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対話  作者: 白熊猫犬
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カトウとサワダ

 蝉の鳴き声が大学構内の中庭に響きわたる。わずか数日の命だとしてもそれはそれ、やはり五月蝿いことにはかわりなく、苛つくことにもかわりはない。

 中庭に設置されたベンチに座って蝉の合唱を聞き、いい加減蝉用の簡易防音装置なんぞの開発を誰かやらぬものかと夢想していたカトウの頭に影が落ちる。同学部で同回生のサワダであった。

「お前、午前の講義にいなかったろう」

「いや、大学には来ていた。来ていたがしかし、どうやら五分程早く講義が始まっていたようで、今さら扉を開けて教授の話の腰を折るのも憚られたので致し方なく扉の前から退散した」

「それはお前が五分遅かったんだ、それに後から入って一瞬でも注目を浴びるのが恥ずかしかったんだろ」

「その推論には明確な証拠はない、またそれを確かめられるときは既に去ってしまった。後は水掛け論になるばかりだ」

「遅刻か否かに関しては十分すぎるほどの証言を得られると思うけどね。まあいいや、どっちにしてもお前が単位から少し遠ざかったことにかわりはない」

「そうさ、過去のことを気にしても仕方がない」


 サワダが自動販売機から缶ジュースを二本買ってきて、カトウの隣に座る。カトウはそのうちの一本を受け取り、代金を支払う。カシュという音と共に、飛沫が舞って手にかかるのが気持ちいい。ぐいと一口飲むと炭酸が口の中で弾けて、その刺激と冷たさが心地よい。暑さの中で冷たさを感じることこそ幸福よ、とカトウは思った。

「いやあこれだけ暑いと動きたくもない」

「カトウは何でこんな日差しのきついところに座っていたんだ。図書館なり学食なり行けばいいだろう」

「図書館は静かにしていなければならないという制約が鬱陶しい、別に五月蝿くしようという気はないが、駄目と言われるとやりたくなるのが人の性だ。学食なんて、この時間は人がごった返していて暑苦しいばかりだろうから、どうせなら夏を満喫しようと中庭に来た」

「ふうん、まあ人も少ないしいいかもな。しかしこの暑さだけは耐えきれんぞ」

「あと蝉がひっきりなしに叫ぶもんだから、そろそろ場所を移動しようと思っていたところだ。サワダ、どうせならどこか店に行こう」

「そうだな、丁度次の抗議まで時間があってどうしようかと思っていたところだ。喫茶店にでも行ってのんびりしよう」


 冷房が効きすぎているかと思うほど冷えた店内には、主婦とおぼしき団体、営業職らしきスーツの男性、そしていかにも自堕落な大学生のカトウとサワダの姿があった。二人はミックスサンドを頼んで、しばらくはもりもりと食べていた。

「ところでサワダ、僕はついこの間先輩と飲んだんだがな」

「どの先輩だ。あ、まさか例のヤマダ先輩とかいう人か」

「まさか、エトウ先輩だよ」

「なんだエトウ先輩か。ならいい」

「うん、で、また不毛な会話をして終わったんだが、衝撃の事実を突きつけられた」

「なんだ、ナカムラさんとかいう人とのことか」

「ああ、いや……すまん、その人の名前は取り合えず出さないでくれ」

「なぜ泣く」

「なんでもよい。で、話を進めるとだな、その事実というのは、男とばかり遊んでいてもちっとも女と仲良くなれない、ということだ」

「はあ、まあ、そうだろうな」

「おい、反応が薄いぞ」

「いやそりゃそうだろう、エトウ先輩を見てごらんよ。むさ苦しい男の頂点にして中心人物だが、あの人の浮いた話なんてようやくナカムラさんのことくらいだろうに」

「だからナカムラさんのことはいい!……それで、僕もこのままでは先輩と同じ轍を踏むことになるだろうと予言された」

「ああ、それは何となくわかる。お前もいつかむさ苦しい世界の真ん中で陽気に踊っていそうな、そんな素質をそこはかとなく感じる」

「なんと、だったらもっと早くそれを教えてくれたら良かったものを」

「いやだって、楽しそうだし、お前もエトウ先輩も」

「楽しくなんてない、ちっとも楽しくはないぞサワダ。エトウ先輩は踊っているのではない、もがいているのだ。近付いてみたら、それがわかる。そしてそれを見るのは、とても辛い。恐らくはもう一生もてることのない不様な先輩のことを思うと、とても辛いんだ」

「何とも大袈裟に言うなあ。で、お前はそうなりたくないって訳だ」

「当たり前だ、お前、あの人になりたいか、あの人と同じになるぞと言われて受け入れられるか」

「そればっかりは御免蒙る」

「だろう、だろう。僕はあの日、がたがたと震えて眠ったよ」


 窓から射し込む陽光は、冷えきった店内ではありがたいほど暖かかった。隣のテーブルに座ったスーツの男性は、いつの間にかうとうとと船を漕いでいた。カトウとサワダの前にはカップが置かれ、黒い液体からは薄く湯気が立っていた。

「で、サワダに折り入って頼みがある」

「何だ、金は貸さんぞ」

「話の流れを読めよ。まあ、つまりだ、誰か女を二、三人、紹介してくれと、そういう話だ」

「やっぱりそうきたか。お断りする」

「なぜだ、なぜだサワダよ、どうしてそこまで僕を苛める。お前には彼女がいて幸せなのだから、少しくらいお裾分けしてくれたっていいだろう」

「お前に女を紹介して、俺はどうなる。その女に一生顔向けができんぞ」

「なんという言い種、お前はどこまで僕が嫌いなんだ」

「俺はお前を嫌いじゃないが、女がお前を嫌うだろうことは容易に想像がつくからな」

「ぐう、彼女のいる人間にこうも辛辣な言葉を言われるとは。屈辱なり」

「それにさあ、何も俺に頼まなくったって、カトウにだって女の知り合いくらいいるだろう。学部に女が何人いると思ってるんだ」

「サワダ、僕はな、柔らかくてふわふわした、思わず手を差しのべたくなるような、少しばかりおどおどして、けれど一本芯の通った、ふわりと柑橘系の香りのするような、決していやらしすぎず、ガードが固すぎず、恥じらいと穏やかさを持った、そんな女がいいんだ。そんな人が大学のどこにいるというんだ」

「呆れてものも言えんがあえて言おう。お前は馬鹿か。そんなもの世界中探したっていないだろうよ、もしいてもお前だけは好きにならないと思うぜ」


 カップの中の珈琲は苦いばかりで、砂糖とミルクを大量投入することで無理矢理飲み干した。えずく程甘ったるくて、カトウもサワダも水をぐいとやって大きく息を吐いた。店の外はすっかり曇天になり、にわかに雨が降りそうな気配だった。

「兎に角、女に慣れたいとか言うのならまずは学部の連中と仲良くしたらいい。そこから人を紹介してもらうなり、コンパを開いてもらうなり、好きにしたらいいだろう」

「ううむ、サワダという奴はすっかり色ぼけして男の友情を蔑ろにする非道な人間に成り下がったと、皆に伝えねば」

「お前という奴は、本当に呆れるばかりだ。ここは俺が持ってやるから、元気出せよ、な」

「うう、サワダよう、お前はいい奴だなあ。お前が女だったらこの場で口説くところだよ」

「お前が女だったらさぞかしもてないだろうな、男でももてないが」

「どうやったらもてるのか、その術を知らぬからなあ」

「俺も知らん」

「では知らぬ同士で、なぜこうも開きがあるのかなあ」

「お前は男むさい場所で踊ってばかりだからだろうなあ」


 店を出ると、生ぬるい風が吹き付けてきた。先程までの暑さは少し和らいでいたが、かわりにじどっとした湿気が肌をなめるようで気持ち悪かった。

「まいったな、一雨くるかもしれんぞ。講義が終わる頃に止めばいいんだが」

「ああ、いっそこのまま講義をさぼって帰ってしまおうか」

「そうしたらお前は今日まるまる休むことになるな」

「うん、もうそれでもいい気がするよ」

「気がするだけだからやめておけ。ほら、遅刻しないように急がねば」

「なんというか、サワダは真面目だなあ。大学生というのは往々にしてさぼるものではなかったのか」

「今日はこの後用事があるから帰るわけにもいかんしなあ」

「お、麻雀か、それとも飲み会か?だったら僕も馳せ参じよう」

「違う、全然違う。お前には言いたくない用事だ」

 カトウはがっくりと肩を落とし、「ああ、そうか、うん、頑張りたまえ」と小さく言った。サワダが何を言わんとするかはカトウに十分伝わって、サワダの気遣いも十分伝わって、どうにも空しくなった。

「お前はまったく、馬鹿でもてなくて面倒くさいとは、救いがたい人間だな」

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