最終話
「なるほど、先に改易された大名達やその家臣達を投入すると」
「殖民に成功すれば、その土地の領有を認める。支援は出来る限りしますし、国内の治安維持にもなりますし」
慶長六年の六月。
ようやくに落ち着きを見せ始めた大阪城内の執務室では、シンイチが他の大老や奉行達と共に次々と迫り来る政治的案件の決裁を進めていた。
五大老・五中老・五奉行の制度はいまだに残っていたが、その構成人員は以前とは大きく変化している。
大老は舟橋信一を筆頭に、森長可、伊達政宗、徳川秀忠、島津義弘となっていた。
他にも中老は、佐竹義宣を筆頭に、蒲生秀行、最上義光、前田利政、長宗我部信親。
奉行は、 浅野長政、石田三成、増田長盛、長束正家、前田玄以、大谷吉継、土屋長安と。
豊臣一門が減っていたが、これは秀康、秀家、秀秋の自業自得な部分もあるので仕方が無い事なのかもしれなかった。
だが、シンイチは、中央の政治にこれら外様大名を参加させる事にこそ意義があると感じている。
今までの、国内の領地の奪い合いという感覚から、他の国と経済や科学技術・外交などで争い付き合って行く感覚。
これを鍛えて貰いたかったからだ。
シンイチは筆頭大老ではあったが、彼らにその政策などの意義を説明しながら徐々に豊臣政権の中央集権化を進めつつ、新しい国内開発や産業の育成、海外貿易や殖民などの利権でその不満を抑えていく。
「そうだな。下手に国内で反乱でも起こされてもな」
「開発する土地があるのであれば、そこで大名になって貰うしかないか」
シンイチの、改易されたり余った武士や大名達を海外などに殖民させる政策は満場一致で可決されて、今日の評定はこれで終了となっていた。
ところが、そこに秀頼の家老である大野治長が飛び込んで来る。
「大変です!」
「どうかなされたのか? 治長殿」
「出雲の秀秋殿が急死いたしました!」
治長からの報告に、シンイチはまた余計な仕事が増えた事を確信するのであった。
「(おかしいな? 何で急死なんて?)秀秋殿は、領内の開発に精を出していたのでしょう?」
シンイチは、史実での小早川秀秋の急死の理由を家康の暗殺だと思っていたので、まさか史実よりも早く死んでしまうとは思っていなかった。
「はい。ですが、以前から諌言をする家臣を手打ちにしたりと、どこか状態が落ち着かない様子だったそうで……」
治長からの報告を受けたシンイチであったが、わざわざ秀秋の精神状態までは予想できなかった。
戦に負けたからなのか?
領地を減らされたからなのか?
赦されたとはいえ、どこか自分に恐怖を感じていたからなのか?
とはいえ、出雲をこのままにというわけにもいかない。
シンイチは、秀秋の兄である木下勝俊に豊臣を名乗らせて出雲の統治を任せる事にする。
「加増は嬉しく思いますが、複雑な心境ではありますな」
木下勝俊はねねの兄である木下家定の嫡男であり、秀吉の数少ない縁者であり優秀な歌人でもあった。
シンイチも付き合い程度には歌を詠んだが、その腕前は微妙というのが勝俊からの評価であった。
「とはいえ、これ以上の豊臣一門衆の影響力の低下は看過できないのです。まあ、あのお二方を減転封した私が言うのも何ですが……」
「いや、あそこまで信一殿と対立して大合戦までして負けたのに、秀秋や秀家殿は改易されませんでしたからな。過分な処置ではあったと思います。ただ、秀秋はどうにも心が弱かったようで、ここ最近では乱行の噂も絶えませんでしたし……」
転封された出雲では、領地の統治に気を使って領民には人気があったらしいのだが、その裏では諌言した家臣を手打ちにしたりどこか精神の均衡を欠いていたらしい。
更に、同時期に彼の元にいた兄である木下延貞も変死しており、シンイチとしては調査をしてみたのだが、いまいちその原因がよくわからないでいた。
ただの偶然かもしれないし、秀秋の死に彼が絡んでいる可能性もあったのだが、シンイチの仕事は警察ではないので出雲の手当てだけをしてからこの件はこれで終了という事になっていた。
「ところで、ねね様がお呼びですが」
「はて? 何でしょうか?」
勝俊から、ねねに呼ばれている事を聞いたシンイチが彼女の元に行くと、そこには淀君も一緒に待ち構えていた。
「お義母様、どうかしましたか?」
「先にあなたに相談したい事がありまして……」
簡単に言えば、ねねはようやく大阪城の状態も落ち着いたので、出家して秀吉の菩提を弔いたいとの事であった。
「そろそろ、殿下が亡くなってから三回忌ですし」
「もうそんなに経ちましたか……」
しみじみと話をするシンイチとねねであったが、徳川秀康、上杉景勝、前田利長、毛利輝元のせいで本当に大変な日々を送る羽目になっていたので、余計にそう感じられるのかもしれなかった。
「私も秀頼様が立派に成人したら、隠居して城下町で塾でも開きたいですよ」
「あなたらしいですね」
シンイチは、その年齢にそぐわない膨大な知識や教養を今は亡き秀長に認められて推挙された人物である。
他にも、戦では無類の強さを持っていたので余計に重宝されるようになったのだが、シンイチ本人としては別に戦など好きではなく、これは仕事として割り切っている部分もあった。
それに、自分の領地の経営を任せた秀真も大丈夫そうであったし、秀頼も他の大名の子供達と一緒に順調に育っている。
早く彼が一人前になれば、シンイチは晴れて隠居の身となれるはずであった。
「まだ隠居する歳でもないでしょうに」
「四十歳を超えると、体が思うように動かない時もあるんですよ。淀君様はまだお若いので理解はして貰えないと思いますが」
シンイチがこの時代に来て既に三十年近くが過ぎ、彼の記憶からは徐々に舟橋博士の記憶も薄れつつあった。
それに、自分とて何歳まで生きられるのかわからないのだ。
となれば、早くに自分の時間を持ちたいと考えるのは、現代人としての性なのかもしれなかった。
「信一殿の隠居はまだ大分先でしょうが、私は殿下の菩提を弔うために大阪を出たいと思います。ですが、その前に……」
ねねは、秀頼の正妻を決めておきたいようであった。
とはいえ秀頼はまだ数えで九歳であり、婚約だけというか実際の夫婦生活はまだ大分先という事なのであろう。
「あなたの四女である『瑛』が、一つ年下でしたね?」
「私の娘ですか?」
とは言ったものの、それは仕方の無い事なのかもしれなかった。
シンイチは、今のところは秀頼の補佐に全力を尽くしているが、いつ自分が天下をとも考えない保証は100%では無かったからだ。
秀頼とシンイチの娘の間に生まれた子供が次の天下人になれば、シンイチも自分の孫を潰そうとは思わないはず。
秀吉の糟糠の妻であったねねらしい、戦国大名の妻そのものと言った考え方であった。
「わかりました。ですが、正式な婚姻はもう少し大きくなってからですよ……」
シンイチはねねや淀君の前でも、全く隠す事無く渋々と言った表情をしていた。
まだ幼い可愛い娘を他所の家にやるのは嫌であったからなのだが、最近シンイチの娘が欲しいという大名が多いので、余計に彼を不機嫌にしていたからだ。
「ねね様の出家と、秀頼様の婚姻の件はこれで良いですね。ところで、淀君様はどうなされるのですか?」
秀吉の側室であり秀頼の母親でもある淀の方は、普通であれば豊臣の家を出て再婚するか、ねねと一緒に出家するのが筋ではあった。
いくら秀頼が幼いとはいえ、いつまでも彼の隣にいて政治に口を出していると、それはそれで豊臣政権を乱す要因にもなりかねないし、彼女の評判が下がってしまうからだ。
彼女に近しい大野一族や大蔵卿局などが専横に走ればそれを処分しなければならないが、それを邪魔する可能性があるのが彼女でもあった。
シンイチとしては、早く出家でもして欲しいと考えていたのだ。
「実は、再嫁しようかと思うのです」
「ほう、再嫁ですか」
一概に良いのか悪いのかわからなかったが、状況だけは動いたと感じるシンイチであった。
再婚先で秀頼の母である事を利用して下らない事でも考えたら処分も可能であったし、分を弁えてくれれば再嫁先の豊臣家への忠誠も期待できるであろう。
ただ、シンイチとしては、『公家の家にでも嫁いでくれないかな?』などとかなり都合の良い事を考えていた。
「ところで、どこの家に再嫁なさるおつもりで?」
「はい。舟橋家です」
「えっ?」
淀君の答えに、シンイチの目は点になってしまう。
舟橋家とは、シンイチの三番目の妻の実家である公家の家なのか? それとも自分の家なのか?
まさか後者はあり得ないと思いつつ、念のために聞いてみる事にする。
「それは、咲の実家である公家の舟橋家の方ですか?」
「まさか、筆頭大老である舟橋信一殿の舟橋家ですよ」
「ですが、該当者がいません」
現在の舟橋家には、淀君と結婚可能な男子など存在しなかった。
シンイチに父や叔父などはいないし、従兄弟や兄弟も存在しない。
息子は三人いるが、彼らと淀の方では年齢的に釣り合いが取れないのでそれは不可能であろう。
「居るではないですか。目の前に」
淀君は、妖艶な笑みを浮かべながらシンイチの顔を見ていた。
あの織田信長の姪であり絶世の美女して知られている淀君は既に三十歳を超えていたが、彼女は年齢を感じさせない美しさをいまだに持っていた。
さすがは、秀吉の寵愛を受けて二人の子供を生んだとも言うべきであろうか?
「またどうして私なのです?」
だが、シンイチとしては、こんな無茶な話は受け入れるわけにはいかなかった。
自分の義理の父親であった秀吉の側室を妻にするなど、倫理的に許されないと思っていたからだ。
「現在の豊臣家当主である秀頼は僅か九歳。これで世の中が揉めないはずはないのです。それは、先年の戦で理解できたと思いますが」
「はあ……」
だが、そのためにシンイチが筆頭大老として苦労しているのだし、秀頼の正妻として可愛い娘を差し出す事も決めている。
なので、これ以上の対応策は必要ないと考えたのだ。
「秀頼が成人するまでは、信一殿が事実上の天下人として政治を見なければなりません。だからこそ、私とあなたも夫婦となって二つの家を一体化させる必要があります」
戦国大名の娘として二度の居城の落城を経験した淀君は、やはりその辺の感覚が非常にシビアであった。
いくらシンイチに叛意が無いとはわかっていても、それは明日もそうである保証も無いし、家臣達がそれを勧めるという可能性もあった。
「あのう……。お義母様……」
シンイチは、この件では何も発していないねねに期待を込めた視線を向ける。
秀吉の正妻であったねねが反対をすれば、この件はそれで沙汰止みになるはずであったからだ。
「悪くない話ですね」
ところが、ねねもこの件には賛成であるらしい。
というか、明らかに淀君から事前に相談を受けていたようであった。
「淀の方もお若いのだから、もう二~三人はお子を生めるでしょう。その子達が秀頼殿を支えるようになれば御の字ですし」
最後の砦であったねねすら賛成するという事態に、シンイチは顔面蒼白になるも急いで緊急評定を行い、この件を他の大老や奉行達に諮ってみる事にする。
「(義兄上! 政宗! 俺に反対意見を言うんだ! そうだ! 三成殿ならきっと!)」
「特に異論はないですな」
「豊臣家の力が増しますし。国内を安定させないと海外に出られませんからな」
ところがただの一人として、シンイチと淀君との婚姻に反対する人間は存在しなかった。
「反対する理由が見付かりませんな」
舟橋家による豊臣家への専横とか、それと似た類の言葉を三成に期待したのだが、肝心の三成には全くその気配が感じられなかった。
「待て、三成殿! 心の中では大いに反対だよな?」
「いえ、ですから別に。亡き殿下の血を引く秀頼様は特別として、半分血の繋がった新しい弟達などが秀頼様を支えるのは悪くないですし……」
「秀忠殿は、反対であろう?」
淀君の妹であるお江を妻としている徳川秀忠ならばと期待したシンイチであったが、彼はシンイチの期待を裏切る返事をしていた。
「義兄上、これからもよしなに。ご婚姻おめでとうございます」
義理とはいえシンイチの弟となる利点を考えた秀忠は、逆にシンイチにお祝いの言葉を述べる始末であった。
そして同時に、この評定に出ている大名達には悟ってもいた。
シンイチが秀頼が成人するまで豊臣政権を補佐するのも、野心を露にして権力を奪い取るのも全ては彼の胸の内一つであり、自分達ではそれを止められない。
徳川秀康、宇喜多秀家、小早川秀秋、上杉景勝、毛利輝元、前田利長と。
本当の心の内はわからなかったが、シンイチを脅かす存在であった彼らは既にその力を大きく落とすかこの世には存在していない。
嫌でも従うしかないのだが、シンイチは早くに日本を纏めて海外に領地と交易網を広げようとしている。
ならば、それに従うのも悪くないと考えていたのだ。
「それよりも、新しい花嫁殿に悪いですぞ。心から歓迎して迎え入れないと」
「義弘殿には叶いませんな……」
年長者である島津義弘に忠告を受けたシンイチは、正式に淀君を側室として受け入れる事を発表し、同時に秀頼が成人するまで実質的な大阪城の主にして天下を実質的に差配する立場となる。
慶長六年(1601年)の十二月。
シンイチは、実質的に天下を差配する立場にまで出世を遂げる事となるのであった。
この時代に来てから二十九年目の事であった。
寛永七年(1630年)。
約三十年前に始まった第二次大阪開発計画によって、大阪城は大砲などの攻撃にも耐えられる近代的な要塞設備へと改修・拡張され、それに付随した城下町などが今も建設中であった。
更に、中央集権化のために必要な官僚組織の編成や、彼らが公務を行うための各奉行所などの施設。
全国の大名達が妻子を住まわすための大名・旗本屋敷や、一般庶民の住む城下町、港には神戸と連携した広大な水軍用や交易用の港湾施設なども建設され。
他にも、日々進化を遂げる種子島や大砲などの大規模生産工房や、ガレオンタイプの船を建造する造船所や、船員、軍人、技術者、官僚などを養成する各種学校なども建設され、これらの設備は規模は多少違うものの蝦夷にある函館や、仙台、江戸、敦賀、福岡、鹿児島などにも建設されていた。
秀頼成人まで権力を預かったシンイチは人材の育成に力を注ぎ、彼らを使って国内の開発を促進し、それでも余った人口を次々と海外へと殖民させていく。
特に、戦乱が終わって余り気味になっていた武士や足軽の中で、転職に応じ無い者達や、豊臣政権設立の余波で改易・減封された者達は、自分達の新しい領土を得るべく積極的に海外に討って出る事になる。
シンイチも、国内の安定化のためにそれに支援をしていた。
まずは、キリスト教の宣教師が九州で奴隷貿易に関わっていて、しかもそれにスペインが関与していたという理由で、1610年に日本は久しぶりに戦争を行う事となる。
既に支配下にある琉球の那覇や高山国(台湾)などから、ルソンのどのフィリピン諸島郡の領有を目指して陸水軍を侵攻させていた。
加藤清正を大将とした十万の陸兵に、それらを乗せてスペインの艦隊を圧倒する勢いの大艦隊で、現地の僅か数千人しかないコンキスタドール(征服者)達が率いる兵団は僅かな日数で潰滅。
新しい征服者となった日本であったが、過去の朝鮮での轍を踏まないように現地の原住民達に新規の新田開発や、文化・芸術・新しい技術などで懐柔を行い、現地の首長らの子息と大名家との婚姻を強化。
更には、スペインが現地の統治に修道会を利用したように、日本から仏教や神道を持ち込んで時間をかけて日本との融和を進めて行こうとしていた。
東南アジアでは、現地の支配者達と交渉して貿易拠点や無人の島や土地への殖民を行い。
なお、これには既に小西行長を船団長とする探索隊が発見した南海大陸や、瑞穂島、秋津島(ニューギニア島)、南洋諸島群も含まれていた。
勿論、今の日本の人口ではすぐには殖民は不可能であったが、航路図や地図などの作成や、標識の設置や、貿易拠点などの構築などで領有権などを早めに主張する事にしたのだ。
それに、今の日本では国内の開発などにも人を割いているので、これは数百年をかけて国内と海外とのバランスを取りながら進める、一種の長期戦略的な日本国拡大計画でもあった。
発見された土地の権利は大名達にも与えられており、先の戦いで領地を減らした毛利・上杉・前田家などは勿論の事。
既に、ハワイや北米に到達している伊達・最上・南部などの東北連合探索隊なども、国内の開発と海外への殖民のバランスに政治力を割く事となる。
豊臣政権は文字・言葉・単位などの統一を進め、中央政府や大名達が獲得して開発を進めている海外領土を適正なレベルで監視していく。
そして、もしそこで何かがあったらすぐさま援軍を送れるように準備を怠らないようにする。
これが、豊臣家当主が関白となり、支家である舟橋家がそれを補佐していくという体制で1856年まで続く事となる、新しい日本の統一政権であった。
1856年の政変は、立て続けに起こる豊臣家の政権運営に関わる不手際に対し、次第に力を増して来た大商人や資本家達が起こした無血クーデターであったのだが、豊臣家が大政奉還を行って議会を設置した際に初代大統領の地位にいたのは、初代に匹敵する才能の持ち主と噂される舟橋家代十七代目当主である舟橋伸一であった。
その頃の日本は、上の支配地に、五大湖以西の大和大陸(北アメリカ大陸)、南アメリカ大陸の西半分、蝦夷、樺太、バイカル湖以東のシベリア地域などがあったが、あまりに政権委譲が簡単に終わったのでイギリスなどは何も出来ずにそれを見守るだけであった。
こうして太平洋を自宅の池とした日本は、天皇を名目上の国家元首とする緩やかな大和連邦共和国を設置し、その後はインド・中東・アフリカなどを植民地化した西欧諸国や、明と清に分裂してそれから数百年間も争う事となる中国と、二回に渡る世界大戦や、その後の冷戦構造などで対決していく事となる。
だが、それはまだ二百年以上も先の事であった。
シンイチは、1615年に成人した豊臣秀頼に権力を全て返還して年号を元和へと改定する。
その後は、暫しの猶予という事で三年間は秀頼の補佐を行っていたが、元和四年(1618年)に全ての職を辞すると、そのまま大阪郊外の屋敷に移動して本当に近所の子供達に勉強を教えるようになっていた。
『まさか、本当に実行するとは……』
これが、シンイチにあっさりと権力を返された豊臣秀頼の感想であった。
彼は、たまに困った事があってシンイチに意見を聞きに行ったのだが、その度に『明日にも死ぬかもしれないオイボレに意見を聞きに来てはいけません』と門前払いを喰らう有様であった。
秀頼は、最高権力には大きな責任が伴い、決してそんなに良いものではない事を知る。
だが、幼い頃からシンイチから教わった事を参考に、豊臣家二代目として順調に政権運営を進めるようになっていた。
「あなた、また秀頼を門前払いですか?」
「ああ。この国で一番偉い実務者なのだから、自分で考えるか政権内で良い意見を出した者から採用すれば良い」
大阪郊外の少し古びた屋敷の書斎の中で、シンイチは塾で子供達に配る教科書の原文を書いていて、お茶を持って来た淀君に自分の考えを語っていた。
最初は政治的な意図でシンイチに嫁いだ淀君であったが、彼女はシンイチとの間に二人の男の子と一人の女の子を産み、二人の男の子は淀君の父である浅井家と、母親であるお市の方の再嫁先である柴田家を継いで大名として秀頼を支えていた。
更に他の妻達と同じく、こうしてシンイチの第二の人生にも付き合っている。
お蘭を始めとする妻達は、子供達に勉強を教えるシンイチの手助けをしながら彼と一緒に生活をしていたのだ。
「それに、ここで俺が手を貸したら世間は秀頼様への政権譲渡を認めない。成功への賞賛も、失敗への非難も、全てを背負い込んでこその権力者だからな」
シンイチの筆頭大老時代も、常に失敗と隣り合わせであった。
いくら知識があったとしても、それと実際に政治を行うのはまるで別であったからだ。
それでも、総合点で七十点くらいはいっただろうなと思い、あとは疲れたので約束通りに成人した秀頼に任せる事にしたのだ。
引退したシンイチは、身分を全く問わずに子供達に勉強を教え、貧しい家の子達には飯を食べさせてやり、成績優秀者を人材を欲しがっている奉行所などに紹介状を書いて送り出していた。
「確かに、あなたの言う通りですね。それと、またお客さんなのですが」
「誰かな?」
「俺だよ。俺」
それは、シンイチの引退後にも筆頭大老として秀頼を補佐していた森長可であった。
「俺も、引退する事にしてな」
森家の家督を嫡男に譲り、筆頭大老の地位も徳川秀忠に譲って来たとの長可の話であった。
「出家でもするのですか?」
「いいや、ここで世話になる事とする!」
「三成殿や行長殿みたいに、軍学や官学の講師をすれば良いじゃないですか……」
同じく、この頃には筆頭奉行として苦労してきた石田三成や、博多の拡張、南方探索、貿易事業の増進などに貢献してきた小西行長なども引退をしていて、彼らは豊臣家が設立した官僚を育てる塾や、船員などを養成する学校の校長などになっていた。
第二の人生と言うか、天下りの走りとでも言うのか?
後進を育てるというのは良い事であり、そもそもその塾制度を整えたのは現役時代のシンイチであったのだが、彼自身はその塾の運営に参加していない。
現在自分でやっている私塾は、シンイチが自分でお金を出して全くのボランティアでやっていたからだ。
東国の雄にして関東の支配者である舟橋家の先代当主であるシンイチであったので、そのくらいの事をするお金は持っていたのだ。
とある商人の屋敷であった家屋を改装して大きな教室を作り、朝からは子供達に勉強を教え、夜になると仕事を終えた大人や老人達にも勉強を教える。
そしてそのシンイチを、四人の妻達や引退した家臣やその家族達が手伝うという形になっていた。
「俺は、この歳になって妻にも先立たれてな。まさか戦なんてもう国内では無いだろうし、海外で外人を相手にするには歳取り過ぎた。あとはお前と一緒にこの国の行く末を見守りながら、子供達に勉強でも教えるさ。無学者の俺でも、字くらいは教えられるさ」
若い頃には鬼武蔵の異名を誇った長可であったが、彼はただそれだけの男ではなかった。
シンイチから貰った書物を貪るように読み、後年では筆頭大老であるシンイチの補佐を行い、彼の引退後には僅かな年数であったが筆頭大老として見事に秀頼を補佐できるまでに成長していた。
あの石田三成が認めていたのだから、本当にただの戦闘狂ではなかったのだ。
「それに、ここにはたまに三成や政宗も来るからな」
シンイチと長可は、大分先に死んでしまった義三兄弟の長男である蒲生氏郷の菩提を慰めながら、子供達に勉強を教える日々を続ける。
たまに臨時の教師として来る、石田三成、小西行長、脇坂安治、福島正則、伊達政宗などと昔話をしながらお茶を飲む。
もはや天下は、成人した秀頼が四苦八苦しながら何とか上手く纏められるようになっていた。
もはや、老人である自分達にする事など何も無いのだ。
「権兵衛や清正は、早く死に過ぎだな」
「あいつらは、誰よりも丈夫そうなのにな」
下らない昔話や世間話をしつつ、授業の合間にそんな話をするシンイチや長可達。
だが、次第に石田三成が死に、小西行長が死に。
最後には、一番若いはずの伊達政宗までもが死の床についていた。
二人は、大阪の伊達屋敷に政宗を見舞いに行く。
「いやはや。昔に考えた舟橋殿の死の後に天下をという策は、寿命的に無理でしたな」
喉に癌が出来て食事すら喉を通らない政宗であったが、二人の姿を見ると元気に話を始めていた。
「実力的にもだな」
「俺や信一と同じ時代に生まれた不運を呪え」
「病人にえらい言い様ですな」
「もう百年もしたら、蝦夷やその更に北方に伊達の王国が出来ているさ。それでも、十分に誇れるだろう?」
「確かに、こんな男には勝てないな」
「そんな俺らも寿命には勝てないさ。数年あの世で待つんだな」
政宗の死を見送った二人は、その後も子供達に勉強を教える毎日を続ける。
そして、寛永二十一年(1645年)の夏の日。
遂に二人は、最後の時を迎えようとしていた。
既に妻達にも先立たれたシンイチと長可は、息子達の嫁に面倒を見て貰いながら病床に伏せていた。
「なあ、義兄上」
「何だ? 信一」
同じ部屋で隣同士の床に伏せる二人であったので、その間に色々な話をしていた。
そしてその中で、シンイチはそれとなく自分がどこから来てどうして武士になったのかを長可に話していた。
あと数日の命で、共に今にも死にそうな長可だけに話をしていたのだ。
「やはり、かの大陸は大国なのだな。お前が国の統一に拘った理由が良くわかったよ」
長可は、まるで疑う事なくシンイチの話を聞いていた。
「そんな与太話とか言わないのですね?」
「共に死に行くまでの僅かな猶予だ。そんな嘘を付いても仕方があるまい。それに、お前がなんでそんなに博識なのかがわかったからな。それで、今のこの国に満足しているか?」
「こんな物でしょうね。七十五点くらいです」
「厳しいなぁ。信一は」
「政治ってのは、平均六十五点を取り続ける事こそが重要なんですよ」
「こんな時でも、塾の試験の話か……」
「俺達の、今の仕事じゃないですか」
それから数日後、舟橋信一と森長可の二人はほぼ同じ時刻に息を引き取っていた。
そしてそれらの報告は、既に引退して息子の秀一に関白の地位を譲っていた太閤豊臣秀頼にもすぐに伝えらた。
「そうか。あの二人が同時に……」
その後、大阪において秀頼を喪主とする大規模な葬儀が行われ、二人には朝廷から正一位の位が贈られる。
秀頼は、自分が成人するまで統治者として苦労し、成人後には何ら躊躇う事なくその権力を返還したシンイチと、彼を支え続けた長可に心から感謝していた。
そしてそれと同時に、自分に訪れたこの幸運とは何であったのだろうかとも考える。
既に政治の第一線に関わるようになって三十年以上。
秀頼とて、自分が非常に幸運に恵まれて大人になった事も理解していたからだ。
「世の中には、わからない事が沢山あるものだな」
だが答えは見付からず、秀頼はこれからも豊臣政権が無事に存続する事を願いながら、豊国神社に二人を従祭神として祭る決定をする。
更に、舟橋家は関東管領として、森家は東北管領という新設された官職に代々就任して、東国の統治と北方の探索・開発を任されるようになるのであった。
ここに、長かった舟橋信一の奮闘はようやく終わる事となる。
タイトル通りに端折り作品なのでこれで終わりです。