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想いは言葉に乗せて  作者: 倉永さな
【本編】
8/14

八*練習場

 電車に乗り二駅。

 待ち合わせの時間のちょっと前。改札口を出ると、土井先輩はもう待っていた。


「おはようございます。早いですね」

「おはよう」


 土井先輩はわたしを上から下まで眺めて笑みを浮かべた。


「私服を初めて見たけど、かわいいね」


 その一言に、顔から火を噴きそうになった。恥ずかしくて持っていたかばんで顔を隠した。


「なんで顔を隠すの?」

「やっ、はっ、恥ずかしくてっ」

「恥ずかしくなんてないよ。本当にかわいいと思ったから言ったんだし」


 そんなことを言われるとますます恥ずかしい。そういうことを言われ慣れてないから、恥ずかしくて仕方がない。

 土井先輩の少し後ろをついて歩く。


「駅から結構、歩くんだよなぁ」


 土井先輩が通うことになる大学はもう二・三駅先に行ったところだけど、キャンパス内に運動ができるようなスペースがないようで、こうやって練習場を借りているらしい。

 土井先輩の話に相づちを打ち、たまにぽつりと感想を述べる。

 そういえば、わたしと土井先輩の共通の話題というのはサッカーくらいしかない。だけどわたしにはサッカーの知識があまりなくて、なんと言えばいいのか分からない。


「そういえば、奏乃」


 土井先輩はなにかを思い出したかのように立ち止まってわたしを見下ろす。


「はい、なんでしょう」


 土井先輩の横に立ち見上げる。一重の鋭い視線にちょっとだけ怖いと思ってしまう。


「今日はなにか絵を描く物、持ってきた?」

「え……いえ」

「そうなんだ」


 それだけ確認して、土井先輩はまた歩き始める。

 しばらく歩みを進め、先輩は口を開いた。


「実は……さ。奏乃にお願いがあるんだ」

「お願い……ですか?」


 きょとんとした表情でわたしは土井先輩の背中を見つめる。


「こんなことを言っていいのか分からないんだけど、奏乃におれたちの練習風景を絵に描いてほしいんだ」

「──え?」


 思いもしなかったことを告げられ立ち止まる。


「あ、いや。奏乃が嫌ならいいんだけど、その、ただ見てるだけだとつまらないかなと思って」

「つまらないこと、ないですよ。だってわたし、いつも──あっ」


 わたしは慌てて口を閉じた。

 土井先輩のことをずっと見ていたなんてそんなこと言えない。だけど途中まで言ってしまって後悔する。


「お、あそこにコンビニがある。時間はまだあるし、行ってみよう」


 土井先輩は少し先にあるコンビニを指さし、わたしを誘う。言いかけた言葉を追求されたら困ったので、助かった。


「飲み物も買っていかないとひからびるぞ」


 土井先輩は少しだけ歩調を速めてコンビニへと向かう。わたしも慌てて追いかける。

 中に入ると土井先輩はまっすぐになぜか文具が置いてあるところへと向かう。なにか手に取ると今度は飲み物コーナーに行きお水を選ぶとレジへと向かった。


「ほら、奏乃の」


 呆然としていたわたしにお会計を済ませた先輩はお水を手渡してきた。


「なにがいいのか聞けば良かったんだけど、無難に水にしておいた」

「あ、その──。ありがとうございます」


 お財布を取り出そうとしたら、先輩は止めてきた。


「いいよ。ここまで来る交通費は出してあげられないけど、これくらいはさせてよ」


 そう言われると素直に受け取るしか出来ない。


「あともう少しだから」

「……はい」


 わたしたちは歩いて練習場へと向かう。駅から優に二十分くらいは歩いたと思う。ようやくたどり着いた練習場に見覚えがある。


「あ、ここって……」


 昔、小学生の時に町内会の行事で何度か来たことがある。ここなら電車に乗るよりも家から自転車で来た方が近いような気がする。


「こら、土井! 遅いぞ!」


 練習場に入ると、中で準備をしていた人に先輩は怒られている。


「すみませーん!」


 先輩はそう言うと、わたしにさっきコンビニで買っていた袋を手渡してきた。


「そこのベンチに座って、もしよかったら、おれたちの練習風景をスケッチしてほしいな」


 渡された袋の中にはかわいらしい動物の上に「おえかきちょう」と描かれたものと、五色のクレヨンが入っていた。


「鉛筆じゃないから描きにくいかもしれないけど、それだと削らないでも済むだろ?」

「あの、その……」

「無理にとは言わないから。じゃ、行くね」


 土井先輩はわたしに屋根のついているベンチに案内してくれて、駆け足でプレハブに駆け込んでいった。

 わたしはビニール袋からお絵かき帳を出す。

 土井先輩はわたしが絵を描くのが好きなのを知ってくれている。だけどわたしは今日、ここに絵を描きに来たわけではない。どうすればいいのか悩み、ベンチの上に置いた。

 フィールドの整備をしている土井先輩を見ながら、他の部員たちにも視線を走らせる。

 整備をしているのは、土井先輩を含めて三人。きっと彼らは一年生なのだろう。もっと人数が多いと思っていたのに、準備をするのはかなりしんどいのではないかなと思って見ていた。


「おはようございまーす」


 九時が近づくにつれ、人が増えてきた。わたしのように見学に来ている人も増えてきて、ベンチは人があふれ始めた。ベンチの上に置いていたお絵かき帳とクレヨンを膝の上に乗せる。


「キャプテン、まだ来てないね」

「さっき、駅で見かけたけど」


 会話を聞き、ほとんどの人がキャプテン目当てなのを知った。なんだか肩身が狭くなる。

 九時前になると、キャプテンがやってきた。小さく黄色い声が上がる。

 高い身長、がっしりとした肩。精悍な顔つき。そしてなんとなく他の人とは違うオーラが漂っている。

 ──描きたい。

 うずうずとしたそんな気持ちがわき上がってくる。

 わたしはたくさんの人がいるベンチから離れ、木陰へと移動する。ここなら、気兼ねすることなく絵を描くことが出来る。それにフィールドがよく見える。

 荷物を地面に置き、くにゃっとするお絵かき帳に苦戦しながらもクレヨンでキャプテンを描いていく。

 練習が始まった。

 土井先輩のフォームは相変わらず美しい。キャプテンは美しい中に迫力がある。──すごい。気がついたら、キャプテンばかりを目で追っている。

 これだといけないと思い、意識して全員を描くようにするのだけど、やっぱりキャプテンは目を惹く。

 土井先輩は必死になってキャプテンについて行っている。

 あんなすごい人を目の当たりにしたら、追いついて追い越したいと思う気持ちがよく分かる。

 そういえば、土井先輩の話の中にもよくキャプテンのことが出ていた。


『あの人は本当にすごいんだ。おれの今の目標で、あこがれで、そして勝手にライバルだと思っている』


 というメールを思い出す。土井先輩の言いたいことがよく分かる。

 ふとした拍子にキャプテンの動きがぎこちなくなるところがある。それはなんでだろう。気にしながら思うがままにお絵かき帳にクレヨンを走らせる。

 そして気がついてしまった。あの人はたまに手を抜いている。周りの人に合わせて、本当はもっといけるはずなのに、ふっと力を抜いているのだ。

 休憩時間に入り、わたしは今まで描いたスケッチに目を通す。

 五色のクレヨンを気まぐれに交換しながら描いているので、ぱらぱらとめくると色が変わる。なんだかこういうのもたまにいいかもしれない。

 高校で見ていたサッカーとは違って、みんな段違いに上手だ。今まで見ていたのがまるで子どもの遊びと感じるくらい。その中でも土井先輩は奮闘していて、以前よりかなり上達していることにも気がついた。


「──あれ?」


 だけど、だ。

 描いているときは気がつかなかったけど、なんだか変なフォームをしている人たちが混じっている。

 わたしはサッカーの基本のフォームなんてものは知らない。だけど一年間ずっと、サッカー部の練習を見てきた。だからなんとなくだけど、これはおかしいのではないか、というのは分かる。そして千川原高校サッカー部の人たちは基本のフォームだと思われるモノを大切にして、反復練習をさせられてきていたんだなということにも気がつかされた。毎日繰り返されていたシュートとドリブル。あれにはきちんと意味があった。だけど今、フィールドに出て練習をしている人たちの中にはその基本が出来てないと思われる人がいる。

 ぱっと見たときのフォームはキレイだ。だけど基礎が出来てないからふとした拍子に崩れる。


「……それは、スケッチやデッサンでも言えるのかぁ」


 わたしは好きで毎日、スケッチとデッサンをしてきたし、全然上達してないと落ち込んだことがあったけど、きちんと意味があったんだなと改めて知った。

 休憩が終わり、練習が始まった。

 高校の時とは違って、シュートやドリブル練習にはあまり重点を置いていないようだった。基礎が出来ている土井先輩と他の人を見比べてみると、遜色ない。いや、むしろ基礎がしっかりしている土井先輩の方が実力が上に見える。しかも土井先輩はキャプテンを目標にしているというから、これからめきめきと力をつけていくような気がする。


「あ──」


 今のは明らかにわざとだ。先輩が土井先輩の足を引っかけた。間一髪で土井先輩は転けるのを免れた。早速、目をつけられてしまったのだろうか。

 練習を見ていると、キャプテンの目を逃れるようなタイミングで土井先輩は先輩たちの標的になっている。

 気がついてしまったわたしは、しかし、見ていることしか出来ない。どうすればいいのか分からず、歯がゆい。


「あ……」


 今もわざと足を引っかけてきた。だけど土井先輩はどうにか踏ん張り、かろうじて転けていない。それが面白くないらしい先輩方はどんどんと熾烈になっていく。


「お疲れさまでした」


 練習が終わり、わたしは待ちきれずに土井先輩のところに走り寄った。


「奏乃も疲れただろう?」

「いえ、わたしは大丈夫です。すごく楽しかったですっ」


 土井先輩はわたしが握っていたお絵かき帳に気がついたようで、そちらに視線を向ける。


「描いた?」

「あ、そのっ。つい……。わたし、描かないと落ち着かない病みたいで」


 土井先輩は笑いながらお絵かき帳に手を伸ばす。


「見ても、いい?」

「え、あ……はい」


 恥ずかしいと思いながら、だけどこれは土井先輩のものだからと手渡す。

 土井先輩はぱらぱらとわたしの描いたスケッチをめくり、そして真剣な表情になって最初から見ている。


「あの……」


 無言でじっと見つめられると、どうすればいいのか分からない。


「すごいな、これ」

「え……いえ、あのっ」


 土井先輩は最後まで見て、お絵かき帳をわたしに返してきた。


「もし良かったら、また来て、描いてくれる?」


 わたしは顔を上げて、土井先輩の顔をじっと見つめる。


「あの……また来て、いいんですか?」

「ああ。いいに決まってる。むしろ助かるよ」


 そう言われると、わたしはうれしくなる。


「それでは、明日もまた来ます!」

「そう? じゃあ、明日も駅前に八時」

「いえ。大丈夫です。場所は分かりましたし、家から自転車で来た方が近いです」


 土井先輩に負担を掛けるのが申し訳なかったし、さっきの練習風景を見て、気になることがあったのだ。だから来ていいと言われたから、通える範囲で来て見守りたいと思った。


「練習は九時からだから」

「はいっ」

「ちょっと待っててくれる? 送っていくから」


 わたしはお辞儀をして立ち去ろうとしたら、土井先輩にそう言われた。わたしは素直に待つことにした。


 そして次の日、自転車に乗って記憶をたどって練習場へと向かった。

 思った通り、自転車でここに来る方が楽だった。

 九時前につき、駐輪場に止めて昨日と同じ場所に立つ。土井先輩はすぐにわたしに気がついて、手を振ってくれた。だからわたしも振り返した。

 練習を見ながらスケッチしていく。

 やっぱり今日も陰険ないじめが行われている。わたしはその場面を描き残した。

 春休み中、わたしはサッカー部の練習がある日は極力、練習場に通った。

 そして──決定的な場面をわたしは目撃してしまった。

 春休みがそろそろ終わりを告げる頃。

 練習が始まってすぐに、土井先輩が数人に囲まれた。今日はタイミングが悪いことに、キャプテンは遅れてくるというのだ。いや、だからこそ、彼らは今日、決行したのだろう。

 そしてキャプテンが遅いということは、ギャラリーもいつもより少ないということだ。

 練習というよりは明らかないじめ。ボールを蹴るフリをして土井先輩の足を蹴っている。

 わたしは耐えきれずに、気がついたらお絵かき帳を握りしめたままフィールドに飛び出し輪の中心に割り込んでいた。


「……なんだ、こいつ」


 わたしは顔を上げ、首謀者だと思われる男をにらみつける。土井先輩は足を蹴られ、うずくまっている。


「なにをしているんですか!」

「なにって、練習だけど?」


 ふてぶてしい返答にわたしは一歩、前に進む。


「なにが練習ですか! あなたたちはずっと、土井先輩を標的にして、いじめてるじゃないですか!」


 わたしは両手を広げ、土井先輩を背中に隠してにらみつける。


「おまえは、だれだよ?」

「……奏乃」


 背後から、土井先輩の小さな声。


「おまえ、こいつの彼女かあ?」


 にやにやとした笑みを浮かべた首謀者は、わたしの顔をのぞき込んできた。


「ひゅーひゅー、お熱いねぇ。女の子に守られるエースなんて、かっこいいねぇ」


 その言葉にようやく、わたしはしてはいけないことをやってしまったことに気がついた。

 こんなことをしたら、土井先輩が恥ずかしいだけじゃないの。

 だけど引き返すことも出来ず、にらみつけることしか出来ない。


「奏乃、おれなら大丈夫だから」

「だけど……!」


 振り向くと、足をかばいながら土井先輩は立ち上がろうとしている。手をさしのべようとしたけど、首を振られた。


「これは練習だ。試合になれば、もっと過酷な状況になるんだ。だから鍛えてくれていたんですよね──先輩?」


 不敵な笑みに、首謀者は気圧されたようにああ、とうめくように返事をしている。

 わたしなんかが出てこなくても、土井先輩は強かった。


「あの……ごめんなさい、練習の邪魔をして」


 わたしは恥ずかしくなり、元の場所に戻ろうとしたそのとき。


「なんだ? お絵かき帳とか、お子ちゃまかよ!」


 わたしの手にあった土井先輩が買ってくれたお絵かき帳を見つけ、素早く抜き取られた。


「あっ」


 ぱらぱらとめくり、中を見ている。


「これは──」


 ようやく場がおさまりかけていたのに、スケッチのせいでまた、雲行きが怪しくなる。


「なんだよ、これ」

「スパイじゃないのか?」


 その一言に、一気にわたしに視線が向けられる。


「これ、どうするつもりだ?」


 射貫くような視線に、わたしは動揺しながら答える。


「その、わたしは美術部員で……そのっ」


 先輩たちは一歩、また一歩とわたしに迫ってくる。


「あの、そのっ。か、勝手にスケッチの題材にして──」

「どうした!」


 聞き覚えのある怒声に、全員が慌てて振り返る。

 そこには、遅れて来ると言っていたキャプテンが立っていた。


「なんだおまえら。練習中じゃないのか?」


 わたしたちのところにキャプテンは近寄り、鋭い視線を向けてくる。


「キャプテン、こいつ、スパイですよ!」


 首謀者はお絵かき帳をキャプテンに振って見せる。


「……スパイ?」


 いぶかしげな表情を浮かべ、わたしを見て、お絵かき帳を見る。キャプテンはお絵かき帳を受け取り、中を見る。最初はなにげなく見ていたものの、だんだんとその瞳は真剣みを帯びる。


「これを描いたのはだれだ?」


 お絵かき帳から視線を上げ、わたしたちを見る。わたしは小さく手を上げる。


「おまえが描いたのか?」

「そうです。その、練習に──」


 キャプテンはわたしの言葉を遮って質問してきた。


「これで全部か?」

「はい」

「……分かった」


 そういうと、キャプテンはわたしにお絵かき帳を返してくれた。


「もっと描いてくれていいから」


 それだけ残し、キャプテンはプレハブに着替えに行った。


「練習の邪魔して、ごめんなさいっ」


 わたしは深々と頭を下げ、元の場所に戻る。

 キャプテンの許可が降りたので、わたしは気兼ねなしに描くことが出来るようになった。

 先ほどの一件があったからか、土井先輩は狙われることはなくなった。じっと見ていると、普通に練習が行われている。

 休憩を挟み、練習が終わった。

 土井先輩の元に駆け寄ろうとしたら、キャプテンも一緒にやってきた。


「もう一度、見せてくれるか?」

「あの……」

「さっきの絵」


 わたしはおずおずとお絵かき帳をキャプテンに手渡す。

 今日の練習で増えたところも見ている。


「おまえ、サッカーやってた?」


 キャプテンはお絵かき帳から視線を外し、わたしに視線を向けてきた。そのまなざしは心の奥まで見透かされそうなくらい鋭いもの。嘘を言ったら許さないと言わんばかりのもので背筋が伸びる。


「わたし、運動は苦手です」


 ちょっと外れた答えだけど、キャプテンは分かってくれたようだ。


「運動が苦手だからか? このスケッチ、なかなか的確に練習を写し取っている」


 そういえば、巡にも似たようなことを言われた。


「名前は?」

「下瀬奏乃です」


 キャプテンはじっとわたしの顔を見る。


「土井の彼女か?」


 隣に立つ、土井先輩に質問している。


「はい、そうです」


 その言葉に、頬に熱を覚える。


「それなら、また練習を見に来てくれるんだよな?」


 わたしの顔をじっと見て聞いてくる。土井先輩をちらりと見るとうなずかれたので、キャプテンを見てうなずいた。


「そうか。また見に来てくれて、絵を描いたら見せてほしい」

「──はい」


 訳が分からないけど、描くことに対してお許しが出た。


「また見に来ます」


 お辞儀をしたわたしの頭をなでると、キャプテンは去っていった。


「キャプテンでも、許可なく奏乃にさわるなよ」


 むっとした声音にわたしは驚いて顔を土井先輩に向けると、抱き寄せられた。


「あの……」


 土井先輩の熱い腕の中に戸惑う。鼻孔をくすぐる汗の匂い。男らしさを感じて、怖いと感じてしまった。

 身動きができない。わたしは強ばったまま、俯いて目を閉じる。

 しばらくして、土井先輩は大きなため息とともに、わたしを解放した。


「……ごめん」


 その謝罪の言葉はなにに対してなのだろう。混乱したまま、土井先輩を見る。


「奏乃がフィールドに飛び込んできたとき、すごい驚いた」


 そうだ。謝らないといけないと思っていたのだ。


「余計な口出しして、ごめんなさい」


 謝罪の言葉に、土井先輩は苦笑する。


「助かったよ。だけど、奏乃があんなに正義感が強かったなんて、知らなかったよ」


 正義感のためではない。見ていられなかったのだ。だけどあんなことをして、わたしは土井先輩のことを軽く見ていたのではないかと反省した。わたしの助けなんて必要なかった。逆に彼に恥をかかせてしまったのではないだろうか。


「もうあんなこと、しないでほしい。心臓がいくつあっても足りなくなるよ」

「すみません……」


 土井先輩は優しい笑みを浮かべ、わたしの顔をのぞきこむ。


「片付けがあるから、先に帰ってもらって、いい?」

「はい。今日も色々とありがとうございました」


 深々とお辞儀をして、わたしは駐輪場へ向かう。爽やかな季節の中、自転車を漕ぐ。桜が咲いていて、風に吹かれて散っていく。

 はらはらと散りゆく花びらに自転車を止めて、見とれる。

 どうして桜はこんなにも美しいのだろう。儚さに、目が離せない。

 そして、一人で眺めていることに淋しさを覚える。

 隣にいるのは──。

 何故か真っ先に思い出したのは、巡だった。

 土井先輩と並んで桜を見ている絵が思い浮かばない。

 巡がにやけた顔をしてわたしを見ている姿しか、想像できない。

 そういえば、卒業式に土井先輩の前に放り出されて以来、巡に会っていない。今更ながら、そんなことを思い出した。

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