王ワイズマンの力を借りた術を行使し、世界を滅ぼしかけたではないか』



 それに、あたしは詰まった。

 界王の力を借りた術――<最後の審判ワイズ・カタストロフ>を初めて使ったとき、あたしはまだ界王に関する知識を不完全にしか持っていなかった。

 だから、あのときに制御を失敗していようものなら世界そのものが滅んでいたのだと、<最後の審判ワイズ・カタストロフ>がそれほどまでに危険な術だったのだと、あたしは知らなかった。理解できていなかった。


 使った当時は、『知らなかったから』の一言で済ませてしまっていたけれど、もちろん、本当はそれで済ませていい問題ではない。


 だから、霊王に対してあたしは――


「――ア、おーい、ミーティア!」


 その声で、あたしは我に返った。

 目の前には、少し心配げにあたしの顔を覗き込んできている、二十代後半に差し掛かった黒髪の男性の姿。

 出会った頃と比べると、やや凛々しくなったような気がしないでもない顔立ちに、すっかり薄汚れてしまった銀色の鎧とショルダー・ガード。ぴったりとしたズボンを履いており、両手にはズボンと同じ色の黒い手袋グローブを着けている。

 手袋は、あたしにとって重要な、とある事情からするようになったのだけれど、それを申し訳なく思うことはしない。だって、それは彼が望んで決めたことだから。


 瞳の色はダーク・ブラウン。ここにだけは、出会った頃の面影が色濃く残っている。いや、出会った頃そのままと言ってもいいかもしれない。なんというか、とにかくお人よしっぽい印象を受けるのだ。

 そんな彼の名前はアスロック。あたしの現在、二人いる旅仲間のうちのひとりである。あるいは、それ以上のなにかなのかもしれないけれど、それは考え始めると、いつもいつも思考の底無し沼に沈む感じになってしまうため、あまり意識はしない方向で。うん、とりあえず彼は旅仲間なのだ。少なくとも、それ以下ではない。いまはまだ、それでいいと思う。


 あたしはオレンジ色のポニーテールを揺らしながら、あたりを見回してみる。いや、考え事をしていると、どうにも外側に意識を向けることができなくて……。でも、誰だってそんなもんでしょ?


 いま居るのはエルフィー大陸の首都――エルフィーの村にひとつだけある、屋外に展開されている食堂。

 この大陸に住む種族――エルフは、どうも屋内で食事するのが嫌いらしく、結果、こういうスタイルの食堂が生まれたらしい。しかし、それをピクニックでもしているようで楽しい、などと思うことはいつまでたっても出来そうになかった。

 あたしたちは基本、旅から旅の毎日だから、当然、野宿することだって多い。だから、町や村で食事をするときくらいは、せめて屋内で、と思ってしまうのだ。特に、いまみたいに朝ごはんを食べているときには、なおさら。……この思考、もしかして贅沢なのかな。


 それにしても村の名前がエルフィーだなんて、ひねりがないネーミングだとは思うけれど、一方で、それも仕方がないかな、とも思う。

 なにしろ首都もなにも、この大陸はその大半を森が占めており、このエルフィー以外、村がないのだから。あるいは、村に名前がつけられているだけでも、その『名前をつける』という発想力に驚嘆するべきなのかもしれない。

 住んでいる種族は全員がエルフで、当然、エルフと人間の間に生まれるハーフエルフは存在しない。言うまでもなく、あたしとアスロック以外の客も全員がエルフだ。


 ――まあ、だからといって、エルフ以外の種族がこの大陸に存在しない、というわけでもないのだけれど。


「ごめん。なんかちょっとボーッとしてたみたい。で、なに? アスロック」


「『ごめん』って……。お前、そんなあっさりとおれに『ごめん』って……」


「いや、あたしも今年で二十歳になったんだし、いい加減少しは丸くならないとなー、ってね。実際、丸くなってきた自覚はあるんだけどなぁ」


「見た目はせいぜい十七くらいにしか見えな――いや、なんでもない。それに、丸くというよりは、なんか、こう、卑屈になってきてるんだよなぁ、お前は。らしくないとまでは言わないが、おれに対しては、もっと――」


「そういうあなたは、相変わらず話を脱線させるのが得意よねぇ。まったく、少しは進歩しなさいよ」


「へいへい。――それにしても、この大陸では特別、モンスターに変なところはなかったな」


「急に話を戻したわね。……まあ、いいわ。もっとも、他の大陸もそうだとは限らないけどね」


 いまから三十日ほど前だっただろうか。

 あたしたちの住む大陸――リューシャー大陸で、モンスターがおかしな動きを見せ始めた。

 なにがどうおかしいのかを説明するのはなかなかに難しいのだが、一例を挙げるとすれば、違う種族のモンスターが群れを成すといった風に、妙に統率のとれた動きをするようになったのだ。

 そう、まるで人間を共通の『排除すべき存在』と突然認識したかのように。


 人はそれをこう呼んだ。

 モンスターの凶暴化現象、と。


 そして、魔道学会から緊急の『招集令』が出されたこともあって、その会合に出席するべく向かったフロート公国の首都で、かつて共に旅をしたことのあるサーラから、マルツ・デラードという名の弟子が『モンスターの凶暴化現象』と前後して行方をくらましたと聞かされることになった。


「そういえば、もう見つかったのかな? サーラの弟子は」


 サラダサンドを口に運びながら訊いてくるアスロック。ちなみに、あたしも同じものを頼んでいた。

 エルフは基本、菜食主義だからなのか、メニューには肉の入っているものが存在しない。だからスリムな体型を維持できるのかもしれないが、肉メインの食生活を送ってきたあたしたちには物足りないのも事実。

 心の中でだけ、こっそり言っちゃおう。まったく、これだからエルフってやつは……。


 それにしても日の当たる場所でサンドイッチを食べると喉が乾く。着ている物が熱を吸収しやすい黒色のローブだから、なおのこと。あたしは野菜ジュースが並々と注がれた素焼きのコップを手にした。ああ、これも野菜だ、青い……。


「いや、あたしに訊かれてもね。サーラとファルカスは魔道学会の会合が終わったその足で、マルツの住んでたカノン・シティに向かったけど……」


「それっきり、だもんな。でもって、おれたちは……」


「…………」


「…………」


「アスロック、あたしたちの旅の目的、ちゃんと憶えてるわよね?」


「あ、当たり前だろう……!? というかミーティア、笑顔なのに表情が怖いぞ」


「…………。まったく。――でも、あなたのそういうところを見ると、なんだかホッとするあたしがいるわ」


「それはよかった。――で、次はどの大陸に向かう? もうリューシャー大陸に戻るか?」


「そんなわけないでしょ。カータリス、ルアード、ドルラシアと各大陸を出来る限り短期間で回って、モンスターが他の大陸でも凶暴化しているのか、それとも凶暴化はリューシャー大陸だけでしか起こってないのかを確かめるのよ」


「おお、そうだった、そうだった。じゃあ、ドローアが村長さんのところから戻ってきたらすぐに出発か?」


「そうね。まあ、もっとも。エルフィー大陸で凶暴化現象が起こってないんだから、他の大陸でも起こっていなさそうだけど」


「そうか? そうとも言い切れないだろ」


「もちろん絶対とは言えないわよ。でもやっぱり、リューシャー大陸でのみ起こっている、という仮説のほうが正しそうなのよね。ほら、ここを除く他の大陸すべてで凶暴化現象が起こっていたと仮定して、よ? じゃあ、なんでこの大陸のモンスターだけ普段どおりなんだって訊かれたら、あなた、答えられる?」


「……いや。――でも、それなら他の大陸を回る必要なんてないんじゃないか?」


「だから、とりあえずよ、とりあえず。下っ端は下っ端らしい動きをしてようってこと。壮大な計画は神族四天王の皆さんに練ってもらって、ね」


「…………。そういうところが卑屈になったって――」


 ――瞬間。


 アスロックの声をさえぎるように、耳をつんざくような爆音が響いてきた。

 何事かと揃って立ち上がり、音が聞こえてきたほうへと走りだすあたしたち。


 どうやらその音は、それほど遠くで発生したものではなかったらしい。

 木製の民家をひとつ曲がったところで、その音を出したのであろう、尖った耳を持つエルフの少年たち三人の姿を見つけた。……いや、それと、あざ黒い肌をしたエルフの少年が、地面に転がる格好で、もう一人。


「あれは、ダークエルフ……?」


 思わずつぶやく。

 エルフたち三人もダークエルフの少年も、年齢のほうは十代前半といったところだろうか。

 でも、どうしてダークエルフがここに、と思うと同時、エルフたちのうちの一人が野草で編まれたネックレスを手にしているのに気づく。


「返せ! それを返せよ!」


 大声で怒鳴りながら立ち上がるダークエルフ。打撲でも負っているのか、右の掌で自らの左腕を押さえながら。


 たった一人で集団に立ち向かうあざ黒い肌を持つ少年。

 その姿に、かつて少しの間だけ一緒にいたダークエルフ――ラルク・ディル・メナスの姿が重なる。


 その一方で、おぼろげながらではあるけれど、ここで一体なにがあったのかも、あたしにはつかめ始めていた。


 エルフというのは、二十歳になるまでは人間とまったく同じように成長する。肉体的にも、精神的にも。つまり、十代前半の姿をしているエルフもダークエルフもその年代の人間がそうであるように、自分たちと違う一点があればそれが原因でケンカしたり、場合によってはいま目の前で繰り広げられているように、イジメやリンチに発展したりもする。

 同じ種族同士であってもそうだというのに、まして今回は――


「うっせえ! つーか、なんで村長の許可もなしに勝手に村に入って来てんだよ!」


「そーそー。邪悪な神々に忠誠を誓ったダークエルフのくせにしてよー」


「まったくですね。邪悪な神々からたまわったというその肌の色といい、無思慮、無分別な行動といい、見ているだけで吐き気がしてくる」


 今回の相手は『何千年も前に、先祖が邪悪な神々に忠誠を誓ったから』などという理由で村に出入りすることを禁じられているダークエルフ。これではイジメやリンチが起こるのは、むしろ当然のことと言えた。

 なにしろ、彼らの持つあざ黒い肌は、『邪悪な神々に忠誠を誓った証』とされ、この大陸ではいまもなおみ嫌われ続けているのだから。


 しかし、そんな事実があるわけはない。そもそも、その『邪悪な神々』というのは闇を抱く存在ダークマターの創りだした魔族のことだし、それにダークエルフがいくら忠誠を誓ったところで、その魔族に一種族の肌の色を黒く変えられるはずがない。

 万が一できたとしても、ダークエルフの肌の色は完全に生まれつきのもの。その魔族の貸し与えた『力』が世代を超えて肌の色を変え続けていけるとも思えない。


 その程度のことは、この大陸に住んでいるのなら誰だって知っている。たとえ十歳にも満たないエルフの子供であっても。

 けれど、不幸なことにダークエルフには、魔族との契約によって手に入れたのだと言われれば納得してしまえるほどの強い魔力がある。


 もちろんエルフだって――リューシャー大陸に住んでいるエルフだって、人間を遥かに凌ぐほどの魔力は持ち合わせている。しかも、この大陸のエルフはそれに加えて『他者の戦闘能力パワー・ポイントを測定する』という、リューシャー大陸に住んでいるものにはない能力まで持っている。その代わり、あたしたちとは違って、思い通りに『戦闘能力パワー・ポイント』を増減させることはできないようだけれど。


 しかし、ダークエルフは『戦闘能力』を測定できるだけではなく、あたしたちと同じく、それの増減すらも可能としている。さらに魔力という点では、人間を遥かに超えるエルフを上回ってもいるのだ。


 それだけでも、両者の共存は不可能に近くなっているというのに。


 ダークエルフが『魔』的な存在として捉えられやすい最大の特徴は、魔術に対する耐性――耐魔たいま能力があるからだ。それこそ、神界術以外は通用しないくらいの、強い耐性が。


 だから、同じ大陸に住まうものとして、エルフはダークエルフを恐れた。差別し、森の奥深くに追いやった。

 もちろん、それはダークエルフが比較的温厚な種族だからできたことだ。そうでなければ、すぐにエルフたちはダークエルフたちによって滅ぼされていたはず。

 しかし、そうはならず、エルフは村で――あるいはその周辺で、ダークエルフは森の奥深くで生活するようになっていった。


 状況が変わったのは――いや、変わってしまったのは、あたしたちが初めてこの大陸を訪れた三年前。……おっと、こう言うとまるであたしたちがエルフとダークエルフの均衡を崩したかのように聞こえるけれど、そういうわけではない。……たぶん。


 当時、とあるダークエルフの青年がエルフたちに反旗はんきひるがえしたのだ。それも、ダークマターに創られた魔族――エルフがいうところの『邪悪な神々』にそそのかされたような形で。

 とはいっても、エルフたちはエルフたちで、自分たちを絶対的な強者だと勘違いしてダークエルフを迫害していたのだから、ある意味、自然な成り行きだったともいえるだろう。


 そして、現在。

 遠巻きにしている大人のエルフさえ、ダークエルフの少年に味方しようとしないことからもわかるように、一度始まった差別や迫害は未だに無くなっていない。もちろん、当時、成り行きでエルフたちを助けることになったあたしたちの呼びかけがあっても、だ。


「大体、男のくせにネックレスってなんだよ、気持ち悪りぃの」


「……っ! うるさい! 返せよ! ナナの、ナナのネックレス……! 返せよっ!」


 リーダー格の少年に飛びかかるダークエルフの少年。エルフにせよダークエルフにせよ基本的には非力なうえ、ダークエルフの身体能力は大抵がエルフを上回っているため、この状況でダークエルフが負けることはないだろう。……一対一なら。


爆炎弾フレア・キャノン!」


 詠唱を済ませていたのだろう。インテリぶったエルフの少年が赤みがかった光球を放つ。それはダークエルフの少年の背中を直撃し、爆発すると同時に彼を吹っ飛ばす。


「ぐっ!?」


 ごろごろと地面を転がる、あざ黒い肌の少年。その肌が焦げたりしていないことからして、魔術としての<爆炎弾フレア・キャノン>はたいして効いていないのだろうが、それでも副次的な効果である衝撃によるダメージは受ける。だって、それは詰まるところ、魔術は関係なく、拳で思いっきり殴られたのと同じようなものだから。


 なんにせよ、状況はよくわかった。

 ダークエルフをからかいに森の奥に入っていったエルフたちが『ナナ』とかいう子のネックレスを奪って、エルフにとっては一番の安全圏となっているこの村まで戻ってきた。

 それをあの少年は取り返しにきたのだろう。村への出入りは禁じられていることを、おそらくは承知のうえで。


 ――なら。加勢してあげようじゃないの。あのダークエルフの少年に。

 隣を見ると、アスロックも同じ心境らしく、ちょうど腰に提げている二種類ある剣のうちの片方――漆黒魔道剣しっこくまどうけんに手を伸ばしていた。


 それにしても、やっぱりどこにでも相容れないものは存在するなぁ。

 この大陸の場合は『エルフ』と『ダークエルフ』か。まったく、あたしたちの住んでいたリューシャー大陸では、そりゃ、ハーフエルフがちょっと下に見られることはあるけど、それでも、その程度で済んでいるというのに……。


 ざっと鳴らし、四人のほうへと歩を進めるあたしたち。

 と、ダメージは少なかったのか、ダークエルフの少年が立ち上がる。いま、加勢してあげるからね。ひとりでよく頑張ったぞ。


「ぐっ……、くそ……!」


 少年は苦しそうにうめきながら、右の手を空に向けておおきく掲げた。そして呪文の詠唱を開始する。――って、その術は!?


「お、おい! なにバカなことしてんだよ! やめろよ、おいっ!」


 彼が使おうとしているのが<核炎球コア・ブレイク>だとわかったからか、うろたえ始めるリーダー格のエルフ。自業自得ではあるのだけど、この場合は……。


「お、おい、ミーティア、どうする!?」


 アスロックもまた、焦った声を出す。彼は火術かじゅつ専門家エキスパートである火道士かどうし。子供の頃から火の精霊魔術を多用してきたともいうから、その危険性が直感的にでもわかるのだろう。


 ダークエルフの少年が使おうとしている<核炎球コア・ブレイク>というのは、まあ、<爆炎弾フレア・キャノン>並みの光球をいくつも放つ術である。問題なのはそれをダークエルフが使おうとしているということと、周囲の建築物はすべて木造で、しかも村は森に囲まれているという、その事実。

 ダークエルフの魔力なら、一度に数十という数の光球を放つことができる。それは何かにぶつかると同時に炎を撒き散らし、建物や樹々を巻き込んで、――最悪、この村を壊滅させかねない。


 幸い、<核炎球コア・ブレイク>の詠唱には時間がかかる。あまり術を使い慣れていないのか、少年の詠唱にはたどたどしさもある。これなら時間的に見て、説得することも可能なんじゃ――。


 そう思ってダークエルフの少年に目を向ける。

 しかし、そうして初めて、あたしは説得は不可能だと理解した。

 彼の瞳にあるのは、苛立ちと、ある種の狂気とすら呼べるほどの、怒りの感情。


 つまりは、完全に――キレている……。



 どうする? 力ずくででも詠唱をやめさせる?



 でも、彼は<核炎球コア・ブレイク>の詠唱を開始してしまった。なら、それをやめさせることに意味なんてない。



 なら、<精神裂槍ホーリー・ランス>の強化版である<精神滅裂波ホーリー・ブラスト>あたりで彼を気絶させて、別の大陸で暮らせるように手配する?



 ……そんなの、バカげてる。急にこの大陸を――生まれ育った地を離れろなんて、あまりにもあの少年には酷だろうし、なによりもダークエルフに<精神滅裂波ホーリー・ブラスト>程度の術が効くはずもない。効くとすれば神界術しかないというのに……。


「……ミーティア、『解放の詠唱』、使うか?」


 アスロックがグローブの上から右手の甲をさすりつつ提案してきた。


 『解放の詠唱』。それは、あたしが力をフルに使えるようにするために必要な、アスロックだけが使える詠唱。

 しかし、あたしはそれに首を横に振った。そして、覚悟を決める。



 早口でなら、まだ間に合うから。



 これ以上迷っていたら、この村や、あたしたちの命まで危なくなるから。



 だから――。




「時は満ちれり

 天駆ける碧雲へきうんの支配者よ

 我が声に耳を傾けたまえ

 我を仇なす邪悪なる者に

 いま、聖なる鉄槌を!」


 あたしが所有する四つの『宝石ジュエル』のひとつ、右の手首につけている『雷光らいこうの宝石』が淡い輝きを放つ。




 ……ごめんね。




 心の中で、そうつぶやいて。


 あたしは呪力を解放した。


雷光神槌撃シャイニング・ブルーレイ


 刹那にも満たない間を置いて。


 青白い雷撃が、ダークエルフの身体を撃った。


 身体をのけぞらせ、そのまま仰向けに倒れこむあざ黒い肌の少年。


「っぅ……」


 ――焦げる匂いが、鼻につく。


「……ミーティア」


 アスロックの気遣わしげな声。

 違う。あたしが欲しいのは、そんな声じゃない。もっとも、じゃあどんな対応をして欲しいのかなんて問われても、答えようがないけれど。

 そんな思考をしながら、彼とは間逆の方向に目をやった。それでも、彼がすごく心配そうな表情を浮かべているのが、手に取るように伝わってくる。


 ――霊王アキシオン。

 あたしはいま、雷王ヴォル・マスターの力を借りた術で――『神』の力で、『生命いのちあるもの』の命を――未来を奪った。

 これはかまわないの? 『神』の力を使った以上、あたしのやったことは、正しいことだって、あなたはそう言うの?


 ダークエルフは他の種族よりも『魔』的だからと、あなたはそう言うのかもしれない。

 それでも今回は、どう考えても彼に非はなかったはず。


 ――それとも。

 あなたはダークエルフという種族そのものを『魔』と定義してでも、『神』の力を借りるものの『正しさ』を主張するの?


 答えがなにひとつ返ってこないことが、悔しくて。


 目の前の光景が、どうしようもなくやるせなくて。


 なにを思えばいいかもわからずに、空を見上げる。


 <雷光神槌撃シャイニング・ブルーレイ>を使ったときに立ち込めてしまった雲は、すでに風に流れて消えていて。

 いま、空に在るのは澄みきった青空と、それをバックにして宙に浮かぶ、緑色の大小さまざまな、いくつもの大陸。


 あの大陸群が空に現れた直後くらいだっただろうか。

 アスロックを通じて、光の戦士スペリオル・ナイトゲイル・ザインが、リューシャー大陸のモンスターたちが凶暴さを増した、と伝えてきたのは。


 あの大陸群が空に現れたのが直接の原因なのか、あれの出現を口実かなにかにして、本来の凶暴さをあらわにしたのか。その判断はまだ、できないけれど。


「相容れない存在。リューシャー大陸では『人間』と『モンスター』、か」


 本当に、相容れないものはどこにでもある。魔族が表立って色々やっていた頃はモンスターなんて、さして脅威ではなかったというのに。


 一体、どこでなにが狂ったのだろう。あたしたちがリューシャー大陸を出たことが、そもそもの間違いだったのだろうか。しかし、それはすなわち、あたしの選択が――あたしが生きていることそのものが間違っているのだということにも繋がってしまう。


 あるいは、その通りなのかもしれないけれど。


 『あたし』はあのとき、闇を抱く存在に大人しく消されてしまえばよかったのかもしれないけれど。


 それでも、アスロックが望んでくれたから、あたしは――。


 仰向けに倒れたままのダークエルフの少年に近寄って、その身体を抱き起こした。その身体は徐々に、徐々に体温を失い、冷たくなっていく。


 ――それは、非常に緩やかな『死』への歩み。


 もうすでに意識を失っている彼は、ゆっくりと、しかし、確実に死へと近づきつつあった。


 あたしはそれを止めることはしない。こちらに引き戻そうとは思わない。


 そんなことをいまさら思うくらいなら、最初からあの術を使ったりなんてしなかった。


 三年前のこともあって、エルフたちはダークエルフの敵対的な行動に過剰になっている。

 あのとき、詠唱を力ずくでやめさせて、あの場だけ収めても、さして意味はなかった。

 下手をすれば、彼はこの場でエルフに殺されるだろうし、たとえあたしの口添えで無事に村を出られても、ダークエルフたちに殺されることになるはずだ。

 彼らが、『自分たちは危険な存在ではない』という意思をエルフたちに示すために。


 結局、最大の問題は、この村にダークエルフが許可もなく入ってきたこと、そのダークエルフが子供のケンカでは済まないレベルの術を『使おうとした』ことにあったわけで。

 その詠唱が中断されようと、使おうとした事実そのものが消えるわけはない。


 だからせめて、あと少しだけ我慢して欲しかった。あたしたちが乱入するまでの、ほんの数秒だけ。ダークエルフではないあたしたちなら、多少の無茶はできたのだから。


 やがて、彼の弱々しい心臓の鼓動が止まり。

 あたしは傍らに立つアスロックに声をかけた。そちらに顔は向けないままで。


「さて、と。ドローア、遅いわね。――いつまでもこうしててもあれだし、どこかで待つにしても暇なことに変わりはないし、この子、とむらってあげようか」


 森の奥深くに、は無理だけれど。

 少しでも、彼が住んでいた場所に近いところに。


 もちろん、それはあたしのただの暇潰し――自己満足でしかないけれど。


 アスロックは、なぜかしばし沈黙して。


「…………。まったく、素直じゃないところだけは変わらないよな、お前は。――いいんだよ、こういうときは。暇だからとか、そういう理由づけなんてしなくても。……大体お前、泣いてるじゃないか」


「っ……。うるさいわね。泣いてなんかないわよ……」


 ――ああ、でも。

 あたしの知らない間に、ごくごく短い時間だけ、雨が降ってはいたらしい。


 でも、それだけだ。泣いてなんかいない。

 あたしは、一目見ただけも同然の他人の死くらいで涙を流してしまうほど弱くはないし、流してあげられるほど強くもない。

 そんなあたしは、自分でも嫌になるくらい半端者だ。


 両の目の端を拳で拭い、あたしは思ったよりも小さな身体をしているダークエルフの亡骸なきがらを抱えあげた。しかし華奢な身体つきをしているのはあたしも同じ。二、三歩ですぐによろけてしまう。


「だから、無理するなって……」


 嘆息交じりなアスロックに、ひょいっと亡骸を取り上げられた。


 その彼の行動に、胸が温かくなる。


 それは、きっと。

 お前一人で抱え込むことはないんだ、と言われた気がしたからだろう。


「――ありがと」


 驚愕の表情が貼りついたままのダークエルフの横顔を見ながら、あたしは小声で礼を言った。


 そして、あたしは。


 ――ねえ、サーラ。

 この状況、あなただったらどうした?

 この状況でも、あなたは以前まえと同じに両者の共存を口にできた?


 そんならちもない問いかけを。

 かつて共に旅をした仲間に向けて。

 そっと、口にだすことなく送ったのだった――。

現在書いている作品の投稿が、予想以上に遅れてしまいそうなので、このたび、数年前に書いた作品を掘りおこすことになりました。

僕にしては珍しく、バッドエンドです。救いとか、全然ありません。

ええ、主人公だからって、なんでもかんでも解決できるわけではないのですよ。

それでは、また別の作品でお会いしましょう。

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