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ついのべ集@しおなか

紙魚 #twnovel 101-200

作者: しおなか

【101】

 家を出た瞬間、道端の犬から塀の上の猫からわんわんにゃーにゃー吠えつかれ、仕事終わりに会社を出ると、頭上のカラスから畦道のヒキガエルからかーかーぐこぐこ鳴きつかれる。帰宅して、スーツを脱いで、テレビを点けて、今日の喧騒にふと納得する。ハッピーバースデイ。


  *


【102】

 むらさき帽子の子どもたちが、すずなりに乗ったみどりのバスに、添乗しているお姉さんは、泣きながら、このブドウは終点巨人の口まで快速ライナー、とアナウンス。


  *


【103】

 五十年来文通を続けていた二人のうち一人が、たわむれに彼らの交わしてきた手紙の数々を他人に見せてみたところ、たちまち評判が広まり、文学賞、富、名声と、あらゆるものが手に入ったが、唯一の相手との友情は永遠に失われた。


  *


【104】

 木こりは手を滑らせ、大事な仕事道具を湖に落としてしまったが、やおら水面が発光し、気づくと水面にこの世ならざる美貌の女が佇んでいた。「あなたが落としたのは金の斧か、銀の斧か、正直に答えなさい」。正直に言うと、おれの斧はあなたの脳天に突き刺さっている錆びたそれだ。


  *


【105】

 口づけたところに切れ目が入って目が開く。見つめたところから鼻がせりあがってくる。かすかに漂う芳香の出所を探していると、天井に貼り付いている薄く開いた唇から流れてくると気がつく。一度はこの部屋で寝てみたいけれど、まばたきと呼吸と妖しい匂いの気配が眠りの邪魔をする。


  *


【106】

 中州に祀られている丸い石を手で磨くと、川の流れが逆流します。石は昔、男の目玉でした。男がまばたくたびに川の流れがひっくり返るので、時の帝が命じて男の目玉を取り去ってしまったのです。以後長い時間が過ぎて、目玉は化石に、まぶたは生きた誰かの手のひらになりました。


  *


【107】

 五匹のカブトムシを補虫籠に入れたヒーローに対抗するべく、帰宅してすぐ親に頼んで森にコンクリートを敷きつめて次の日の友達に言う、おれなんてひゃくおくまんびきの虫を捕まえてんだぜえ。


  *


【108】

 蛍を見つけちゃ捕まえて、提灯に溜めこんでいると、秋口には底から黒い汁が垂れてくるので、それをば筆にとりまして、ふるった一筆がこちらでござい。夜には淡く光るのですよ。


  *


【109】

 奴は異性によく好かれる。今日も背中に五本も六本も蜘蛛の糸をつけられている。糸のうち一本は暗く不潔な側溝から伸びている。


  *


【110】

 安心を盗まれた女が、必死の形相で風に舞うポリ袋を追いかけている。


  *


【111】

 調査団は古代の遺跡、荒野の横穴に至った。先遣隊五名に縄を巻きつけ慎重に進むよういい含める。五人の姿と足音が遠ざかり、縄だけが洞窟の暗がりに吸い込まれていく。順調な滑り出しかに思えたそれは、三日間続いた。一度も止まらずに。


  *


【112】

 家に帰れないのはとてもつらいことだ。身体を休める場所がない。どこへ行ってもよそ者だ。どこにもなじむことができない。おれには帰れないつらさがわからない。だが、あんたのその顔を見るとつらいと感じる心はあるよ。だからおれはあんたを家に帰してやるんだ。


  *


【113】

 冬山で吹雪かれて、山小屋に籠城をしていると、同じく待避を余儀なくされた男がもう一人、摺り足でストーブの傍に寄ってきた。持て余した時間を男の身の上話で埋める。やがて話は佳境に差し掛かり、義理の母親と異国の娼館で遭ってしまった、と聞いたところで、雲間に陽が射した。


  *


【114】

 辺境のひなびた村では、子どもの将来は、茎が細く頭の大きいアジサイで決められる。子どもがアジサイの首をもぐと戦士として育てられる。優しく支えると獄吏として育てられる。何もせず、アジサイをただ眺めている子どもは、大人に優しく両脇を取られ、裏庭に連れて行かれる。


  *


【115】

 五年後には革命家になる彼も、いまは夕方のスーパーで、値引きの札が貼られるときを、主婦に混じって、おとなしく待っている。


  *


【116】

 はめつしろ。いなくなれ。しんでくれ。わざわいあれ。心によぎる一瞬の魔を、流れ星は見逃さない。


  *


【117】

 トランペットと紙吹雪と春風とはだかの天使と大きな鐘さえあれば、いつでも幸せの生まれる瞬間を祝福できる。そう信じて、トランペットと紙吹雪と春風とはだかの天使と大きな鐘をまるごと抱え込んで以後、幸せの祝福は、彼が知覚する半径に占有された。そろそろ商売もできるだろう。


  *


【118】

 憎きあいつを獣に変えて、あいつの恋人の元に連れて行く。行方知れずの男を探す恋人に、お前の男はこれだと言うが、言ってる意味が分からないと返され、病院の世話までされた。酷い恋人だな、と獣に言うが、所詮獣なので言葉も理解できず、暢気に後ろ足で耳をぽりぽり掻くばかり。


  *


【119】

 恋人が神さまに奪われてしまったのと、恋人がわたしを捨てて異国に旅立ってしまったのと、恋人が知らぬ間に犬に変じてどこかの路地で雌犬にまたがって本能のまま腰を振っているのと、真実はどれともわからないが、たしかなことは、恋人がいま、わたしのもとにいないということ。


  *


【120】

 ――そこで目が覚めた。わたしはどっどっ、と脈打つ鼓動にしばし茫然とし、自分が人間を辞めていないことに酷く安心した。傍らに愛しい夫が、娘が眠っているのに、悩み事なんてないのに、こんな夢を見る自分はどうかしている。そう思ってもう一度寝た。夢はもう見ないだろう。


  *


【121】

 爬虫類と知り合いになった。自分の体形に自信がない私だけど、相手にすると人類の美醜は無意味。せっかくなので、「じつは私は絶世の美女なのです」「美女って何だい」「えっとそのう異性にモテるのです」「生殖の引く手あまたってこと? 何個卵産んだの?」なんか違う……。


  *


【122】

 馥郁たる薔薇の香り。膝の下に敷かれた草の絨毯。頭上を煌めきで覆う木漏れ日。目を閉じれば、胸を掻き毟りたくなるほど恋しい追憶の奥底に、あなたの面差しがよみがえる。もう戻らない。あばら屋の中、吹き込む寒風に膝を抱えて、しわがれた魔法で古い手紙に火を点ける。


  *


【123】

 恋人が世界の敵になり、世界中の誰もから憎まれ、追われるようになったので、男は恋人を守るため立ちふさがる者を全て打ち倒してきた。終わりなき孤独な戦いは男を苦しめたが、戦いの果てに、やがては二人だけの世界が訪れると気づいて以後、男は血濡れの日々が幸せでたまらない。


  *


【124】

 飛び降りるまでは大丈夫だと思っていた。崖の下は穏やかな川瀬だと知っていたから。ただ、宙に背中から倒れ込むときに見えたあなたの表情。真っ暗な瞳の色。足が地を離れるまでは一瞬だったが、崖の上まで再び這い戻ったときにはあなたが失われていると直感するには、長すぎた。


  *


【125】

 狭い村では噂が回るのも早かった、あいつが結婚すると聞いた、あ、と思った、喉の裏側を締め付けるような焦燥が、後ろめたい諦めが、足元から這い上がってきて、あ、と思った、あのときは、あのころは、あんなに近くにいたのに。もう手は届かない。永遠に。


  *


【126】

 マンホールといえば一つ上の階層に出るための手段だが、かつては違ったらしい。味気ない鉄蓋の上には必ず空とかいうものがあり、しかし空は相当な昔にことごとく溶けた鉛で封されたのだという。おれたちは閉じこめられているのかもしれないし、何かから守られているのかもしれない。


  *


【127】

 ネガフイルムに囲まれて一日を過ごす。ポジフイルムに囲まれて一日を過ごす。そうしてネガポジを交互に見つめて育ったあの子は、白髪でお歯黒で深海魚が吸い込んだ泥の色みたいな顔色の人の、本当の美しさを、青く輝くこの星の、本当の醜さを、見つけることができる。


  *


【128】

 その男は、昔から風景を見るのが好きで、また、時間の無駄をするのが我慢ならなかったので、男の母親が亡くなったのを契機に、周りが止めるのも聞かず、自分の体を上下左右に回転する機械の椅子に縛り付け、衛星軌道に射出した。以後一秒の休みもなく、男は世界を監視している。


  *


【129】

 二十年かけて磨いた剣の腕をひっさげて、たどり着いた剣豪の庵で、寝床に横たわり、宙に指をさまよわせる痩せさらばえた老人と、老人の指文字を一心に追う幼い少年を見つけた。


  *


【130】

 暗黒の国へゆくには、たった一つ以外の全てを捨てて、残されたたった一つを、切符代わりに左手に結んでおけばいい。そう私に教えてくれた男は死んだ。空隙から伸びた無数の触手が彼の左腕を引きちぎっていったから。あのとき彼が見せたからっぽの顔を、私は生涯忘れられない。


  *


【131】

 駅の停車時間は十一分間。先ず其れを三ツに割きます。最後の一つは包丁のお届けに遣います。最初の一つを又四ツに割きます。すると残りの停車時間は五ツに成るので、電車を降りて、あの人を捜して、あの人を見つけて、あの人に近づいて、あの人に笑いかける。これでドンピシャです。


  *


【132】

 背後から迫る昼夜境界線の縁を、おんぼろローバーでひた駆ける。ターミネータ。地形が最も長い影を引くところ。まだ人がシップを持たなかった時代、地上から惑星起伏を観測できた唯一の方法。だから見ているはずなんだ。野蛮人の遠眼鏡でも何でもいい。俺を見つけてくれさえすれば。


  *


【133】

 強風が吹き荒れている、目も眩むほどに高い崖の突端から、下界を見下ろしていた女のすぐ隣に、天から縄梯子がおりてくる。


  *


【134】

 先見婆から占星された。私が死すべき運命を手にするときは、まばたきをしたいつか、だそうだ。占いを聞いた母は喜んで寝室から針と糸を取ってきた。針に糸を通して、私の頭をなでながら言う。先見婆の占いはよく当たる。目さえ閉じなければあなたは無敵の戦士になるに違いない、と。


  *


【135】

 冒険の朝は羊皮紙を広げるところから始まる。まず親指を噛んで、祖父の航路を羊皮紙に転写する。作った血図で紙飛行機を折る。嵐の日に崖から投げる。スイスイ飛んで雷に打たれる。焼け落ちて、灰が散って、虹が生まれて、それを左足から渡って、遠い異国へ、祖父の骨を探しに行く。


  *


【136】

 人間がことごとく死に絶えて季節が一巡した夏。イギリス風の綺麗なガーデンで安穏としていたクリスマスローズは、生家を後にし、敷地の鉄柵を乗り越えることをついに決意した。縄張りを侵犯するペンペン草を追い返し、コンクリートジャングルの荒野に打って出る。そのときは、いま。


  *


【137】

 弟は手紙を出す。弟は宛名を書く。弟はメモから住所を読み取る。弟は随分昔に家を出た姉のメモを見つける。弟は部屋を掃除する。弟は誰もいない家を出ると決める。長い時間。姉は家を出る。姉は娘の住所をメモに書く。姉は同年の娘が異国で働く姿を見る。姉はテレビを見る。ある日。


  *


【138】

 届かない手紙の数だけ、お元気ですか、いま何をしていますか、の、暖かな問いかけが、行くあてもなく滞留する。還元されない幸せをもカウントする世界は、律儀に幸不幸のバランスを取ろうとするので、現実は、少しずつ不幸の重みが増してゆく。


  *


【139】

 宇宙からは、花火は見えない、音も聞こえない。飛行機の窓からは、花火は妖精の小さな火の魔法に見える、音は聞こえない。祭の出店の軒先からは、花火は視界全部に大きく見える、爆裂四散の轟音が胸を震わせる。でも君が隣にいると、花火は見えなくなるし、音も聞こえなくなるよ。


  *


【140】

 飛行機に乗って、うたた寝から目覚めたら、時が止まっていた。窓の外を見る。飛行機は入道雲の隙間を航空していたようだ。乗客は驚愕の表情のまま凍りついている。その瞬間に何が起きたかを語る者はいない。通路に出る。エンジン音は聞こえない。耳鳴りだけがある。あれから何日?


  *


【141】

 我が家の猫は縁側の戸を勝手に開け敷地の内外を出入りする、という、これはマア良かったのだが、いつ頃からか、律儀に戸を閉めはじめたものだから、そろそろ化けたり尾が二股に分かれたりするのではなかろうかと、夜も眠れぬほど気もそぞろである。


  *


【142】

 ロボット野球協会は超人性を排除する方向で決議した。AIの思考手段を画像・音声認識に制限すること、サインのパターンをキロバイト以下で主記憶に保存すること、等の是非を議論した。その結果、成果物はスポーツではなく、よくできたシミュレーションになった。人々は首を傾げた。


  *


【143】

 殺虫剤を振りかけて、死んだら虫、生きてたら虫以外。殺宇宙人バットを振り回して、死んだら宇宙人、生きてたら宇宙人以外。さあ見つけてやる!


  *


【144】

 記憶と現実を比較するのが昨今の流行だ。ほら、あの女を見ろ。まず現実の旦那に抱きしめてもらう。次に旦那の腕をふりほどいて、頭に電極をかぶって感覚をジャックする。どっちが良かったかなんて、あの顔で一目瞭然だろ。


  *


【145】

 お姫様が庭いじりをしていて、草むらに突っ込んだ右手を引っこ抜くと、醜い悪魔の手になっていました。困ったお姫様は、先祖の墓陵までお出かけして、お墓を散々に打ち壊し、封じられていた魔王を解き放ちました。父王様には、魔王を征伐する力を授かったと言って右手を見せました。


  *


【146】

 白風が獣の温かい血肉を巻き取って、後には氷の骨だけが残された。獣が冷たい石を眼窩からポロポロ零していると、通りがかりの魔法使いが、雲に向かってちょいちょいと指を振り、雨露で毛皮を作り、獣にどうぞとさしあげる。獣は新しい毛皮を被って喜び跳ねる。氷骨が軋んで融けた。


  *


【147】

 もうだめだ、と己を見限りそうなときは必ず、おまえならできる、と自らを奮い立たせてきたのに、またある日、一つの限界を迎えて、おまえならできる、と独りごちた瞬間、もうムリだできるわけないだろ、と絶望の悲鳴で突きとばされて、その日からおれとおまえは分かたれてしまった。


  *


【148】

 少年は、天使を眼帯の中に閉じこめて、見えない眼差しで鑑賞している。


  *


【149】

 折り畳みベッドをトラ挟みに仕立てて五日、闇夜をつんざく悲鳴で目が覚めた。ベッドに潰されてもがく巨大な生物を角灯で照らす。足が四本手が二本、羽が六枚顔三つ。馬に似た獣。朝になったら首に縄を掛けて換金しに行こう。同じ手法でやられた姉を取り返すための資金にしなければ。


  *


【150】

 少年の時分、夕暮れ時の村外れの草原で、物凄い速さで脇を掠めていった何かに、感情と欲望を奪われた。それから十年、少年だった男は、いまもなお、河が低いところを目指す静かさで、少しずつ、少しずつ、あの日の何かを虚ろなまなこで追いかけている。


  *


【151】

 生まれたときからずっと四肢と臓器と五感とシナプスを細心の注意でもって操縦してきた彼女は、他のドライバーが無事故で寿命を迎えているという事実に戦慄を隠せない。


  *


【152】

 魔界中央交通地獄行のバスは、外見からしてそも紫の血管が這う巨大芋虫で、停車時に発するのは怪音波で、乗降口はびっしり歯が並んだ口蓋だ。飛び込むように乗車した背後で歯と歯の格子が勢いよく閉まる。車内灯は真っ赤。蠢動する足下ではブーツがとろかされている。行先は近い。


  *


【153】

 魔界中央交通魔王城行のバスに乗ると、くねくねの悪路強行をされた挙げ句、人外魔境にあって不自然なほど長閑な田舎村にぽいと降車させられた。運転手によるといま村の魔物娘がちんぴらに襲われているところなので、先ずそれを助ける。あとは成り行きに任せれば魔王城はすぐらしい。


  *


【154】

 全人類が視たビジョンにより託宣を受けて、男は連日連夜流れ星をセンター方向に打ち返すための素振りに明け暮れた。ついに訪れた終末の日、男は見事なセンター返しを決めたが、髪と服と汗と涙を迫りくる星の衝撃波に剥ぎ取られて波打ち際に倒れた彼を、誰も探しにこない。


  *


【155】

 小生こと直径七メイトルの岩塊は二千万年もすると地球とやらに突っ込み流星になるけれどそれまでは孤独な旅をすることやむなしであり寂しさたまらぬので到着前マルコンママルナナ時刻まで寝ることに致すゆえ就寝失礼……お早うアッ何か聞こえた気がしたが小生もう死んでいるので。


  *


【156】

 最後尾の車両で、少女が花束を乗客に分け与えている。電車の行先は墓地。隣の車両からは巨大な何かがのたうつ振動と、断末魔の悲鳴が漏れてくる。墓地に向かうのは死者だけではないはずだ、この花さえあれば、と少女は主張する。あの何かにそんな知性があるかな、と乗客たちは思う。


  *


【157】

 言葉の力を信仰し、言葉を惜しむ魔法使いは、生誕の瞬間も声をあげない。魔法使いの本能がそうさせる。唯一彼らが口を利くのは魔物と契約を結ぶときだ。籠もりに溜まり、出すに惜しんだ声を代価に差し出して、購った魔物の知恵で、人の世に交わるための方法に孤独な思索を巡らせる。


  *


【158】

 駅に電車が着くやいなや終点ぇーん、と叫んで、降車する客を谷底に突き落としていく仕事はどうです、と太った猫みたいな男から打診される。


  *


【159】

 あの子にあげよと盗んだ首飾り、畜生まで転がり堕ちるのにたった一日、日々は脱兎走狗、のちにけだもの以下に成り下がるまでまた一月。それから三十と七年かけて、足と首飾りの不浄を落とし、すっかり老け込み面影も残らない体を引きずって、おばさんになったあの子に会いにゆく。


  *


【160】

 空気三十センチは間接キスに含まれる、と信じたおかげで、少年の日々の幸せは倍になり、不幸は倍々山盛りてんこ盛り。


  *


【161】

 次に太陽が姿を見せたとき、集落は酸の海に沈んでしまうので、民たちは斧を手に取り、氷が厚くなる夜を待って、極に近く十分寒い土地を目指して氷の上を慎重に這い進んだ。夜明け前、新天地の柵を目前にしたとき、うんと背後から地割れの音が聞こえてきて、民たちは斧を握りなおす。


  *


【162】

 最近飼い猫がぶくぶく太ってきたので、これはもしや、と夜中に見張っていると、案の定、窓から変な男が侵入してきて、案の定、男は飼い猫の腹の毛をかきわけて、空気入れで猫をぷうぷう膨らませていた。


  *


【163】

 最も尊い聖女のために皆があらゆる物を捧げた。騎士は自らの腕を、占師は先視の瞳を、病の母を持つ娘は献身の心を、狩人はよく利く鼻を、若者は花のかんばせを、戦士は屈強な体躯を、なげうった。聖女は奇跡の技で供物を隙間なく縫い合わせ、口付けで命を吹き込み、独り逃げ去った。


  *


【164】

 夜半から降り出した雨は強まる一方で、時間雨量が五〇〇ミリを越えた辺りで、まず周囲の舗装路に流れついた鮭が雲への遡上を始め、さらに雨が強まると藪の奥の大蛇が龍に成らんと天に駆け上がり、やがて前後も音も全てが雨に叩き潰された頃、地上に人間だけが置き去りにされている。


  *


【165】

 女の子はコーヒーを飲もうとお湯を沸かしますが、沸騰を待つ間にコーヒーのことを忘れてしまい、次にコーヒーを飲みたくなるまでお湯はそのままです。女の子は生きていますが、生きている間に心臓のことを忘れてしまい、次に生きていることを思い出すまで死んだように暮らします。


  *


【166】

 恋人たちが互いしか目に入らない真剣さで見つめ合うので、ふたりの体を堅く鎧った防護服とガスマスクだって透けだして、そのうち下着も皮膚も血も肉も骨も透けはじめ、恋人たちは、最後に残ったふたりの心だけを、目のない体で、ただ熱烈に見つめ合う。


  *


【167】

 竜を殺して皮と鱗を剥いで身に纏い、翼に腕を通して、何食わぬ顔で彼らの巣まで羽ばたいて、こっそり卵と雛を盗んで里まで往復するなどしていたら、ある頃から、竜の皮と鱗が身体に貼り付いたまま脱げなくなって、いつかの自分みたいな眼つきの男に、投擲槍で撃墜された、たった今。


  *


【168】

 今に伝承される魔法と呼ばれるものはほとんどがまがいものだが、万に一つくらいは太古の本物の魔法が紛れ込んでいて、うっかり手にした者がいると、魔法は彼ないし彼女に干渉して同胞を探すためにさまよい歩かせるが、人の肉体では魔法を関知できないので、孤独な彷徨は終らない。


  *


【169】

 迷子にならぬようにと互いの胴に縄を結んで荒野を渡っていた幼い姉弟が、疲れ果てて大地に座り込み、はかばかしからぬ道程と足の痛みを嘆いて、来た道を振り返ると、いつ現れたのか、疲れた顔の魔物が五、六匹ばかり、同じく胴に縄を括って弟の後ろに連なっている。


  *


【170】

 あそこに落ちてる手袋と靴とヘルメットには、中身がちゃんと入ってる。


  *


【171】

 密告者が、さも重大だと言わんばかりの口ぶりで、おれは密告をしたんだぜ、と袖を引いて囁いてくるので、言われた処刑人は、ではわたしは、と断って、うやうやしい手つきで密告者に黒頭巾を被せて斧を振り落とす。


  *


【172】

 金色の鳥かごに囚われたきれいな娘が、かぼそい声で、ここからたすけてください、と嘆いている。鳥かごのてっぺんに座した痩せた猿は、牢の周囲に横たわる死屍累々の戦士たちを、満足げに眺めている。


  *


【173】

 彼が知るかぎり世界は白い靄に満ちており、かつての彼は靄の海に座す孤島で一人暮らしていたが、ある出来心の日、彼は靄のまたどこかに孤島と人が浮かんでいると直感してしまったので、遙かなる目的地を片道と決め、戦いの相手に孤独ではなく寿命を定め、靄の海に地面を敷き始めた。


  *


【174】

 悪魔の常套手段で、彼らは悪魔の子どもを天使に向けて無造作に投げつける。いきなり天敵の前に放り出された子どもはピャーピャー泣きだして、不慣れな天使が思わず慰めるなりすると、悪魔はそれを堕天させることができる。ただし、大抵の場合において、天使は笑顔のまま弓を引く。


  *


【175】

 黄金の雨が降っていた。まばたきのうちにそれは柔らかく頬に降りかかる銀杏の葉に化け、またまばたきのうちに身をさらう砂の雨へと変じた。雨はじきに止む。わたしは雨後の荒れた砂地に立ち尽くしている。わたしはわたしがまばたきのうちに何になってしまったのかを考えている。


  *


【176】

 真夜中に、赤い薔薇の庭園で、大好きな人と一緒にダンスを踊りたい。風はとても強くて、私たちの髪の毛はくるくる回る。踏み荒らされ散らされた花弁もくるくる舞い踊る。明日も昨日もない。踊り終わった頃には、二人は重なり合う骨になっていて、薔薇の海が優しく埋葬してくれる。


  *


【177】

 手に手をつないで柵を作って囲い込む。囲まれた者を眷属にすることができる。二人で両手をつないで作った柵を、ぐるんと回ってひっくりかーえり、と背中合わせにした瞬間、世界が姿を変える。


  *


【178】

 その男はエスパーだったので、オムライスの卵にナイフを入れようとしたとき、中に髪の毛が詰まっていることが分かってしまった。


  *


【179】

 過去と未来とを両手につかんだ、と思った次の瞬間には、乖離する刻に体を真っ二つに割かれていた。


  *


【180】

 どんなに密室にしても就寝前に探し回って潰しても、朝起きると縞模様の長細い脚の蜘蛛が床を這っているので、またそれを潰して次は玄関の郵便受けを塞いで、翌朝にまた蜘蛛を見て、潰して、風呂の栓を塞いで、また蜘蛛が出て、そろそろ俺の窒息死が早いか、こいつの根絶が早いか。


  *


【181】

 確かに遠目に見た姫君は美しく、寝台に横たわるお姿は顔色も悪く、一年間昏々と眠り続けて王子の目覚めのキスを待っているのです、と言われてその気にもなったが、いざ近づくと、姫君は薄目を開け瞼の隙間から私を凝視しているし、周りの王や大臣もうそ寒い笑顔で私たちを見ている。


  *


【182】

 果ては延べ数千キロもあるという複雑怪奇に絡み合ったダクトから物凄い音がして、久方のお客様が滑り出て来なすったが、今度のお方も常と同じで、ぎゅっと瞑った瞼をこわごわ開き、ちょっとの間の後、瞳に期待はずれの絶望を閃かせ、すぐさま別のダクトへと、再び身を投げなさる。


  *


【183】

 わたしはあなたを愛しています、本当です、本当です、本当です、本当です、本当、本当に、本当に、本当に!


  *


【184】

 晴天の真夏日にこうもり傘を持って駅で恋人を待っている。湿った死者の風。入道雲がわきあがる。鋼鉄の音を引きずって電車がホームに到着する。ドアが開いて恋人が降りてくる。さあ、帰ろうか。手をつないで、寄り添って、あいあい傘。ほかに誰もいなくても、死の雨が降っても平気。


  *


【185】

 夜ごと交尾を繰り返すぬばたまの黒髪のせいでこの部屋はいつでも生まれたての抜け毛が散らばっているし、最近は塵芥までも色気づいてきたらしく、目を離した隙にふくふくと太った埃の赤子も産み落とされている。


  *


【186】

 男は森の魔女に恋をして、魔女を森の外へといざないましたが、魔女は長い暗がりの生活ですっかり闇に染まっていたので、男に手を引かれて森の優しい影から一歩出た途端、麗しい姿は見る影もないただの髑髏に成り果てましたが、あら、と呟いた髑髏に男は微笑んで、喋れるならいいよ。


  *


【187】

 気まぐれに父親が夜語りする、砂の惑星をさまよう旅人と犬の話。旅人は砂に沈んだ故郷を探しているが、人の身では適わず、付き従う犬の鼻と本能が手がかりの全てなのだ。私がこの話に惹かれるのは、主人の安息のため犬が嘘を告げた地はここだと密かに思っているからかもしれない。


  *


【188】

 犬派? 猫派? と訊かれて、答える寸前に、それとも牛派? 豚派? 鶏派? 魚派? あたし? あの女? と数々の缶詰を手に迫られる。


  *


【189】

 右手に卵を握って生まれてくる。五歳で首輪をもらう。十歳で最初の餌となる宝石を暖めておくようにと渡される。十五歳になる夜まで肌身離さず、感応する卵に語りかけてきた。夢にまで見た孵化の日。割れた殻の隙間から薄汚い灰色の毛が見えた、と思った瞬間、獣は息絶えていた。


  *


【190】

 信用がありすぎたのか、なさすぎたのか、あの人は、たった一度の過ちを、決して許してはくれない。


  *


【191】

 同じ大枚をはたくにしろ、終末世界では、殺し屋に頼んで百人の息の根を止めるより、百枚余分に方舟のチケットを買った方が胸がすく。


  *


【192】

 自らの愚かさを虚飾し、さも有り難いもののように見せてかけて売りつけて、得々としている商人は、やがて残された賢さだけを身の奥に醸成し、いつかは一個の商品として完成された己さえも売り払うが、かつてさんざん釣り上げた売値のために、それは愚かさと同じ値段にしかならない。


  *


【193】

 貴方がそばにいないと俺は本当に駄目なんだ、いけないんだ。俺は貴方が失われることがあまりに恐ろしかったので、反転の魔法を使ったよ。貴方がそばにいなくても平気になった。代わりに、貴方がそばにいると本当に駄目になった。今のほうがよほど恋をしている気がするが、なぜかな。


  *


【194】

 女は、町の若い男から文字を教授されてすぐ、湖に撃ち落とされた鳩の胸が飲み込んだ婚約指輪に刻まれたメッセージをもう一度探しはじめて、少なくとも湖の底を浚っている間は、二十年も昔に敗れた恋に対して、まだかすかな希望をよみがえらせることができる。


  *


【195】

 少女は、ここはお菓子の国です、と主張するが、控えめに見ても、蟻の国である。


  *


【196】

 わたしたち、自分の足場を固めることだけに専心しすぎて、だからこそお互いの隙間がいつまでも埋められないのかもしれないわね、と両綴じのファスナーの片方が言う。


  *


【197】

 招待状は火花だった。膝の高さでぱちぱち、おいでよと誘うので、暗い夜道でもついていった。道中、薄透明の人影や忘れられたかかしや小さい頃の自分も加わって、もの寂しい行進はなお続いた。そのうち、気づいた。これは導火線なんだ。行き場のないものたちを天に打ち上げるための。


  *


【198】

 女は、眠っている間にわたしは交換されてしまったの、と嘆いているが、ではおまえは誰だ。


  *


【199】

 夜の魔法を手に入れた男は、引き替えに昼を失ってしまったが、その真実が、戦場で自分の影を失くした男に哀れみを憶えた一匹の鼠がなした業だとは、ついぞ気づかぬままだった。


  *


【200】

 来し方は灰燼に帰し、進むべき道は霧が垂れています。国境線が逃げる二人を迎えました。お嬢さんは従者に問います。此処を越えたらどうなるの。従者は答えます。これよりは悪徳の国、力あるものがなきものを従える国です。お嬢さんは従者の手を取り、その後の行方は誰も知りません。

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