シバタとエトウ
構内の南西にある南門から入ってずく左手に見える部室棟。その二階にある「男子部」とプレートのかけられた部屋の中では、五人の男が座り、各々疲れた顔をしてぐだぐだと雑談を交わしたり、眠ったり、暗記をしたりと、自由に過ごしていた。
シバタも部屋の隅の方で一人、漫画を読んでいると、隣に座った男から声を掛けられた。
「よう、シバタじゃないか。試験はもう終わったのか」
「エトウさん、お久しぶりです。明日の法学が残ってますけど、まあ暗記勝負だし六法もプリントも持ち込みできるんで、余裕です」
「そうか、どうにかなりそうだな」
「どうでしょうね、案外必修を悉く落としているかもしれません」
「まあそうなったらそうなったで、来年頑張ればよい」
「まあそうですね。終わったことをいくら言っても仕方がないです。過去より未来が大切です」
大学には二つの部室棟があり、一つは運動部や文化祭実行委員会など、有り体に言えばよそに出して恥ずかしくないサークルが主に入っている。立地的に不便な場所に位置するもう一つのこの部室棟には、「男子部」を含む、目的も存在意義もよくわからぬ、つまりあんまりよそに見られたくないサークルばかり押し込まれていた。
「カトウの奴は来ていないのか」
「そうですね、どうでしょう、今日は、いや、今日も来ないかもしれません」
「なんだ、何かあったのか。試験がてんで駄目だっただとか、風邪でもひいただとか」
「まさか。試験の出来に凹むほど真面目じゃないし、風邪をひいて休むほどまともでもありませんよ。エトウさんが原因と言ったら過言ですがね、実は」
「おいおい、声を潜めて、俺のせいだなんて言われたら、びびってしまう。俺は何にもしていないがなあ」
「エトウさん、以前カトウを焚き付けたでしょう。あいつ、女と仲良くしようと躍起になってますよ」
「ほう、面白いことになったもんだ。あいつのことだから相変わらず女を持ってこいと言うばっかりかと思ったが」
「まあ、その、それなりにエトウさんの話に感銘を受けたんでしょうな。それで、どうにか女に対する免疫だけでも付けようとして、色々あって、今死んでます」
「うん、あいつが思い立ってすぐどうこうできる筈も無いからなあ。何せ俺に良く似ているから」
「そう自信満々に言われても困りますがね」
シバタもエトウも、身を屈めて声を潜めて話す。男ばかりのこの場所で、こんな話題を大っぴらに話すわけにもいかなかった。しかし、冷房が効いているとはいえ、殆ど密着しているくらいの二人の距離では、むさ苦しさと暑さを感じずにはいられなかった。
「あんまりにも下世話な話なんで相手の女の名前は出しませんがね、悲惨な結果だったらしいです」
「そうか、悪いことをしたかなあ」
「いえそんな、どっちにしたってあいつにもいい機会だったんです。誰かに彼女ができる度にそいつのところにいって地獄に落ちろ、さもなくば女を紹介しろと喚き、女と別れたと聞けばそいつの不幸話を肴に酒を飲んでは女を紹介しろと喚くような人間でしたからね。いい薬です」
「うん、カトウも大概駄目な奴であるからなあ」
「女に関すること以外ではそれなりにいい奴で、だから皆何だかんだカトウと一緒にいるんですけどね。あれさえ無ければ、と誰もが思います」
「ううむ、ともすれば俺より酷いかもしれんな」
「エトウさんは少なくとも喚きませんからね。出来た人ですよ」
「おだてても金は出さねえぜ」
「カトウと比べて、と付け加えましょう」
「あんまり誉められていないんだな、つまり」
エトウとシバタは、煙草を吸うために部屋を出て階段を降りたところにある簡易喫煙所に向かう。簡易喫煙所とは、つまり誰かが放置した灰皿のある場所であった。そこにはまた誰かが放置したソファー、テーブル、パラソルなどもあり、部室棟の横、雑草の生い茂る中に置かれたそれらは、不法投棄された粗大ごみに見えなくもない。
「シバタは合宿、参加するのか」
「どうですかね、バイトとの兼ね合いになると思います」
「うん、もし行ったら存分に楽しむといい。俺も研究さえなければ行きたいんだがなあ」
「楽しめますかね、山ん中の旅館に、男ばかりで行ったところで」
「うむ、楽しめる。俺が楽しかったのだから間違いない」
「じゃああんまり期待できませんね」
「何、どうしたって人間は与えられた環境で楽しもうと、それなりに努力するもんだ。むさ苦しいところでも、楽しもうと思えばいくらでも楽しめるとも」
「そうやって男むさいところで必死になって踊って、出来上がったのがカトウやらエトウさんなら、俺はちょっと遠慮しますよ」
「大丈夫、大丈夫。大船に乗ったつもりで踊ってくればいい」
「そうですね」
「カトウもきっと参加するだろうし、他にも沢山参加するだろうし、仲のいい連中と合宿だぞ、楽しいこと請け合いだ」
「そうですね」
「OBの方も、今年も駆けつけてくれる予定だそうだ、色々面白い話を聞くといい」
「そうですね」
「どうした、そんなに合宿が憂鬱か、それとも俺との会話が憂鬱か」
「ああ、いえ、すいません。ここのところ試験勉強で寝不足だったので、外にいたら暑さで頭が回らなくなっちゃいました」
エトウは空を見上げる。ここのところぐずついていた空模様はどうやら落ち着いた様子で、今日もよく晴れており、薄く伸びた雲が青い空に浮いていた。エトウは額に汗が滲むのを感じながら、煙を吐いた。
「そうだな、もう夏で、もうすぐ夏休みだ」
蝉の声が一層大きく鳴り響いたように、シバタには感じられた。