カトウとエトウ
焼肉屋や焼き鳥屋から香るあの匂いはどうしても抗えないものを含んでいる。空腹であるならなおさらである。だからつい、と入店してしまう愚かな者たちは後を絶たない。
カトウとエトウもまた、その飲食業界による浅はかな戦略に引っ掛かり、網の上で上等かどうかわからぬ肉片をじうじうやっていた。
「カトウよ、ここには酒と肉があるな」
「まあそうですね、ありますあります」
「後は女の一つや二つあれば、申し分ないな」
「いいですなあ、できるだけ気立てが良くて初々しいのがいいですな」
「うむ、これで我等の意思は統一されたわけだ。女が居たら嬉しいという意思が」
「まあ別段確認することでもないでしょう。大抵の男は女を求めるもんです」
カトウが皿から次々と肉を掴んで網に放る。無造作に放るものだから焼き加減が無茶苦茶で、一枚の肉で焦げたところやら、まだ赤いところやらがまちまちである。しかしカトウもエトウも一向に気にしていない様子である。
「意思は統一されたとして、では次にあるべきものは実行だ、そう思わんかね」
「ええ、ええ、思いますとも。是非隣に女が居たらいい。で、誰かあてはあるんです?」
「だから、俺はお前にそれを頼もうとしてるのだよ、気付けよ。流れで気付け」
「なんだ、てっきり先輩が日々豪語している人脈とやらで僕に女の子を宛がってくれるとばかり思っちゃった」
「お前はまったくの馬鹿だな。俺の人脈はむさ苦しい男限定だ。多種多様なむさ苦しさを取り揃えているぞ、ぶくぶくに太ってむさ苦しい奴、筋肉自慢ばかりするむさ苦しい奴、生物の生態ばかり話すむさ苦しい奴、派手な髪色で棘のついたアクセサリをじゃらじゃら言わすむさ苦しい奴、他にも……」
「いや、いいですいいです、聞きたくもない。先輩だけでむさ苦しさはお腹一杯、目一杯ですがな」
ミノやらハツやらをぐぎぎと噛み千切りながらもぐもぐと食べるカトウ。それを化け物の捕食現場でも見るかのような目付きで麦酒を飲むエトウ。
「ぷあ、つまりだな、お前もちょっとは先輩に気を使って、女の知り合いを紹介するだとか、それとなく俺の良い評判を広めるだとか、そういうことをせんといかんと、そういう話だ」
「ふぁひいっへんだは、へんぱいこほぼふにだへかしょうはいしへくれたっへひいでひょう」
「口に物を入れながら喋るんじゃない、お前は動物の内蔵を食いながら目上の人間に文句を言う、二重にも三重にも駄目な奴だなあ」
「んぐ。後輩にそう何でもかんでも求めてどうするんですか、まず先輩がお手本を見せてくださいよ。求めれば与えよ、ですよ」
「違う、求めれば与えられん、だ。それじゃ意味が逆だろう」
麦酒のジョッキをがたんと置いて、たれをたっぷりつけた肉を食らう。二人ともライスや野菜は頼まず、焼酎や日本酒の類いも頼まず、ただひたすらに肉と麦酒だけで腹を満たしていた。
「それに、先輩にはあの人がいるじゃないですか、同じ研究室の」
「ナカムラさんのことか」
「そう、ナカムラさん。聞きましたよ、仲良さげにケーキ屋で一緒にケーキ選んでたそうじゃないですか。案外すみに置けませんなあ」
「あれは違う、二つの意味で違う。ナカムラさんとはただ研究室が同じなだけで特別な関係ではないし、ケーキを選んでいたのだって研究室の奴の誕生日を祝うためだ」
「またまた、そんなこと言って。今が特別じゃないからって、将来もそうだとは限りませんからな。まったく忌々しい。ああ忌々しい」
「勝手に妄想して勝手に拗ねるとは、流石女に縁がない奴はひと味違う」
「おうおう、女に縁のある人間は言うことが違うや。先輩、気い付けた方がいいですよ、きっとナカムラさんとの出逢いは先輩の女運全部使い果たして成されたことですからな、ここを逃すともう後はないですぜ」
「おまけに絡んでくるとは、お前はとことん酷い人間だ。お前だって女の知り合いの一人や二人いるだろうに」
「そりゃあいますよ、ああいますとも。大学生のおよそ半分は女ですからね。でもね先輩、僕はこう、柔らかくてふわふわした、思わず手を差しのべたくなるような、少しばかりおどおどして、けれど一本芯の通った、ふわりと柑橘系の香りのするような、決していやらしすぎず、ガードが固すぎず、恥じらいと穏やかさを持った、そんな女がいいんです。そんな人が一体どこにいるってんですか」
「お前は馬鹿でもてないのに理想ばかり高いなあ。だから馬鹿でもてないのだ」
「おっと、流石おもてになる方は言うことが違いますなあ、ちっ」
「俺とお前の違いはな、カトウ、馬鹿であるかそうでないかだけだ。俺も悲しいことにもてないし、やっぱり女の理想は高い。だが馬鹿ではないからそこんところ履き違えてもらっては困る。お前は馬鹿で、俺は違う」
焼肉屋、エントランス横に備え付けられた灰皿の前でエトウは煙草をふかす。カトウは煙草は吸わなかったから、壁にもたれながら会計時に貰った飴玉を口の中でころころさせていた。
「カトウ、残念ながら今夜は特に女と仲睦まじく過ごすことは叶わなかったな」
「ああ気持ち悪い」
「お前は相変わらず飲むと口が悪くなるし気持ちが悪くなるしだな。飲み方が悪いんじゃないか」
「先輩が女を独り占めするのが何より悪い」
「ナカムラさんのことはもう言うな。あれだぞ、万が一こんな話題がナカムラさんの耳に入って、セクハラーとか言われたらたまらんぞ。冤罪なのに」
「本当に何でもないんですか、ナカムラさんとは」
「うむ、認めるのはとても残念でならないが、まったく、一切、何にもない」
「ああ、そりゃ良かった。ひと安心」
「安心してはいかんぞカトウ。俺は実のところ心配しているんだ。お前、女の知り合いはいても、仲の良い女はいないだろう」
「まあ仲がいいかと聞かれたら自信を持ってノーと言えますな」
「うん、それで、男で仲のいい奴はいるだろう」
「まあそうですな、何だかんだと集まって飲んだり騒いだり愚痴をこぼしあったりできる友人はいますわな」
「そう、それだ。男ばかりとくだを巻いているとだな、恐ろしいことに、いつまで経っても女と親密になれんのだ。どうだ、何より恐ろしいことだろう」
「それはもう殆ど世界の終わりと同義ですね。でもご心配なく。僕だってちょっと頑張れば」
「いいや、断言しよう。お前はこのままではろくに女と仲良くもならずそのままいつまでも男むさい場所で女が欲しい、女が欲しいと亡者のように嘆くばかりになる」
「その根拠は」
「うん、何せ、俺がまさにそんな状態だからな。だからカトウ、忠告しておこう。このままではお前は俺の歩いてきた道をそのままなぞるはめになるぞ。お前の二年後の姿が、まさに俺だ」
「なんと。先輩のようになってしまうくらいならいっそ死んだ方がましですな」
「だったら死ぬ気で頑張りたまえ。俺の人生は悲惨だぞ。偶々同じ研究室に配属された女とだな、一緒にケーキを買いにいくと決まっただけで、前日緊張して眠れなくなるくらい悲惨だぞ。当日浮かれて似合わぬ気障な真似をしようとして引かれ、それから話すときに毎回怯えた目を向けられるくらい悲惨だぞ」
「はい、先輩、ありがとうございます。これからは心を入れ換えて女性と接していきたいと思います」
カトウはしゃんと立ってエトウに向かい敬礼していた。エトウは寂しそうに煙を吐き出すと、「ああ、彼女が欲しい」と消え入りそうな声で言った。カトウは涙を禁じ得なかった。