二十七話
「信一殿はどう考える?」
「はあ……(せめて、自分の意見くらい言え!)」
前田利家の死後に就任した、筆頭大老である毛利輝元による秀頼の後見がスタートしていたが、それは利家時代に比べるとお粗末という他は無かった。
輝元は祖父である毛利元就や、二人の叔父である小早川隆景、吉川元春から直々に教育を受け、毛利家存続に成功しているなかなかの人物であった。
だが、彼には筆頭大老として決断をするという事が出来ないでいた。
いや、敢えて決断をしなかったのであろう。
特別な存在であった利家を除けば、大老五人には大差がない。
官職も利家を除いて全員が権中納であり、しかも中老の全員がそうであった。
領地の広さではシンイチが圧倒的であったが、それと大阪での政治にはあまり関係は無い。
むしろ、下手に前に出ると独裁であると言われてしまう可能性もあった。
多分、輝元もそれを恐れて自分では何も決めないのであろう。
何を聞いても、判断を保留したりシンイチに丸投げする事が多かった。
利家はシンイチの助言を上手く利用していたが、彼は前に出るシンイチという構図を作り出して、周囲の非難をシンイチに押し付けようとしている。
当然、これでは何も決まるはずがない。
定期的に行われる評定は、次第に無意味になりつつあった。
「また駄目でしたか?」
「駄目だ。まるで話にならん」
利家死後のシンイチは、伏見の規模を縮小して大阪の西の丸に入り、そこで政務を執る事が多くなっていた。
そこで、利家が死ぬ前に裁可を取った大阪城の改修工事や、各種開発などを行っていたからだ。
無駄な戦争で発生した不景気を、公共工事などを伴う国内開発などで回復させる。
豊臣家の保有する財貨はかなり減ったが、大阪は規模の都市拡大や他都市との連携によって更なる拡大を始め、人々は次第に朝鮮征伐の事などを忘れて、己の生活向上へと努力するようになる。
それに、長い目で見れば税収が増えて豊臣家にとってもプラスになるはずであった。
ところが、これに徳川秀康などがケチを付けている。
『殿下が必死に貯めた財貨を何と心得るのか!』とシンイチを批判していたのだ。
確かに、有事に備えて常に貯蓄をするのは大名にとっては必要な事ではあった。
だが、今現在の豊臣家の持つ黄金の量で、数十万の軍勢を何年も養う事が可能だ。
シンイチは、過剰な貯蓄はかえって金の周りを悪くして国内の景気を悪くさせると、逆に秀康を批判していた。
「宇都宮国綱殿の復帰、肥後の境界争いの判決。他にも、多数ある裁判がまるで解決していない」
「判断は出していますよ。そちらが裁可しないだけで」
増田長盛は、利家時代にはちゃんと決まっていた事が輝元になった途端に決まらない事実に腹を立てていた。
シンイチは、先に改易されたものの、朝鮮で武功を挙げた宇都宮国綱の復帰を求めるがこれは却下され、他にも多くの大名達の境界線争いや家臣同士の争いなどの裁判。
そして、何より厳しいのが、いまだに大名同士の婚姻が決まらない事にあった。
秀吉が秀頼が成人するまで、大名同士の私的な婚姻関係の凍結を遺言に認めたのだが、後になって多くの大名から文句が出ていたのだ。
実際にシンイチも、最初の三人の娘達以外の嫁ぎ先が決まっていない。
三人は、秀吉が生存していた時に許可を得ていたので大丈夫だったのだが、他の真一や娘達は勝手に婚姻させるわけにもいかない。
そんな事をすれば太閤殿下の遺言に背く事になるし、下手をすると他の大名達と組んで反乱を企んでいるという讒訴を受けてしまうか可能性もあった。
「失敗したな……。秀頼様の成人を待っていたら、嫁き遅れになってしまう大名の子息達が続出する」
「確かにそうですな……。しかも、輝元様は絶対に決断をしないし……」
翌日、シンイチは、せめて大名間の婚姻に関しては、この席で許可を得れば認めるべきであろうという提案をするのだが、それは徳川秀康の強硬な反対によって頓挫していた。
「太閤殿下の遺言を蔑ろにするのですか!」
秀康はシンイチを強硬に批判し、輝元はまあまあと二人を止めに入るが、心情的には秀康の味方でもあった。
若い秀康の子供はまだ生まれたばかりで、輝元に至っては実子は無くすぐに婚姻を必要とする親族の子供なども存在しない。
ここで十年ほど大名間の婚姻が禁止されても、痛くも痒くもなかったのだ。
むしろ、家臣などに降嫁させるしかなく、ライバル達の外交・政治力を削るためには都合が良いと思っているようであった。
「むしろ、家臣などの子息や姫などと婚姻させて、家中の結束を図るべきでは?」
この件に関しては、やはり実子が存在しない景勝も賛成せず、シンイチの提案はまたしても却下される事となる。
そして、この何も決まらない評定に対して次第に大名達から不満が噴出し始めるのであった。
「別に問題は無いでしょう。謀反を計画した家臣を、主君の跡継ぎが斬っただけの事」
「左様ですな。大名家中の事には口を挟むべきではない」
相変わらず何も決まらない評定ではあったが、珍しく早くに決まった案件もあった。
それは、なぜか史実通りに発生してしまっていた。
島津忠恒が大阪に移転したばかりの島津家邸で、重臣伊集院忠棟を斬殺してしまったのだ。
史実とは違って忠棟は大隈に二万石の領地しか持たず、豊臣政権との連絡役として苦労しているイメージしか沸かない人物であったが、『己の栄達のために、島津家に対して謀反を起そうとした』という本当か嘘なのか判別に苦しむ理由で問答無用で忠恒に斬られている。
そして、その息子の忠真は忠恒の行為に激怒はしたものの、このままでは自分も殺されると家族や主だった家臣などを連れて、肥後の加藤清正を頼っていた。
清正は忠真一行を快く迎え入れていたが、同時に島津家に対して批判を展開し始める。
『島津家の存続のために力を尽くした忠臣を問答無用で斬り殺すとは、島津には鬼か鬼畜しか住んでいないのか? しかも、忠棟殿は亡き殿下のお気に入りだったではないか』
秀吉に育てられた清正らしい発言であったが、しかも彼は島津家に対して恨みも存在している。
朝鮮出兵の折に、島津氏家臣梅北国兼が起こした一揆によって佐敷城を占拠された事があったからだ。
他にも、同じ肥後を有する小西行長との領地境に関する争いが発生していたが大阪からは何も言って来ずと、中央に対する不満もあってその抗議の声は非常に大きかった。
「だからと言って、いきなり大阪の屋敷で家臣を手打ちにするのは問題であろうに。秀頼様のいる大阪でこんな血生臭い事は勘弁して欲しいし、せめて一度は査問会などを開くなどして欲しい」
珍しく特に問題なしと採決した輝元に、シンイチは一応は自分なりの見解を付け加えておく。
それに、今回の件は中老である島津義弘にとっても青天の霹靂であったようだ。
シンイチに、視線で『御免なさい』と送っているようにも見えた。
「多くの家臣を持っていれば、こんな事もありましょう」
早々とその件についての話を打ち切ってしまった秀康であったが、その彼の目には怪しい輝きが浮かぶ。
そして彼は、この判例を悪用してすぐに大騒乱を起こすのであった。
「不忠の臣徳川秀忠に告ぐ! そなたの、兄を兄とも、主君を主君とも思わない言動に、徳川秀康はその領地である駿河を取り上げるものとする!」
慶長四年の九月。
相変わらず秀吉死後の混乱は続いていたが、遂に大きな事件を起こす大名が現れる。
中老の地位にある徳川秀康が、突如軍を召集して秀忠から駿河取り上げると宣言し、それに寸前で気が付いた秀忠側の軍勢と遠江・駿河国境間で睨み合う展開となっていたのだ。
「惣無事令違反じゃないか!」
さすがに激怒するシンイチであったが、実は秀康のこの行動には法的根拠が存在していた。
家康の死後に誰が家督を相続するかで大いに揉めた徳川家は、本家を秀康が継ぎ。
秀忠には分家として駿河を、忠吉には下総の旧結城領が本家の秀康から下賜されている事になっている。
だが、実態はこの三家は完全に分裂しており、それを没収するのは狂気の沙汰とも言えた。
そんな事をすれば、確実に戦になってしまうからだ。
「とにかく、双方共に兵を退け!」
「舟橋殿! 人の家の事情に口を出して欲しくないな!」
シンイチの命令は、徳川秀康によって簡単に退けられてしまう。
「兄上! 家督相続の折には争ってしまいましたが、我らは一連托生です!」
「忠吉、援軍に感謝する」
「殿、これは一戦しないと収まらないかもしれませんな」
遠江・駿河国境には、徳川秀康軍一万五千と、徳川秀忠軍七千、松平忠吉軍五千が睨み合い。
その間を、シンイチから命じられて出動した佐久間盛政軍一万が監視するという状態になっていた。
「家中の事に口を出さないでいただきたい!」
「当事者同士だけで冷静に話し合えば良かろう! なぜ軍勢を繰り出す!」
「秀忠も、軍勢を出しているではないですか!」
「一方的に蹂躙されないための防衛処置だ!」
「忠吉まで唆しているではないですか!」
「秀康殿の次の牙が、自分に向くと思っているのでは?」
現地に急行して本陣にいる秀康との対話を行うシンイチであったが、その結果は芳しいものではなかった。
双方の主張が、平行線辿っていたからだ。
「秀忠には、三河に一万石ほど用意いたしますよ」
「本気で言っているのですか?」
シンイチには、秀康の魂胆が見えていた。
池田長政の忠告に従って、無用な争いを避けるべく領地を分割したのは良かったが、秀忠が僅か一国となった領地駿河をシンイチの援助で主に内政によって富ませる事に成功していたので、それが惜しくなったのであろう。
更にこれからの政治状況を考えるに、自分の領地は一石でも多いに越した事は無い。
そう考えての、秀康の行動であった。
「秀忠は、私の家臣であるはず。違いますかな?」
「秀康殿は、何の落ち度も無い家臣からいきなり領地を取り上げるのですか?」
「おやおや、その昔に殿下の沙汰に素直に従っていた舟橋殿とは思えぬお優しい回答で……」
秀康の嫌味に近い言動で、シンイチは全てを悟っていた。
彼は、秀吉死後の彼の遺言書に縛られて碌に何も決められない状況を上手く利用して、少しでも自分の力を増そうとしている事を。
まだ若い自分ならば、こうやって時間を使って少しずつ力を蓄えて評定の席でもノラリクラリと動いていれば、次第にチャンスが訪れるのだと。
「(俺は、舟橋信一よりも十四歳も若いんだ。チャンスは、天下は俺にも巡って来る!)」
そう判断した秀康のせいで、シンイチはただ両軍の間に入って最悪の衝突を抑えるだけしか方策を無くしていた。
「(これで、舟橋が折れれば。あのお人好しの事だ。秀忠に自分の領地を割ってでも助けようとするであろう)」
今までのシンイチの言動からその動きを予想する秀康であったが、彼は一つ失念していた。
シンイチが、亡くなる直前の前田利家から説教をされていた事と、この政治的混乱をチャンスだと思う大名は他にも多数存在していた事をだ。
「上杉景勝が、越後にて大規模な動員を開始!」
「毛利家でも、同じくほぼ全力と思われる大規模な動員が!」
「前田家でもです!」
二つの大名家が双方大軍を動員して睨み合っていて、それを大老の一人が軍を出して止めている状態に、次第に彼らの戦国大名としての血が騒ぎ始めたようであった。
更に、もし戦いになれれば今までの政治勢力図は大幅に変更になるはずであった。
三大老だけではなく、他の大名達も彼らがどう動くのかを予想しながらどちらに付くべきか考え、軍勢を動員して遠江・駿河国境へと移動を開始する。
「あの徳川のクソガキ! 裏でコソコソ動きやがって! 俺が首をねじ切ってやるぜ!」
「森殿、それがしも兵を出します」
「そりゃあそうだ。信一が負けて失脚したら、俺達の明日も危ないからな。義光殿は、上杉に備えて欲しい」
「わかりもうした」
大阪にて、毛利輝元と上杉景勝と前田利家が軍の動員を本国に指示した事を知った森長可は、関東・東北の諸大名に対して動員の命令を出していた。
そして、それと同時に石田三成などの各奉行衆との面会を相次いで行う。
「長可殿! それがしも、信一殿に付いて戦います!」
「何だ? 三成にしては、えらく燃えているな。だが、信一からの手紙だ」
長可は、シンイチから貰った手紙を三成に渡す。
「奉行衆は手出し無用ですか? しかし!」
シンイチは、奉行衆にはもし戦いになっても所属を鮮明にしないで大阪と畿内の安全を守って欲しいという命令を出していた。
「輝元殿が軍勢を動員しているし、西国でもそれに続く者がいるかもしれない。彼もそうだが、景勝殿や利長殿がどちらに付くかも不明だ。更に、下手に戦が長引けばようやく落ち着いた畿内がまた荒れてしまう。ようやく新規の開発を始めたのにだ」
「奉行衆は中立を保って、畿内と大阪の安全を守れと?」
「それに、大阪には秀頼様がいらっしゃるのだぞ。信一は、万が一にも自分が負けても、秀頼様には何があってもならないのだと」
「信一殿……」
シンイチの覚悟を聞いた三成は、これ以上何も言えなくなってしまう。
「長盛殿、玄以殿、正家殿、長政殿、吉継殿とも協議して、大阪を守って欲しい。輝元殿が、秀頼様を戦場に連れ出す可能性もあるしな」
「わかりもうした」
長可は三成に大阪と秀頼の安全を頼むと、海路で政宗や義光などを連れて江戸へと向かい、既に進発していた自家の軍勢との合流を果たす。
そしてその間にも多数の軍勢が、秀康かシンイチに付くべく遠江・駿河国境を目指していた。
次第に戦機は熟しつつあった。