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二十八話

「利長殿も、秀康殿に付いたのか。これは手厳しい」


「ですが、その弟御である利政殿は東軍なのですな」


「東軍?」


「ええ、大名達が勝手にそう呼んでいるのですが、殿は東国に領地があるので東軍、それよりも西側に領地がある輝元殿や秀康殿は西軍だそうで」


 徳川秀康軍と徳川秀忠軍の睨み合いが始まってから一ヶ月の時が流れた。

 最初は、領地を返せ返せないの争いであったものが、シンイチが軍を派遣して双方の間に割って入りつつも秀忠を援護し始めると、それに呼応してではなかったが、上杉景勝が直江兼続と共に三万五千もの大軍を引き連れて秀康軍と合流を果たす。


 勿論、これに手を打たないシンイチではない。

 事前に上杉軍の動員を掴んでいたので、これに対応すべく関東全域で初の大規模動員を開始し、先の一万と合わせて八万もの大軍で秀忠軍と合流していた。

 

 他にも、森長可の三万五千、伊達政宗の二万五千、佐竹義宣の一万五千、相馬義胤と秋田実季が三千ずつ、津軽為信が四千、南部信直が五千、戸沢盛安が千五百と東北の諸大名が合流している。

 なお最上義光は、上杉に備えるべく東北に残留している。


 これで兵数では圧倒的になったシンイチであったが、これに驚いた毛利輝元は追加で動員を開始し、他にも形振り構わずに軍勢を動員。

 上杉景勝が四万五千、前田利長も四万五千、毛利輝元に至っては五万という限界に近い人数を動員していた。


「信一殿、お久しぶりです」


「正則殿、那古屋の開発は順調ですか?」


「まあ、順調だったのですが……。これで中断です」


 東軍には、福島正則も合流していた。

 他にも、真田昌幸・信幸・信繁親子、浅野幸長、稲葉貞通、織田信包、田中吉政、仙石秀久、加藤嘉明、脇坂安治、十河存保、島津義弘・豊久、藤堂高虎、堀秀治、長宗我部信親、大友吉鎮、立花宗茂、黒田長政、(佐久間)佐々成之などが参加し、総勢は十九万人を超えていた。


 四国と九州の大名は、極一部を除きシンイチを支援する者が多いよいであった。

 シンイチの復興支援策の成果とも言えよう。


 対する西軍は、赤座直保、亀井茲矩、石川康長・康勝兄弟、生駒親正、池田由之・元信兄弟、石川貞清、氏家行広・行継兄弟、織田秀信、小川祐忠、加藤貞泰、滝川一忠、宮部長房、金森長近、丹羽長重、富田信高、安国寺恵瓊、伊藤盛正、織田信高、垣見一直、木下重堅、木下利房、杉原長房、毛利秀包、吉川広家などが参加して総勢二十万七千人。


 最初はただの家督争いの延長から、次第にシンイチとの雌雄を決する戦いとなって動揺はしていたものの、すぐに気を取り直した秀康が、富裕となった関東や東北に領地を加増して与えるという条件で彼らを勧誘して、人数だけは多めに引き抜いている。


「集めも集めたりか」


「やはり、豊臣家のために舟橋殿には消えていただく」


 そして残念な事に、中老の宇喜多秀家と小早川秀秋は一万七千と一五千の兵力で西軍の方に陣を張っていた。

 秀吉の猶子である秀家や、元養子であった秀秋は特にシンイチに隔意があるわけではない。

 

 秀家は現在、日蓮宗徒が多い家臣達にキリスト教への改宗を勧めたためや、長年の戦争による財政の悪化を立て直すために重用している長船綱直や中村次郎兵衛の専横などによるその他の家臣達の不満により、家内に騒乱を抱えていた。

 シンイチは、双方が暫く頭を冷やすようにと戸川達安、宇喜多詮家、岡越前守、花房正成、角南重義を預かってはいるが、『定期的に冷静に話し合った方がいい』などと本気で言うシンイチを、秀家は嫌いではなかった。


 秀秋も領地を元に戻して貰った件があるが、いくらシンイチが裏で便宜を図っていても秀秋は生前の秀吉が遺言で残していたからこそ、自分は元の領地に戻れたと思っていて、特別シンイチに恩義を感じているわけでもなかった。

 嫌いでも無かったのだが。

 

 秀家と秀秋が、西軍に付いた理由はただ一つ。

 もし多くの領地と経済力と兵力を持ち、多くの大名と仲の良いシンイチが野心に目覚めて秀頼を排除したらと考えたのと、彼を排除して自分達の中の誰かが秀頼の執政として力を握るという、戦国大名としては極めて自然な理由ではあった。

 

 まずはシンイチを倒してその領地を秀康や秀秋と分割し、三人で大老となって豊臣政権で重要な役割を担う。

 更に残りの二人を出し抜くにのに、まずはシンイチの排除が不可欠だと思っただけであった。


「利長殿は、こちらに付いてくれると思ったのだがな」


「兄上は、それをすると舟橋殿の一強が防げぬと」


「利長殿も、乱世を生きる武士であられたか」


 僅か三千人の軍勢で東軍へと参加してる前田利政が、シンイチに自分の兄が考えている事を説明する。


「最悪、前田家は滅びぬのが救いか。利家殿への罪悪感が増えなくて良かった」


「勝てると思っていらっしゃるので?」


「そう思わないと、戦など出来ません」


 ただ、不安がないわけでもない。

 

 過去の旧日本軍や自衛隊などの訓練マニュアルや、集団での道路工事や堤防の建設などで練度を上げていたが、シンイチの関東移封以来、舟橋家の武士達にはあまり実戦の機会が存在しなかったからだ。

 それでも、ようやく戦乱から縁が無くなった関東を守るために、その力を発揮してくれると信じる他は無かった。


「でも、目の前は上杉家ですよ」


 遠江・駿河の国境線十数キロに渡って睨み合う両軍であったが、本軍であるシンイチと秀忠の軍勢は、毛利輝元、上杉景勝、徳川秀康の軍勢と真正面から睨み合っていた。


「利政殿も、ここの担当ではないですか」


「それは、そうなのですが……」


 上杉家はこの戦いに備えるべく、前田慶次郎、才道二、上泉主水、反町大膳亮、北爪大学、山上道及、小幡将監、岡左内などの半ば伝説となっているような武士達を多数召抱えている。

 

 一方のシンチイ率いる舟橋軍は、数は多いが武将の駒は揃っているとは言い難かった。


「あとは、実際に戦ってみるまでですな……」


 シンイチが半ば達観したような意見を言うのと同時に、遂に我慢が仕切れなくなったのか?

 隣に布陣していた森長可の軍が前田利長軍へと攻撃を開始し、それに呼応するかのようにまるでウェーブように睨み合っていた軍勢同士が激突する。


 慶長四年十月七日。

 徳川家のお家騒動から端を発した二つの徳川軍の睨み合いは、全国の大名達の様々な思惑や野心を呑み込んで、今までに無い規模の大開戦へと発展するのであった。


 シンイチが本陣を諏訪原城に置いていたためにそう名付けられた、後の世に言う『諏訪原城の戦い』であった。






「これは、華が無い。舟橋殿は、戦をつまらぬ物へと変えてしまったようだ」


 上杉軍の先陣として舟橋軍に突入を開始した前田慶次郎は、敵陣からまるで夕立のように降って来る大量の矢と大砲の一斉射に、酷くつまらなそうな顔をしていた。


 それほどの勇者がいるのかと喜び勇んで朱槍を扱いて突入したのに、既に多くの上杉軍の兵士達がその餌食となっていたからだ。

 精強なる上杉軍とどう対抗するか?

 シンイチは、同じ土俵の上で戦うのを避ける事にした。

 古代中国で使っていたと言われる、一度に大量の大型矢を放つ連弩や、長射程で照準の付け易い高性能な新型種子島の大量配置。

 そして、本来であれば船に乗せている大砲による攻撃と、最初に舟橋軍へと突撃した上杉軍と毛利軍の先鋒は、僅か一刻ほどで数千人がこの世から消えていた。


「ならば、舟橋殿の首を狙ってみるのも一興か」


 慶次郎は、一旦自分の部隊を後方に退かせてから再編成を行い、上泉主水や山上道及の部隊と共に再度突撃を開始する。


「小幡将監殿と、反町大膳亮殿が討たれたと?」


「ああ、二人とも大量の矢が刺さってな」


「毒でも塗ってあったのかな?」


「人間が、何百本も矢が刺さったら死ぬだろうな」


 三人の部隊を先頭に、遂に上杉軍と毛利軍の全軍が舟橋軍と全力で戦い始める。

 事前の予想では、実戦経験に乏しく優秀な武将の数が少ないシンイチの不利と言う意見が多かったのだが、意外にも今のところは互角に戦っていた。


「うーーーん、あれが前田慶次郎か。化け物だな」


「まあ、殿でなければ問題はあるまい」


「しかし、舟橋殿は我らが裏切るとは考えなかったのかな?」


「それをしても、この兵士達が従わないのを知っているのであろう」


 平均的に兵士が鍛えられていたのと、佐久間三兄弟と、宇喜多家軍とは直接戦わないという条件で、戸川達安、宇喜多詮家、岡越前守、花房正成、角南重義などが一万ほどの兵を預かっていたからだ。

 

  


「訓練の成果はあったようだな」


 他にも、前線で指揮を執る舞兵庫は、自分が訓練した部隊を率いて巧みに毛利軍を翻弄して少しずつ損害を蓄積させていく。

 更に、これに加藤清正や藤堂高虎、島津義弘・豊久などの部隊も突撃して行く。


 

「宗茂殿は、西軍ではないのだな」


「吉鎮様の件では、舟橋殿だけでなく私にも責任がありますし。ここで東軍が勝てれば、吉鎮様の豊後復帰の可能性もありましょう。ですが、西軍が勝っても期待は薄いでしょうな」


「わかり易くて結構だな」

 

 森軍と立花軍は、少数の大友軍と豊後で牢人や帰農をしていた旧大友家家臣達などを率いて、前田利長軍へと攻撃を開始する。




「さて、摺上原の戦い以来でごらるか? 義宣殿」


「そんな事もあったか。だがな、政宗殿。我ら東国の武士達が、重臣がこぞって抜けた宇喜多の若造や、隆景殿からの重臣達に見捨てられた秀秋の小僧に負けるとでも?」


「思い申さん。あまり獲り甲斐のない首ではあるが、中老就任を目指す義宣殿には良い手土産となろう」


「それで、政宗殿は大老主任を目指すのか?」


「あんな堅苦しい役職はゴメンですな。信一殿の苦労の日々を毎日見ているが故に」


 伊達・佐竹軍を主力とした東北諸大名やそれを応援する第三の軍団は、宇喜多秀家と小早川秀秋を主力とする西軍部隊に攻撃を仕かける。


 この主に三つの軍団に分かれた始まった戦いであったが、最初は中央の舟橋軍が新兵器などの投入で上杉軍や毛利軍に大きな損害を与えるものの、次第に戦線は膠着状態となっていた。

 既に朝鮮の役の戦訓を元に増強した各大名の鉄砲隊は、接戦になったがために一時後に退いていたし、シンイチが苦労して設置した大砲も乱戦のために使えなくなっていたからだ。


「あれだけ殺せれば十分かね?」


「上杉軍は、まるで崩れていませんが……」


「言うなよ。あそことか、島津家とかは別格なんだから」


 シンイチは、東軍の総本陣で旗本隊を指揮する吾一と話をしながら遠眼鏡で戦いの様子を観察していた。

 確かに膠着状態なのだが、とにかく大軍が戦っているので人死にが多いらしい。

 次第に、伝令などから敵・味方の名のある戦死者達が報告されていく。


「前田家家臣、高畠定吉殿を立花軍が討ち取りました!」


「森軍の安田国継殿が、前田軍の村井長頼殿を!」


「森軍の井戸宇右衛門殿が、冨田重政殿を……」


 精強を持って知られる前田軍であったが、槍の又左と呼ばれた先代利家は既にこの世には亡く、その息子である利長はどちらかと言うと内政に長けている人物であった。


 前田軍は、重臣の奥村永福や篠原一孝や長連龍などの猛将達が懸命に軍勢を崩さないように支えていたが、何しろ相手が悪かった。

 鬼武蔵こと森長可と、九州では最強と噂される立花宗茂が率いる軍から攻撃を受け、次第に軍勢を後退させる羽目に陥っている。


「夜戦は危険かな」


 丸一日近く続いた戦いであったが、次第に空は暗くなり始めていた。

 これだけの大名達の軍勢が多数戦っている会戦で夜戦を行うと同士討ちになる可能性があったので、シンイチも秀康達も一旦兵士達を退かせていた。


 そして、お互いに夜襲を警戒しながら夜営に入るのであったが、両軍の別の戦いはここでも発生していた。


「酒は駄目だが、各軍への兵糧は怠り無く頼むぞ」


 シンイチや政宗などの関東・東北の諸将は、この数年間での開発で増産した食糧を景気良く東軍の大名達に与えていた。

 全て米というわけにもいかなかったが、雑穀や栽培に成功したサツマイモやジャガイモなども配り、保存用の荒巻鮭などもおかずとして配っている。


 両徳川軍が睨み合いを始めてから一ヶ月あまり、そろそろ兵糧が心許ない味方にお礼として配る事にしたシンイチであった。

 

「これは、砂糖ではないか!」


 他にもテンサイの栽培に成功し、南方との交易で砂糖の輸入にも成功していたので、関東や東北では砂糖は金を出せば買える品物になっている。

 それと、サトウカエデなどの植樹なども始めていたが、さすがにこれはもう少し時間がかかる予定であった。

 いわゆるメープルシロップが作れるのだが、木なので育つのに時間がかかるからであった。


 シンイチは、砂糖やそれらを使ったお菓子も、東軍の兵士達に配っていた。

 かなり無理はしているのだが、とにかくこの戦に勝つためであった。


「東軍は崩れぬな」


「それどころか、前田軍の損害が大き過ぎます」


「上杉軍も表面上は精強さを失っていないが、あの損害では厳しいであろう」


 一方の西軍であったが、その中心が秀康であったので彼が西軍の食糧などを全て負担するなど逆立ちをしても不可能であった。

 かと言って、前田、毛利、上杉などの各大名にも不可能であり、古い者では一ヶ月にも対陣と今日の戦いで財政をかなり危うくしている者も存在していた。


 それでも彼らが瓦解しないのは、戦後に豊かな関東の土地が貰えると信じているからであった。


「我らの西軍は一万五千人の損害で、東軍は六千人ほどであるか。まだ兵数ではほぼ互角だ。明日に勝負をかけようと思う」


 秀康は、輝元、利長、景勝の大老三人を立てながら明日の戦いについて意見を述べるのだが、この意見に反対する者はいなかった。

 とにかく、諏訪原城内に本陣を構えるシンイチを討てれば勝ちなのには変わりが無かったからだ。


「(舟橋信一! 俺は、お前を討って太閤殿下の跡を継ぐ!)」


 秀康は、一人諏訪原城の方角を見ながら決意の炎を燃やすのであった。   





「かかれぇーーー!」


「突撃ぃーーー!」


 第一日目は夜になったので一旦終了した両軍による大会戦は、夜明けと同時にまた始まっていた。

 状況は昨日と同じで、西軍が東軍に襲い掛かるパターンが多いようであった。


「昨日は大量の種子島にやられたがな!」


 西軍よりも遙かに多い。

 それも、最新式の種子島を多数備えた東軍のせいで撃ち負けて先鋒部隊に大量の犠牲を出した西軍であったが、今日はこのまま勝てると確信していた。


「あれだけ派手に撃って、種子島も大筒も既に弾はさほど残ってはおるまい!」


 本日の上杉軍で先鋒の名誉を賜った上泉主水は、昨日の犠牲にもめげずに舟橋軍へと突入を開始するが、再びその足を止められてしまう。

 大量の大型の矢に、巨大な投石器から放たれる岩、更には昨日とまるで変わらない勢いの種子島と大砲による連射によって、多くの味方が倒れていたからだ。


「バカな! そんなに大量の火薬を保持していると言うのか!」


 遠距離からとはいえ、大量に降り注ぐ矢、岩、大砲の弾、銃弾にまた多くの兵士達が倒れていく。


「これは、これは。まるで夕立のように色々な雨の粒が見えるではないか」


 そして、そんな状況の中でも一人涼しい顔をしている今日も最前線にいる前田慶次郎であった。

 それと、これほどの攻撃を受けて今日も損害が大きいのに、まるで軍の士気も統制も崩れない上杉軍に、シンイチは『あれは、反則だろう』と心の中で思っていた。


 だが、もう一方の毛利軍はそうはいかなかった。

 昨日は何とか持ちこたえていたのだが、熊谷元直、天野元信、益田元祥、天野元政などの武将が次々と討ち死にして、遂に毛利軍先鋒部隊は大混乱の後に潰滅してしまう。


「バカ者! この程度の事で軍勢を崩すな!」


 主力部隊の一部を率いている毛利秀元が、逃げ散っていく兵士達を怒鳴り付けて元の場所に戻そうとするが、その効果はまるで無く逃げ散る彼らが毛利軍の隊列を大きく崩してしまう。


「毛利軍を突け!」


 そこに佐久間勝政が率いる舟橋軍が突入して、徳川秀康軍や上杉軍との連携を断ち切りながら毛利軍への猛攻を始める。

 

「防げ! 輝元様の本軍に手をかけさせるな!」


 吉川広家が懸命に佐久間勝政軍の猛攻を防ごうとするが、そこに片桐貞隆や旧北条系の家臣達が率いる新手の軍勢も投入され、毛利軍の崩壊は既に時間の問題となりつつあった。


「勢い勇んで一番兵を揃えてこの様か!」


 あまりの自軍の脆さに毛利秀元は悔しがっていたが、その彼にしても既に自分の軍勢を纏めるので精一杯の状態であった。


「毛利軍を救援しろ!」


 このまま中央の毛利軍が崩壊したら、他の右・左両軍へも影響が波及してしまうと考えた秀康は自分の軍勢から救援を送ろうとしたが、それを傍にいる本多正信に止められていた。


「秀忠軍と松平忠吉軍への対応で手一杯です」


 宇喜多家臣達の率いる軍勢や、宇都宮国綱、徳川秀忠、松平忠吉などから攻撃を受けている徳川軍には、既に他所に応援を送る余裕など存在しなかった。


「上杉軍は?」


「更に、苦しい状況かと……」


 シンイチは、『上杉軍こそが、中央軍の要』だと考えて、これに多くの軍をぶつけていたし、この二日で前に出ていたばかりに多くの犠牲者を出している。

 これだけの犠牲が出ていても、数の多い舟橋軍やその他を互角に戦える彼らは精強そのものであったが、他に援軍を送る余裕など勿論存在しなかった。


「忠勝殿、まさかここで戦う羽目になろうとはな」


「直政か……」


「来たか。忠次」


「こんな老いぼれを素直に隠居させなかったお前らが良く言うわ! 秀康様は徳川を滅ぼすつもりか! しかも、それをなぜ諌めぬ! 忠勝もお前も大バカ者じゃ!」


 そして、徳川軍では元の仲間達との戦いという悲劇にも見舞われている。

 松平忠吉の執政井伊直政は本多忠勝の軍と、秀忠の家臣である酒井忠次は、今にも倒れそうな病身の体を押して榊原康政の軍に攻撃をかけていた。


「宇喜多軍ではないからな。遠慮なくいかせて貰うさ」


 これに、戸川達安、宇喜多詮家、岡越前守、花房正成、角南重義なども加わり、秀康軍も徐々に後ろに押される展開となっていた。


「大道寺直次殿が 毛利軍の堅田元慶殿を討ち取りました」


「松田康郷殿が、平賀元相殿を……」


「成田長忠殿が、福原広俊殿を」


「御宿政友殿が、毛利元氏殿を討ち……」


 次々と入る舟橋家に所属する旧北条家家臣達の戦果を見ても、既に毛利家は完全に崩壊して一方的に狩られるだけの立場に転落していた。


 そして、更に悲劇は訪れる。


「殿! ここは兵を一旦下げましょう!」


「私では、やはり父のようにはいかないのか……」


 森・立花両軍から攻撃を受け、相次ぐ家臣達の討ち死にと大量の兵の損失を被った前田利長は、奥村永福から一旦兵を退くようにと説得されていた。


 世間では、この手の判断を誤るような人物ではないと言われていた利長が西軍に付いた理由はそれほど難しい事ではない。

 生前には並み居る大身の大老達を差し置いて筆頭大老となった、父利家を超えたいという願望の現われでもあった。

 

 利長は、父である利家が死んでから彼の偉大さに改めて気が付いていた。

 領地の広さから言えば格上な毛利家や、森家や、舟橋家などがいたのに、利家が筆頭大老として物事を決めれば全員が素直に従っていたし、シンイチなどは惜しむ事も無く利家に良い意見を提案し続けていた。


 ところが、利家が死んで自分が大老として顔を出すと、彼らは明らかに自分を格下の存在に見ていた。

 毛利家や上杉家は新筆頭大老と次席大老なのに、おかしな牽制や韜晦を続けていて、シンイチも利長が賛成に回れば森長可と合わせて三票になるという考えで自分に接して来る。

 

 利長は、プライドを傷付けられて秘かに腹を立てていた。


 これも、父利家のような『槍の又左』と呼ばれるような武功が無いからだと思った利長は、始めて自分の判断で戦に参加する事を決意する。


「(舟橋信一を討って、この武功を元に大老の中で抜きに出るのだ!)」


 利長は、死の直前に利家から聞いた全ての話を敢えて忘れて、シンイチを討とうと決意していた。

 

 だが、初陣である長篠の戦から既に二十五年ほど。

 鬼武蔵と呼ばれる森長可と並んで、シンイチは多くの戦場を駆け、決して利家には負けないほどの武功の持ち主となっている。

 利長ではやはり荷の重い相手であり、しかも利長はその前に森軍と立花軍に完膚無きまでに打ち負かされていた。


「前田軍は精強なのにな。父が指揮していたら、こうはならなかったかもな……」


「何を仰います。戦には時の運というものも存在します。ここは、再起を期すべきかと」


 自分の軍才の無さに落ち込む利長を、奥村永福が戦は時の運と慰める。


「そうだな。奥村殿と篠原殿は、殿を連れて退かれるが良かろう。このままでは、本当に再起不能になってしまうからな」


「木村殿と岡島殿は、どうなされるのだ?」


「なあに、最後のご奉公というやつじゃよ」


「我らは、戦しか能が無いからの」


「すまぬ……」


 前田利長は、木村三蔵と岡島一吉の軍勢が森軍や立花軍を足止めしている間に戦場からの離脱に成功する。

 だが、利長が指揮している兵の数は、既に一万人を割っている状態であった。

 勿論全員が戦死したわけではなかったが、大量の人死にに兵士の逃走が防げなかったからだ。


「暫くすれば、戻って来る者もいよう。まずは領地に戻るとするか」


 前田軍撤退するの報で西軍に衝撃が走るが、毛利軍に至っては撤退する組織力すら無くして、完全に中央軍のお荷物になっていた。


「輝元様は?」


「それが、探させているのですが……」


 吉川広家は、主君である輝元すら行方不明だという情報にただ口を歪めるだけであった。


「そもそも、なぜ舟橋殿と対立する必要があった!」


 シンイチは、筆頭家老になった輝元にちゃんと政治的決断をして欲しかっただけなのだ。

 それを輝元が勝手に優柔不断な態度を取り続けて、今度はそれを解消するために舟橋信一を討つのだと言う。


 広家は、多分輝元を唆したのであろう徳川秀康に対して怒りしか沸いて来なかった。


「もう良い! 引き揚げるぞ!」


「ですが……」


「幸いにして、秀元殿の軍勢はまだ健在だ。彼と歩調を合わせて退くぞ!」


「それで、大阪を落とすのですね」


「そんなバカな事をするわけがあるか!」


 広家は、暴言を吐いた自分の家臣を叱っていた。

 もしそんな事を微塵でも考えていたのが知られたら、毛利家は絶対に滅ぼされてしまうからだ。

 それに、ここまで討たれ逃げ散ってしまった軍の残りで、石田三成などの奉行衆の軍勢が入っている大阪城が落とせるはずもなかったからだ。


「毛利家の領地は削られるであろうが、秀元殿を新しい主君として生き残れば良い」


「外交交渉ですか」


「気に入らぬがな!」


 広家は、これらの外交交渉を自分の嫌いな安国寺恵瓊に任せる事を考えると少し機嫌が悪くなったが、それでも能力は能力と考えて兵を退く事にする。


 他にも数名の家臣達が、辛うじて小勢を率いて戦場を離脱した後に広家達と合流する事になるのだが、その中には最後まで輝元の姿は確認できなかった。


 毛利輝元行方不明の報に、西軍は更にその士気を落とす事となる。

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