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二十五話

「せめて、密葬は行いましょう。その後に、朝鮮に出兵している大名達も呼んで、秀頼様を喪主として葬儀を大々的に行うのです」


 慶長三年の八月十九日。

 秀吉が逝去した翌日、五大老のうち森長可を除く四人と、朝鮮に出兵中の宇喜多秀家、島津義弘に、職務停止で謹慎中の小早川秀秋を除く結城秀康、伊達政宗の中老二人に、政務で東国にいる浅野長政を除く奉行達が集まって、今後の事を伏見城で協議していた。


「しかし、万が一にも太閤殿下の逝去が漏れれば……」


 毛利輝元は、密葬でも葬儀を行った事で秀吉の死が漏れる事を心配していた。

 もし、朝鮮や明側に秀吉の死が漏れたら?


 それに乗じた大攻勢を受けて、現地の日本軍が一気に瓦解してしまう可能性があったからだ。

 実際に史実でも、秀吉は死の直後に通夜も葬儀も行われないまま、その日のうちに伏見城から阿弥陀ヶ峰に遺体を移し埋葬されている。


「それを考えなくも無かったのですが、今は参加者達が暫く秘密を守れば良い事です。しかも、いつまでも漏れないというのもおかしいかと思いますが……」


「そうですね。荼毘に伏す前に、一度くらいはお経を上げてさしあげないと……」


 秀吉の正妻であるねねの意見で、秘かに僧侶が呼ばれて密葬が行われる事となる。

 参加者は、上の大名達に、秀吉の正妻であるねねと、秀頼と、その生母である淀の方。 

 それに、福島正則なども秘かに呼ばれている。


「それで、今後の事なのだが……」


 秀吉の密葬を隠すために、あくまでも朝鮮での戦況報告と、その後の作戦行動に対する協議という用件で集まっていた大名達は、葬儀後に本題の話を始めていた。


 司会は五大老の筆頭である前田利家が行い、その両脇の上座に毛利輝元と上杉景勝が座っている。

 シンイチは、影勝の隣の席に座っていた。


「撤退であろうな」


 そんな事は当にわかっているのだが、とにかく言わないと話にならない。

 最初に口火を切ったのは、前田利家であった。


「だが、そう簡単に撤退できるのか?」


「そうだな。この数年間の戦乱で朝鮮側の恨みも真髄であろう。停戦交渉が受け入れられるか……」


 景勝や、実際に朝鮮に兵を出している輝元の言う事はもっともであるし、停戦や講和ををするにしても、相手よりも優位に立つためにもうひと戦というのも珍しい事ではなかった。

 

 撤退する日本軍に大損害を与えて、二度と朝鮮に侵攻する気を起こさせなくするなどと、向こうが考えないとは断言できなかったからだ。


「信一殿は、どう考える?」


 利家は、同じ大老である信一にその考えを尋ねていた。


「停戦、講和は行わないといけないでしょう。ですが、その前に大規模に一戦を行う必要があります」


 シンイチの意見に、他の大名達から驚きの声があがる。


「信一殿は、朝鮮への討ち入りに反対であったとか? それが、急に一戦行うのですか?」


 中老である徳川秀康がシンイチに発言の真意を尋ねるが、そもそもシンイチは一度も朝鮮出兵に対する是非を公式の席で述べた事は無い。

 徳川家相続の件で、自分を支持しなかったシンイチを恨んでいる秀康は、早速に細かい嫌がらせを始めていた。


「今さら、朝鮮への出兵の是非を問うても無意味です。ただ、派遣軍が無事に洗い浚い撤退可能なように、それと、講和の席でこちらが強く出られるように、朝鮮軍に大打撃を与える必要があります」


 更に、これに最後の一戦だと派遣軍を参加させてから、撤退後に豊臣家から褒美を与えるようとも提案をするシンイチであった。


「褒美ですか? ですが……」


 褒美を与えるともなれば、その分豊臣家の蓄えが減るのでそれに躊躇する正家であったが、シンイチは絶対にその件では譲らなかった。


「豊臣家の財政を司る正家殿が渋るのはわかりますが、別に今までの軍役で使った金額全てを補填するわけではありません。そんな事は物理的に不可能ですし。例え小額でも、秀頼様自らが朝鮮にて日本の武を遠く明にまで知らしめた彼らに直接褒美を与える事に意義があります」


 結局、秀吉が生きている間には出来なかった朝鮮出兵に対する報償の儀を秀頼が行い、豊臣家の当主が無事に秀頼に移った事をアピールするのが最大の狙いでもあった。


 それと、日本に戻った西国の大名達が早くに領地の経営を立て直せるように、無利子で資金などを貸し出す政策も提案する。


「暫くは戦など不可能です。とにかく、西国の大名達には早く国力を回復していただく。確かに蓄財は大切ですが、金はいくら城の蔵にあっても金のままです。世間に流して、経済を上向かせる必要があります。人々は、暮らし向きさえ良ければお上を褒めるもの。悪ければ、一気に批判へと傾くでしょう」


 シンイチは、朝鮮出兵のせいで疲弊した西国の経済を、豊臣家が大量に保持している金を使っての財政出動で乗り切ろうとしていた。

 しかも、その金は僅かな褒美を除けば、貸し出すだけであげるわけではない。

 貸し主豊臣家、借り主大名家という上下関係の構築にも役に立つ政策であった。


「そうじゃな。ワシもそれで概ね賛成かの。とにかく、戦後に困窮した西国大名達への支援を行わないと、下手をすればまた戦乱になってしまうかもしれん」


「それがしもそれで良いと思うが、ところで朝鮮への援軍には誰が?」


 利家以下ほぼ全ての大名から賛成の意見が出るが、シンイチは増田長盛から援軍についての質問をされていた。


「援軍は、水軍と陸軍の両方を予定しております。とにかく一日でも早く釜山へと船団を送り出す予定です」


 利家などの決済により、講和を有利にするための出兵の準備がスタートする。

 水軍は、豊臣家直属やシンイチが江戸から応援を呼んで、なるべく大型で火力に優れた船で編成され、指揮官は来島通総、得居通幸、来島長親、九鬼嘉隆、桑山重晴など。


 陸軍は移動の時間が惜しかった事から、大阪や京都に置いていた兵力やその近辺の大名から動員をさせて三万人ほどの兵力を整えていた。


 シンイチは佐久間安政が指揮する三千を。

 他には、石田三成の五千、前田利長の五千、上杉景勝の三千、伊達政宗の三千、徳川秀康は領地から急遽軍を呼び寄せて七千人を間に合わせていた。

 他にも、加藤貞泰、大谷吉治、秀次事件での処分が解けていた増田盛次、速水守久、青木一重、伊東長実、野々村幸成、松浦秀任、郡宗保なども顔を連ねている。


 そして、秀吉によって越前北の庄へと減転封されていた小早川秀秋も、兵を率いて参加している。

 大老達からの命によって謹慎が解かれたのと、元々秀吉の遺言状に自分の死後に秀秋を元の領地の戻すようにと書かれていたからでもあった。

 

 ここで戦功を挙げさせてから、元の筑前に戻した方がスムーズに行くと大老達は考えたのだ。


「では、発進だ!」


 二週間という驚異的なスピードで軍容を整えた、表向きは援軍という形態を取っている船団は、対水上戦闘に特化した大型船などを先頭に釜山へと向けて進撃を開始し、他の朝鮮に在場している水軍への釜山沖への集結命令を下していた。


「援軍によって、今までに碌に我らに勝った事が無い朝鮮・明水軍は口を咥えて見守るのが精々であろう」


 シンイチはわざと船団の目的地を暴露して、しかも敵艦隊を挑発するような噂を大量に流させていた。


「日本軍め! 順天沖を日本水軍の墓場にしてやるわ!」


 怒り狂った明水軍の総司令官陳璘は、陳蠶、鄧子龍などと共に五百五十隻の艦隊全軍でこれを迎え撃つ事にする。

 更に、漆川梁海戦で戦力の大半を失って再建中の李舜臣、李純信率いる朝鮮水軍もこれに参加するが、結果は明・朝鮮連合水軍の大敗北に終わる。


 連合水軍は、日本水軍の長射程新造砲を装備したガレオン船や大型和船のアウトレンジ攻撃で大型船を潰され、更に大筒などで火力を増強した中・小型などの攻撃も受けて、次々と沈没・鹵獲されていく。


 この戦闘で、明水軍総司令官である陳璘は五十隻ほどの船と逃げ出す事に成功していたが、副将の鄧子龍や陳蠶などの多くの将を失い、四百五十隻の船を沈められて百隻ほどが鹵獲され、一万八千人の水軍兵が戦死し、二千人ほどが捕虜になった。

 

 そして朝鮮水軍も、ようやく再建の始まった艦隊や司令官である李舜臣・李純信を共に失って、三度一から水軍を再建する羽目になる。


 一方の日本側は、中型・小型の船を二十隻ほど失って六百名ほどの死者を出しているが、損害比は比べ物にならなかった。

 何より、この海戦に敗北した明・朝鮮水軍は、南部朝鮮半島沿岸の制海権を喪失する事となり、小西行長、松浦鎮信、有馬晴信、五島玄雅、大村喜前の五人が一万三千人の兵で守備している順天倭城に二度と手を出せなくなる事を意味していた。


「かかれ!」


 明・朝鮮の大艦隊を潰滅させた日本軍は、いまだに順天倭城を攻め続けていた明西路軍・劉テイと朝鮮陸軍・権慄の軍に海上から砲撃と銃撃を行い、三万の陸軍を次々と上陸させる。


 敵の明・朝鮮陸軍の合計はほぼ同数であったが、これに呼応して守備側も兵を出して挟撃を行い、更に逃走する敵軍に対しても容赦なく追撃を行う。

 結果、日本軍は約二万の敵兵を討つ事に成功し、三千人ほどの捕虜と多数の遺棄された兵糧や武具などを鹵獲する事に成功している。


「援軍に感謝いたします」


 小西行長以下の五将は援軍に感謝の言葉を述べるが、徳川秀康などの指揮官達はその間にもせっせと順天倭城にある食糧などを船に積み込んでいた。


「積める物は、全て積んで撤退ですので」


「いや、しかし……。停戦交渉の方は……」


「この状況で、まともに話し合いは無理でしょう」


 シンイチは、空船に討ち取った敵軍兵士から剥ぎ取った剣や鎧まで積み込ませていた。

 南朝鮮沿岸の制海権を奪ったので、とにかく積める物は全て積んで帰るつもりであったし、そのために追加の輸送船も準備している。

 少し可哀想な気もしないでもなかったが、この時代の戦とはこんなものであった。

 

 順天の敵軍を撃破した援軍は、急いで海路と陸路に合わせて釜山までの移動を開始し、同時期に泗川の戦いで八万という驚異的な数の首を取った島津義弘率いる島津軍や、第二次蔚山城の戦いで蔚山倭城を守り切った加藤清正なども釜山に撤退している。


「最後の一合戦ですか?」


 朝鮮に在場している諸将達の表情は冴えなかったが、シンイチは敢えて大会戦も辞さずという強硬な姿勢を崩さなかった。

 次第に占領地を縮小させながらも、食糧から物資から武器から使える物は全て船に積んで順に出港させ、『腰抜けの朝鮮・明軍は、日本軍が引き揚げた空き地で奪還の功を誇るだけ』という噂を流させる。

 

 このシンイチの行動に、清正はその真意を測りかねていた。


「武功は順天で稼いだので、別に撤退しても問題は無い。だが、もう一戦して大損害を与えれば、後の交渉でも有利に働くはずだ」


 シンイチは、今さらここで朝鮮に仏心を見せてもその恨みは消えるとは思っていなかった。

 ならば、最後まで徹底して大損害を与えて、講和をしなければいつまた攻め込んで来るのか恐怖を与えつつ、向こうがそれなりに納得する条件を出す。

 

 更にシンイチは、今回の援軍の一部を割いて済州島を占領していた。

 勿論これは恒久的な占領ではなく、朝鮮を講和のテーブルに着かせるためと、講和交渉を有利に進めるためのチップの一つであった。


「なるほど、そういう事ですか」


 一度始まってしまった戦争がそう簡単に終結するわけもなく、そのために多少の強引な手も許される。

 清正は、シンイチの政治手腕に感心してしまう。


「そうだ。宗家には講和を進めて貰うにしても、何か手配をしないと駄目だろうな」


 撤退準備を進めつつも、敵軍に対して挑発行動に出る日本軍に対して遂に明軍が決戦を決意する。

 麻貴、董一元、劉テイ、楊鎬、李如梅などの指揮する明軍と、金応瑞、権慄などが率いる朝鮮軍合わせて八万が、三手に別れた日本軍合計六万四千人と釜山郊外の荒野で最後の会戦を行う。


 日本軍は、中央軍をシンイチと前田利長、伊達政宗、石田三成などが指揮し、右翼を小早川秀秋、徳川秀康、加藤清正、小西行長などが。

 左翼を島津義弘、立花宗茂、高橋直次、寺沢広高、宗義智、他の豊臣家諸将などが配置され、ここに史実には無い釜山会戦が行われていた。


 日本軍は援軍を中心に大量の鉄砲と、伊達軍などを主体に騎馬鉄砲隊なども活躍し、数に勝る明・朝鮮軍を圧倒。

 敵軍は数時間で士気が崩壊して離散してしまい、それを徹底的に追撃して六万人を討つ事に成功していた。


 明軍で生き残れた指揮官は麻貴将軍だけであり、朝鮮軍も権慄が逃げ延びていたが、この時の傷が元で後に病死している。

 その他の主だった将軍や武将などは全て討たれて、その首を獲られていた。


「では、引き揚げる事とする!」


 日本軍は、大勝利の余韻が冷めない内に急いで撤退準備を開始し、最後に空の釜山倭城に火を放ってから悠々と撤退を開始していた。


「最後の戦いも、勝つには勝ったが……」


 次第に遠ざかる釜山を船の上で見ながら、長年朝鮮で戦闘を行っていた諸将達の表情は暗かった。

 シンイチは彼らのフォローに奔走する事となるが、秀吉の死と相まって暫くは国内の混乱は続く事となる。

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