二十一話
文禄四年(1595年)の二月。
徳川家康の朝鮮半島の客死という予想外の事態と、その後の家督相続に関する混乱に巻き込まれたシンイチであったが、どうにか事態の収拾には成功する。
だが、シンイチや秀吉が考えていた秀忠への相続は、秀次によって拒絶されてしまう。
更に、このチャンスに父と兄達を殺した徳川家へと復讐すべく、池田長政も蠢動し、徳川本家の家督は結城へ養子に行っていた秀康へと決まり、一度分裂した家臣達も納まりがつかないであろうと秀忠は駿河を分割され、忠吉も下総の旧結城を相続という徳川家分裂という結果に終わっていた。
この事件でシンイチは、対立したくもない秀次と政治的に対立する羽目になってしまい、双方に少し距離感が発生してしまっていた。
それと、秀次は無用な献策をした池田長政を傍に置き始め、まずはその褒美として伊勢に三万石を与えている。
さすがにシンイチの領地には手を出さなかったが、これはシンイチが人は出さなくても食糧、物資、金銭などで豊臣家の財政と、朝鮮出兵で必要な食糧などを担当しているからなのであろう。
これ以上の摩擦は、避けたいと思っているようであった。
だが他にも、今回の件でシンイチと結城秀康との仲は決定的に悪くなっていた。
共に秀吉に近しい人物だと思っていたシンイチが、徳川家の相続では自分を支持してくれなかった事に秀康が隔意を抱き始めたからだ。
更に、徳川家家臣達の中にも、過去に多くの仲間を討ったシンイチにいまだに隔意を抱いている者達も少なくない。
家康生存時は、『三河武士が、そんな恨みを抱くのはみっとない』と彼が止めていたのだが、今はそれを止める存在がいなくなっている。
その結果、徳川本家は完全に舟橋家や彼と親しい大名家との友好を拒絶し、秀忠と進めていた各種殖産や交易の促進などの協力関係は、駿河を継いだ秀忠とだけになっていた。
それと、下総旧結城領に転封となった忠吉であったが、彼は元服したばかりの若者であり、しかも彼に付いて来た家臣達は少ない。
唯一の大物である井伊直政は、シンイチと同じように死んだ家康に悪いと思ったのか?
すぐに、シンイチに頭を下げに来ていた。
『私が、おかしな事を考えたばかりに……』
どうやら、自分の娘を側室に入れて徳川家を仕切る立場になりたいと願っていたようであったが、彼の願いはある意味叶ってもいる。
忠吉は徳川の姓を名乗る事が出来ず、松平忠吉という一種の独立した大名になっていたからだ。
なお秀忠であったが、彼は形式的には徳川本家当主秀康から駿河を分地された家臣という存在になっている。
実際には、双方は完全に分裂状態になっていたが。
シンイチは本当に秀忠に悪いと感じていて、その後は彼の駿河統治にかなり力を貸している。
新規の新田開発や殖産などに、金まで貸して協力していた。
何しろ、家康が駿府に貯めていた金を秀康に洗い浚い持っていかれてしまったので、秀忠は朝鮮への兵役もあって極端な資金難に陥ってしまったからだ。
『私は、秀康殿を見誤っていたのか……』
今回の事件で家康の墓の前で頭を下げるシンイチに、同じく墓参りに来ていた浅野長政がそっと呟いていた。
ちょうどこの頃、彼は朝鮮出兵での功績をもって、加藤光泰の死後に収公されていた甲斐国府中二十一万五千石を与えられて甲府城に入り、東国大名の取次役を命じられている。
とはいえ、それはほぼシンイチがやっている事なので、まずは甲斐の統治が優先だと動いていた長政であったが、そんな彼に徳川家を相続した秀康が言ったのは、『元は徳川の物だったのに、浅野殿が横取りですか?』であった。
今までの礼節や謙譲の心の大きさは全て吹き飛び、いや多分長政がシンイチと懇意にしているのでそれが憎いのかもしれない。
更に、秀康は、父である家康に愛されない不幸な生い立ちを持つ息子であり、そんな父と仲が良かった長政と仲良くするのが嫌だったのであろう。
『それに、まさか殿下と信一の意見を秀次様が一蹴するとはな……』
そんな話をしつつも、シンイチに甲斐にブドウ栽培や養蚕などの技術協力を頼む長政であった。
東国の安定化にシンイチが大きく寄与しているので、そちらが少し楽を出来る分、甲斐の国力増強を目指したかったからだ。
『朝鮮での功績とは言ってもな……。いくら占領地を増やして首を獲っても何も変化は無いんだ』
『戦闘には勝っても、戦争には負けるですか?』
『そんな感じだな……』
朝鮮での底なしの消耗と、秀吉と秀次の対立の始まり。
秀吉を古くから支えて来た長政は、次第に不協和音を立てる豊臣政権に危機感を抱いていた。
とはいえ、今のところは特に打つ手もなく、シンイチも長政もせめてもの罪滅ぼしと秀忠への援助と、領内の開発に力を注ぐしか無かったのだ。
「義兄上……。こんなに痩せられて……」
「信一と長可か……。忙しいのに、わざわざすまぬな」
「俺はそうでもない。信一が働き者だからな」
「そう思ったら、もっと手伝ってくださいよ」
「あははっ、お前らは面白いな」
そして、この頃からある大物大名の体調に変化が現れていた。
秀吉の命令で名護屋に詰めていた蒲生秀郷は、突如体調を崩して倒れ、朝鮮半島への渡航を見合わせて領地のある越前北の庄城で療養生活に入っていた。
史実では暗殺説もあった彼であったが、シンイチの見立てではすい臓癌であり、さすがにこれはシンイチでも直せる病気ではない。
生薬や漢方を配合して送ったりもしたのだが、多少の症状緩和くらいにしか役に立たず、秀郷は死の運命から逃れられそうになかった。
久しぶりに会う秀郷の痩せた姿に、シンイチも、あの長可ですら動揺していたくらいであった。
「見ての通りだ。俺はもうそれほど保たない」
「義兄上、治療を続ければきっと」
「信一、お前は嘘が下手だな。曲直瀬玄朔が、お前の調合する薬に感心していたが、それでもこの様だ」
シンイチの医術や薬物に関する知識は、プロの医者ですら感心して真似るほどであったが、それでもすい臓癌である氏郷を救う事が出来ないでいた。
それに、既に末期を迎えたと思われる氏郷に出来る事と言えば、痛みなどを緩和させる薬の調合だけであった。
「俺は死ぬわけだが、問題は俺の死んだ後の蒲生家だな」
氏郷には秀行という嫡男がいたが、まだ若年で越前一国を治められるのか不安であるらしい。
蒲生家には人材が揃ってるのだが、それを統率できなければ越前に小大名が乱立するような状態になってしまうからだ。
有能だが癖のある家臣達は、氏郷という強烈なカリスマによって統制されていたのだが、その役割を僅か十三歳の秀行に期待するのは酷というものであった。
「俺の家臣達は、有能ではあるが癖のある奴が多い」
「ですが、秀行殿がまだ幼く未熟なのは周知の事実。彼らとて、蒲生家が内乱で取り潰されるような真似はしないでしょう」
ところがシンイチは、史実ではその後に『蒲生騒動』が発生する事を知っている。
それでも、自分と長可が後見人となればとも考えていたのだ。
「親としては、秀行に上手く越前を治めて貰いたいが。武士としては、小身から始めて努力で出世して欲しいとも思う。複雑だな……」
「我らで秀行殿を支えましょう」
「任しておいてくれ」
「お前ら、『そんな気弱になってどうするんです?』とか、『早く療養して治してください』とか言わないのだな。まあ、お前ららしくてかえって陰鬱な気持ちが晴れるがな」
その後、三人は時間を忘れて信長が横死した直後からの武功話などを始めていた。
シンイチも長可も大領に対して責任のある身であり、多分三人で話をするのはこれで最後となるであろう。
そう考えて、その日は全ての予定を中止して病床の氏郷の元に居続けるシンイチと長可であった。
「そうだ。薬を持って来ました。飲めば体が楽になるはずですので、煮出して来ましょう」
シンイチが氏郷の飲む薬を作りに部屋を出ると、氏郷は話題を変えて長可に話しかける。
「あいつは、面白い奴だよな」
「まあな。この俺が義弟にしてやっているほどだからな。それに、良い奴だし」
「とはいえ、勝てないと思っているだろう?」
「氏郷、お前もだろう?」
「ああ」
共に信長に気に入られて、その娘を貰ったり、諱として一字を与えられたり、若いのに大領を与えられたり。
自分達は、信長にも秀吉にもお気に入りの家臣である。
だが、素性すら知れない若者が初陣で信長から一字を与えられ、秀吉から義理の娘を与えられ、関東の大半を領地としている。
能力的にもそうだが、秀吉の話だと一度も加増してくれと言った事が無いらしいし、人に頼まれるとほとんど嫌とは言わないし、何でも器用にこなすので沢山仕事を任されてしまうし、色々とやって貰っても一度も恩着せがましい事などは言わない。
それでも意外と強かでもあったりと、付き合えば付き合うほど不思議な良くわからない男が舟橋信一という男であった。
「殿下の死後は、再び世が荒れるかもしれないな……」
「朝鮮は駄目か? やはり?」
「ああ。十万や二十万の兵で、言葉が通じない荒地ばかりの朝鮮など占領できないさ。普通に向こうの軍勢と戦えば勝てるし、実際に戦えば勝利ばかりだ。だが、その後にその数十倍はいる民衆が一揆バラとなって襲って来る。冬は準備を怠ると凍死してしまうし、食糧も一揆バラのせいで輸送すら覚束ない。現地調達にしても、日本ほど容易くは無いんだ」
「そうか……」
戦好きではあったが、そんな先の見えない戦などに動員されなくて心から良かったと考える長可であった。
「殿下は、たまに失禁をするようになったらしい……。それに、昔のように判断力に優れた時間と、朝鮮への出兵を諌める意見に意固地になってしまう時間と。そこまで言えばわかるな?」
つまり、秀吉は衰えてもうそれほど先が無いという事であり、生まれたばかりの拾丸は幼く、秀次との仲はかなり危険な状態にまでなっている。
統一された天下は次代に継承されてこそ続くのであり、それが出来なくて再び天下が荒れる可能性があると氏郷は考えていたのだ。
「そして、それを継げる可能性があるのがあいつか?」
「そういう事だ。残念ながら、お前じゃない」
「俺とて、伊達の小僧や、上杉や毛利に負けるとは思わないがな。信一は凄いからな。お人好しだけど」
「だからさ。あいつの事だから、最初は懸命に家臣としてどうにかしようと努力するだろうさ」
「想像が付くな。苦労性だからな」
「だが、どうにもならなくなったら、あいつの背中を押してやれ。鬼武蔵に相応しい仕事だ」
「まあ、そうならない事を祈りたい気持ちも最近はあるけどな」
「悪い物でも食べたか?」
「いや、俺の領内もそうなんだがな。俺ら武士の一部だけだろう。戦が大好きなのは」
シンイチは、旧北条家の家臣を使ってその統治システムを改良して、関東に楽園に近い物を築き上げようとしていた。
広大な農地が広がり、町では多くの人達が買い物をし、多くの職人達が工房などで働き、拡張された港からは様々な産地の珍しい物産が入って来る。
戦で他の領地に略奪に行かなくても十分に生活が可能であり、それを可能にしたのがシンイチであった。
「なあに、秀次様か拾丸様で安定すれば、あいつは治世の能臣で終わるさ」
「二人で何を話していたのです?」
そこに、薬湯を持ったシンイチが戻って来たので二人の話はそこで終了する。
そして、これより一週間後の二月七日。
蒲生氏郷は、僅か四十歳でその短すぎる人生を終えるのであった。
「秀行殿を、近江蒲生郡二万石に転封ですか! そんなバカな!」
氏郷の葬儀を終えた後、シンイチは北の庄に残って秀行やその家臣である蒲生郷安、蒲生郷可、蒲生郷成などと協議を行って、氏郷死後の越前統治について話し合いを進めていた。
史実では、最初に秀吉が近江二万石に転封するのを秀次が阻止するので、この件では意見が合ったと思ったのだが、シンイチの予想に反して秀次の下した裁定は、秀行を近江蒲生郡二万石に移封するというものであった。
「越前ならば、若年の秀行殿でも家臣達の協力があれば!」
「何をバカな事を。越前は大阪にも近く、かえって混乱などは許されぬ場所。それゆえの国替えです」
北の庄にいるシンイチ、長可、秀行達の元に使者として現れたのはあの池田長政であった。
彼は得意気な表情をしながら、秀行に転封の命令を下す。
「それで、越前はどうなるのだ?」
長政の姉を妻にしている長可が尋ねるが、その心の中は煮えくり返っているようであった。
それに、長政と長可の付き合いは年齢の差などもあってそれほどではなく、二人はそれほど仲が良いわけでもなかった。
「北の庄など三十万石は、それがしが転封する事となりました」
美濃に領地を持つ池田長政であったが、彼は文禄元年までは岐阜に本拠を構えていた岐阜宰相こと豊臣秀勝の与力となっていた。
だが、その彼も朝鮮の地で病死してしまい、その遺領には織田信長の孫で織田家当主である秀信が入る事になっていた。
そして池田長政は、蒲生家が退いた越前の半分ほどを領有するように秀次から言われているらしい。
他に、越前敦賀五万石に大谷吉継が、青木一矩も十万石を貰って転封するとの事であった。
「そんなバカな話があるか!」
「義兄上、関白殿下にバカとは不遜の極みだと思いますが」
史実通りに蒲生家が会津に所領を持っていたら、その地の重要性を考えて秀吉は秀行を減封移転させる意見を出し、それに秀次が反対の意見を述べたであろう。
だが実際には、秀吉は越前ならば多少失敗があっても大丈夫だと判断し、亡くなった氏郷の今までの功績を考えて越前を継がせるようにと意見し。
それに、今の豊臣家には毛ほどの混乱は許されないと秀次が反論して秀行の所領を削る決断をしたらしい。
どうやら、氏郷が生前にシンイチと仲が良かった事も原因にあるようであった。
今の秀次は、秀吉への恐怖のあまりシンイチすら秀吉の手先だと考えてその意見に逆らうようになってしまったのだ。
そして池田長政を優遇しているのは、少しでも自分の派閥を形成して秀吉に対抗できるようにと考えての結果なのであろう。
実際に秀次は、藤堂高虎、毛利輝元、中村一氏、堀尾吉晴、山内一豊、伊達政宗、最上義光、田中吉政、細川忠興などとの交友があった。
豊臣政権下での相次ぐ出兵によって困窮していたので金を借りていたり、秀次付きの重臣であったり、政宗は奥州仕置の際に色々と便宜を図って貰った縁からで、義光は娘の駒姫を側室に出す予定があった。
「(バカはお前だ! 秀次様が関白でも、国内の政治のかなりの部分を任されていても、そんな事は関係ない! 秀吉様に逆らった者の末路は……)」
シンイチは、間違った木に寄りかかったバカな池田家の若者に憐憫の情さえ覚えていたが、結局蒲生秀行は、秀次の命令通りに越前一国から近江二万石への減封となって、多くの家臣達に暇を与える事になっていた。
「秀行殿、申し訳ない」
前の徳川家の件に続き、シンイチは再び秀行に頭を下げる事になっていた。
どういうわけか、シンイチが後見役を務めようとすると秀次にこのような裁定を下されてしまう。
彼の将来の事を考えても、シンイチとて感情のある人間である。
いい加減、秀次に腹を立てている部分があった。
「領地は、小さくても大きくても上手く治める事は難しい。死ぬ直前に父から言われました。将来に加増がある事を期待して一から頑張りたいと思います」
結局、大幅な減封となった蒲生家の重臣達で残ったのは蒲生郷安だけという状態になってしまう。
彼は、二万五千石から三千石へと禄が減らされた状態でも残ってくれて、秀行の補佐をしてくれる事になったのだ。
「俺には、秀次様の恐怖が理解できていないのだろうな……」
とそこに現れたのは、奉行として蒲生家の転封を見届けていた石田三成であった。
「恐怖ですか?」
「三成殿とて、言わずとも理解しておろう? 最近の秀次様はどこかおかしい。関白として独自の裁定を下す事が己の権力保持に役に立っていると思っているが、実際にやっている事は徳川家の分裂に、蒲生家家臣達の失業にと。ただ社会不安を増やしているだけだ」
「それにつきましては……」
結局、多くの旧蒲生家家臣達は、越前の半分を有する池田長政に雇われたらしい。
十年前の徳川家との戦いで受けたダメージがいまだに残っている池田家としては、旧蒲生家家臣達は実に都合の良い人材だったのであろう。
シンイチは、胸糞の悪さを覚えていた。
「それがしも、何人かの旧蒲生家家臣達を雇い入れました……」
生真面目な三成としては、蒲生家減封は避けられなかったものの、その家臣達の生活を奪って社会不安を生みたくなかったのであろう。
「信一殿にもお願いしたいのですが」
「わかりました」
シンイチも、主に少禄の者達であったが、旧蒲生家家臣達を雇い入れている。
小物ばかりなのは、もし秀行の領地が元に戻ったら彼らが元の蒲生家に戻る事に躊躇いを感じさせないためであった。
「義兄上から、秀行殿の事を任されていたのになぁ。情けない事だ」
こうして、氏郷の死後に発生した蒲生家減封騒動は終了するのであったが、波乱の文禄四年はまだ始まったばかりであった。