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対話  作者: 白熊猫犬
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カトウとタナベ

 大学のある町から電車とバスを乗り継いで六時間のところにある古旅館。その一階、宴会場では「男子部」のメンバーがどんちゃん騒ぎをしていた。他に客はいないという話を聞き、ならば騒がねば、かえって失礼にあたるという独自の理論のもと、ありったけの酒と料理と煙草と男がその宴会場で乱れ飛んでいた。

 宴会場を出て少し行くと、中庭に臨む縁側がある。タナベはそこに座って、一人中庭を眺めていた。壁を隔てた「男子部」の喧騒がわずかに聞こえる他は、静かなものだった。

「やや、タナベさん、こんなところにおられましたか」

「やあ、うん、厠の戻りによい中庭が見えたもので、夜涼みに座っていた。ええと、君は確か」

「カトウと言います。本日は御多忙の折に御足労いただきまして、まことに有り難う御座います」

「はっはっは、いいよいいよ、カトウ君、そんな堅苦しくしなくとも。僕もね、可愛い後輩の元気な姿が見られて嬉しいのだから」

「はい、有り難う御座います。お陰様でこうして男子部は皆仲良く暮らしております」

「うんうん、仲良きことは美しきかな」

「お言葉ですが、美しくはありません。ええ、ちっとも」

「そうだな、では改めて。仲良きて尚むさ苦しきかな」

「お誉めに預かり光栄です」


 カトウが宴会場から麦酒瓶とグラスを一つ持ってきて、丁寧にお辞儀をしたあとタナベの隣に座る。カトウはタナベにグラスを手渡すと、仰々しくお辞儀をしてから麦酒を注いだ。

「カトウ君は飲まないのかね。それとももしかして未成年だったかな」

「いえ、どうも僕は酔うと失礼な言動を繰り返すようなので、本日は初めに一杯頂戴しただけにとどめております」

「ふうん、勿体無い。で、中の連中の様子はどうだい」

「はい、相変わらず阿鼻叫喚の地獄絵図でした。男の裸が隊列を組み、パンツが空を舞っておりました。丁度枕投げ大会の亜流の様な競技でしょう」

「そうか、流石男子部と言うべきか、憐れ男子部と言うべきか」

「タナベさんの代も、あんな有り様でしたか」

「うん、大して変わらないね。いつの時代も、馬鹿な男というのは一定数いるようだ」

「そうですね、僕も皆に裸をねだられてほとほと困りました」

「と言って君、初めに脱ぎ出したのは確か君ではなかったかな」

「僕も男子部の端くれ、つまり馬鹿な男の端くれです。その誇りをもって脱ぐというのは、言わば男として当然のことです」

「成る程、君のことがだいたいわかった気がするよ。誇れるほどの誇りじゃないから、その誇りはそっと仕舞っておきなさい」


 糊付けされたワイシャツ、べっ甲柄の眼鏡、物静かで落ち着きのある佇まい。カトウは、タナベが「男子部」のOBだとは、にわかには信じられなかったが、すぐさま自分の大先輩にあたる人を外見で判断したことについて恥じた。カトウは思った。この人にだって、いざとなったらパンツを脱ぎ捨てるときがあるのだ。

「失礼ですが、タナベさんはご結婚なさっているのですね」

「ああ、この指輪かい。うん、僕ももう三十五だからね。していてもおかしくはない年齢だろう」

「はい、勿論。タナベさんのような方なら当然だと思います」

「男子部にいた頃は、結婚なんてできないものと考えていたけれどね」

「タナベさんにも、そんな時期がございましたか」

「当時は男子部の中でぶいぶい言わせていたからね。毎晩、サークルに集まって飲みながら、女なんていらない、こっちを向かないなら願い下げだと、そんなことばっかり言い合っていた気がするよ」

「それは、その、あまり僕たちと変わりませんね」

「そりゃあ、僕は男子部だったからね。でも案外どうにかなって、僕は家庭を持てた。他の連中も、大体は奥さんをもらったという。君たちだってそのうちわかるさ」

「ううん、どうなんでしょう。僕は、僕自身が、その、女性と親しい間柄になるというのが、なかなか信じられません。何分、先日もとある女性に話し掛けて散々な目に遭いましたから」

「ほう、それはちょっと面白そうな話ではないか。是非聞かせてもらいたいね」

「いえ、そんな、ごく個人的な話ですから」

「なあに、酒には肴が必要だろう?それに君は、単に相談事をすると思えばいい。さあ、これで利害は一致しているね、先輩命令だ、話したまえ」

「成る程、貴方は確かに男子部のOBですね、うん、間違いない」


 旅館の中庭にある池には、どうやら鯉か何か、魚がいるようで、ほんの時々ぽちゃんという音とともに水面に綺麗な円を描いた。しかし月の明かりは雲に遮られていて、その波紋はよく見えなかった。

「実は、あることが切っ掛けで、女性と仲良くしたいと思うようになりました。しかし、僕はこれまでろくに女性とお付き合いしたことはなく、またこの男子部に入ってからというもの男連中とばかり過ごしていたため、女性に対しての恐怖心と言いましょうか、苦手意識と言いましょうか、そんなものが芽生えた次第でして、そこで一つ、以前に一度だけ話したことのある女性に接近しまして、耐性を取り戻そうと、そう思ったのです」

「ふむふむ」

「勿論、あわよくばその女性と、こう、近しい関係になりたいという邪な考えが無かったわけではありません。むしろ邪な考えしかありませんでした。友人のアドバイスをもとに、丁度その時は試験前で、その女性も同じ学部でしたので、学食で待ち伏せて、試験の過去問を持っているか、というのを口実に、話し掛けたのです。彼女はとても優しく、誰にでも分け隔てなく接するような人でしたので、きっと僕に貸してくれるだろう、そこでその隙に別の話題から少しずつ話を続けようと、そう目論みました」

「ほう、なかなかアグレッシブだねえ」

「はい、一世一代の大舞台から飛び降りる覚悟で挑みました。しかし、予定外のことが起こりました。彼女は残念ながら、過去問の類いを一切持ち合わせていなかったのです。彼女は非常に真面目で、講義には毎回出席し、きちんとノートもとるという出来たお人だったので、そんなものは必要としない、そういうものが出回っているということも知らないような、そんな様子でした」

「そりゃあ、なかなかどうして出来た人だ。まだ若いのに」

「僕は咄嗟の判断で、次の作戦に移行しようと思いました。つまり、その講義中のノートをコピーさせてくれと、そう頼み込む算段だったのです。しかし、先程も申しました通り、彼女は誰にでも優しいのです。そして、機転のきく人でした。辺りを見回すと、やっちゃあん、と、可愛らしい声をあげて、誰かを呼ぶのです。それは、どうやら彼女の友人らしい女性でした」

「うむ、人のためにどうにか尽力しようとするとは、益々もってよく出来ている」

「しかしながら、その友人というのが、簡単に言ってしまうと、僕のような人種の、最も苦手とするタイプの方だったのです。髪を派手に染めて、流行の服に身を包み、あまつさえスカートの丈は危うく屈んで覗きたくなるほどに短く、常に自信満々な、そんな女性でした」

「ははあ、確かに女に慣れていないという君に、そんな人は天敵にも思えたろうなあ」

「仰る通りでして、僕は一気に背中に汗をかいて、喉が渇き、視界がぼんやりとしました。彼女がその友人に事情を説明していると、友人は僕を怪訝な目で見つめるのです。それがどうにも恐ろしくって、僕は何か適当な言い訳を並べて、一目散にその場を離れました」


 タナベは琥珀色の眼鏡を取るとポケットからハンケチを取り出し、レンズを丁寧に拭いてまたかけ直した。その間ずっとにやにやとした笑顔だった。カトウはタナベのその横顔をじいっと観察していた。目の前の先輩が退屈などしてやいないかと、少しばかり気がかりだった。

「まったく君はどじを踏んだな。よりにもよって逃亡を謀るとは。で、それから君はどうしたんだね」

「はい、おめおめと逃げた私はその足で自宅へと舞い戻り、ビデオを鑑賞して自分のものを慰め、無性に寂しくなって、家にある酒をありったけ飲んで酔っ払い、布団の中で悶えながら眠りました」

「うんうん、実に惨めで共感できる話ではあるが、そしてあんまりにも赤裸々に語ってもらって悪いんだが、僕が聞いているのはそういうことではなくてだね。その意中の人とその後どうなったかと、そういうつもりだったんだなあ」

「これは失礼仕りました。とは言っても、それ以来その人とは特に交流もないので、これ以上何か話すことも御座いません」

「ん?それは、つまり、それ以来その人と一切、何にも、一言も、話してないということかい?」

「はい、その通りです」

「うん、これで確信したぞ。君は生粋の馬鹿なのだな。よおくわかった」

「なにか、至らぬことがありましたでしょうか」

「至るところが一つも無い、といった方が早い。よろしい、男子部の、いや人生の先輩として、君に伝えよう。女性にもてる方法ではないけれど、女性に嫌われない方法を」

「おお、そんな秘伝書のようなものがこの世にあるとは!是非とも、是非とも!」

「まあそう身を乗り出すものではない、それに秘伝でも何でもない、ただの一般常識に分類されるものだ」


 カトウは思わず生唾をごくりと飲んだ。一体この人はどんな話をしてくれるのかと、そればかり気になってつい鼻息が荒くなった。

「して、その一般常識なる秘訣とは」

「うん、実にシンプルな二つのことを守れば、それでいい。その二つとはつまり、清潔さと誠実さだ」

「おお……おお。なんという、そんな簡単なことで女性は僕を嫌ったりしないでいてくれるのですか」

「まあ他にも性格だとか愛嬌だとか色々あるにはあるけれどね、君が意識してすぐ実行できるのはこの二点だろう」

「しかし、不思議なものです。男同士では不潔で不誠実でも、あんまり反応が変わらなかったりするものでしたので」

「それは、言ってしまえばお情けのようなものだ。相手が味方だと互いに分かっているからこそ、多少清潔さ、誠実さが損なわれていても構わないと許す、仲間贔屓みたいなもんさ。だが異性はなかなかそうはいかない。特に知り合って程ない人に不潔なところ、不誠実なところを見せては、実に見事に嫌われてしまうぞ」

「成る程、これは男むさいところにいては決して気付かぬ盲点でした。深く心に刻み込んでおきます」

「うん、だからね、君はその女性に、出来るだけ早く話をしなくてはいけない」

「と、言いますと」

「わからないとは、君は案外頭の回らない奴だね。いいかい、突然話しかけられて、要求されて、どうにか応えようとしたところで、事情もろくに説明されぬままそそくさと逃げられる。そんな人に会って、一体どんな印象を持つだろうか」

「あんまりにも意味不明で、自分勝手な野郎ですな。関わりたくないです」

「素直ないい答えだが、まだわかってないのか、感心するよ。それはつまり、君がその女性に行ったことそのものじゃないか」

「おお、その通りです。なんと意味不明で自分勝手な野郎だったんだ僕は!」

「だからだね、君がもしこれからその女性と仲良くしようと言うのなら、まず会って、非礼を詫び、事情を説明して、許しを乞うことだ。そうやって自分の誠実さを相手に伝えることだ。そうしてやっと、スタートラインに立てる」

「そうでしたか。いやはや、やはりタナベさんに相談してよかった。こんなに的確に、こんなに分かりやすく、僕の行動を分析なさるとは。タナベさんの慧眼に驚くばかりです」

「誰の目にも明らかだと思うけどねえ」


 宴会場から、叫びに似た声が聞こえる。くぐもっていて正確に判別はつかないが、どうやらカトウがいないと知った「男子部」の面々が、カトウを呼んでいるようだった。

「さあ、今のことをきちんと覚えて、そして一旦忘れて、今はあの男連中の中で楽しくやるといい。皆が君を待っているようだよ」

「はい、タナベさんのお言葉、胸に留めておきます。それはいずれ僕の血肉となって、彼女との和解、それに繋がる会瀬、果ては快楽の海にまで流れ出でることでしょう」

「実に都合の良い妄想だなあ。まあ頑張りたまえ、OBとしてささやかながら応援させてもらうよ。さあ、宴会場に戻ろう」

「はい、タナベさんも是非お脱ぎになって、パンツを共に舞わせましょう」

「おいおい、この年になってそんな若造みたいな真似」

「何を仰います、我々は男子部です。童心に帰って、赤子に戻って、一肌でも二肌でも脱ぎましょうぞ」

「うん、そうだね、還暦にはまだ随分時間があるけれど、こんなときくらいはいいかもしれん」

「そうですとも、そうですとも」

 カトウはいっとう嬉しそうに頷いた。タナベは、ずんずんと宴会場に向かうカトウの後ろを付いていった。勢いよく襖を開けたカトウの、

「皆の衆、ヒーローの見参にあるぞ!いざ脱がん!そして我が肉体にパンツの雨を降らせるがいい!」

 という口上に、タナベは笑ってしまった。

「カトウ君はまったく、男子部の男むさい部分の凝縮されたような馬鹿だなあ」

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