表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
対話  作者: 白熊猫犬
7/11

カトウとシミズ

 旅館から少しばかり歩いたところに公園があって、しかしブランコや滑り台のような遊具はなく、ただ広いばかりの空き地とさほど変わりはない。辺りには民家もないし夜ともなると心許ない外灯がちろちろと光るばかりである。

 「男子部」はあらかじめ用意しておいた大量の手持ち花火と旅館で借りたバケツを持ってこの公園にやって来た。合宿二日目の夜、恒例となったむさ苦しい花火大会は慎ましやかに行われた。

「なんだシミズ、お前も寝そべってないで花火で楽しんだらいい」

「カトウさん、それは無茶ってもんでしょう。もうすっかりへとへとなのに、なんで夜も外に出なきゃならんのですか」

「慣例だからだな、仕方ない」

「そんな慣例、やめてしまえばいいんじゃないですかねえ」

「慣例は、いずれ伝統になってしまうからなあ。そして伝統とは、その必要性の有無に関わらず存続させねばならない」

「嫌な文化ですね、それは」


 朝食の後、日が暮れるまでひたすら山道を走り続けた「男子部」のメンバーはもはや死屍累々の様相を呈していたが、無理矢理体を動かしてこの公園に来た。体力に自信のある数名を除いて、大抵は死んだ目と疲れた顔で半ば事務的に花火に火をつけてはバケツの中に投げ入れていた。

「そもそも、何で走らなきゃならないんです。このサークルって別に運動部でもなきゃ体力勝負なこともしないでしょうに」

「シミズは一回生だから知らないだろう。まだ本格的な活動には参加しないからな」

「本格的な活動って、そもそも活動することがあるんですか」

「ある。それは年に一回、学祭という晴れ舞台、我々男子部が唯一輝く時である」

「こんなサークルで輝いちゃいけないでしょう」

「うん、いかん。だがそれも慣例であり、伝統であるから、仕方ない。もう誰にも止められない」

「恐ろしいことです。で、その学祭とマラソンと、どんな関係が?」

「学祭ではな、男子部は大抵裸体を曝すはめになる。そんな時にだ、ぽよぽよだったり、ぶよぶよだったり、がりがりだったり、そんな体であってみろ、ただでさえ恥ずかしいのに、下手を打てば二度と人前に出られない心の傷を負うことになりかねんだろう。だから、この合宿で少しでも心身を鍛えようと、そういう訳だ」

「だからって、一日マラソンしただけですっきりスマート清々しい肉体になる道理も無いですよ。先輩たちの中にだって、こう言っちゃなんですが、よく肥えてらっしゃる人も、逆に痩せすぎている人もいますし」

「うん、その通りだな。たかだか一日走っただけで、精神も肉体も鍛えられたりはしない。だから伝統と呼ばれるものは、時々無意味だったりする」


 どこかで、わあっという野太い歓声が湧く。カトウがその方向に目をやると、ネズミ花火らしきものが大量にばちばちと言いながら鮮やかに舞っていた。それを、まだ元気のある者達がふざけて驚いているようだった。シミズは頭を上げる体力も、その五月蝿さに関心を示す気力もなかった。横に座っている先輩と、こうして世間話をしている間に、さっさと花火が尽きてしまえばいいとだけ思った。

「ああ、どうせなら、女の子の一人や二人いたなら、ちょっとは華々しくなるのに。と、思いませんか?」

「いやはや全くもってその通り。しかし残念なことに男子部だからなあ、その望みは早々に捨てるが良い」

「早く明日になればいいのに。そうしたら、バスと電車で帰って、ゆっくり休んで、後は自由に過ごせる。夏祭りだってあるし、それこそ本物の花火大会にだって行ける」

「なんだ、シミズは男子部にいて楽しくないか」

「いや、そんなことはないですよ。男同士うだうだやったり、先輩方といるのも楽しいですし。今回の合宿も、今日のマラソンはともかくとして、パンツを投げ合ったり、大浴場で尻の窪みの品評会をしたり、楽しいですとも。昨日いらっしゃったタナベさんも面白い方でした」

「うむ、ならばいいではないか。僕も自分の尻が褒められて大変満足だった」

「でもやっぱりですね、だからこそ女の子のいる、ほんわかした空間が恋しくなります。夏ですよ、夏休みですよ。浴衣を来た女の子に声を掛けて、ちょっと甘い夜を過ごしたいと望むのは、当然じゃないですか。彼女と海に行ったり、キャンプしたり、したいじゃないですか」

「うん、そうだ、実に正しい意見だ。ところでシミズ、一つ聞きたいのだが」

「何ですかあ?」

「お前はもしや、そんな風に彼女とかいう存在と遊んだり、見知らぬ女に話し掛けて一緒に夏を堪能したり、そういう経験があるかのように話しているが、そうなのか」

「ええ、当然ありますよ。当たり前じゃないですか。ああ、彼女のことを思い出してしまった。早く帰りたい。帰って、一緒にのんびりしたい」

「成る程、貴様は僕の敵だな」

「何でそうなるんですか……」


 先程の歓声が止んだ公園では、火薬の燃える匂いと、夏にしては涼しい風と、男達のうううう唸る声だけが残った。

「彼女がいて、実に軟派な精神で夏祭りに出向き、それを当然だとは恐れ入った。貴様は喧嘩でも売っているのか」

「急にどうしたんですか、カトウさん。目が怖いです。そりゃあ、うら若き男ですから、女と遊んで然るべきでしょう」

「まだ言うか!ええい憎たらしい、貴様が男子部でなかったらこの場で髪の毛を一本ずつ丁寧に引っこ抜いて禿にしてやるところだ」

「物騒なこと言わないでください。そうなったら彼女に振られてしまう」

「振られたらいい。そして一生もてないまま、禿げた頭を必死に隠しながら後悔するがいい。ああ、彼女なんて作った僕が馬鹿だった、あんなことをしたのだからこの頭は当然の報いだ、とな」

「嫌ですよ、本当にどうしたんです、悩みがあるなら聞きますよ」

「おうおう上から目線で人生の先輩気取りとは、お前も偉くなったもんだなあ!彼女がいたら偉いのか!女にもてることがそんなに偉大なことか!だったらホストが大統領になればいいのか!」

「ははあ、さてはカトウさん、女日照りが続いているんですな。駄目ですよ、僻んだりしたら、余計もてなくなってしまう」

「おのれ、この期に及んでその口振り!」

「いやいや、本当に落ち着いてください。大丈夫ですって、カトウさんなら彼女なんてすぐできますから」

「言ったな、今言ったな?貴様に何がわかる!出逢いもなく、機会もなく、根性もない!そう思うなら女の一人でも紹介してみやがれってんだ!僕は先輩だぞ!」

「いいですよ」

「くそう、女が欲しい、女を寄越せ!彼女のいるやつは全員……なんだと」

「だから、女、紹介しますよう。女友達に掛け合ってもいいし、何だったら一緒にどこぞに出掛けて、女をひっかけましょうや」

「おお、おお。お前は、いやシミズさんはそんなことが可能なのですか」

「いや敬語にならんでくださいよ」


 段々と、花火の音が少なくなっていった。次々に脱落者が出て、僅かに残った体力自慢の男達がせっせと花火に興じているばかりで、後は寝ているか、倒れているか、横になっているか、そんなところだった。まだ花火大会は終わりそうもない、残念なことに。

「いや、すまん。ちょっと動揺してしまった。何せ女を寄越せと叫んでそんな返事がくるとは思いもよらなかったもんだから」

「いいですって、そんなこと。で、どうします?明日にでも誰かに連絡いれてみますけど。それとも海や縁日で女を探しますか」

「ううむ、紹介されて、僕がぽんぽんと女と仲良くなるなんて芸当、出来るかどうか。それにいざ話をしてぞんざいに扱われては、その場で寝込んでしまいかねない」

「大丈夫ですよ、俺がちゃんとフォローしますし。あ、俺の友人と一緒に合コンとかもいいかもですね。そっちの方が連携取れますよ」

「いや待て、いやいや待て待て、いかんいかん」

「何がいかんのですか」

「あまりの展開に浮かれて我を忘れていた。いかんいかん。シミズ、お前の提案は物凄く有り難い。さっきの罵倒も謝ろう。しかし、僕は今やるべきことがあるのだった。そうだ、清潔さと誠実さ。きちんと謝り、事情を説明し、そして一切を許してもらわねばならない。うん、そうだ。そこからなんだ」

「何をぶつぶつ言ってるのかわかりませんが、結局女は紹介しなくていいんですか?」

「うん、すまない、またいつか、もしかしたら頼むことになるかも知れないが、今回のことは忘れてくれ」

「なんだかよくわかりませんが、了解です」

「それから、もし彼女と別れたら是非僕に報告するがいい。盛大に笑ってやるから」

「そっちは了解しかねます」


 暗闇の中で誰かがカトウを呼んだ。カトウは立ち上がり、じゃあ、と言ってから歩いていった。あの声は確か、シバタさんだ、とシミズは思った。カトウとシバタは、どうやら残りの花火に一気に火をつけて盛大なフィナーレを飾ろうという話をしているようだった。もう誰も彼も花火には飽き飽きしていたから、派手な在庫処分というわけだ。

「しかし、カトウさんはあれじゃあもてないだろうな。うん、相当もてない。いい人なんだけどなあ」

 シミズは一人きりでそう呟くと、夜空を見つめた。星々がいつもよりずっと鮮明に見えて、そうか、ここは山の中なんだな、楽しかったけど、早く帰って彼女に会いたいな、と思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ