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想いは言葉に乗せて  作者: 倉永さな
【本編】

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12/14

十二*哀しみの行方

 今日は金曜日だ。いつもなら明日は土曜日で練習場に行けることを心待ちにしていて気持ちが高揚しているのに、今日は気がつくと沈んでいる。

 朝、巡と会うとあちこち包帯が巻かれていた。


「かーさんとねーちゃんが大げさに巻くんだよ! 大丈夫だって言ったのに。ったく、かっこ悪いじゃないか」


 むすっとふくれた顔を見てるとおかしくなって思わず笑う。


「かっこ悪いって気にしてるんだ」

「おまえな、こんないい男をつかまえてそんなことを言うのかっ?」


 思わず、上から下まで眺めてしまった。

 ……悔しいけど、客観的に見ればいい男の部類に入る。しかし。


「自分で言ってたらアウトだよね」

「自分で言って悪いか? オレはいい男だ!」


 通学路の真ん中で両手をあげて吠えているのを見たらお世辞にもかっこいいとは言えない。やっていることは思いっきり三枚目だと思う。


「あ、そうだ」


 何気ない調子で切り出す。心臓がばくばくしているけど、なんでもないそぶりで口を開く。


「今日、部活に出ないから」


 わたしの一言に巡は上げていた両手を降ろし、わたしをじっと見る。


「なんで?」

「え、いや……。その、昨日、調子が悪くてみんなに迷惑を掛けたじゃない。無理して出て、また倒れたら悪いなって」


 わたし、今、声が震えてなかった? 大丈夫?


「ああ……。そうだな」


 巡はそういえばと思い出したような表情でわたしを見る。


「調子は、大丈夫か?」

「うん。昨日もゆっくり寝たよ。おかげで、宿題、忘れちゃった」

「……おまえな」


 呆れた顔をされてしまった。

 嘘ではないけど本当のことを言ってない後ろめたさを覚えながら学校へと向かう。

 そして夕方の待ち合わせのことを考えたら気持ちが落ち着かない。授業にも集中出来ないでいた。

 今日はいつも以上に時間が遅々としか進まず、いらだちが募る。いつも以上に手に力が入り、シャープペンシルの芯が折れまくる。板書するのにもそんな調子だった。

 ようやく放課後になった。落ち着かない気持ちのまま学校を出る。

 家に帰って着替えて、荷物を置いて駅に向かうくらいで時間的にちょうど良い。約束の時間の五分前に駅にたどり着いた。

 友和は券売機の側に立っていた。わたしの姿を認めると小さく手を上げ、人があまり通らない場所を指さした。わたしは素直について行く。駅舎を少し離れて金網越しに線路が見える場所で友和は足を止めた。


「あの、待ちましたか?」


 近寄り、小さく聞くと首を横に振られた。

 わたしたちは向かい合ったまま、立っていた。眼下にはホームに滑り込んでくる電車の屋根が見える。

 なんと言えばいいのか分からず、わたしは友和の首元を見ていた。今日着ているシャツの色は薄緑で好みだななんて、どうでもいいことを考えていた。


「奏乃……ごめん」


 友和の口から聞き慣れた言葉が出てきて、思わず笑みが浮かぶ。


「……奏乃がおれのことが好きって気持ちを利用していた」


 ああ、やっぱりそうだったんだ。その言葉に納得して、友和の顔を見るために視線を上げた。友和はわたしに顔は向けていたけど、視線はわたしの後ろをにらむように見ていた。

 フィールドにいるときにボールを追いかけている視線と一緒で、わたしはこの視線に恋をしていたんだなと気がついた。


「入学式の時の出来事があったからずっと気になっていたのも確かなんだ。だけど……」

「……もう、いいです。今まで、ありがとうございました」


 楽しかった思い出の方が多いのだ。それを穢すような言い訳はして欲しくなかった。

 だからわたしは深くお辞儀をして、しっかりと顔を上げて友和に背を向けた。


「さようなら」


 一言だけ告げると、わたしは歩き出した。


「奏乃……」


 友和に名前を呼ばれたけど、わたしはもう振り向かなかった。

 今日まで楽しかった。他人から見ればわたしは友和に利用されていただけのように見えたかもしれないけど、それでも楽しかったのだ。


「うっ……」


 楽しかったんだから泣いたらダメだ。泣いたら楽しい思い出がすべて流れてしまう。

 わたしはうつむき泣いている顔を通行人に見られないようにして駆け出す。信号に引っかかったので立ち止まる。やがて青になり人に紛れるようにして歩き出す。

 そして気がついたら、いつの間にか覚えのある気配を背後に感じた。そっと確認すると、なぜか巡が立っていた。


「なんで、巡……」


 かばんを手に、白い包帯がまぶしい腕をむき出しにした制服姿の巡。立ち止まり、振り返る。


「ったく、手間ばっかり掛けさせやがって」


 巡は苦笑いを浮かべ、わたしを抱き寄せた。


「お疲れ。我慢せずに泣いてしまえ」


 その一言に今までずっと我慢してため込んできた思いをせき止めていたなにかが壊れて、どっとあふれ出す。


「う……っ」


 巡は道路の端に寄り、わたしが通行人から見えないように守ってくれている。だけどもうそんなことにかまっていられるほど余裕はなくて、巡にしがみついて泣いた。巡からは汗と消毒の匂いがした。

 どれだけ泣いていたのだろうか。思いっきり泣いて、だいぶ落ち着いてきた。涙と鼻水で顔はべたべただ。かっこ悪すぎる。


「落ち着いたか?」


 聞き慣れた優しい声。

 また、涙があふれてきた。


「泣き顔は不細工だな」

「ぶっ、不細工って!」


 泣きそうになっていたのが、それで一気に引っ込んだ。


「さ、帰ろうか」

「……うん」


 巡はわたしの手を取ると、しっかりと握って歩き出した。温かな手のひらがほっとした。


     **:**:**


 今日は土曜日だ。今までは毎週のように練習場に通っていたけど、もうその必要はない。

 なにもやる気が起きず、目は覚めていたけどベッドの上にごろごろしていた。今日はお父さんは珍しく休日出勤のようで、少し前に会社に出かけた気配がした。


「はーあ」


 声を出すとそれはあっさりと空中にかき消えた。

 気持ちはすっきりしてはいたけど、気力が沸いてこなくて起きるのもだるい。布団の上を右へ左へと転がっていたら、だれかが来たようだ。荷物でも届いたのかと思ったら、お母さんがわたしを呼んでいる。めんどくさいと思いながら這うようにして、部屋の外に顔だけだした。


「なぁに」

「巡くんが来てくれたわよ」

「……へ?」


 来られても、困るしっ。


「だるいから、帰って……も……ら……ちょっと! なんで上がってきてるわけ?」

「よ、おはよ」


 巡は靴を脱いでわたしの部屋の前までやってきていた。


「奏乃、部屋で腐ってないで、せっかくのいい天気だし遊びに行こうぜ」

「やっ、あの、巡? 今日、塾は?」

「今日は午後から。受験生とはいえ、息抜きに少しは遊ばせてくれよ!」


 床の上に転がって頭だけ外に出しているとんでもない格好のわたしを見下ろしている巡は、ブラックジーンズに袖が赤くて胴の部分が白いTシャツを着ていた。眼鏡の蔓を持ち上げ、焦げ茶色の瞳にからかいの色を乗せ、わたしを見る。


「赤いチェックのパジャマ……と」

「!」


 にやけた顔をにらみ、素早く起き上がってドアを閉める。


「待ってるから、着替えて来いよ」

「巡くーん、紅茶とコーヒー、どっちが好き?」


 お母さんのご機嫌な声にげんなりする。

 出かけたいとは思わなかったけど、とりあえず着替えよう。白いTシャツの上にグレイの薄手のパーカーを羽織り、クロップドパンツをはいた。部屋を出ようとしたら、また来客のようだ。インターホンが鳴っている。珍しく来客が多いなと思っていたら、巡とお母さんが部屋までやってきて、お母さんはあろうことか、巡を部屋に押し込んできた。


「母さんがいいって言うまで、ここから出てこないで」

「ちょっと、お母さん!」


 そういうと、音を立てて閉められた。思わず巡と顔を見合わせる。


「……なに、いきなり」

「さあ?」


 そっとドアを開け、様子を見守る。玄関先でお母さんとお客さんがなにか話をしている。


駿介しゅんすけは?」


 駿介はお父さんの名前だ。


「仕事に行きました」

「アタシが来るって前もって電話を入れていたでしょ! 逃げたのねっ」

「逃げも隠れもしてませんわよ。お仕事なんですから、仕方がないじゃありませんか」


 お母さんの冷たい声にどきどきしてきた。巡はわたしの後ろに立ち、同じように耳を澄ましている。


「お金は?」

「どうしてあなたのために用意をしておかないといけないのですか?」


 ……お金?


「あんた、何様なの?」

「あなたこそなんですか。弟にたかって、大人として恥ずかしくないんですか?」


 しばらく、しんと静まり返っている。


「……いいでしょう。今に見てなさいよっ」


 明らかに捨てゼリフと思われる言葉が聞こえ、けたたましい音を立てて玄関のドアが閉まったようだ。


「…………」


 なにかよく分からないけどわたしが知らないところで大変な状況になっているらしい。ドアに背を預けたら目の前に巡がいて、どきりとした。巡はドアに手を当て、わたしをじっと見下ろしている。なんとなく迫られているような状況に焦る。


「めっ、巡っ?」


 見上げると、視線があった。にやりと笑われ、顔を近づけられた。


「これはいい。キスができそうな状況」

「なっ……!」


 後ずさるけどドアに背を預けている状態なのでこれ以上は下がれない。肩をつかまれた。


「目、つぶれよ」

「なっ、なんでよっ」

「なんでって、そりゃあ、キスするからに決まってるからだろ」


 顔が一気に火照るのが分かった。


「ななななななっ、なにをっ!」

「目の前に無防備な女がいれば、キスをするのが礼儀ってもんだろ」

「いやいやいや、そんな礼儀、ないからっ!」


 わたしは暴れて巡の腕から逃れようとするけど、がっしりとつかまれていて動けない。

 別に巡とキスをするのが嫌な訳ではない。だけどっ、そういう問題ではなくてっ!


「だっ、だれに対しても、こっ、こんなこと、してるんでしょっ!」

「してるように見える?」


 目の前には、数センチで鼻が触れてしまいそうなほどの近距離に不敵な笑みを浮かべている巡の顔。改めて見ると悔しいくらい整った顔をしていて、わたしの心臓は外に音が聞こえているのではないかというほど鳴り響いている。こんなに音がしたら巡にばれてしまう。

 巡の顔がゆっくりと近寄ってくる。ファーストキスが巡になるのか、なんて思いながら目を閉じる。

 あと少しというところで、背後のドアがノックされた。

 巡は舌打ちをして、わたしから離れる。わたしは激しく緊張していたようで、思わずため息が出た。


「もう、大丈夫よ」

「……うん」


 お母さん、絶対に中でどういう状況か分かっていてノックした!

 だけど安心したようながっかりしたような複雑な気持ちで振り返り、ドアを開けようとした。

 ドアノブに手を掛けた途端、背後から抱きしめられた。


「……巡?」

「いやぁ、抱き心地が良さそうな後ろ姿だったから、つい」


 ……巡はこういうヤツだった。

 わたしは巡を振り払い、ドアを開けた。


「巡くんもいきなり、ごめんなさいね」


 部屋から出てきたわたしと巡を見て、お母さんは両手を合わせて謝ってきた。


「さっきの人って……」

「うん……。お父さんのかなり歳の離れたお姉さんで……それが、色々と困った人でね」


 はあ、と大きくため息を吐き、お母さんはわたしと巡を交互に見た。


「あの人は若い頃にかなり権威のある芸術賞を受賞して……その道に入ったのはいいんだけど、鳴かず飛ばずなの」


 もしかして、それでお父さんは……。


「この間は巡くんにもかなり迷惑をかけちゃったけど、父さんの実のお姉さんがあんな感じだから、余計に芸術に対してかたくなに拒絶しちゃって」


 そういうことだったのか、と納得した。けど……。


「奏乃のこと、もっと信じてやればいいのに。こいつはあんなにならないよ」


 怒ったような口調に、思わず巡を見上げる。


「そうよねぇ。私もそう思うわ」


 二人はわたしのことを信頼してくれている。それがとてもうれしかった。


「そうだわ、巡くんっ」


 お母さんは話を強引に変えた。巡に向き直し、恋する乙女のように瞳を輝かせながら口を開いた。


「おばさん、巡くんのファン、第一号になってもいい?」


 お母さん、それを本当に聞くのっ?

 呆れて、口をあんぐりと開いて思わず間抜け顔になってしまう。


「え……や、その……。オレのファン一号は彼女のために空けてるので……」

「じゃあ、二号なら?」

「……ええ、まぁ」


 さすがの巡もお母さんのパワーにたじろいでいるようだ。そういう場面に遭遇したことがなくて、巡のまごついた態度が面白くて顔が思わず、にやける。


「わぁ、うれしいわぁ。こんなおばさんがファン二号で、ごめんなさいねー」


 まったく申し訳なさそうなお母さんにも、苦笑いしている巡も面白くて、笑ってしまった。


「奏乃、なんでおまえ、そんなに人ごとっ!」

「だって、人ごとだもん」


 ほんっと、面白い。


「二人とも、これから出かけたりする?」


 わたしはそんなつもりはなかったけど、そういえば巡は遊びに行こうとうちにやってきたのを思い出した。


「そのつもりで来たんですけど、もうこんな時間ですから無理かなぁ」


 ふと時計を見ると、お昼前になっている。いつの間に。


「じゃあ、お昼を食べて行かない?」


 お母さんは巡に迫るように両手を胸の前で組んで、うるうると言った方がいいような瞳でじっと見つめている。

 巡はおびえたように顔を引きつらせている。


「ごっ、ごちそうになっても……いいんですか?」

「もちろん、いいに決まってるじゃない! おばさん、腕をふるって美味しい料理をごちそうしちゃうわ!」


 お母さんはそう言うと、その場でくるりと回って軽やかにキッチンへと去って行った。


「……なに、あれ」


 自分の母親ながらあのテンションの高さについて行けない。


「奏乃のお母さん、面白いな」

「……疲れるわよ」


 部屋に戻る気になれず、リビングへと向かう。ソファにぐったりと座り込み、クッションを抱え込む。


「ところでさ」


 座る場所はまだ他にもあるというのに、巡はわざわざわたしの隣に座り、ぐっと身体を寄せてきた。


「奏乃もオレのファンにならない?」

「……は?」


 いつものおどけた調子に思わず、片眉を上げ、巡を見てしまう。


「遠慮させていただきますっ」


 巡のファンと言ったって、お母さんが二号なら、わたしは次の三号でしょ? 無理無理、あり得ない。


「ちぇっ、つまんないの」


 そう言って、巡はわたしに背を向けた。


「なあ、聞いてくれるか? 奏乃ってば、けちなんだぜ」

「ちょっと……」


 振り返ると、巡はソファの上に正座をしてうなだれ、置いてあるクッションに向かって話しかけていた。しかも、ご丁寧に人差し指でつついている。


「……巡?」

「冷たいよなぁ」


 なんだかよく分からないけど、いじけたらしい。呼びかけても返事がない。付き合っていられない。

 巡を放っておいて、わたしは再度ソファに身体を預けてクッションを抱きしめて目を閉じる。

 昨日、友和に振られたばかりだというのに、すでにもうどうでもいい気分になっている。わたしの中では実はとっくの昔に終わっていた出来事で、昨日、友和からはっきりと別れを告げられたことでかなりすっきりしているのかもしれない。

 もちろん、昨日は予想はしていたこととはいえ、さすがにショックであんなにも泣いてしまったけど、思いっきり泣いたことで気持ちの整理も出来たのかもしれない。

 巡のおかげなんだなと思ったら、いつもそうやってさりげなく支えてくれていることに気がついてなんだか申し訳なくなってくる。

 もしかして……わたしがこんなに手がかかるから、巡は想い人がいても気持ちを伝えることができないでいる?

 わたしがしっかりしないとと思っていたら、ふと、身体に重みを感じた。目を開けると巡がわたしの上にのしかかっていた。巡の熱を感じる。


「なっ?」

「奏乃ってほんと、油断しすぎだよな」


 切ない瞳をして、巡はわたしを見下ろしている。


「無防備すぎだろ」


 ぐいっと顔が近づけられる。

 キスされる──。

 わたしは驚き、きつく目を閉じた。

 と思ったら、おでこに柔らかな感触が落ちてきた。それは時間にすればほんの数秒だったと思う。だけどわたしには永遠に感じられるほどの長い時間。

 布ずれの音がして、身体が軽くなる。巡がわたしの上から移動したらしい。全身から力が抜ける。巡が時々、分からなくなる。今の表情とおでこのキスの意味がまったく分からない。

 あんな切ない表情をして見られても、すごく困る。巡はわたしに想い人を重ねているの?

 巡の視線を感じる。


「奏乃、オレ──」


 巡が口を開いた時。


「ご飯、出来たわよー」


 キッチンから呼ぶお母さんの声に、わたしは立ち上がる。


「はーい。巡、ご飯だよっ」


 巡の切ない表情を振り払いたくて、明るい声を上げた。


「うん……」


 少し元気のない巡にわざと体当たりをする。


「ほらっ、お昼から塾なんでしょ。しっかり食べて行かないとっ」


 巡は大きくため息を吐き、次にはいつもの調子に戻っていた。


「よーっし、奏乃のまで食べてしまおう!」

「あ、やだっ!」


 わたしと巡は先を争うようにして、キッチンに向かった。

 巡がなにを言いたかったのか分からない。あんなに真剣な表情をしていたから、もしかしたら決別の言葉かもしれない。だけどもう少し元気になるまで巡に側にいてほしい。

 わたしは自分勝手なわがままを胸に秘め、いつもと変わらぬ態度で巡に接することに決めた。


     **:**:**


 巡のおかげで土日でどうにか気持ちの整理が出来て、月曜日からはすっかり通常営業だった。

 通学途中で出会った巡とふざけながら登校して、放課後は美術室で──やっぱり通常営業なんかじゃなかった。

 クロッキー帳を開いてサッカー部の練習を描こうとするのだけど、気持ちが乗らないのだ。


「アントニオ、描くか?」


 察しのいい巡は真っ白なままのページを見て、提案してくれた。


「アントニオがダメなら、新入りのマーメイドでもいいぞ」

「マーメイドって」

「なんとなくそんな感じがしないか? 夢見がちな瞳なのに献身的な態度が」


 文具店から譲り受けた石膏像の横に立ち、巡はそんなことを言っている。さらにいきなりよく分からないポーズをとり、


「石膏像が嫌なら、なんならオレがモデルに──」

「皆本くん、よくぞ言ってくれた!」


 野原先輩が机の上に乗りだし、割って入ってきた。


「生身のモデル、ちょうど欲しかったのよね。よしよし、大歓迎!」

「いや、今のは冗談だって」

「下瀬さんのモデルになるのなら一人よりはたくさんがいい!」

「遠慮しますっ」


 漫才みたいなやりとりにみんなが笑っている。わたしもおかしくて一緒に笑っていた。


「オレがモデルになると、美しすぎてみんなの目がつぶれるぞ」

「へー、よく言った! そんなことにならないから、やりなさいよ」

「──すみません、嘘を申しましたっ! モデルはちょっと、マジで勘弁っ」


 そういうと、巡は慌てて美術室から出て行った。


「下瀬さん、皆本くんをつかまえてきて」

「わたしが、ですか?」

「ちょっと前まで大人しく雑務を手伝ってくれていたのに、最近は気がついたらさぼってるんだもん。下瀬さんががつんと言ってくれたら、聞くから」


 野原先輩が言っても聞かないのならわたしが言っても同じような気がしたけど、美術室にいるのはなんとなく気詰まりだったので、巡を連れ戻すことにした。


「では、行ってきます」


 巡がどこに行ったのか分からなかったけど、適当に歩いて気分転換をしてこよう。

 美術室を出て、職員室方面へと足を運ぶ。放課後だから廊下はそれなりに生徒がいる。昇降口の側が職員室で、横には階段がある。職員室と階段の隙間をふと見ると、巡と篠原先生がいた。声をかけようかと思ったけど、とどまってしまった。


「もーう、私と巡くんの仲じゃなーいっ」


 篠原先生は気安く、巡の肩を叩いている。巡は困ったような表情をしていたけど、嫌そうではない。


「あのな、学校でそういう態度とるのはやめろよ」


 わたしは一歩、後ろに下がる。巡の今の言葉は学校外でも篠原先生を知っていると取れる言葉だ。そういえば授賞式の時も二人ともすごく親しそうだった。もしかして巡の好きな人って……。

 わたしは翻し、美術室へと戻る。


「下瀬さん、お帰り。皆本くんは?」

「……見つかりませんでした。あの、わたし、今日はこれで帰ります」


 かばんをつかむとそれだけようやく告げ、美術室を飛び出した。そのまま昇降口に駆け込み、靴に履き替えて走った。昇降口を出て、正門に向かうのがなんとなく嫌で、裏門に回る。校舎の裏を通ってわたしは土手に駆け上がった。

 巡が好きな人は、篠原先生。

 巡がここの学校に決めた動機は、尊敬している美術の先生がいるってことだったのだ。

 巡の口から直接、好きな人がいると聞いていたし、それが篠原先生だとしたら好きだと伝えたくても伝えにくいだろう。

 ああ、すべて符号が合っていく。

 早歩きだった足を緩め、そこでふと気がつく。

 どうしてこんなにもショックを受けてるんだろう。友和に振られた時よりも心が痛い。

 ああ、そうか……。わたし、やっぱり巡のことが好きなんだ。

 ここのところ、巡を見てどきどきしたりキスをされそうになってして欲しいなんて思ったりしたのは巡が好きだからだ。

 巡の態度は昔からずっとあんな感じだったのをすっかり忘れて、抱きしめてきたり色々してきたから、わたしのことを好きなのかもしれないなんて勘違いをしていた。

 金曜日に友和に振られて、さらに巡に対して叶わぬ恋をして──巡の好きな人を知ってしまって……。


「ははっ」


 思わず、笑ってしまう。

 心が痛い。悲鳴を上げている。

 わたしはかばんを握る手に力を込めた。

 ダメだ、泣いちゃダメ。巡はきっと、それでも側にいてくれる。今はそれでいいじゃない。

 わたしは身体を引きずるようにして、家に帰った。

 なにもする気力が起こらず、ベッドにうつぶせになる。

 絵を描く気にもならない。わたしにはなにも残ってない。

 なんだか悲しくて、枕に顔を埋めた。勝手に涙があふれて来て、わたしは一人、声を上げずにただ泣き続けた。

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