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二十六話

「此度の朝鮮征伐の任に対し、秀頼様からお言葉と恩賞があります」


「皆の者、ご苦労であった」


 慶長三年(1598年)の十二月。

 朝鮮から全軍を撤退させたシンイチは、他の大老達と協議して出兵をした大名達に恩賞を与えていた。

 

 なお、この前には世間に対して秀吉の死が正式に発表され、秀頼を喪主として壮大な葬儀が行われている。

 五大老筆頭である前田利家と次席の毛利輝元が、豊臣家の財政担当である長束正家に渋られつつも、駆け回った甲斐があったほどの豪華な葬儀が行われ、秀吉は朝廷から正一位の位を贈られていた。


 そして数日後に、形見分けと合同して大名達に刀剣や茶器や金銀財宝などが贈られる。

 勿論西国の大名達には、その程度では何の慰めにもなっていなかったが、何もしないよりはマシという意見と、豊臣家の二代目当主である秀頼自身から言葉をかけて恩賞を与える事こそが大事とシンイチが提案した事によって、このような儀式が行われる事となっていた。


「それと、暫くは領地の開発などに専念していただきたい。秀頼様は、そのために協力は惜しまないと仰られています」


 何とも酷い茶番劇だなと思いながらも、シンイチは秀吉の近くの下座から集まった諸大名に声をかけていた。

 とにかく、朝鮮出兵の軍役や増税で荒廃した領地を立て直して欲しかったからだ。

 そのためにシンイチは、長束正家に頼み込んで無利子で大名に融資をする制度を作ったのだから。


「お金を貸してくれるのですか?」


 正直なところ、貸してくれるのなら喉から手が出るほど欲しかった朝鮮に兵を出している大名達は、お互いを牽制しながら周囲の様子を伺いながらシンイチに質問をする。


「貸すには貸しますが、条件も付随しています」


 シンイチは、以前に肥後に転封された森長可のために立てた、河川の改修や、平野の開拓や、用水路の建設など。

 どのくらいの期間と費用がかかって、どのくらいでかかった費用が返還可能なのかなどの計画書を見せていた。


 なおこの肥後の開発計画は、肥後が加藤清正と小西行長に分割された事と、両者の朝鮮への出兵でほとんど進んでいなかった。

 とてもそんな余裕は無かったからだ。


「つまり、どのように金を使うか書いて出すのですな?」


「そういう事です。せっかく金を借りても、目先の借金の返済だけで消えて、また借金が増えるでは困りますゆえに」


「うーーーん。これは、その手の事に長けた家臣を雇わないと難しいですな」


 豊前国小倉六万石を有する毛利勝信が、神妙な顔をして考え込んでしまう。

 秀吉の古参の臣で黄母衣七騎衆の一人であった彼は、あまり内政が得意ではなかったからだ。


「ただ、確かに荒廃した領地をただ治めても意味が無いというか、財政は良くならないだろうな。新しい農地の開発や、新しい産業の立ち上げや、交易の促進などで収入を増やしていかないといけない。これ以上の増税は、余計に農民達の逃亡などが増えてしまうだろう」


 中老の一人である島津義弘は、シンイチの新しい政策に賛成の意見を述べていた。

 島津家の領地である薩摩と大隈では、九州では珍しくあまり領内が荒れていなかった。

 シンイチの勧めで新田開発をほどほどにして、大豆、アブラナ、陸稲、アワ、ソバ、麦などの栽培を始め、更にようやくサツマイモの栽培を軌道に乗せたシンイチからこれの技術導入も行っている。


 困窮作物という事で他の大名達へも希望者には栽培方法を教えていたのだが、九州でこれの栽培に力を入れたのは国内に留まっていた島津義久と、跡継ぎをシンイチの家臣になっていた佐久間勝之とした日向の大名である佐々成政だけであった。


 彼は朝鮮の地で疾病で多くの若者が死んでいる事実に驚き、絶対に佐々成之と改名した佐久間勝之を渡海させようとしなかった。

 『お前は、舟橋殿の家臣であった縁を有効に活用して日向の開発を行うように』と、完全な留守番役にしていたのだ。


 勝之は少ない居残り組みの家臣達と協力をして、領地から逃げ出す農民がゼロであったという記録を打ち立てる事に成功している。

 

 だが、それでも両家の財政状態は厳しい。

 更なる開発の促進が必要であった。


「とにかく、暫くは戦は難しいのぉ」


「というか、どこと戦うのだ?」


 シンイチの誘導によって、彼らはいかに領地の開発を進めるのかに話題の中心を移していく。

 そして、それが可能な人材などの登用にも興味を示し始めていた。


「(とにかく、秀頼様が成人するまでだ……)それと、実は太閤殿下の遺言書にも書かれていたのですが……」


 これは、先ほどの褒美などの件の続きでもあった。

 越前北の庄十五万石になった秀秋を、元の筑前名島三十一万石へと戻す話であった。


「秀秋殿は、先の援軍派遣時にも手柄を立てました由に」


 釜山会戦では、先陣を切って突撃して金応瑞を討ち取っていたので、これだけの戦功があれば、他の諸将からも文句は出ないはずであった。

 元々、秀秋が減・転封された事自体がおかしく、病床に臥せった秀吉も、その判断を反省していたからこその遺言でもあったのだから。


「ありがたき幸せ」


「秀秋殿と義弘殿で、北と南で九州の安定を計っていただきたく」


 今さら秀吉の朝鮮出兵に対して、良かっただの悪かっただの評価するだけナンセンスであり、その事は全ての大名が思っていた。

 とにかく、今は国内の安定を図るべきである。


 最後にそう締め括る前田利家と、相変わらず苦労性の司会役を務めたシンイチは今度こそ戦の無い時代の到来を期待するのであった。





「何とか形が付いたな。秀頼様のお披露目も済んで良かった」


「ああ、本当はあまり負担をかけたくないのだが……」


 秀吉の葬儀に、秀吉の形見分けに、秀頼のお披露目と朝鮮征伐における報償の儀と。

 まだ数えで六歳でしかない秀頼を、長時間あのような席に出すのは心苦しいシンイチであったが、他の人には代理は務まらないので、仕方無しにお願いをしていたシンイチであった。


「それで、秀頼様は?」


「今は、お休みいただいている」


 シンイチは、秀吉の後継者である秀頼に対して半ば過剰とも言えるフォローを行っていた。

 自分の子供達のように多くの絵本や玩具などを贈り、あの年齢の子供の負担とならない運動などのメニューや、食事内容にまで細かく口を出している。


 更にその理由をねねや淀君に詳しく説明をし、二人から『信一殿は、本当に優れた医者でもあるのですね』と言われ、秀頼の守役を務める利家からは、『お前は、秀頼様の母親か?』とまで言われていた。


 秀頼も、綺麗な絵の書かれた楽しい絵本や、面白い玩具や、美味しいお菓子などを持って来るシンイチを、『こじい』と呼んで『じい』と呼ぶ利家と共に懐いていた。


「秀頼様には、立派な殿下の後継者となっていただきたい。だが、何事も焦りは禁物。そのために、我らは存在するのだから」


 伏見にある長可の屋敷の中で、二人はお茶を飲みながらお菓子を食べていた。

 茶の湯のようなお茶もするが、シンイチはこうして普通の煎茶を飲みながらお茶請け食べて話をするのが好きであった。

 

 お茶は、大量の肥料を使わないと育たない欠点があったが、農業が格段に進歩している関東では、一部領民なども飲み始めている物であった。

 他にも、ほうじ茶や玄米茶なども発売されていて、これもシンイチの発明品として有名になりつつあった。


「今日のお茶請けは何だ?」


「おや、茶の湯を愛して止まない義兄上とも思えませんな」


「こういうお茶も好きなんだよ。それで、何なんだ?」


「普通に、芋ケンピと芋羊羹と芋カリントウですけど」


 シンイチが普及させたサツマイモのおかげで、関東や東北では餓死する奴は珍しいとまで言われるようになっていた。

 更にその料理法なども広がり、様々なサツマイモ料理や、麦芽を使って水飴にしたり、焼酎の材料にしたりと、次第に生産量も拡大を続けていた。


「こんなに便利な作物なのに、何でほとんどの大名が導入しないんだろうな?」


「あまり見栄えは良く無いかも」


 サツマイモやジャガイモは、戦略物資となりかねないので普及を制限するべきという周囲の反対を押し切って、シンイチは請われれば誰にでも栽培方法を教えるつもりでいた。


 だが今までの教えたのは、関東と東北の大名全てと、徳川秀忠、真田昌幸、浅野長政、蒲生秀行、仙石秀久、脇坂安治、十河存保、長宗我部元親、佐々成政、島津義弘など。

 なぜか、シンイチと仲の良い大名に集中していた。


「豊臣家の蔵入地では、今後栽培する事となりました。田んぼに適さない荒地でも育つのは嬉しいですな」


「三成殿は、人の勧めを何年も放置していたくせに」


 とそこに、時間でも空いたのか?

 新たな客人として、石田三成が入って来る。

 三成も、始めはサツマイモを、『こんな野菜で腹が膨れるのですか?』と疑問的だったのだが、次第に関東に広がる畑とその調理法を目撃し、豊臣家の蔵入地でも貧しい土地や、ついでに自分の領地でも栽培を開始していたのだ。


「まあ、色々と忙しかったので……」


 秀吉の朝鮮出兵では一番の尻拭い役であった三成は、とても全国の農民達にサツマイモの栽培方法を広げている暇が無かった。

 朝鮮で前線に出て負傷し、全国を検地して回って大名の財政基盤を強化して全て戦費に持って行かれ、妹婿である福原長堯の不用意な発言から小早川秀秋に恨まれと。


 最近、三成の髪が少し薄くなったような気がするシンイチであった。


「疲れた時には、甘い物でも食べた方が良い」


「すみませぬ……」


 と言いながら、煎茶を啜って芋ケンピを食べる三成。

 やはり、豊臣政権の実務を司る者として色々と疲れているようであった。


「かくにも、新しい政治体制が始まった事は良しとしなければな」


 長可は、三成に五大老、五中老、五奉行制度が無事に機能し始めた事を嬉しそうに言うが、肝心の三成の表情は冴えなかった。


「どうかしたのか? 治部」


「今はこれで良いのでしょう。殿下の古くからのご友人であり、五大老の筆頭でもある利家様が舵取りとなり、その横を信一殿や他の奉行達が支える」


 ところが、その利家の体調が最近思わしくないとの三成の話であった。


「利家殿がか?」


「はい、お隠しにはなっているのですが……」


 そう遠く無い先に、もし利家に何かがあったら?

 利家が居るからこそ物事が決まっている今の体制が、呆気なく崩壊する可能性があった。


「利家様の代わりにご子息である利長様が大老に主任したとしても、利家様ほどの存在感と指導力は発揮できますまい……」


 利長は決して暗愚ではない。

 むしろ優秀な人物であったが、彼は利家の息子という立場でしかないし、父である利家のように大老筆頭として物事を決断をする根拠に乏しかった。


 なにしろ、利家は亡き秀吉の古くからの親友であり、臣下とはいえその立場はほぼ同等に近かったからだ。


「次席の輝元殿は優柔不断な部分がありますし、三番目の上杉景勝殿は、何を考えているのか良くわからない部分もあり……」


 三成は、上杉家の執政である直江兼続とは友人同士の間柄であったが、その彼をしても、普段は寡黙な景勝は良く理解できないとの話であった。

 

「それと、五人も任命された中老職ですが、これも後に問題が発生するかもしれません」


 中老に任じられた宇喜多秀家、小早川秀秋、徳川秀康、島津義弘、伊達政宗の五名の内、政宗は根気良く領内の開発を進めた結果、既に大老クラスの実力を有していると言われている。


 シンイチの勧めで、史実で行われた北上川水系の治水や貞山堀と呼ばれる運河の整備を早々と開始し、既に三分の二まで完成。

 これによって石高が大幅に上がっていて、他にも貿易港としての石巻港などの整備や、鉱業や漁業などの発展。

 そして、彼は蝦夷へと興味を向けていた。


 蠣崎氏との連携を強化して、蝦夷の開発や殖民などを始めていたのだ。

 蠣崎氏は秀吉から蝦夷と樺太の支配権を得ていたが、さすがに彼らだけではあの広大な蝦夷や樺太は支配できない。

 そこで、シンイチと関東・東北の諸大名が人、金、船、技術などを提供して蝦夷・樺太全地域の把握を行い、現地に住むアイヌの各部族の長達を豊臣家の大名や旗本として登録してその領地を確定し、彼らに農業、漁業、食品加工、工芸品、名産品などの生産に関する技術指導と、極寒の蝦夷で生活を楽にするためのコンクリート製の家屋や、防寒に適した衣服などの提供も行い、更に日本の言葉や文字・文化なども無料で教えて、次第に現地に溶け込むように動いていた。


 更に、空いている土地には、各大名家が試験的に人を移住させている。

 自ら志願した者や、全国で流民達を集めてきたり、九州ではいまだに横行している奴隷売買の犠牲者達を奪還して送り込んだりと。

 シンイチは、アイヌ達と争いにならないように徐々に蝦夷と樺太を日本化するように動いていて、殖民した者の中で無用な争いを起した者は容赦なく処分していた。


 ただ誤算だったのは、肝心の蠣崎氏の方が強硬な支配を行ってアイヌ達の騒乱を招いてしまった事であろうか?

 シンイチは、彼らの異民族統治が稚拙で下手だと判断し、慶長二年(1597年)三月。

 秀吉に諮って、蠣崎慶広を改易している。

 その後の蝦夷は、一部が豊臣家の蔵入地となり、残りは関東・東北諸大名などに分割され、家臣にしたアイヌの族長達などと婚姻政策を行いつつ、積極的に開発が行われる事となる。

 ちなみに、樺太も似たような状況にあった。


 なお、アイヌ達の言葉が話せる蠣崎氏の旧臣達は、全て蝦夷に入植を始めた大名達に高給で雇われていた。

 シンイチも、彼らを上手く使って蝦夷の開発を進めている。

 そして、その莫大な利益の一部は豊臣家にも収められていた。


「政宗殿に関しては、心配ないと思うがね」


 シンイチの誘導のせいで、既に政宗の関心は日本国内には向いていない。

 早くに明や朝鮮と講和を行って貿易を再開させ、他にも欧州諸国との貿易なども行いつつ、蝦夷、千島、樺太、シベリア、アラスカ、他にも南洋の島々や、ニュージーランドにオーストラリアと。

 

 シンイチから地図を見せられた政宗は、狭い国内でゴチャゴチャと争って猫の額のような土地を得るよりも、新しいほぼ無人で何のしがらみもない土地を一から開発して得た方が苦労のし甲斐があると考えるようになっていたからだ。


「そう言われると、政宗殿は評定の席でもあまり発言をしませんね」


「全部、信一に丸投げだからな」


「それに、島津義弘殿も」


「あっちも、琉球やら高山国(台湾)で忙しいからな」


 国内での領地増加が見込めない島津家では、現在琉球や高山国(台湾)への興味が広がっていて、その征服・殖民の準備に取りかかっているとの噂であった。

 やはり、あまりシンイチの言う事に反論などしないのだ。


「だが、残りの三名は……」


 宇喜多秀家、小早川秀秋、徳川秀康の三名は、領地的には大老よりも少なめであったが、彼らは共に秀吉の養子となったり、幼い頃から秀吉によって養育されて来た次世代のエリート達とでも言って良い存在であった。


 そしてその中でも徳川秀康は、シンイチが徳川家の家督相続の際に秀忠を推した件を未だに恨んでいる。

 更に、秀次の裁定で徳川家が分裂してしまった件についても、シンイチを恨んでいた。

 いかにも筋違いな話ではあったが、もはや秀次がこの世にいない以上は、シンイチを恨む事でしかその怒りの向け先が無かったのだ。


 今は特に何も妨害はして来ないが、その先については全くの未定であった。


「秀秋殿は、領地を戻してくれた信一殿には悪い印象を持っていないでしょう。秀家様は、良くわかりませぬ」


「実は、それほど接点がないんだよな」


 秀吉に大切に育てられていた時のシンイチは、やはり播磨の統治が忙しくて常に各地を走り回っていたので、あまり秀家とは話した記憶が無かったのだ。


「とはいえ、無茶な事はしないと思いますが……」


「この状況で無茶って何だろうな?」


「戦で無い事を祈りましょう」


 それから年が明けて、慶長四年の閏三月の三日。

 噂通りに、健康状態を悪化させていた利家が逝去する。

 その一週間前ほどに、シンイチは石田三成を連れて利家の屋敷を訪ねていた。

 実は二人で大阪城をこれから進化を遂げるであろう、大砲などに対応できるように大規模な改修を行うのと、大阪を日本の中心として政務が取り易いように大名達の屋敷や奉行所などの行政・立法・司法の機能を移転させること。


 更に、堺も利用した港湾、造船、兵器工廠などの機能拡大と、次々に建造される大型ガレオン船に乗せる船員などの育成を行う学校の創設など。


 他にも、兵庫港の開発と大阪、京都、伊賀、尾張を結ぶ大幅な道路の建設。

 福島正則に命じて、那古屋を大規模商業都市にして巨大な港湾なども建設する事など。


 シンイチは、関西、中部地方などを商業と貿易の中心地として、関東の江戸をそれに順ずる都市としながらも、北方開発や農業・鉱業などを主産業とする国土開発計画を立案していて、それを利家にも見せに来ていたのだ。


「もはや長くないワシに、そんな物を見せに来るのか?」


 利家はそう言いつつも食い入るように計画書を見つめていたが、わざわざこんな状態の自分にシンイチが会いに来た理由を理解もしていた。

 秀吉の友人にして秀頼の事を任された自分が死ねば、筆頭大老を失った評定が動かなくなる可能性が高いのだと。

 なので、着手から完成までに時間がかかるこの案件は、利家の賛成があったという事で早めに着手しておきたいのだと。


「ワシからは、賛成するとしか言えないな。のう信一、知っておったか? 大殿は秀吉に遠慮して言わなかったが、お前を直臣として欲しがっていたのじゃぞ」


「初耳です」


 利家から衝撃の事実の暴露に、シンイチはかなり驚いてしまう。


「勿論大殿は、長篠の戦いにおけるお前の武者ぶりに感動しての事じゃ。大殿は、お前のような華のある武者が好きだからの。槍しか特技の無いワシが出世できたのも、そういう理由なのじゃよ」


「利家様は、他にも色々と……」


「世辞など良い。もしお前が大殿の家臣になっていたら、その計画はもう少し早く実行されていたであろうな……」


 利家が秀吉に付いた理由は、彼が血統の正当性はないが信長の精神的な後継者であると思ったからであった。

 だからこそ、律儀者と呼ばれるまでに秀吉に仕え、多くの諸将から尊敬されるようになり、秀頼の後見を頼まれたのだから。


「お前には、ワシや秀吉ですら見えない何かが見えるのであろうな。ひょっとすると、大殿よりも先の何かが見ているのかもしれんな」


「……」


 シンイチは、利家に全てを見透かされたような気がして思わず黙り込んでしまう。


「(自分で天下を取ってしまえば良いものを……。苦労性のバカ者じゃな……)」


 利家はシンイチをバカだとは思ったが、どこか安心してもいたし、むしろ好感すら覚えていた。

 あくまでも、秀頼の家臣として自分の考えを実行しようとしている点にだ。


「じゃが、もう一戦覚悟しておけよ」


「誰だと思いますか?」


「鍵となるのは三人かの。まずは、徳川家の相続の件でお前と揉めた徳川秀康。それに、毛利輝元と上杉景勝がどう絡むかじゃ」


 毛利輝元は五大老の次席ではあるのだが、シンイチほどの政治力はないしシンイチの提案を素直に受け入れる度量があるのかも未知数だ。 

 今までの評定の席では、シンイチが発案で利家が即決していたのだが、これが機能しなくなると豊臣家の政務が止まってしまう可能性があった。


「ところで、景勝殿がですか?」

 

 三成としては、上杉家の執政である直江兼続と親友同士の関係であったので、彼らと戦う事になるのは避けたいのが本音であった。


「上杉家の義は表面上だけの事。それと、なぜ普段景勝は寡黙だと思う?」


「ええと……。謙信公の面影を崩さないようにと言いますか、家臣達を上手く統率するためにですか?」


 越後の豪族達の独立性には、先代の謙信の頃から苦労している上杉家である。

 そのために、謙信公のイメージを崩さないようにしているのかと思っているシンイチであった。


「それもあるが、勝家殿と共に北陸で戦っていたワシらにはわかる。彼は常に考えているのだ。いかに、先代謙信公を自分が超えるかという事をだ」


 謙信の死とその後の混乱で上杉家は大きく混乱し、現在の石高は九十万石程度。

 しかも、謙信公依頼の関東管領の地位は、実質的にシンイチに奪われている。

 その彼が、何かを企む可能性は皆無とは言えなかった。


「惣無事令違反です」


「それを発布した秀吉は既にこの世にない。そういう事だ」


 家康の死で、史実の関が原を防げたと思っていた自分がバカだったのであろうか?

 そんな事を考えるシンイチに、更に利家はキッパリと一言だけ告げる。


「皆、この乱世を生き延びて来た、隙あらば勢力の拡大を狙う者達なのだ」


「……。ご忠告、受け賜りました」


 シンイチは神妙に答えるが、最後に利家に反撃とも思える一言を付け加える。


「もし世情により前田家を滅ぼす事があっても、あの世ではお許しいただきたく」


「もしそうなっても、それは定めかの?」


 大阪城の改修案や、その他開発案に賛同する旨の署名を利家から貰ったシンイチは三成と共に屋敷を後にする。

 すると、そこに利家の息子である利長が姿を現す。


「父上、今日は随分と長話でしたね」


「ああ、あの甘ったれに、乱世の武士としての心構えを教えたまでだ」


「それは、残される私からすると勘弁して欲しいですね」


 笑いながら利家に文句を言う利長であったが、その目は笑っていなかった。

 利家はもう少しで死んでしまうので良いかもしれないが、自分はこれから前田家を支えていかなければならないからだ。


「簡単な事ではないか。選択を誤らなければ良い。ただそれだけの事だ」


「それが一番難しいのですが」


「それこそ、お前も甘ったれた事を言うでないわ」


 それから一週間後、前田利家はその波乱の生涯を閉じた。

 功臣であった彼の葬儀は盛大に豊臣家も協力して行われ、朝廷からも従一位を贈られる。

 そして豊臣家の後任の大老にも、その息子である利長が就任する事となる。


 だが、その地位は森長可より下の末席とされ、遂に筆頭大老毛利輝元と次席大老上杉景勝が就任する事となった。


「(この二人ならば、色々と都合が良い。舟橋信一め! 必ずお前を蹴落としてくれる!)」


 利家の葬儀の席で、徳川秀康は葬儀を仕切るシンイチに憎悪の視線を送るのであった。

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