二十話
「何ぃ! 家康殿が、病死だと!」
朝鮮との無謀な戦争は続いていたが、緒戦の大勝にも関わらず戦線が膠着して秀吉も講和を考え始めた文禄二年(1593年)の九月二日。
秀吉の命令で、現地の状況の把握と講和に向けた下準備のために朝鮮へと渡海した徳川家康は、現地の風土病にやられたのか?
すぐに倒れてしまい、そのまま看病の甲斐もなく呆気なく息を引き取ってしまったらしい。
当然、当主を失った徳川軍は戦どころではなく、代わりに上杉景勝が現地に渡海し、徳川軍は家康の遺骨を守りながら駿河へと戻って来るようであった。
「まさかな……。家康殿は、健康そのものだったのに……」
江戸城内で家族と食事中であったシンイチは、深刻な顔をした自分を覗き込む三人の妻と、嫡男の真一に、八人の娘達にも気が付かないで考え事をしていた。
結局シンイチの妻達三人は、平等に三人ずつの子供を生んでいたのだが、男は正妻お蘭の産んだ一人だけであとは全員娘であり、盛政に、『男が少なくて、たまに居心地が悪い時がある』と漏らすようになっていた。
盛政も妻と娘だけの生活だったので、『わかります』と答えていたのだが。
実は、虎姫の後にも頑張って子供を作ってみたのだが、二人目の子供も娘であったからだ。
子供の話は置いておくにしても、実は一つ困った問題が発生していた。
それは、家康が正式に後継者を指名しないで死んでしまった事だ。
「とにかく、駿府に行かないと駄目だな」
まさかこんなに早く家康が死んでしまうとは思わなかったシンイチは、急いで秀忠が葬儀の準備をしているであろう駿府へと急ぐのであったが、その後に思わぬ政治的な大騒動に巻き込まれる事となるのであった。
後世で言うところの、『徳川家督騒動』事件であった。
「(これは、最悪だな……)」
僅かな護衛を連れて駿府へと急行したシンイチであったが、突然の家康逝去に城内は大騒ぎとなっていた。
いや、家康の死に動揺して嘆き悲しんでいるだけならばまだ救いがある。
彼ら徳川家臣団達は、喪主として葬儀の準備をしようとしている秀忠を止めて、あちこちで数人ずつ集まってコソコソと話をしていたのだ。
誰が三河、遠江、駿府、南信濃合計九十二万石の領土を相続するのか?
秀忠を支持する家臣達は、秀忠の手伝いをしようとし、他の子供達を支持する家臣達はそれを止めようとする。
何しろ、葬儀の喪主ともなれば、それは家康の実質的な後継者である事を意味するからである。
「とにかく、葬儀の準備は朝鮮から重臣の方々が戻ってからです!」
「勝手に喪主を勝手に決める事は、ままなりません!」
家康への忠実で犬とまで言われた三河武士であったが、それは後世のイメージに過ぎない。
家康の父も祖父も暗殺によって命を落としているし、一向宗との戦いでは見事に家臣達は分裂して戦っている。
それに、彼らは案外噂話好きで嫉妬の感情なども強い。
現に、駿府城内では誰がどの後継者を支持するのかで、色々と集まって相談を続けているようであった。
「信一殿……」
いくら家康の代わりに領内の統治をしているとはいえ、秀忠はまだ数えで十六歳の若者にしか過ぎない。
偉大であった家康の死で揺れる家中に、大きな不安を覚えているようであった。
「秀忠殿。こういう時にこそ、人は真価が問われます。家康殿の葬儀に関しては、正信殿や忠勝殿などが戻ってから話し合う事が決まりました。ならば、秀忠殿には他にする事があります」
「そうですね。父が亡くなっても、領内の政治は待ってくれないのですね」
「そうです。朝鮮からの帰還軍を混乱なく受け入れる準備をしつつ、今まで通りに政務を行ってください」
とは言ったものの、やはりカリスマであった家康の死の影響は大きく、秀忠が政務を再開しても、急用や病気と称して出仕しない者達が続出していた。
どうやら、家康の四男であり、シンイチの長女愛の婚約者である忠吉の周囲に井伊直政の家臣達が集まって、何かの相談をしているようなのだ。
他にも、結城晴朝の養子になったばかりの結城秀康が家臣達を連れて駿府に入ったのだが、彼は秀吉の養子になる際に榊原康政の三男康勝、本多重次の従兄弟ある富正などが付けられている。
彼らは、久しぶりの親族との再会などと言って集まっていたが、秀康を後継にすべく動いているのは明白であった。
それでも秀忠は、シンイチの言う通りに領内の開発の監督や、それに伴う必要な書類の決裁などを行っていく。
登城しない家臣も多かったので、彼の側近である土井利勝、安藤重信、青山忠成なども懸命に働いて彼を支えていた。
そして十月に入ると、ようやくに家康の遺骨を持った重臣と二万の徳川軍が駿府に帰還し、挨拶もそこそこに話し合いが行われる。
まずは、家康の葬儀の日程と、誰が喪主となって仕切るのか?
これは、後の後継者指名にも影響するので、話し合いは荒れに荒れる事となった。
「徳川家の後継者は、秀康殿が相応しいと思う」
「俺もそれに賛成だな」
会議は、まずは誰が徳川家を継ぐかの話になっていた。
それぞれに重臣が意見を述べる。
本多忠勝、榊原康政、本多正信などは次男の結城秀康を支持していた。
他にも、譜代の重臣達は秀康を押す声が大きかった。
彼は家康の子供の中で一番の年長者であったし、一度は秀吉の養子になっている。
これからも豊臣政権下で生きていく以上は、秀康を跡取りにした方が良いであろうと考えていた。
「いや! まだ若いとはいえ、忠吉殿こそが相応しいとそれがしは考えます」
井伊直政は、外様や新参者の家臣達を集めて四男の忠吉を推していた。
直政は、譜代の家臣達ばかりの徳川家に若い頃から務めて、四天王の一人と呼ばれるようにまでなった俊英であった。
だが、三河衆ばかり優遇される状況に色々と思うところもあったのであろう。
忠吉を家康の跡取りにして、自分や外様の家臣達を優遇して貰うという意図がミエミエであった。
「秀忠様こそ後継者に相応しいと思う。秀忠様は、殿に留守中の領地を任された身であり、殿下より一字を与えられ、中納言に任じられ、その正妻は総見院様の姪であるお江様でいらっしゃる」
「左様。秀忠様こそ、秀吉様から認められた後継者でいらっしゃる」
京都で秀吉から隠居料を貰って隠棲していたものの、家康の死で急遽駈け付けた酒井忠次や、大久保忠隣は秀忠を支持する。
このように、徳川家家中は完全に割れてしまっていた。
「ところで、舟橋様はどのようにお考えなのです?」
シンイチは、井伊直政の質問に最悪のタイミングで嫌な事を聞いて来るなと感じていた。
心の中では酒井忠次の考えに賛同ではあったのだが、秀康の義父である結城晴朝は関東に所領があったし、忠吉は娘の愛の婚約者でもある。
そんな事は関係ないと言えば関係ないのだが、ここで誰かを言ってしまうと家中が余計に分裂してしまう可能性もあり、どうしたら良いのか迷ってしまっていたのだ。
それに、シンイチは秀吉の見解を聞くまで自分の意見を口にするには危険だと思っていたし、それは事前に秀忠には話していた。
あの強引な朝鮮出兵に反対したと言われる千利休の最後や、それを秀吉の前で口にして最近は遠ざけられているという噂の浅野長政などがいたからであった。
「その前に、家康殿の最後を看取った方は?」
シンイチの質問に、正信、忠勝、康政、直政などが手を挙げる。
「遺言などは? もしくは、遺書などは無いのですか? 家康殿は、慎重なお方だったではないですか」
「それが、そのような話が出る前に昏睡状態となってしまいまして……」
嘘か本当かは知らなかったが、そう言われてしまうとそれで終了であったし、正信は秀康を推している人物だ。
その気になれば遺言の捏造くらいはしそうであったが、しないところを見ると事実なのであろう。
「私には私の一存がありますが、これは私見であって殿下の裁定を聞くまでは口に出来ません。とりあえず、今は家康殿の葬儀を遺漏無く行うべきかと思います。喪主は、秀忠殿が宜しいかと思います」
後継者に関しては、秀吉の裁定が出るまでは口には出さない。
とは言いつつも、シンイチは喪主に秀忠を推薦していた。
喪主が後継者になる可能性は高いが、以前の信長の喪主が秀勝であった例外なども存在し、もし秀吉が秀忠以外の人物を挙げても逃げ道を作っていたのだ。
だが、徳川家の諸将達は、シンイチが秀忠を推しているという事実を瞬時に悟る事となる。
評定は終了し、半月後に秀忠が喪主として家康の葬儀が行われるのであったが、その頃には秀忠は少しだけ自分が家督を継ぐ事に対しての賛同者を得る事に成功していた。
だが、四男の忠吉はともなく、次男の秀康とそれを支持する重臣達の存在は厄介であった。
そして、更なる混乱がシンイチを襲う事となる。
「本日は、父家康の葬儀に遠方よりお来しいただきまして……」
文禄二年(1593年)の十月中旬のとある日。
秀忠を喪主として、徳川家康の葬儀は始まっていた。
関東や東北の大名達はほとんどが本人達が出席していたが、さすがに朝鮮半島や名護屋に在場している大名達は重臣達などを派遣していた。
他にも、公家や朝廷からも人が送られて参加し、豊臣家からは秀次本人が出席していた。
式は、厳かながらも順調に進行していて、喪主を務める秀忠の評価が上がっていたが、これはシンイチが裏で補佐をしていたからであった。
表だって秀忠が後継者とは言えない立場にはあったが、行動で秀忠を推しているとも言えた。
葬儀終了後、今度は秀次や、葬儀に参加していた家康の囲碁友でもあった浅野長政、石田三成、増田長盛、前田玄以などの奉行衆。
それに、家康と領地を接している大名などが参加して、徳川家の後継者を決める評定を行う事となる。
「三成殿、殿下からの裁定は?」
シンイチは、名護屋から駿府へと来た石田三成に秀吉からの返事を聞く。
いくら太閤となって国内の政治を秀次に任せているとはいえ、彼はいまだに絶対権力者である。
徳川家ほどの大大名の相続に関しては、意見を聞くのが当たり前であるとシンイチは考えていた。
ところが、秀次はそうは考えてはいなかったようだ。
関白という権力者に昇り詰めた影響なのか?
東国の支配を任されているシンイチが、秀吉の権威を利用して自分に対抗し始めたのではないかと誤解したらしく、シンイチを苦々しい表情で見つめ始める。
「秀康殿の方が年長とはいえ、既に結城家に養子に出た身なれば、これは秀忠殿が継ぐのが正当であると」
三成の秀吉からの回答に、ほっと胸を撫で降ろすシンイチであった。
ところが、これに異を唱える人物がいた。
秀次が、秀康の相続を強硬に主張し始めたのだ。
「他家に養子に行っていても、戻って来た例などいくらでもある。それに、結城家は秀康殿が生んだお子が継げば宜しい」
「秀次様……」
「余は関白ぞ! 余が決めた事に異議を唱えるのか!」
秀次を諌めようとした三成であったが、逆に秀次から怒鳴られてしまう。
その以前とは違う様子を見て、シンチイは思わず絶句してしまう。
「(三成殿、秀次様はどうなされたのです?)」
「(秀次様は、お拾い様が誕生以来、少し様子がおかしいのです)」
秀吉は、鶴松の死で自分の子供に跡を継がせる事を諦めたからこそ、秀次を養子にして関白を継がせている。
それなのに、八月には次男の拾丸が誕生してしまい、彼は次第に秀吉から疎まれるようになっていた。
秀吉が自分の血を分けた実子である拾丸を可愛いと思うのは当然であり、このままでは自分は秀吉に排除されてしまうかもしれない。
恐怖に駆られた秀次は、関白の継承順位を自分の後は拾丸にすると約束したり、自分の娘と拾丸との婚約を決めたりもしたのだが、それでも不安の種は消えないようであり、何とかして自分の影響力を増そうと次第に秀吉との意見の相違を見せるようになっていた。
「秀次様。秀康殿は、結城家の当主にございますれば。となれば、秀忠殿が徳川を継ぐのが当然かと……」
「信一殿! クドイ!」
秀次は、強引に秀康に徳川の家督を継がせる決定をしてしまう。
そして、シンイチはすぐに理解していた。
なぜ秀次が、これほど強引な決定をしたのか?
秀康は元は秀吉の養子であり、もし彼を徳川の後継者にしても秀吉から文句は出ないと踏んでいる事と、この件で秀康に借りを作って自分の派閥に引き入れたのだと言う事をだ。
彼は彼なりに、自分が生き残る事に必死であったのだ。
「秀次様、それがしに良い意見がございますれば」
三成、シンイチ、秀次の争論をただ見つめるだけであった他の大名達であったが、ここで秀次に献策をして来た人物がいた。
美濃で十八万石を有する、池田恒興の四男で父や兄達の死後に家督を継いだ池田長政であった。
池田長政は、父と兄三人を討った徳川家を憎んでいたし、一緒に信濃・甲斐に出陣した森長可が会津百万石に、シンイチが関東三百万石とも言える出世を果たした事実に恨みを感じていた。
なので、自分の姉が秀次の正室である事を利用して、徳川家を分断してやろうと考えていたのだ。
「それがしが考えますに、誰が継ごうと家臣達の分裂は収まりますまい」
「確かに、そうだな」
まだ二十歳ほどであったが、池田長政は生き残った老臣達に教育を受けて、なかなかの武者ぶりと狡猾さを身に付けていたようであった。
更に、次期権力者である秀次に近付いて、父や兄達の果たせなかった大領を得ようと考えているようであった。
まずは、献策で信用を得ようという事なのであろう。
「そこで、三河・遠江・南信濃などは秀康殿に、駿河を秀忠殿にというのはどうでしょうか?」
駿河を秀忠で三河を秀康という事は、これは徳川発祥の地を次期当主にという意図も含まれているようであった。
「待て! なぜ勝手に徳川を割るのだ!」
忠吉支持ではあったが、徳川家の分裂だけは容認できない井伊直政が池田長政の意見に異議を唱える。
「おやおや、とても、忠吉様を推した直政殿の言葉とも思えないですな」
「確かに我らは忠吉様を推した! だが、一旦後継者が決まればそれに従うのみ!」
「とはいえ、人間の感情がそう上手く行きますかな?」
「……」
池田長政の意見に、井伊直政は答えられずに黙り込んでしまう。
確かに、秀康支持の忠勝や正信の自分を見る目には厳しい物があったからだ。
「では、秀康殿で決まりだな」
「秀次様」
「どうかなされましたか? 秀康殿」
さすがに悪いと思ったのか?
秀康は、下総結城領を忠吉に贈与する旨を伝える。
「さすがは、秀康殿」
「(終わった……。私の下らない野心のために……。家康様、申し訳ありません……)」
ガックリとうな垂れる直政であったが、そのまま徳川本家の相続は秀康という事に決まり、彼は三河・遠江・南信濃など七十七万石を、秀忠は駿河一国を、忠吉は下総旧結城領十一万千石を継ぐ事となる。
なお、秀康の義父である結城晴朝は、南信濃十万石を管理する事となり、秀康の子供に将来結城家を継がせる事を約束する。
更に、徳川家臣団も分裂する事となった。
四天王では、本多忠勝と榊原康政が秀康に、井伊直政は忠吉に、隠棲を撤回した酒井忠次が秀忠にと。
他にも、本多正信、松平康忠、平岩親吉、鳥居元忠、水野忠重、内藤正成、服部正成は秀康に。
大久保忠隣、松平定勝、酒井重忠、米津常春が秀忠に。
まだ幼い忠吉には大物の家臣が付いて来ず、直政はこれから大いに苦労する事となるのであった。
「秀忠殿、申し訳ない。もう少し、俺が強硬に秀忠殿の相続を言っていれば」
徳川家臣団の完全分裂に、池田長政は恨みを晴らせて大笑いし、秀次は政権運営における邪魔者の力を落とせたと思っていたが、シンイチはこのような結果になってしまった事に、ただ秀忠に頭を下げるのみであった。
「いえ、いくら信一殿が主張されても、秀次様がそれを受け入れなかったでしょうね」
秀次は、シンイチに謝罪は不要とその頭を上げさせる。
「それに、意外と付いて来てくれたじゃないですか」
四天王からは酒井忠次で、他にも多くの家臣達が付いて来てくれている。
それに、一国の太守にはなる事が出来たのだ。
二十歳前の若造としては、上出来であろうと考える秀忠であった。
「駿河は、表面上は十五万石ですか」
「俺の責任において、二十五万石には可能な開発計画を出します。それに、鉱山開発や港の整備による交易の促進なども」
「信一殿が最後まで味方してくれて良かったです」
こうして三つに分裂してしまった徳川家であったが、当然これを不服と感じている人物がいた。
名護屋からお拾いの顔を見るために戻っていた太閤秀吉であり、彼は報告に来た石田三成を萎縮させるほど激怒していた。
「信一は、何をしておったのだ!」
「それが、殿下のお心を読んで家康殿の葬儀の喪主を秀忠殿にするなどしていたのですが、秀次様が強硬に……」
「信一の意見を退けたのか! あのバカ者めが!」
「ただ、徳川家が割れるのは避けられない未来であったとも。あまりに、家康殿の死が急でしたので……」
「意外と脆かったのかもしれないな。三河武士達の結束も」
年が明けてから、再び名護屋へと兵を送る徳川家であったが、秀康の指揮する徳川軍と、秀忠の指揮する徳川軍の対立は激しく、以前ほどの強さを発揮する事は二度と無かったのであった。
そして、もう一つの大名家の相続でシンイチと秀次はまた対立する事となる。
二人の意思に反して。