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四話

「ようやく、どうにか様になってきたかな?」


 長篠の戦いから戻って来たシンイチは、その後すぐに秀吉から知行加増の沙汰を貰っていた。

 

 その貫高は五百貫で石高にすると千石となり、これは一部重臣を除いて秀吉家臣の中でも古参である仙石秀久と同じ知行であった。


 織田家家臣団の中でも新参者である秀吉の陪臣なので共にまだ若造なのだが、それにしても僅か十七歳にして知行千石とはなかなかの出世ではあった。

 しかも、その年齢は数えでの年齢である。

 実際には、シンイチは十五歳の若造でしかなかった。

 ただ、非常に老けて見えるので、既に二十代半ばくらいだと思われていたのだが。


 それと、さすがに今度ばかりは所領が与えられていて、シンイチは旧浅井家臣などを登用して、領地の統治と軍役に答えるための準備をする必要があった。


「お前、体が大きくて強いだけじゃないんだな」


「仙石様に、それは言われたくないな」


「信一、同じ知行で隣の領主に様なんて付けるなよ」


 シンイチの領地は、秀久の隣であった。

 秀久は、長篠の戦いで初陣ながらも堂々と戦に臨んでいたシンイチを素直に凄いと感じ、今では仲の良い同僚として話す事が多くなっていたのだ。


 それに、シンイチは相変わらず人手不足の羽柴家で、浅野長政などの下に付いて色々と長浜全体の政務を見る必要があった。

 なので、なかなか自分の領地を見に行けないのが実情で、その分を秀久に面倒を見て貰うようになっていたのだ。


 黒王号の子馬を増やすために牧場の管理を行い、長浜城とその城下町の拡張工事の縄張りに、信長の命令で広げている軍用も兼ねた道路工事に、周囲の新田開発や治水工事。 

 新兵や新しい家臣達の登用に伴う様々な事務処理から、領内の寺社の管理から、訴訟などの調停に、年貢や運上金の計算に、財政に関わる事まで。


 シンイチは知識だけは十分にあったので、常に羽柴秀長、浅野長政、竹中重治の下に付けられて、様々な仕事を覚えさせられていた。


 ただ、おかげで全く領地に戻る事が出来ずに、領地が隣である秀久に面倒を見て貰う事が多くなったいたのだが、実際には秀久自身はその手の事が苦手なので、彼に付いている家臣団に色々と助けて貰っていた。


「悪いと思って家臣の数を揃えてみたものの。みんな、まだ現地に慣れていないからなぁ」


「あの且元とか言う奴は、使えそうじゃないか」


 今までずっと銭で給料を貰っていて、長篠の戦いで初めて金で雇った雑兵を引き連れて戦いに臨むほど家臣のいないシンイチは、秀吉に泣きついて何人かの旧浅井家家臣を紹介して貰っていた。


 その中でも、片桐且元は思った以上の拾い物であった。

 後の七本槍の一人である彼は、小谷城の落城まで一貫して浅井方として戦っていたために、仕官が遅れてしまったという事情があったのだ。

 とはいえ、彼は戦働きのみならず、各奉行職などの内政や後方支援などでも名を残した人物であり。

 シンイチは、いつもは長浜勤めで住めない領内にある屋敷に且元を婚姻を済ませたばかりの奥方と共に住まわせ、彼を自分の代理人にして領内の統治を任せる事にした。

 

 知行も、百貫(二百石)を与えていた。


「それに、私もいるから大丈夫だぞ」


「出たな! 出向組!」


 そして、シンイチが早く貰った領地から軍役に答えられるようにと秀吉は一人の若者を派遣していた。

 先の長篠の戦いで一緒になった脇坂安治であった。


 先の戦いの勲功でようやく五十石取りとなった彼は、秀吉の直臣のままシンイチに貸与されるという雇用形態を取っていたのだ。

 今で言うところの出向という形になるのであろうか?


 とにかく、シンイチは自分の所にいる間はという条件で彼に知行五十貫(百石)を足し、且元の補佐を任せる事にする。

 先の戦いでも、小部隊を率いて戦うのが上手であった彼なので、シンイチの軍を上手く集めて訓練してくれるはずであった。

 

「安治さん、ありがとう」


「信一、今はいいが兵士達の前で私をさん付けで呼ぶなよ。年齢はともかく、お前は私よりも偉いんだからな」


「わかっていますよ。お詫びに、領内の屋敷に収納している私が写本した本をいくらでも読んでも構わないですから」


 既に写本の販売など止めていたシンイチであったが、彼は暇さえあれば一字一句間違いなく覚えている様々な書物を写本して屋敷の書斎に収納する作業を繰り返していて、古代中国の諸子百家の原本とそれを翻訳した物から、古今和歌集から専門的な技術書まで、この時代の日本までの、様々な分野の古書を含む書物が数千冊も置かれていた。


「あの難しい本をか……」


「でも、権兵衛さんも、安治さんも。もっと出世したかったら、そういう分野の勉強もしないと駄目なんじゃないかな?」


「信一に言われると説得力があるな」


 最近大活躍のシンイチに対して、古参の槍働きが得意な神子田正治などを中心とする家臣達が良く文句を言うようになっていた。

 簡単に言えば嫉妬なのだが、神子田正治は軍学においては有能な男であったが、では『内政は得意なのか?』と言われれば得意とは言えなかった。


 勿論、シンイチも経験豊富というわけではない。

 だが、何よりも基礎が出来ているので、経験者が教えればすぐに出来るようになるし、分野によっては独自の成果を出したり、逆に教えている方が勉強になる事すらあった。

 

 おかげで、長政、秀長、重治の三人は、良く今日は誰がシンイチを下に置いて仕事をするかで取り合いをする事が多くなっていた。

 そしてそこに秀吉が現れ、『信一を使って楽をしようなどとは、嘆かわしい事よのぉ』と言いつつ、自分自身が信一を連れて行ってしまって、三人が唖然としてしまう事もあったのだ。


「最初は、古今和歌集とか源氏物語とかからで良いと思います。且元さんも、時間が空くと簡単な本から良く読んでいるそうですよ」


「なるほど、せめて半万石をと思う私だが、教養や学も身に付けた方が良いんだな」


「信一、俺もたまに本を借りに行くよ」


 安治も、秀久も、出世して大領を得るにはただ戦に強いだけでは駄目なのだと言う事を理解したようであった。


「ええ、いつでも大丈夫ですよ。ただ、たまに秀長様や、長政様や、重治様も本を借りに来るけど」


「「えっ! 重治様が!」」


 秀久と安治は、重治の博覧強記ぶりを知っていたので驚いていたが、その重治をして、『ここには、俺がまだ読んでいない本が沢山ある。無い本も、信一に聞くとすぐに写本してくれるからな。こいつの頭の中には、一体どれほどの蔵書が詰まっているのやら?』と言うのが、シンイチという男への評価であった。


「まあ、最初だから簡単な本から」


「なら、吾一達が最初に習った、俺が自分で編纂したカナ本からにします?」


「「いや……、さすがに、普通に読み書きくらいは出来るから……」」


 シンイチが拾って育てている吾一達は、最年長の彼でもまだ数えで十歳であり、そこまで子供扱いされて二人は少し涙目になるのであった。






「久々の休日だな。吾一、ちゃんと小さい子達の面倒を見ていたか? 勉強していたか?」


「大丈夫だよ。茂市もちゃんと九九が言えるようになったし、漢字も沢山覚えたよ」


「そうか、それは上々だな」


「且元さんや、他のお兄さん達からも武芸を習っているし」


「女の子達はともかく、みんな武士になりたいんだな」


「こんな時代だもの。それに、シンイチ様だって武士になったじゃないか」


「それを言われると厳しいな……」


 ここのところ忙しい日々が続いていたのだが、ようやく休日を貰ったシンイチは、拝領以来久々に自分の領地に戻って屋敷で子供達と食事をしたり、一緒に風呂に入ったり、勉強を教えたりしていた。


 そして、また空いた時間に墨を磨ってから、筆を取り出して写本を開始する。

 今日書く本は、最初に登場したのは紀元前と言われ、時代ごとに加筆・修正されて伝わっている九章算術という数学の本であった。


 この本は、面積と分数の計算、比例算に利息計算、平方根・立方根、体積、鶴亀算、0や負の数の概念から、ピタゴラスの定理と、ほぼ現在にも通用する数学の基礎が書かれている本であった。


 他にも、その注釈書から問題集やらの写本も行う。

 

 この時代にも数学は必要である。

 土木、建築、財務、暦の計算などは勿論、新たに新田開発をしたり検地を行う際にも数学が理解できていないと話にならなかった。


 そこで、シンイチは軍学や領地運営に必要な数学のマニュアル本みたいな物を物凄いスピードで書き連ねていた。

 他にも、それらの数学に必須な、算木やソロバンなどの使い方に関する中国の書物の翻訳・写本なども書いて行く。


 これらの学問は、武士が大きな領地を治めれば治めるほど、必ず必要となる学問だからであった。

 

「よし、完成だ」


「まだ私では、何が書いてあるのかさえ不明ですね」


 夕方までかかった写本を終えて書斎の床に寝転がっていると、そこに領内の様子を見に行っていた片桐且元が戻って来る。

 且元は、この若いながらも自分など相手にもならない量の知識を持つシンイチを素直に尊敬し、自分も少しでも追い付こうと書斎の本を読み漁るようになっていた。


「新婚なのに、奥さんに面倒かけて悪いですね」


「いえ、本当に子供が生まれた時に備えて訓練ですよ」


 更にシンイチは、最近は忙しくてなかなか構ってやれない吾一達の面倒を見てくれる且元とその奥方に感謝していた。


「拾っておいて無責任だよなぁ」


「子供達は、そうは思っていませんよ。それにですね。畿内では、捨て子なんて腐るほどいます」


 現在社会ほど親の責任がどうこう言われる時代では無かったし、戦乱で親すら簡単に死んでしまう時代だったので、フロイスもこの国は捨て子だらけであると書物に残しているほどであった。

 その孤児達を拾って食べさせているのだから、シンイチはこの時代の人達から見れば超の付くお人好しであった。


「俺も天涯孤独だから、あの子達の中で家臣になってくれる子もいるかなという考えも無くはなかったんだ。全員が、武士になりたがるとは思わなかったけど。商人とか、職人とか一人もいないんだな」


 知行を得たとはいえ、出費も増えるし、武士は万が一の際に普段は節制して金を貯めておく者が多かった。

 そこで、シンイチも普段から子供達にも節約を心がけ、長浜郊外時代と同じように、魚醤や干し魚や稗や粟を使った酒などを作らせていた。

 さすがに売りはしないが、食費の節約にはなると思ったからだ。


「あの子達は、戦乱で親を亡くしていますからね。力が欲しいのかもしれません」


「そうかもしれないな……。あの子達が大人になるまでに、戦乱は終わらないであろうし」


 且元と神妙な話をしていると、そこに且元の奥方が入って来る。


「信一様、お客様ですよ」


「こんな時間にですか? いつもの三人ですか?」


 シンイチに思い当たるこの時間に来る客は、書斎の本を借りに来る長政、秀長、重治の三人だけであった。


「それが、かなり若いお侍さんで……」


 シンイチが屋敷の玄関に向かうと、そこにはまだ中学生くらいにしか見えない若い侍が立っていた。


「長束新三郎正家と申します」


 シンイチは、また有名人と邂逅する事となる。

 後に、豊臣家五奉行の一人として財政を担うようになる正家は、目立った戦働きは無かったが、高い算術能力を買われて丹羽家から秀吉に引き抜かれ。

 他にも、豊臣氏の蔵入地の管理や太閤検地の実施し、戦においても九州の役、小田原の役、文禄・慶長役では全軍の兵糧奉行としてその才能を発揮。

 秀吉に、『蕭何というのは、こういう人間だったのかもしれない』と言わしめた人物であった。


 だが、この時期の正家は数えでもまだ十五~六歳であり、頭が良さそうな顔はしていたが、これからが勝負という感じの若者に見えた。

 彼は長浜出身で、父親は水口城を有していていたが、織田家との戦いで城は虚しく落城。

 避難先の村の名前の長束を名乗るようになったというのが、資料からのデータであった。


 一度敗北して、次のステップアップを狙う。

 この時代には、良くある話であった。


「それで、俺にどんな用事なのかな?」


「私は独自に算術を習っているのですが、噂によるとここには多数の貴重な書籍があるとかで……」


「自由に見せてあげたいのが心情だが、俺は羽柴様の家臣だからなぁ。どこに仕官するのかわからない一介の浪人には見せられないな」


「では! 私は、羽柴様に仕えます! ご覧の通りに武芸は苦手ですけど算術は得意ですし、内政や後方支援などで力を発揮する事が可能です!」


「ええと……。明日に、秀吉様に紹介するよ」


「ありがとうございます!」


 結局、そのまま日が暮れてしまったので、シンイチは正家を屋敷に泊めてあげる事にする。

 ささやかな夕食後、彼はシンチイが写本した九章算術の最終決定版や、独自に書いた和算の指南・応用書を食い入るように見つめていた。


「凄い! こんなに沢山の専門書が! おおっ! ソロバンの指南書も!」


「もう一組書いたら貸してあげるからさ」


「本当ですか。楽しみだなぁ。そうだ! 今は、なるべく少しでも頭に入れないと!」


 そして翌日、シンイチは正家を連れて長浜城に登城していた。


「暫くは、小姓として使ってみよう。後に、長政か小一郎に付けるとするか。しかし、希少な良い人材を見つけてくれたの。シンイチは」


「偶然の遭遇ですかね?」


 シンイチは、本来であれば正家が仕官するはずであった丹羽長秀に心の中で謝る。

 確かにこの世は乱世であり、槍働きが出来る人材が求められる事が多いのだが、それでも正家のような人材がいらないわけでもない。

 むしろ、羽柴家のように急に伸張した大名家ほどこういった人材が多数必要であった。

 シンイチは、自分が楽をするために認識の無い丹羽長秀を犠牲にしたのだ。


「正家の事は、これで終わりなんじゃが。信一は、権兵衛が嫁を迎える事を知っているか?」


 権兵衛とは、先にも説明したが仙石秀久のあだ名である。


「初耳ですね」


「野々村幸成の娘にして、野々村三十郎の姪でな。名をお藤と言う」


 野々村三十郎こと正成は、信長の旗本で馬廻り衆を務め、有名な鉄砲の名人でもあり、先の長篠の戦いでもその腕前を遺憾なく発揮していた。

 

「お藤は、元夫の小川土佐守と合わなくてな。娘を連れて実家に戻っておるのだ」


 小川土佐守こと小川祐忠は元は浅井氏の家臣であったが、降伏して許されて信長の旗本に取り立てられている人物であった。

 本能寺の変、賤ヶ岳の戦いと判断を誤り続けたが、どうにか大名として生き残り、関が原で遅すぎた裏切りで改易された人物である。

 

「(コブ付きのバツ一か……)」


 シンイチは、上から命じられれば顔も見た事が無い女と結婚させられる武士は難儀な生き物だなと思ってしまう。

 だが、明日には自分がそれを命じられる可能性もあったのだ。


「ねねが、斡旋をしたらしくてな。まあ、信一も二十歳前までには誰か紹介せんといかんな」


「俺は天外孤独なので、親戚の紹介とか無いですしね」


「信一は、大殿のお気に入りだからのぉ。変な女も紹介できんしな。まあ、お前が見栄えが良いおかげで、ワシも大殿に褒められて万々歳なわけだが」


 あの信長との直接顔合わせの後、秀吉は信長から、『ちゃんとその知行に見合う家臣を揃えようと努力しておるようだな。サルにしては、上出来よ』と、他の家臣達の前でえらく褒められたようであった。


 織田家のために、合戦に勝てるように強い家臣を揃えるのはこれはもう絶対的な義務であったからだ。


「隣の領地ですしね。何かお祝いを考えないとな」


「婚姻の日は、ちゃんと休んで参加するように」


「承知したしました」


 約一週間後、シンイチは仙石秀久の婚姻の儀に出るために、且元と安治と他数名の家臣を連れて彼の屋敷を尋ねていた。


「この度は、御婚姻おめでとうございます」


「今日は、わざわざありがとうな。信一」


 その日の結婚式は秀吉夫妻が仲人を勤め、多くの参加者が集まって久々に楽しい時を過ごしたのであったが、その日の夜にシンイチ達の元に信長から急ぎの伝令が届く。


「軍神動く!」


 羽柴軍は、急ぎ北陸へと出陣する事となるのであった。

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