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HDの肥やしになっていた端折り戦国物   作者: Y.A


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三話

「お前が、秀吉様の最近のお気に入りか。デカイな」


「仙石様も、十分に大きいと思いますが……」


「いや! お前の方が、遙かに大きいから!」


 シンイチが、正式に羽柴家に仕官してから一年と少し。

 正式に舟橋真一と書状などに記載されるようになった彼は、長浜領内で浅野長政、羽柴秀長、竹中重治の補佐を遺漏なく行い、時にはその名代として各地に派遣されて、統治の任に精を出していた。


 それと、黒王号を使っての牝馬への種付け作業を含む、大型馬の確保も行うようになり、その第一号である黒王号の最初の息子である三頭の内の一頭にシンイチは騎乗していた。


 羽柴家直営の馬牧場では、多くの牝馬が黒王号の子馬を生んだり孕まされていて、種馬としての価値が無くなった大量の牡馬が去勢処理をされて兵士達に支給されていた。


 去勢された馬は、普段は大人しくて発情期にもコントロールに苦労する必要がない。

 結果、長浜を領有して日の浅い羽柴軍であったが、その軍勢は整然と進軍を続けていた。


 副馬奉行という適当な役職と、行政官の補佐のような仕事を続けるシンイチであったが。

 時は天正三年(1575年)に入り、彼は遂に初陣を迎える事となる。 


 先年に病死した武田信玄の跡を継いだ勝頼が、信長の同盟者である徳川家康に奪われた長篠城を奪い返すべく、一万五千人ならなる大軍を率いて長篠城を包囲し。

 その援軍と、武田軍に対して大打撃を与えるチャンスだという事で、織田家も三万の軍勢を率いて岐阜を進発していた。


 当然、これにはシンイチの主である秀吉も軍を出していて、『ちょうど良いので、これを初陣とせよ』と、シンイチもこれに参加する事になっていた。


 シンイチは、荷物の中から鎧兜や槍・刀・鉄砲などを装備して、秀吉の親衛隊の一員として進軍していたが、その途中で秀吉に挨拶に来ていた近江野洲郡千石を有する仙石秀久に声をかけられていた。


 彼は、織田家に家臣入りした際に、織田信長からその勇壮な相貌を気に入られ、黄金一錠を与えたといわれているほどの若武者であった。


「しかも、良い馬に乗っているな」


「二代目黒王号です」


「初代は、あの種馬か」


 秀久も、秀吉が黒い巨大な馬の子孫を増やそうとしている事は知っていた。

 何でも、新参者のシンイチが山で見つけた野性の馬らしいのだが、その子供は全て親馬と同じくらいの大きさに成長していて、羽柴軍の騎馬隊強化に大いに貢献するものと言われている。


 他にも、シンイチは領内の統治に関する任に辣腕を振るい、長政や秀長の信頼を得るようになっていた。

 

「早くあの馬の子孫が増えて、俺もこんな良い馬に乗ってみたいな」


「大丈夫ですよ。初代の黒王号は精力が凄いですから」


「ほう、そんなに凄いのか」


「うちの殿様と遜色ないですし」


「そりゃあ、凄いな」


「このタワケが! 人の変な噂を勝手に流すでないわ!」


 シンイチは秀吉に会話の内容を聞かれてしまい、秀久と共に怒られてしまう。

 だが、こんな軽口を言っても周りは笑っているほど、シンイチは秀吉や他の家臣達と打ち解ける事に成功していた。






「ああ、あれが武田軍か。強そうだな」


「お前は、どういう神経をしているんだろうな? 初陣なのに」


 信長軍三万と家康軍八千は、長篠城が落城する前に手前の設楽原に着陣する事に成功していた。

 更に、小川・連吾川を堀に見立てて防御陣の構築に努め、土塁を三重に作って馬防柵を敷き、当時の日本としては異例の野戦築城作戦を持ってして大量の鉄砲隊を守る戦法を選択していた。


 他にも、徳川軍の酒井忠次、織田軍の金森長近などの連合軍三千人が秘かに長篠城の救援と武田軍の退路を脅かすために出陣したりと、戦況は次第に織田・徳川連合軍の有利になるのであったが。

 そんな事は、実際に武田本軍一万二千の突撃を受けているシンイチ達にとってはどうでも良い事であった。

 武田軍は敵軍の数の多さと、三重の馬防柵と、大量の鉄砲に苦しめられていたが、馬防柵は二重目まで破られて織田・徳川連合軍は既に六千人を超える死者を出していた。


 秀吉の傍で、持っていた弓で冷静に武田軍を狙うシンイチに、近くにいた脇坂安治が呆れていた。

 後に賤ヶ岳七本槍の一人として有名になる彼であるが、他のメンバーはまだ羽柴家に仕官していなかったり、まだ若過ぎると判断されて従軍はしていなかった。

 その点、1554年生まれで既に数えで二十三歳になっている安治は、普通に羽柴軍の一員となっていた。


「とにかく、手柄を立てないとな」


 後に大名となる彼であったが、驚くなかれ最初に仕官した時の知行は僅か三石であった。

 ようするに一貫半なのだが、これは士分扱いとはいえ雑兵とさして違いがなかった。

 

 実際に、安治は粗末な鎧を着て、シンイチと一緒に三段目の馬防柵の内側で武田軍の猛攻を防いでいたのだから。


 ちなみに、現在のシンイチの知行は三百貫ほどとなっていて、初陣ながらも数十名の雑兵達と一緒に懸命に防戦を行っていた。

 ただ、完全に初陣で舞い上がっていたので指揮など考慮の外であり、馬防柵の内側から横並びになってひたすら槍を繰り出すのが精一杯であった。


 それでも、担当している馬防柵の前では数十名の武田軍の兵士が倒れている。

 ほとんどが雑兵であろうが、首をちゃんと集めれば手柄となるはずであった。


 そして、戦況は大きく動く。

 織田・徳川本軍が大損害を受けながらも武田軍を防いでいる間に、長篠城を包囲していた敵軍を別働隊が撃破に成功。

 多数の武将や兵士達が戦死し、突撃をかける武田軍本隊の方もなかなか破れない馬防柵に遂に士気が崩壊し、数時間にも及んだこの戦いは敗走する武田軍の追撃戦へと移行する。


「舟橋隊! 追撃を開始だ!」


「「「おおっーーー!」」」


 シンイチは、なぜか安治と一緒に馬防柵から出て追撃を開始する。

 すると、いきなり目の前に一人の強そうな武将が立ち塞がった。

 

「まだ経験の浅そうな小僧ながらも、その肝の据わった表情が気に入った! 我が生涯最後の相手をして貰おう! 小僧の名は?」


「羽柴秀吉が家臣! 舟橋真一! あなたの名前は?」


「武田家家臣土屋昌続!」


 本当の歴史であれば、馬防柵の二段目を突破した時点で鉄砲の一斉射で戦死する武将であったが、左腕などに被弾はしているものの、彼はいまだに健在であった。


 三方ヶ原の戦いでは、徳川軍の勇将鳥居信之を一騎打ちで討ち取った勇猛な武将としてのイメージが強いが、実は行政官や軍政家としての側面が強い武将で、彼を失う事は武田家にとっては大きなダメージとなるであろう。


「いざ! 尋常に勝負!」


 二人は馬から降りてから、槍を使っての一騎討ちを始める。

 体が大きく力の強いシンイチが責めて、技量に優れた昌続がそれを受け流しながら反逆の機会を狙う。

 しかしながら、数時間を攻めに攻め続けた昌続と、防戦一方であったシンイチの疲労度の違いから、僅か数分で彼は肩に致命傷の一撃を受けていた。


「若造の癖に強いな」


「みんな、人を年寄り扱いするんですよ」


「しっかりしている風に見られていると思えばいいのだ。最後の最後で、お前のような強い男と戦えて良かった。我が首を獲って手柄とせよ」


「ごめん!」


 シンイチは、昌続に止めの一撃を入れてからその首を急いでかき切った。

 戦場で一番隙の出来るのが、この手柄首を獲っている間であったからだ。


「大手柄じゃないか」


「すいません。わざわざ護衛していただいて」


「何の、こういう時はお互い様さ! さて、俺は向こうの方に追撃をかけるぞ! あっちに手柄首がありそうな気がするのだ!」


 シンイチが首を獲っている間に周囲を見張っていてくれた安治は、彼と別れると独自に追撃戦へと参加していた。

 合戦においては、敵の退却時こそが一番手柄を立てられる時間である。

 どんなに強者でも背中から斬られれば誰でも弱いもので、史実の長篠の戦いでも追撃戦で多くの武将を失っていた。


「舟橋隊も行くぞ!」


「「「おおっーーー!」」」


 その後、物凄い大物の首は獲れなかったものの、そこそこに名の知れた武将を五名ほどと、雑兵の首を二十個ほど獲ったシンイチの隊は始めての実戦をどうにか無事に終わらせるのであった。





「シンイチ、手柄首を獲ったそうじゃの。ワシも、鼻が高いぞ」


「いえ、向こうは負傷して弱っていましたので」


「合戦だからの。それは仕方のない事だし、別に恥ずべき事ではない。堂々としておれ」


 翌日、織田・徳川連合軍六千人、武田軍一万二千人ほどと推定される戦死者を出した戦いも終わり。

 織田・徳川連合軍の本陣では、首を獲った武田軍武将とのお披露目と、簡単な勲功論証が行われていた。


 武田軍の戦死者で主だった者達の首は綺麗に洗われて化粧を施してから、上座に座る織田信長と徳川家康の前に置かれる。

 そして、信長の横にいる丹羽長秀が代表して、誰がどの武将の首を討ち取ったのかを発表していて、それを聞いた信長が刀や脇差や金子などを大仰しく褒美として与えていた。


 大量の首を前に残酷ではあったが、手柄を立てた者を褒めて恩賞を与える事こそが家臣達の心を掴む最大の方法であったので、これは仕方のない事であった。


 シンイチは、意外と冷静に敵将を討ってその首を獲った事実を思い出して少し驚いてもいた。

 過去に来る前から人はかなり殺していたのだが、さすがに首を獲った事は無かったのでもう少し動揺するかと思ったからだ。


 良くも悪くも、この時代に慣れたという事なのであろう。


「サル! 近こう寄れ!」


「はっ!」


 シンイチは、自分のような小物がこんな場所に出ても大丈夫なのかを心配しながら秀吉に促されてその横にいたのだが、その心配は無用なようであった。


「これが最近雇った男か。確かに大きいな。ダンゴよりも遥かに大きいではないか」


 信長は、シンイチに興味があったらしい。

 ちなみに、ダンゴというのは信長が付けた仙石秀久のあだ名であった。

 由来は、彼が団子っ鼻をしているからである。


「真一よ」


「はっ! 舟橋真一と申します!」


 秀吉に促されたシンイチは、信長に挨拶をしながら今まではずっと下げていた頭をあげる。

 すると、そこには歴史の教科書でしか知らない偉大な歴史上の人物が目の前に座っていた。

 線が細くて優男的な風貌ながらも、その溢れ出る威圧感にシンイチは何か気の利いた事でもと考えていた物が全て吹き飛んでいた。

 

「徳川殿、サルには勿体ない華のある若武者よの」


「いえいえ、羽柴殿は良い家臣を得られたかと」


 以前に、金ヶ崎の撤退戦で秀吉と共闘した事がある家康は、秀吉の新しい家臣であるシンイチを見ながらニコニコとしていた。

 細身の信長と違って彼はズングリとした体型をしていたが、やはり種類は違うが英雄の資質を備えているようにシンイチには見えていた。


 気のせいという意見もあったのだが。


「初陣で土屋昌続を討つとは。力量もあるのであろうが、運も兼ね備えているらしい。受け取れ!」


「ははっ!」


 シンイチは、ただ押し黙って信長から褒美の金子が入った袋と脇差を一本拝領していた。


「真一! そなたは、今日から信一と名乗るが良い。読み方はまるで一緒だがな!」


 続いての褒美に、シンイチのみならずその場に同席していた他の家臣や重臣達からも驚きの声が上がっていた。

 素性すら知らない新参者の陪臣に、信長が自分の名前から一文字を与えて名乗らせたからだ。


 実は信長は、荒木村重や、仙石秀久や、後に自分の一字を与えた長宗我部信親など、体躯と武芸に優れた武者を気に入る傾向にあり、そういう人物を見るとご機嫌で対応する事が多かったのだ。


「サル! 信一は忠三郎に匹敵する男になるであろうから、大切に育てるのだぞ!」


「ははっ!」


 信長の言う忠三郎とは、彼の娘婿である蒲生賦秀の事であった。

 彼は、小姓時代に信長にその才能を見出され、娘を与えられた若手第一位の有望株であった。


「では、次の勲功を……」


 その後も報償の席は続くのであったが、シンイチはなぜ自分が信長に気に入られたのか良く理解できないまま、長秀の読み上げを上の空で聞き続けるのであった。

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