五話
「北陸で軍神上杉謙信と戦うはずが、なぜか大和へ。人生とは、色々とままならないものだな」
「文句なら、秀吉様に言えよ」
「文句なんて無いですよ。軍神と乱世の梟雄なら、後者の方が楽だし」
「同じ手柄なら、楽な方がいいか……」
「安治さんも、わかっているじゃないか」
天正四年(1576年)、越後の上杉謙信と対峙している織田家北陸方面軍軍団長・柴田勝家への救援を信長に命じられた秀吉であったが、彼は作戦をめぐって勝家と仲たがいをして、無断で帰還してしまった。
当然、彼の命令で出陣していたシンイチ達も、彼と一緒に帰還する事となる。
あの信長の命令に逆らっての勝手な長浜への帰還に、家臣達は自分の殿様の命を半ば諦めていたが、そんな中においても秀吉は謹慎するどころか、逆に城内で毎日飲めや歌えやの大騒ぎをして周囲の者達を呆れさせていた。
ところが、これら一連の行動は、全て秀吉の作戦の内であった。
既に北陸の軍団長となっている柴田勝家の救援で貴重な兵を潰して手柄を立ててもそれは骨折りであり、彼はわざと勝家と対立して陣を退いていたのだ。
それと、長浜に戻ってからのドンちゃん騒ぎは、最近では相次ぐ家臣達の裏切りによって猜疑心が強くなっている信長を逆に安心させるためでもあった。
更に、秀吉は現在担当者がいない中国方面司令官の椅子を欲しており。
合理主義者の信長ならば、ここで秀吉を粛清して新しい軍団を再編成する時間を食うよりも、現地で使い潰した方がマシであると考えてこのような行動を取っていたようであった。
ただ、それは歴史書の推論であり、シンイチも真実まではわからなかったのであったが。
結局、思惑通りに信長から赦された秀吉であったが、すぐに念願の中国方面への出兵とはならなかった。
なぜなら、軍神謙信と呼応するかのように大和の松永秀久が三度目の挙兵を行い、居城である信貴山城へと立て篭もったからであった。
そんなわけで、シンイチは且元と安治を連れて信貴山城を視界に入れていた。
「見事な堅城だな」
「それよりも、攻めに入るそうだ」
信貴山城に篭る松永軍は約八千人で、攻め手は信長の嫡子信忠を主将とする約四万人。
しかし、最初の力攻めは失敗して周りは既に暗くなっていて、全軍は夜営の準備を始めていた。
「斬り込みがあるかも」
「松永軍が、城内の士気を上げるためにですか?」
シンイチの意見に、且元が逆に質問をする。
篭城戦の成否は、他の要因はともかく将兵の士気の高さこそが重要であった。
なので、力攻めが失敗した初日に少数精鋭による斬り込みが行われる可能性は高かった。
実は、飯田源基次が率いる二百人ほどが斬り出て、織田軍数百人が死傷したという史実があり、それをシンイチが知っていたからなのたが。
「うちの小勢なら、すぐに対応可能だし」
「わかりました。準備をしておきます」
そしてその日の夜中に、シンイチの言う通りに飯田源基次が率いる約二百名が本当に夜襲をかけてくる。
突然の事で、大軍ながらも織田軍は大混乱するのだが、既に準備が出来ていたシンイチは、且元と安治を将として百名ほどの部隊で迎撃に向かう。
「飯田源基次殿。あなたを、信貴山城に帰すわけにはいきませんな」
「名を聞こうか!」
「舟橋信一が家臣! 片桐且元!」
夜襲自体は、織田軍に数百名の死人・手負いを出させて成功した飯田源基次であったが、城に戻る途中でシンイチの小勢に見付かり、無事に信貴山城へと戻れたのは僅か五十名ほどであった。
「筑前よ。昨晩は、敵軍に一方的な戦果を稼がれるところを良く防いでくれたな。礼を言うぞ」
「いえ。これは、私の手柄ではありません。信一が、迅速に手勢を率いて防いだがためです」
翌日の朝、織田軍の本陣において松永家攻めの総大将である信忠は、秀吉とその後ろに控えるシンイチ、且元、安治の四人をご機嫌で褒めていた。
確かに、昨日の夜襲では損害を出したのだが、向こうも飯田源基次以下多数の兵を討たれていたので、一方的に向こうの士気が上昇するのを防げたからであった。
僅か百名ほどで百四十六個の首を獲ったシンイチ達は、実際に飯田源基次を討った且元と、飯田源基次の首は逃してしまったが数名の名のある者を討った安治も呼ばれ、信忠から刀や金子などを貰っていた。
「長篠の時にも見たが、そなたは大きいな」
「おかげで、人よりも強いと思われる事も多いようです」
「実際に、十分に強いと思うがな」
個人的武勇を振るう且元と安治に注意しながら、小勢を率いて多数の雑兵を討ち取ったシンイチも、信忠から金子などの恩賞を貰う。
信忠も、長篠で土屋昌続を討ち、父の信長から一字を貰ったシンイチの武将としての能力を認めていた。
「聞けば、領内の統治なども得意らしいな」
「いえ、浅野様や秀長様や竹中様には勝てません」
「とはいえ、その下で十分に勤まっているのだ。武芸のみならず、その方面でも才を示せるのであれば、父の天下布武が進むにつれて活躍の機会も十分に増えよう。今は、懸命に武功を稼ぐが良い」
「ははっ!」
最後に信忠から太刀を貰い、シンイチは秀吉や且元と安治と共に本陣を後にする。
「おかげで、ワシも褒められて万々歳だわ。且元と安治もようやった」
自軍の陣地までの帰り道で秀吉はシンイチ達を褒めていたが、その心の中にはもう一つの考えが浮かんでいた。
「(信一は、これからも大いに使える。大殿や若殿の覚えも良いし、もしワシが何かを疑われた際には、使者として送ればその印象も大いに変わろう。ねねに言って、親戚の娘を探させるか……)」
その後も戦いは続くのであったが、信貴山城は松永軍の中から裏切り者が出て数日で落城する事となる。
松永秀久の家臣であった森好久という武将が、石山本願寺から連れて来た鉄砲隊二百名と共に、元主君であった大和守護筒井順慶の内応に呼応して城内に火を放ったのだ。
いくら堅城を誇る信貴山城でも、内部からの攻撃には弱く。
松永軍の将兵は一気に崩れ、織田軍に討たれる者、諦めて自害する者、逃亡する者と様々であった。
そして最後に、松永久秀・久通親子は自害して果てる。
一部資料では、秀久は信長が欲しがっていた古天明平蜘蛛に火薬を詰めて爆死したという説もあるが、シンイチには天主にあがる炎は目撃できたが、鉄砲の発射音以外の爆発音は聞こえなかった。
実際に、筒井順慶の手の者が松永親子の首を手に入れたようである。
戦場には、次第に勝ち鬨の声が響き始める。
「信一、また活躍らしいな」
小勢とはいえ、部隊を率いて信貴山城に突入をしたシンイチは、名前の知れた者を数名討ち取って秀長に褒められていた。
「とはいえ、ここはある意味予想外の寄り道。兄上は、すぐに播磨へと兵を進める予定だ。信一も頑張ってくれよ」
「はい」
こうして、乱世の梟雄と謳われた松永秀久は滅び、これに勢い付いた秀吉は、当初からの予定であった中国征討のために播磨へと。
この戦いに一緒に参加していた明智光秀と細川藤孝は、第二次丹波国征討に乗り出すことになる。
「且元、安治。物凄い大軍だな」
「やはり、中国地方の覇者毛利家は一味も二味も違いますな」
「私も、ようやくに加増を受けて率いる兵が増えたんだがな。あの大軍のせいで、あまり意味が無いような気がしてきた」
裏切り者の松永秀久を滅ぼしてのち、羽柴軍は主君信長の命により中国地方攻略を命ぜられ播磨国に進軍していた。
そこで、かつての守護赤松氏の勢力である赤松則房、別所長治、小寺政職らを従え、更に小寺政織の家臣である小寺孝高(黒田孝高)より姫路城を譲り受けて、ここを中国攻めの拠点とする事に成功していた。
ところが、その過程で攻略して尼子氏残党に任せていた要衝上月城を、毛利軍が奪おうと大軍を向ける。
上月城は播磨・美作・備前の三国の国境にある要衝の地であり、毛利家側としては織田家との対決のためには絶対に手に入れなければならない拠点でもあった。
動員した兵力は実に十万超え、毛利・村上水軍七百艘が播磨灘に展開して海上の封鎖するという念の入れようであった。
直接上月城を包囲している兵力は六万人とはいえ、対抗する織田軍はいまだに三木城を攻撃中とあって、合計で三万人が精一杯。
しかも、その中で秀吉が率いている軍は合計で一万七千人と、まず攻勢には出られない兵力しか持っていなかった。
上月城には、先の松永攻めにも参加して活躍した山中幸盛も所属する尼子残党軍が詰めていたのだが、その兵力は僅か三千人でしかなく。
秀吉は秘かに京都へと向かって信長に援軍を要請するが、信長は現在攻略中の三木城こそ重要と判断。
ここに、上月城と尼子残党軍は見捨てられる事となる。
勿論、秀吉はここは一時恥を忍んでも撤退すべきだと手紙を送るのだが、それを彼らは黙殺してしまう。
そして、撤退を開始した羽柴軍を毛利軍の大軍が襲う。
時は、天正六年(1578年)六月二十五日の事であった。
「権兵衛さんもバカだなぁ。殿なんて受けちゃって。新婚なのに」
「お前もだろう、信一。それに、もうそこまで新婚でもないよ」
撤退を毛利軍に察知された羽柴軍は、追撃を受けて完全にその軍を崩壊させていた。
だが、その中にあっても、殿で一人でも多くの兵士達を助けるべく小勢を率いて殿を務めている者達がいた。
播磨平定時の功績を認められて五千石に加増となった仙石秀久と、同じく先の松永攻めと合わせて七千石にまで加増されていたシンイチの二人であった。
「私も、忘れないで欲しいな」
今まではシンイチに貸し出されていたが、急速に増大する羽柴軍でも武将が足りなくなったために出向を取り消され、五百石にまで出世していた安治も、自分の兵士達を引き連れてシンイチ達と合流していた。
「神子田殿とか、尾藤殿は?」
「さあな? この混乱では……」
秀吉家臣団の中では、戸田勝隆や宮田光次と並び高名であった彼らは、播磨平定の際に全員が五千石へと加増されている。
仙石秀久もそうなので、五千石というのは武将として使えるかどうかの一種のパロメーターだったのかもしれなかったが、その彼らを飛び越して七千石を貰い信長のお気に入りであるシンイチは、特に二名から嫌われていた。
戸田勝隆と宮田光次は、『実際に優れているので仕方が無い』と特に嫌ってもいなかったのだが。
「しかし、この小勢では……」
「限定された戦いで限定された事だけをする際には、むしろ小勢の方が都合が良い事もありますれば」
「信一は、こういう時に頭の良さが出るな。何か物凄く知性的な事を言っているし」
「そんなしょうもない褒め言葉はいいから、行動に移りますよ。且元!」
「はっ!」
片桐且元は、既に正式にシンイチの筆頭家臣としての待遇を受けていて、知行の中から千五百石と秀吉直臣の安治よりも知行が多くなっていた。
その代わりに、彼は普段は秀吉の元で領内の統治や様々な任務に忙しいシンイチに代わって舟橋家の軍を整え、シンイチの貰った領地を統治する任を請け負っている。
始めは、槍働き以外はあまり経験の無い且元であったが、時間があればシンイチからその屋敷にある膨大な書物などから教えを受け、次第に戦の分野以外でもその能力を発揮するようになっていた。
そして最近では、シンイチにちゃんと自分に対して家臣に対するような口の利き方をするようにと注意し、シンイチもそれを受け入れていた。
「それで、どうするんだ?」
「毛利軍は、全軍で六万人です。ですが、上月城の包囲もあるので全軍を出すわけでもありません。しかも、敗走する我が軍の追撃なので気持ち的に油断もしています。多分、各国人衆ごとに手柄の奪い合いでバラバラに手勢を率いて追撃しているでしょう」
「それを、前に出ているのから順番に叩くんだな」
「そういう事ですよ。安治さん」
シンイチ達は手勢を一纏めにすると、敗走する羽柴軍将兵を追撃する毛利軍の手勢に順番に攻撃を仕かけてその足を止めるという作業を繰り返していた。
「なあ! 信さんよ! こいつの首を獲らないでいいのか?」
「負け戦に勲功なんてあるものか! 動けない敵など捨てておけ! 止めを刺す時間と、首を獲る時間が惜しい!」
容赦なく毛利軍に攻撃を仕かけるシンイチ達であったが、彼らは敵を殺す事に拘らなかった。
むしろ、追撃不能となるような負傷者を多数作り出す事に精を出し始めるのだが、それを疑問に思ってその真意をシンイチに問う者がいた。
秀吉の親戚で彼やねねから教育を受けていた、市松こと福島正則という若者であった。
「負傷者は、その救護に余計に人を使いますからね。国人衆ともなれば、足軽や将を失う事は大損害。負傷者であれば、それを助けようとして人を割かざるをえない。ですね? 信さん」
同じく、秀吉より教育を受けて彼の小姓となっている虎之助こと加藤清正という若者が、シンイチの代わりに正則にその考えを説明する。
「正解だ、虎之助。だが、どうしてお前らがここにいる?」
本来ならば秀吉の小姓である彼らなので、まさかこんな殿軍に顔を出す事などありえなかったからだ。
「秀吉様の護衛はどうした?」
「それが、はぐれまして」
「俺も、市松と同じです」
秀久の詰問にしれっとした態度で答える二人であったが、どうやらこちらの方が面白そうだと、勝手に抜け出して来たようであった。
「叱っている時間が惜しい! お前らが死ぬと俺が秀吉様に怒られるから、死なないように奮戦するように!」
「さすがは、信さんだな」
「話がわかる」
内政官として秀吉の傍にいる事が多いシンイチは、彼らを含めて若い小姓や近習達と面識があり、しかも時間が空けば彼らに色々な事を教える機会が多かった。
なので、特にこの二名はシンイチを慕っていたのだ。
体が大きいので武芸派と見られ、実際に武勲を挙げる事が多いシンイチであったが。
他にも、優れた内政に関する技量も持ち。
更に、竹中重治を超える本の虫で知識の量は尋常ではない。
数万冊とも言える様々な古今東西の書物を一字一句間違えずに記憶していて、しかも、それを恐ろしい速さで綺麗な文字で写本するという特技も持っていた。
おかげで彼の領地にある屋敷には、シンイチ自身のの在場・不在に関わらず、多くの羽柴家家臣達が本を借りに集まる事が多かった。
それに、秀吉に請われて家臣達にもっと勉強して貰うために、長浜の城にも多くの写本を収めていたのだ。
「ふん! まだ歯向かってくるか! 羽柴の敗軍が! 我こそは、安芸の国人早川甚五郎成益なるぞ!」
「あっそう」
シンイチは、追撃をかけていた小勢の大将を槍で一撃で突き殺す。
その強さに毛利軍の足軽達は散り散りになって逃げて行くが、シンイチはそれを追撃などせず、早川なる武将の首すら獲らないで次の敵軍を求めて移動を開始する。
「勿体ないよなぁ……」
「実際に、目にするとな」
「私もそう思うが、重い首などを持っていたら移動速度が落ちるからな」
正則と清正は、討たれたまま放置された敵武将に未練タラタラであったが、それを安治が押さえていた。
その後も、シンイチ達はスピードを上げ過ぎて小勢で突出した毛利軍に次々と攻撃を仕かけ、数百人を戦闘不能にしてから安全圏へと悠々と引き揚げていく。
「あの殿の武将は、若い癖に厭らしい戦法を取るものよな」
「左様です。さすがは、卑しい出自である筑前の配下かと」
「バカ者が。我らと織田との戦いは、まだ始まったばかり。陪臣の若造にあれほどの武将がいる織田軍の底力こそ、真に恐れるべきであろう」
羽柴軍の潰滅には成功していたが、シンイチのせいで大した損害が出ていない事を知った毛利軍の大将吉川元春は、まだその顔を見ぬシンイチの才能を瞬時に理解し、それに気が付かない家臣に注意を促す。
「それで、羽柴軍の損害は?」
「五百人ほどまでは、死体を確認しています」
「やはり、少ないな……」
「はい、高名な者などは一切いないそうで……」
報告をする、先ほどとは違う他の家臣と元春の表情は暗い。
表面上は潰滅させたはずの羽柴軍であったが、この程度の損害であればすぐにまた復活をしてしまうからであった。
しかも、これほどの大軍を準備した毛利軍は、もうこれ以上の進撃には耐えられない。
畿内の経済圏を有している織田家とは、軍の維持能力が桁違いであったからだ。
播磨は、これから徐々に織田家に侵食されていくであろう。
それを見越しての、上月城の奪取とも言えたのだが。
「味方の追撃部隊は、死者百四十七名。早川甚五郎、長手備前などの国人衆の当主も数名討たれています」
「多いな……」
「手負いの者が五百名を超えて、その救護で人手を喰っているようです」
「完全にやられたな……」
後日、虎口を脱した羽柴軍は徐々にその精力を増し、毛利軍は次第に追い詰められて行く事となる。