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想いは言葉に乗せて  作者: 倉永さな
【本編】

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11/14

十一*予感

 友和に誘われ、週に一・二度の割合で敵地の偵察にわたしたちは出かけた。相手チームの弱点を探すことはどこでもされているような気がするけど、だんだんと自分がなんのために絵を描いているのか分からなくなってきた。


「……ごめんなさい」


 すごくいい動きをする選手がいたにもかかわらず、わたしは絵がまったく描けなかった。今までだったらうれしくて無我夢中で描いていたというのに。


「気にするな。おれは自分の目で見ることができたから、大丈夫だよ」


 と友和は慰めてくれるけど、頼りにされているのに期待に応えられない自分に対して、だんだんと嫌になってくる。


「土曜日は久しぶりに練習場でみんなと練習だから、良かったらまた気兼ねなくおれたちをスケッチしてくれよ」

「……はい」


 なんだか気持ちがすごく沈んでしまう。

 それはクラブ活動にもかなり影響してきた。サッカー部の練習を見ても、まったく絵を描く気持ちにならないのだ。


「元気ないみたいだけど、どうした?」


 巡が心配して声を掛けてくれる。


「……うん、なんでもない」


 無理して笑みを浮かべたけど、巡の表情は反して真剣になる。


「また我慢してる」

「そんなこと……ないよ?」


 一生懸命に笑ってみせるけど、巡はごまかせなかった。


「ここのところ、全然絵を描いてないじゃないか」


 巡は最近、副部長としての仕事が忙しいようであまりわたしのことをかまっていられないといった様子だったし、わたしもいつまでも巡に甘えていられない。だから気がつかれてないと思っていたのに、ちゃっかり見ていたようだ。


「まあ、気が乗らなくて描けない時もあるよな。そういうときは二通りあって、無理してあがいた方がいい場合と、そういう気になるまで待つ時とある。どちらがいいのかは分からないけど、無理はするな」

「うん、ありがと」


 その気持ちがうれしくて、ようやくきちんと笑顔を浮かべることに成功した。巡はなんだかまだ言いたそうな表情をしていたけど口を閉じた。


「そうだ、奏乃。明日、クラブの備品の買い出しに行くから、つきあえよ」

「えっ。なんでわたしが? 野原先輩は?」


 今期の部長になったのは野原知絵だ。長谷川先輩に負けず劣らずぐいぐいと美術部を牽引していってくれる頼りになる先輩だ。


「野原と手分けして買い出しに行くんだ。あいつは細々した物で、オレはちょっと大物なんだよな。壊れてるイーゼルを入れ替えたりするし、実際、絵を描くヤツが使いやすいものの方がいいし、ちょっと一緒に見てほしいんだよ」


 そういえば今年度の初めにそんなことを言っていたような気がする。備品が古くなってきているので予算を多めにもらったから一気に入れ替えようということを。


「通販で頼むって言ってなかった?」

「最初、そのつもりだったんだよ。だけど、部員のだれかが閉める店が近くにあって、格安で譲ってくれるから行ってきたらって言ってくれて」


 その話、わたしも小耳に挟んだ。わたしもたまに利用させてもらっている文房具のお店で、高齢で跡取りがいないから閉めるという話。残念だなと思っていたのだ。


「うん、いいよ」

「じゃ、明日の放課後な」

「うん」


 わたしたちはいつものように別れた。


 そして次の日の放課後。

 かばんは美術室に置き、お財布とメモを持って出かけることにした。いつもは校門を出てまっすぐに向かうところ、左に折れて中学校を通って目的のお店へと向かう。


「懐かしいなぁ」

「懐かしいって、中学校は隣だし、いつも見えてるじゃん」

「そうなんだけど、見てるだけでここまで普段はこないじゃないか」


 言われてみればそうだけど、巡が言うほど懐かしいとは思えない。

 中学校を左手に見ながら歩き、塀が途切れてもさらにまっすぐに歩く。住宅街に入るが、少しすると一階部分が店舗で二階が住居になっている文具店にたどり着く。もう少し先に行くと通っていた小学校がある。小学校の通学路の途中だったから、たまにここでノートや鉛筆、消しゴムといった消耗品を買っていたのを思い出す。それがなくなってしまうのは切ない。


「こんにちは」


 巡は声を掛け、引き戸を開けて中に入る。中からは小学生たちの声が聞こえてくる。


「はいはい、いらっしゃい」


 奥から真っ白な頭の丸い眼鏡をしたおばあちゃんが出てきた。眼鏡の奥の目は笑っていて、細くなっている。


「画材道具はこの奥に用意してるよ」


 前もって連絡をしていたらしく、すぐに奥へと案内された。


「ちょっと古かったりするけど、大切に保管はしていたから、壊れていたり日に焼けていたりはしないと思うよ。でも、まあ、こんな感じだから、勉強はかなりさせてもらうからね」


 お店の裏口からわたしたちは一度表に出て、倉庫に案内された。そこはかなり埃っぽかったけど整理整頓はされていた。思ったよりがらんとしていて、なんだか淋しい気持ちになる。


「このイーゼル、しっかりしていてなかなかいいよ」


 白っぽくなったビニール袋に被されたそれに張られている値段を見て驚く。とてもではないけど予算を大幅にオーバーしている。


「ああ、それに張ってる値段は気にしなくていいよ。売れなかったら処分するしかないから、かなり安くさせてもらうから」


 巡はビニール袋を取り払い、中に入っているイーゼルを取り出す。アルミで出来たもので、かなりしっかりしている。


「これは持ち運びに便利だよ」


 布製の袋に入った物も出された。


「できたらここにあるイーゼル、全部持っていってほしいんだよ」

「え……いや、そんなには」

「捨てるのもなんだし、使って欲しいんだよ」


 他にも木で出来たイーゼルもあり、予定していた数よりかなり多くなる。

 巡とおばあちゃんは値段交渉を始めた。


「予算の半分でいいよ。考えていた値段より多いからね」

「でも……」

「なあに、気にしなさんな。充分、あんたたちで儲けさせてもらった。これらを処分するのにも金が要る。それなのにお金をもらえるのだから、充分だよ」


 おばあちゃんはさらに奥から色々と出してきて、わたしたちに押しつけると言った方がいいような状態でさまざまなものを譲り受けた。


「一度に持って帰れないから、何度かに分けて受け取りに来ます」

「ああ、いいよ。今月中はまだやってるから、閉めるまでに取りに来てくれれば」


 巡はおばあちゃんに提示された金額を支払い、領収書をもらっていた。

 そしてわたしたちは持って帰れるだけの物を持ち、お店を後にした。


「すごくよくしてもらっちゃったね」


 浮かない表情をしている巡を見るとそれしか言えなかった。


「そうだな……。大切に扱わないとな」

「そうだね」


 わたしたちは両肩にイーゼルを抱えて学校へと戻る。

 中学校の塀の手前の信号で巡と一緒に並んで青になるのを待っていたとき、目の前をバスが通っていった。なにげなく中を見たわたしは、そこに乗っている人に自分の目を疑った。

 別にバスに乗っていても不思議はない。だけど今日、アルバイトだと聞いていた。もしかしたら予定が変更になったのかもしれない。そこまではいいのだ。混んだバスの中、友和はつり革につかまって立っていた。そして──その横に、見知らぬ女性が親しそうに友和の腕に絡みついていたのだ。二人は顔を見合わせ、楽しそうに笑っていた。わたしといるとき、友和はあんな風に笑っていたことがない。しかも、ふとした拍子にキスが出来てしまうのではないかというほどの距離。

 歩行者信号が青になり誘導音が耳に届いたけど、動けない。

 今のは、なに?


「奏乃?」


 巡は信号を途中まで渡り、ついてこないわたしをいぶかしく思ったらしく、戻ってきた。信号が変わるという警告音が鳴り始めた。


「やっぱり重かったか? 疲れた?」


 立ち尽くしているわたしの側まで来て、巡はわたしの顔をのぞき込んできた。信号が赤になり、目の前を車が通り過ぎていく。


「え……あ、ううん。ごめん、ぼんやりしてた」


 巡はわたしの持っているイーゼルを一つ受け取り、持ってくれた。


「重かったよな、ごめん」

「いや、重くないよ、大丈夫!」


 巡はめいっぱい持っているのに、さらにわたしの持っているイーゼルまで持ってしまった。


「いいよ、オレが無理矢理付き合わせたんだから」


 信号が青になってわたしが渡るのを確認して巡は後ろからついてくる。

 さっき見たのはなんだったのだろうか。もやもやとした気持ちのまま、わたしは巡と一緒に美術室へ戻った。


     **:**:**


 家に帰り、友和からはいつものようにメールが届いた。今日もアルバイトだったと書かれている。

 それでは、さっきのは見間違え?

 いや、それはないと言い切れる。だって、ずっと友和のことを見てきたし、絵も描いてきた。動いているバスに乗っていたから一瞬だったけど、それでもあれは友和だった。

 バスに乗っているのを見たよって何気なくメールをすればいいのかもしれないけど、なんて答えが返ってくるのか分からなくて、そして真実を知りたくないわたしは何事もなかったかのようにお疲れさまと返しておいた。なにがなんだか分からない。

 そしてふと、先日の練習場でのやりとりを思い出す。

 キャプテンを見に来ている人たちが意味深に目配せをして、わたしのことを哀れむように見ていた。

 嫌な可能性が脳裏によぎる。わたしはそれを必死に否定して、首を振る。だけど、考えれば考えるほど、その方があり得る話で……。どうすればいいのか分からない。

 思い切って友和に聞いた方がいいのかなと思い、メール作成画面を開いた。

 なんて聞けばいい?

 今日、夕方にバスに乗っていましたかって聞く?

 それとも、あの文具店が閉店するからイーゼルなどを安く譲り受けて、今日、受け取りにいったという話をする? 友和もあのお店を知っているはずだし、小学校に行くときにバスを見かけた道路を通って通学してましたよねなんて話を振ってみる?

 遠回し過ぎるかなと思ったけど、このままではわたしが辛い。巡も我慢するなっていつも言ってくれているし、勇気を出して聞いてみよう。

 わたしは何度もケータイに文字を打っては消し、打っては消しを繰り返し、ようやくさりげないと思われる文章が出来た。


『今日、小学校の近くの文具店に美術部の備品を買いに行きました。久しぶりに中学校の横を通って大通りの信号を渡りましたけど、バスなどが通って怖いですよね。小学生の時、気にせずによくあそこを通っていたなと思いました。お店は変わってませんでしたが、今月末で閉めると聞きました。淋しくなりますよね』


 責めるような文章になっていないか、わざとらしくないかを確認して、送信ボタンを思い切って押した。


「……送っちゃった」


 どっと疲れが押し寄せ、友和の返事を待つことなく、わたしは布団に入った。すぐに眠りが訪れ、そのままわたしは朝まで眠ってしまった。


     **:**:**


 目覚まし時計の音に目を覚ます。よく寝たからか、いつもよりすっきりしている。携帯電話に視線を向けると、珍しくメールが来ているというランプがついていなかった。

 やっぱりあれは友和だったのだ。妙な確信に悲しいはずなのにわたしの心は晴れ晴れとしていた。

 朝食を食べて学校に向かっていると、後ろから巡がいつものように歩いてきた。


「おはよ。疲れは取れたか?」


 昨日のわたしはひどい顔をしていたらしい。巡が珍しく、わたしをいたわってくれている。


「おはよ。うん、ありがと。昨日、疲れてたみたいだったから、いつもより早く寝たよ。おかげで、だいぶすっきりした」

「そっか」


 わたしの笑みを見て、巡は安堵の笑みを浮かべる。そしていつものように口の端を上げて、わたしの顔を見る。その表情は毎日見ているはずなのに、なぜか今日に限って、どきりと鼓動が大きくはねる。そしてそれは全身を駆け巡り、動悸が速くなる。


「昨日、用務室から台車を借りられるように申請を出したんだ。放課後、残りを引き取りに行こうぜ」

「え、あ。うん、いいよ」


 巡の顔を直視出来ない。昨日まで別に恥ずかしくともなんともなかったのに。


「奏乃? なんかオレ、おかしいか?」


 巡はぐっと顔を寄せてきて、わたしの瞳をのぞき込む。


「やっ、なっ、なんでもっ」

「なんだ? オレに惚れたか? おまえな、土井先輩という人がありながら別の男に心惹かれるとか、二股、反対!」

「そっ、そんなんじゃっ!」

「ははっ、そうだよな。んなこと、ないよな」


 巡は明るく笑っている。

 うん、あり得ない。巡に惹かれるなんて、そんなの──。

 自分にそう言い聞かせたのに、なぜか落ち着くどころか余計にどきどきしてきた。巡はわたしのお兄ちゃん代わり。それに、巡は好きな人がいるんだから! ……そうだよ、巡には別に好きな人がいる。ずっと密かに想いを寄せている人が。だから、わたしが好きになったって、片想い。そう思ったらようやくどきどきがおさまってきた。

 巡は優しくしてくれるけど、それもわたしが手間がかかるから世話を焼いてくれているだけ。妹みたいなものなのだ、巡にとっては。淋しく思ったけど、今までの巡のわたしに対することを思い出すと、妹としての扱いにしか見えなかった。

 登校して階段で別れる。教室に入って携帯電話を見るけどやっぱりメールは来ていなかった。


     **:**:**


 放課後、巡と一緒に台車を押して残りを受け取りに行った。乗り切らなくて、明日も受け取りに行くことになった。わたしたちはがらがらと音を立てながら台車を押し、昨日と同じくらいの時間に信号で止まった。目の前をバスが通っていく。

 昨日と同じように友和はバスに乗っていて、そして隣にぴったりと女の人がひっついていた。


「あ……」


 つぶやきに巡が気がついたことを知ったけど、わたしは慌ててそっぽを向いて知らないフリをした。

 朝はあんなに晴れ晴れとしていたのに、やっぱりあれを見たら、辛い。油断したら泣きそうになるのを必死に我慢して、巡と並んで一緒に台車を押した。美術室についたら巡は慌ただしく出て行った。


「奏乃、申し訳ないんだけどそれ、片付けておいて」

「え、ちょっと、巡! 台車は?」

「明日も借りるって申請してくる!」


 叫ぶように言って、巡は去って行った。


「……もう、なんなのよ」


 だけどなにかしてないと泣いてしまいそうだったから、ちょうど良かった。

 美術室に運んでいたら部員たちが手伝ってくれた。


「うわぁ、このイーゼル、超いいじゃん!」


 みんなが喜んでくれているのを見てうれしくなる。


「備品シール、どこにある?」

「あ、ここです!」


 みんなで丁寧にシールを貼り、設置したり使わないのは片付けたりした。台車はたたんで、準備室に入れた。


「……あれ?」


 そういえば美術室の鍵はいつも掛けるけど、準備室の鍵って掛けていたっけ?

 今、どうでもいい疑問がふと浮かんできた。

 なんだか妙にそのことに引っかかり、準備室から美術室に戻る。

 わたし今、どうやって台車を片付けた?

 なにげなくやったことを思い返してみる。

 台車を片付けるために美術室の前の扉から準備室に入って、中から開けてドアを押さえておいて台車を入れた。なにも考えないでそうやったけど、どうして?

 疑問に思い、わたしは美術室を出て、準備室の前の扉に立つ。そしてドアノブをひねる。


「……開かない?」

「なにやってるんだ?」


 巡はどこかから帰ってきたようだ。なんだか表情が引きつっている。


「え、台車を入れようと思って」

「台車? ないじゃん」


 巡はわたしの周りを見て、不思議そうな表情を浮かべた。


「あ、うん。もう入れたんだけど、ちょっと疑問に思ったことがあったから」

「疑問?」


 言外に説明しろと言っている。だからわたしは渋々、口を開いた。


「美術室の中から準備室に入って、中からドアを開けて入れたんだけど、そんなことしないでもここから入れた方が早かったかなって思って」


 わたしの言葉に、ほっとしたような表情を浮かべた。


「馬鹿だな、そこは外からすぐだからオートロックになってて、鍵がないと開かないんだよ」


 と巡はわたしの後ろにある体育館へと続く扉を指さした。


「へー。そうだったんだ。今まで、気にしなかった」


 そこまで言って、わたしは違和感を覚えた。


「って──」


 巡も気がついたらしい。


「考えるな」


 険しい表情で一言。


「あ、そうだ」


 巡はわたしの考えを遮るように、妙に明るい声を上げた。


「明日、悪いんだけど、オレ以外の誰かと残りを受け取りに行ってくれないか?」

「……へ? なんで突然」

「いや、急用ができた」

「いいけど」

「じゃ、野原にお願いするか。おーい、野原ー」


 巡はわたしから逃げるようにして美術室に入り、野原先輩を呼んでいる。


「明日、悪いんだけど、こいつと一緒に残りを引き取りに行ってくれないか?」

「うん、いいけど。皆本くん、どうしたの?」

「別件が出来て、明日はここに顔出し出来ないから。頼んだな」

「んもー。相変わらず、いい加減というか、突然というか。高くつくよ!」

「へーへー」


 そんなやりとりをぼんやり見ていた。


 家に帰っても、友和からはメールの返事はなかった。今まで、こんなことはなかったので心配になる。

 だけど今日もバスに乗っているのは見かけた。どうしてメールをくれないのだろう。わたしからメールをするとなんだか催促をしているみたいだから、明日まで待つことにした。


     **:**:**


 放課後になり、美術室に行くと野原先輩はまだ来てなかった。わたしは台車を出すために準備室に行った。

 美術室から準備室には引き戸があり、ここは鍵がない。美術室を出入り出来る扉は前と後ろにあり、どちらも引き戸になっている。こちらは鍵を掛けられる。中から掛ける場合はサムターンを回す。上下の二か所についていて、それは前と後ろも同じ仕組みだ。美術室の鍵は三つついていて、一つは前、もう一つは後ろで三つ目はどうやら準備室を外から開けるために使用する鍵のようだ。今の今まで知らなかった。

 わたしは美術室から準備室へ入り中から台車を出し、そのまま出た。ドアを閉め、ノブを回す。

 ……開かない。巡が言っていたように、ここはオートロック……。


「──あ」


 全身から血の気が引いていくのが分かった。大変なことに気がついてしまった。

 ずっと引っかかっていたこと。

 夏休みにわたしの絵が裂かれたことを思い出した。

 巡と二人で鍵を閉めたのを確認して帰ったのに、次の日、鍵が使われていないのに何者かに絵が裂かれていた。いつも準備室の扉の鍵は確認しないけど、ここはオートロックだからする必要がなかった。美術室と準備室の間の扉にも鍵は存在しないから、そこも確認しない。だれかが準備室に潜んでおき、わたしたちが帰ったのを確認してから抜け出し、絵を裂いて何気ない顔をして準備室から出ることが出来たのだ。

 あの絵を裂いたのは、同じ美術部員だった──。そして、賞状の入った額縁も、また……。

 不自然なタイミングで美術部を辞めていった人たち。まさかという思いにくらくらする。


「下瀬さん、お待たせ──って、ちょっと!」


 あまりの出来事に、身体から力が抜けていく。


「ちょっと! だれか来て!」


 野原先輩の悲鳴は聞こえたけど、動くことが出来なかった。


     **:**:**


「はあ……」


 保健室の天井を見ながら、ため息を吐いた。

 わたしは貧血っぽい症状を起こしてしまい、数人に抱えられて保健室に運ばれた。自分がこんなに情けないなんて、初めて知った。

 野原先輩は巡に連絡を入れてくれたらしいけど、つかまらないようだ。少し休めば大丈夫ですとは言ったものの、心細いのは確かだ。


「下瀬さん、どう? 起きられそう?」


 カーテン越しに心配そうな野原先輩の声がする。


「あ、大丈夫──」


 ベッドから起き上がろうとしたところ、保健室のドアが乱暴に開く音がした。


「奏乃!」


 巡の声だ。


「野原、奏乃は?」

「ちょっと! 皆本くんもなんなの、その格好!」


 巡がどうかしたのだろうか。


「なんでもねーよ。急いで帰ってきて、転けたんだよ」

「いや……それでも」

「ここにいるのか? おい、入るぞ」

「あ、待ちなさいよ!」


 野原先輩が静止する声を聞かず、カーテンが開けられた。薄暗かったから、まぶしい。思わず目を閉じる。


「……奏乃」


 心配そうな声にゆっくりを目を開ける。目の前には、あちこちすり切れた巡が立っていた。


「なに、巡。なんでそんなにぼろぼろにっ」

「なんでもねーって。それより奏乃、おまえこそ大丈夫かよ」

「うん、わたしは、大丈夫──」


 大丈夫なわけ、なかった。だけど巡に心配をかけたくなくて、笑みを浮かべる。


「ったく」


 巡は困ったような表情をして、一度、後ろを向く。


「野原、わりぃ。あとは大丈夫だから」

「……そう? 下瀬さんのかばん、ここに置いておくね」

「おう。サンキュ」


 野原先輩が保健室から出て行くのが見えた。巡はそれを確認するとカーテンを閉めた。わたしはベッドに上体を起こす。巡が近寄ってきた。


「野原から奏乃が倒れたなんて留守電が入っていて、びっくりしたよ」

「あの、ごめんね。大したこと、ないからっ」


 笑ってごまかそうとしたら、突然、巡がわたしを抱きしめた。巡の胸に顔を押しつけられ、息が止まる。


「頼むから、我慢するな。見てて辛い」


 喉の奥から絞り出すような声に、わたしは慌てる。


「我慢なんて、してないって」


 そう口にすると、巡の汗の匂いと土の匂いがした。ちょっとだけ、鉄臭い。


「それより、巡の方がっ!」

「オレのことは気にするな。こんなの、擦り傷だ」


 よく見ると、上の半袖シャツはかなり汚れているし、破れている。ズボンもすれていて、土まみれだ。


「巡、なに、してた……の?」


 転けたと言ってたけど、これは明らかに違う。見覚えのある汚れ方だけど、何か思い出せない。


「なんでもないって。それよりも奏乃、帰れるか?」


 いくらわたしが聞いても、なんでもないと言い張って巡はごまかそうとしている。


「わたしは大丈夫! 巡の方が……」

「こんなの、なめときゃ治るって」


 巡はなんでもないという表情をすると、わたしのかばんを持ってくれた。


「あ、残りの荷物……」

「んなの、気にすんな。明日、取りに行けばいいだろ」


 そう言われたら言い返せない。

 少しふらつくなと思いながら、わたしは巡の後ろをついて歩いた。


 家に帰ってもなんだか気分がすぐれない。

 ぼんやりとベッドに横たわっていたら、メールが来た。のろのろと起き上がり、携帯電話を開く。友和からのメールだった。

 久しぶりのメールに安堵を覚え、中を見るとたった一言。


『明日、十六時に駅前で待つ』


 とだけあった。


『分かりました』


 と返事を送る。

 友和からはもう返事はなかった。わたしはまたベッドに横になり、目を閉じた。

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