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想いは言葉に乗せて  作者: 倉永さな
【本編】
3/14

三*思いもよらない挑戦

 あっという間に期末テストが終わり──巡に勉強を見てもらったおかげで、思っていたより成績が良かった──夏休み。

 家にいてもごろごろしているだけだからと、わたしは変わらず、学校へと通った。といっても、美術室に、だけど。

 秋の文化祭の準備をするために部員は出てきていたから普段と変わらない。ううん、むしろ、夏休み前よりも賑やかだ。

 わたしも出品する気でいたから作品の準備をして、その合間に宿題をした。

 巡も毎日、律儀に美術部にやってきてはわたしをからかったり宿題をしていた。その合間に水彩画を描いていた。


「油絵にするかと思っていたのに、珍しいね」

「たまには違うものにチャレンジしてみたくなるものさ」


 巡の後ろからのぞき込む。うっすらと下絵は鉛筆で描かれているけど、全体像を見ても完成図がまったく分からない。


「……なにを描いているの?」

「それはできあがっての、秘密」


 わたしは結局、デッサンの対象物が未だに定まらず、石膏像のアントニオを来る日も来る日も描いていた。別にデッサンだから、たとえば教室の机と椅子だったり花瓶だったりなんでもいいのは確かなんだけど、わたしはなぜか、人物にこだわった。


 夏休みの半ばのある日。

 朝、学校に行く前にお父さんとけんかをした。

 飯の種にもなりもしないクラブ活動に入れ込むのはどうなんだと言うのだ。


「絵を描くのが好きなんだから、いいじゃない!」

「世の中は好きだけではやっていけないんだぞ!」


 信じられなくて、わたしはお父さんをじっとにらみつけた。


「父さん、いいじゃないですか。好きなことだけが出来るのは、学生のうちだけなんですから」


 お母さんがわたしをフォローするようなことを言ってくれた。お父さんはそれでも気持ちがおさまらなかったのか、珍しく怒鳴りつけてきた。


「そういう問題ではない!」


 いきなり怒り出したお父さんの気持ちがまったく分からなかった。お父さんの怒りにすっかり感化されてしまったわたしは、怒鳴り返していた。


「お父さんはなんにも分かってないよ! 学校には勉強をしにも行ってるんだから!」


 どうしていきなりそんなことを言うのだろうか。


「行ってきます!」


 なんだかむかむかする。

 腹が立ったまま学校に行く気にならなくて、気持ちを落ち着けるために暑い中、わたしは土手を通って少し遠回りをすることにした。朝にもかかわらず、ちょっと歩いただけで汗が噴き出してくる。あまりの暑さに、遠回りしようと思っていたにもかかわらず、撤回して早いところ部室に行きたいと思ってしまう。

 大きく息を吐いて歩き出そうとしたら、後ろから声がした。


「奏乃」


 振り返ると、そこには巡が立っていた。


「ってか、あっちぃな。川縁だから涼しいかと思ったけど、これが草いきれってヤツか?」


 巡は上のシャツを制服のズボンから取り出し、下からあおいで中に空気を送り込んでいる。


「なんで」


 わたしの口から出た言葉は、それだけ。


「学校に行こうと思って外を出たら、見覚えのある頭が見えたから」


 この土手に来るのに巡の住むマンションの前を通った。そのルートが近いからだ。


「こっちから行く方が涼しいと思ったのに、暑いんだな。いつもの通学路がいいってことかぁ」


 知った顔に会いたくなくて、こちらを選んだのに。

 わたしは小さくため息をつき、巡に背を向けて歩き始めた。

 もう少し、一人で考えていたかった。

 巡はそのことを察してくれたのか、なにも声を掛けてこない。

 学校が見えてきた。学校の手前につけられた土手から降りる階段の一番上でわたしは一度、立ち止まる。

 野球部とサッカー部はこんなに暑いのに、元気いっぱいグラウンドを走り回っていて、大きなかけ声が響いてくる。

 毎日見ている光景。

 ここで毎日、汗を流している人たちの中の何人がこのクラブ活動が将来、飯の種になるというのだろう。


「巡は将来、なにになりたい?」


 立ち止まっているわたしの後ろになにも言わないで立っている巡に対して、質問する。いきなりの脈絡のない質問にもかかわらず、巡は珍しく、真面目に答えてくれた。


「そうだなぁ……。大学に行って、就職して好きな女と結婚して。はは、面白くもなんともないな」


 巡のことだからもっと変な答えが返ってくるかと思っていたのに、普通の返答だった。

 巡はそれだといけないと思ったのか、それとも照れ隠しなのか、茶化した声で続けた。


「小さい頃は、ヒーローになりたかったなぁ」

「ヒーロー?」


 眉間にしわを寄せて、振り返る。


「悪いヤツらをばったばったと倒すテレビの向こうのヒーローに憧れたなぁ。だけど長じるにつれ、そんな悪いヤツなんていないというのを、知っていくんだ」


 巡はそういいながらかばんを敵に見立てて、キックやパンチを繰り出し、投げ飛ばす真似までしている。


「好きってだけではやっていけないってことを知ったかな。オレも大人になったもんだなぁ」


 巡の本心がどこにあるのかは分からなかったけれど、お父さんと同じことを言っていることに、なんだか気持ちがさらに沈んだ。


「そういう奏乃は?」


 切り返され、答えられないことを知った。


「わかんない」

「まあ、普通はそんなもんだよな。将来のビジョンをしっかりと持ってるヤツなんて、ほんの一握りだ」


 そう言って巡はわたしの真横に立つ。


「あそこで野球をしているヤツらも、サッカーをしているヤツらも、どれだけの人間が将来、プロになりたいって思ってるんだろうな」


 だけど、と続ける。


「あいつらは好きだからこそ、こんなくそ暑い中、汗を流して頑張ってるんだろ? 今はそれでいいじゃないか」


 巡にしては真面目すぎる答えに、妙に不安になる。


「よーっし、今日もアントニオを描こうじゃないか!」


 巡は「とお!」とかけ声を上げ、階段を駆け下りていく。

 なんと言えばいいのか分からなくて、わたしは立ち止まったままだ。


「奏乃?」

「あ……うん。先に行っておいて」


 なんだかまだ心の整理が出来なくて、階段に背を向けて、うつむく。

 巡はそのまま学校へと向かうのかと思ったのに、軽快に上ってくる音がする。


「なんだよ、どうしたんだ? なにかあったのか?」


 困ったような声に、わたしは首を振ることしか出来ない。


「気にしないで。後から部室に行くから」


 うつむいたまま、階段から遠ざかって学校の横を歩き始める。


「おまえなぁ。そんな顔しておいて、放っておけるかよ」


 変なところで面倒見のいい巡はそういうと、わたしの手からかばんを奪うと後ろをついて、歩き始めた。


「かばん、いいよ」


 奪い返そうと振り返ったら、真面目な表情をした巡がいた。そんな顔を見たことがなくて、どう反応すればいいのか分からなくなる。

 そうやって見ると、巡は整った顔をしてるんだなと気がつく。ややもすると冷たく感じる顔。近寄る者を切り捨てるような鋭ささえ持っていて、近づきにくいとさえ思わせてしまう。


「辛かったら辛いって言えばいい。悲しいのなら、素直に悲しめ。おまえは我慢しすぎる」


 巡はそう言うけど、今の自分の気持ちがよく分からない。

 悲しいのか、辛いのか。どうしてこんなにも心の中がぐちゃぐちゃなのか。お父さんの言葉に、どうしてわたしはむかむかしたのだろう。


「我慢をすることはない。はき出せばいい」


 巡に話せば、このもやもやする気持ちが解決するかもしれない。そう思って、口を開いた。


「あのね、さっき、お父さんに飯の種にもならないクラブ活動に入れ込むのはどうなんだって言われたの」


 わたしの言葉に巡はますます険しい表情になる。


「飯の種にならない、か。まあ……間違ってはないな」


 吐き捨てるようなその言葉に、巡を怒らせてしまったのかもしれないと怖くなった。


「じゃあ、奏乃が金賞を取って鼻を明かしてやればいいじゃないか」


 巡の好戦的な言葉に、わたしは腰が引ける。


「ふふふ、いいだろう。その挑戦、受けて立つ!」

「え、いや……。べっ、別にけんかを売られたわけじゃあ」

「いーや! これはオレに対する挑戦状だ! よーっし、奏乃! これから部室に行って、作戦会議を開くぞ」


 さっきまで感じていたもやもやとむかむかはその一言で見事に吹っ飛んでしまっていた。だけどすぐには気がつかず、わたしのかばんも持って学校へと向かい始めた巡を追いかける。


「もー! どうしてそう、いつも勝手なのよ!」

「ふははは、オレは勝つ!」


 相変わらず、巡は分からない。

 必死になって、わたしは巡の背中を追いかけた。


     **:**:**


 巡のよく分からない挑戦に巻き込まれてしまったわたしは、夏休み明けが締め切りの高校生絵画コンクールと文化祭用の絵の二枚を描くことになってしまった。文化祭用の絵さえも決まってないのに、絵画コンクールなんてそれは無理な相談だろう。


「文化祭は最終手段として、今までのデッサンを出せばいいだろう」


 正気だとは思えない言葉に、巡の顔をじっと見つめてしまう。


「ん? なんだ? 頭が良すぎるオレに惚れた?」

「んなわけないでしょ! なにを考えてるのよ。あのデッサン、出せるわけがないじゃない!」


 巡はわたしに人差し指を向け、ノンノンと言いながら左右に振る。


「分かってないのはおまえだ。あのデッサン、一枚だけなら意味がない。だけど、土井先輩が引退するまでほぼ毎日、書き続けてきただろう? クロッキー帳まるまる一冊が作品になる!」


 とは言うけれど、他の人たちはみんな、水彩画だったり油絵だったりを文化祭に向けて、描いている。わたしだけそれでいいのだろうか。


「とにかくおまえは絵画コンクールだけを考えろ。それが出来たら、文化祭に取りかかればいい」


 なんだか本末転倒なような気もするし巡に乗せられているなあと思うけど、楽しいと感じているのは事実だ。だから、今はそれでいいような気がしてきた。

 問題は、なにを描くか、だ。

 わたしは何冊にも渡っているクロッキー帳を最初から見ていた。

 一枚目はアントニオ。その後ろもしばらく、アントニオが描かれている。ある日を境に、土井先輩だけになってくる。その日から夏休み前までずっと、土井先輩だけを描いてきた。

 そう考えると、わたしがコンクール用に描く題材は自ずと決まってくるような気がしてきた。


「巡、決めたよ」

「お、優柔不断の奏乃にしては、決まるのが早かったな」

「もうっ」


 巡の腹立たしい言葉は無視して、どういう絵にするのかを決めることにした。

 目を閉じて、脳内におさめている土井先輩の姿を思い出す。

 シュート練習をしているところ、フィールド全体を使ってドリブルの練習をしているところ。

 一枚の絵にした時、どれもインパクトに欠ける。

 だったら、と五月にやっていた練習試合の時のことを思い出す。

 フィールドの一角に出来た、人だかり。それを切り裂くように現れた、赤いゼッケンをつけた土井先輩。

 なんとなく頭の中に構図が浮かんだので、あの試合があった頃のデッサンを改めて見返す。

 練習試合当日のデッサンは、いつものようにシュート練習をしている一コマを切り取ったもの。次の日のデッサンも、やはり同じようなものを描いている。

 あのカットした時の場面を次の日に思い出しながらでも描いていなかったのが、悔やまれる。


「新しいクロッキー帳、買いに行ってくる」


 隣で宿題をしている巡に声を掛けると、ノートを閉じて、立ち上がった。


「あ、オレも行く。ノートがなくなりそうなんだよな」


 わたしと巡は並んで、購買へと出かける。

 夏休みにもかかわらず、購買は午前中だけ開けてくれている。わたしたちのように朝から部活をしている生徒のためだという。


「あ、ついでにパンも買っていこ」


 巡はすぐに目当てのノートを見つけたようで、手に持っている。わたしは購買の隅っこに行き、ここで買うのは何冊目になるのか分からないクロッキー帳を手に取った。

 お財布の中を見て、ぎりぎりのお金しかないことを知り、ほっとするようながっかりするような複雑な気分になった。

 高校に入学してから、お小遣いのほとんどをクラブ活動に費やしている。どうしても足りないときはお母さんにこっそりとお願いをして出してもらっているんだけど、それがもしかしたら、お父さんにばれてしまったのかもしれない。


「どうした、奏乃?」


 購買の端に寄って暗い表情でお財布をじっと見ているわたしに対して、巡は声を掛けてきてくれた。


「これを買うのに、お金が足りるかなって確認してたの」

「クロッキー帳、そこそこの値段、するもんなぁ」


 すっかり淋しくなったお財布からなけなしのお金を取り出し、クロッキー帳を買った。新しいクロッキー帳を大切に抱きかかえ、美術室へと戻る。

 買ったばかりのクロッキー帳の表紙に名前を書き、開いて一枚目に脳内で考えている構図を落とし込んでみる。

 やっぱり、考えているものと実際に描いてみたものではなんだかイメージが違う。

 わたしは立ち上がり、窓辺に寄る。

 フィールドではサッカー部の人たちが炎天下の中、シュート練習をしている。

 イメージを湧かせるために、シュート練習をしている人たちを丸と線を使って、動きを拾っていく。

 こうやって土井先輩以外の人を描いてみると、土井先輩のフォームがどれだけ美しかったのかを改めて知ることができた。

 夢中になって動きを追っていると、時間を忘れてしまう。サッカー部の人たちは休憩に入ったのか、フィールドからだれもいなくなってしまった。そこでわたしはようやく、息を吐いた。それまで、呼吸をすることを忘れたかのように動きを追うことに集中していたような気がする。


「お疲れ」


 声とともに、わたしの頭に手が降ってきた。手のひらでわたしの髪をぐちゃぐちゃに翻弄していくのは、巡だ。前髪が落ちてくるのを止めていた木で出来たクリップが落ちて、顔に前髪が降り注いでくる。


「もうっ、やめてよ」


 わたしはその手を振り払い、落ちたクリップを拾って前髪を耳にかける。


「髪、伸びてきたな」

「え……、あ、うん」


 少し前から髪の毛を伸ばそうと思ってあまり切っていないことに巡は気がついてくれたのだろうか。


「知り合ってからずっとおかっぱ頭だけどさ」

「おかっぱじゃないよ、ボブカットって言うんだよ!」

「分かった、おかっぱね」

「おかっぱじゃないって!」


 何度訂正してもおかっぱ頭と繰り返すから、反論を諦めた。


「伸ばさないの?」


 伸ばしてるところなんだけどと言おうとしたら、巡にだれかが話しかけてきた。だからわたしは口を閉じ、クロッキー帳に視線を落とす。

 巡は少し難しそうな表情をして、わたしの側から離れていく。

 ふと時計を見るともう少しでお昼になる。いいタイミングだと思い、椅子から立ち上がって伸びをした。かなり長い間、脇目もふらずに描き続けていたらしい。身体が固まっていた。

 夏休みにもかかわらず、毎日、お母さんはお弁当を作ってくれる。それがありがたくもあるけど、心苦しく思うこともある。だけど、家にいてもいなくても結局はお昼ご飯は必要なわけで。そういうことを含めて、お父さんは朝、あんなことを言ったのだろうか。

 教室の隅っこで食べていると、巡が戻ってきた。浮かない表情をしているところを見ると、なにか良くないことでも言われたのだろう。


「抜け駆けかよ!」


 わたしがお弁当をほおばっているのを見て、巡は抗議の声を上げてきた。


「だって、いつ帰ってくるのか分からなかったから」

「すぐに戻るって言ったの、聞いてなかったのか?」

「そんなこと言ったの? 聞こえなかったよ」


 巡はなにも答えず、わたしの横に座ってお弁当を広げている。わたしのお弁当箱の倍はあるほどの大きさだ。がつがつという音が聞こえそうなほどの勢いで食べ始めた。


「うわっ、かーさん、かまぼこ入れないでってお願いしていたのに、入れてあるとは嫌がらせかよ!」


 ふと巡のお弁当箱を見ると、妙にかわいらしい花形のかまぼこが入っている。


「交換、してあげよっか?」

「や、いいよ。食べられないわけではないし」

「そのかまぼこ、食べたい。卵焼きと交換、してあげるっ」

「……いいのか?」

「うん、いいよ」


 わたしはお弁当箱を巡に差し出し、わたしは巡のお弁当箱からかわいらしい花形のかまぼこを抜き出した。


「へー、こんなかわいいかまぼこがあるんだ」

「ねーさんのお弁当用だろ。余ったからオレのにも入れるとは、ほんと」


 巡はため息をつきつつ、わたしのお弁当から卵焼きを一つつまんで、口に放り込んだ。


「お、うまっ!」

「でしょ? お母さん、料理が上手なんだよぉ」

「料理が上手でいいな。うちなんて、人数が多いから作るのが大変とか言って、半分くらいは冷凍食品だしさ」


 とはいうけれど、巡のお弁当はいつ見ても色鮮やかで美味しそうだ。


「わたし、一人っ子だから、兄弟が多くてうらやましいな」

「兄弟がいるのはいいけど、うちは五人だから、うるさいぞ」


 五人兄弟と言われ、思わず巡の顔をじっと見る。兄弟が多いのは知っていたけど、そんなにいたなんて初めて知った。


「ご、五人っ?」

「そ。一番上が姉。名前はたまきで二十五歳、次が兄のしゅうで二十一歳、次女のまどかが二十歳、オレ、その下に弟のりんは十五歳」


 一気に言われて、わたしは激しく混乱する。


「女二人に男三人。うるさいこと、この上ないんだぜ」


 想像がつかなくて、首をかしげる。


「だから学校に来てると楽なんだよな」


 巡は照れくさそうに喉の奥でくくっと笑い、残りのお弁当を口に運んだ。

 巡との付き合いは去年一年間をのぞいて三年目。知らないことの方が多い。


「さてっと。飯を食ったら、構図を考えようぜ」


 わたしが決めかねているのを知っている巡はそう言ってくれたけど、これはわたしがしなければならないことだ。


「もうちょっと一人で考えてみる。どうしても思いつかなかったら相談するから」


 わたしのその言葉に巡はじとっとした視線を向けてきた。


「本当か? おまえってほんと、思い詰めるから、心配なんだよなぁ」


 むっとして巡をにらみつけると、わざとらしく肩をすくめられた。


「じゃあ、今日、帰るまでに決められなかったら相談しろよ」

「……分かった」


 渋々承知して、わたしは残りを食べて片付けて、外に視線を向ける。

 グラウンドにはまだ、人は戻ってきていない。

 ぱらぱらとクロッキー帳を見つめる。ずいぶんと荒削りなほぼ棒人間なスケッチを見つめ、どうしようかと悩む。

 棒人間を描き写しながら下描きをしてみるが、なんだか迫力に欠ける。なにが足りないのだろうか。

 あの日を思い出す。

 練習試合を見ていた場所。そうだ、いつもより高い所から見ていたのだ。

 美術室は一階の一番端っこにあり、体育館が真横にある。ここからだとフィールドが見えない訳ではないが、中心部から遠い。

 一方、練習試合を見た巡の教室は三階だが、フィールドのど真ん中がよく見える。

 なるほど、違和感の正体はこれか。

 自分の中の記憶風景と練習風景をスケッチした棒人間たちが重ならないのは仕方がない。見ていた場所が違えば角度が違うのだから。

 そこまでは分かったのだが、それではこのギャップを埋めるにはどうすればいいのだろうか。また巡の教室から下を見て、練習風景をデッサンすればいいのだろうか。

 なんだかそれは現実感がない。

 夏休み中は一階しか立ち入りが許可されていない。二階以上の教室は先生の許可がないと立ち入ることが出来ない。とはいっても縄が張ってあったりするわけではないから入ろうと思えば入ることはできる。

 見つかったとき怒られるのは分かっていたし、それだけならまだしも、最悪な場合はクラブ活動停止なんて言われて美術部のみんなに迷惑がかかる。

 それでは、現実的な解決策は──と考え、今まで描きためてきた土井先輩のデッサンを取り出す。この中のよく描けているものと練習風景を組み合わせて一枚の絵に仕上げるしかないだろう。

 練習試合を思い出しながら、上からではなく横から見ていたらあの場面はどうなっていただろうかと想像しながら組み合わせていく。何枚も自分が納得が行くまで組み合わせる。

 そうしている間に午後の練習が始まったようだ。ゆらりと陽炎が見える。外はどれだけ暑くなっているのだろうか。

 フィールドに立っている人たちはひっきりなしに額の汗をぬぐっている。そのなにげない仕草もスケッチする。

 自分の視界に入ったフィールドに立っている人を次々と棒人間にしていく。

 サッカー部は何度か休憩を挟みながら、夕方まで練習をしていた。

 わたしはフィールドに人がいる間はただひたすらクロッキー帳に描き写し、休憩に入っている間は下絵に落とし込む。

 なかなか気に入った構図が仕上がらない。

 日が傾いてくるのが視界の端に見えてきて焦りが生まれてきた。

 巡はわたしから離れて宿題をしたり、話をしたりしている。文化祭に出す絵に取りかかっている様子はない。間に合うのだろうか。

 なんて人のことを心配している時間はわたしにはない。

 納得できる構図はどうなればいいのだろうか。

 土井先輩を際立たせるためには周りの人たちをどう配置すればいいのか。

 今まで考えたものを見返してみる。


「どうだ?」


 巡が声を掛けてきたことで周りの人たちは帰り支度を始めていることを知った。


「あー、うん……」


 わたしの返事を聞いて状況が芳しくないことを知った巡はクロッキー帳を取り上げ、ぱらぱらと見ている。


「しっかし、おまえはほっといたらいつまでもスケッチし続けるなぁ」


 買ったばかりの真新しかったクロッキー帳も気がついたらずいぶんと消費していた。


「この構図はいいんじゃないのか?」


 最後のあたりに何となくまとまってきたものを見て、巡はわたしの目の前に突きつける。


「基本をこれにして、こことここの人をこっちと交換して……」


 そうやってアドバイスを受け、わたしは新しいページに描き込んでいく。


「うん、いいじゃないか」

「……そう?」


 少し離れてみる。

 わたしの記憶の中にあるあの場面が、さらにドラマチックに演出されたような気がする。


「お、いいじゃん。明日から下絵に入って行こうぜ」


 巡のその言葉に、わたしは大きくうなずいた。

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