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十八話

「おおっ! これは、ちょうど良い時に来てくれた」


「どうかしましたか? 義兄上」


「実はな……」


 天正十八年の十月。

 北条氏滅亡後に秀吉が行った奥州仕置により小田原に参陣しなかった葛西晴信、大崎義隆の両名は、没収された領地に新しく領主として赴任して来た木村吉清に対して反抗し、後の世に言う葛西大崎一揆が発生していた。


 そして、これに呼応するかのように、旧和賀領、旧稗貫領、出羽庄内地方、仙北地方でも地侍層を中心とした一揆が発生し、豊臣政権は鎮圧軍を派遣する事となる。


 その鎮圧軍とは、勿論会津黒川領主である森長可と、関東地方の開発を家臣達に任せて一万人の兵を引き連れて到着したシンイチの二人であった。


 奥州仕置の責任者である浅野長政は、帰京の途中で滞在していた白河城でこの知らせを受けると二本松城へと引き返し、森長可と伊達政宗に木村吉清・清久の救出を命じる。


 氏郷と政宗は伊達領の黒川郡下草城にて会談し、十一月十六日より共同で一揆鎮圧にあたることで合意するが、その前日に政宗の家臣である須田伯耆が、一揆を扇動したのは政宗であると訴え出る。

 更には、政宗の祐筆であった曾根四郎助が、政宗が一揆に与えた密書を持参するという、かなり信憑性の高い冗談では済まされない事態にまでなっていた。


 そして、ちょうどその時に援軍を連れて現れたのが、シンイチと佐久間盛政であった。


「あり得なくもないというか、ほぼクロでしょうね」


 政宗は、秀吉に奪われた所領を取り戻そうと裏で色々と画策しているのであろう。

 完璧な証拠は存在しなかったが、状況的には十分にあり得る事であった。


「兵達が話していたのだが、伊達軍の種子島が空砲だという噂もあってな」


「戦っているフリですか?」


「そういう事だな」


 長可個人としては、一揆勢に攻撃をしかけて木村親子を救出する事に躊躇いは無かったのだが、もし伊達軍に挟み撃ちにされたらという可能性を考えているらしい。

 珍しく、明日からの攻撃を躊躇しているようであった。


「義兄上らしくもないですね」


「いや、俺は良いんだが、兵達が可哀想でな」


「大丈夫ですよ。明日は一緒に名生城を落としましょう」


 シンイチは、政宗がそんな表立っては無謀な事はしないと思っていた。

 裏でコソコソ一揆勢と手を結ぶような事をしている慎重な男が、自分の軍勢を使って味方を攻撃するわけが無かったからだ。

 そんな事をしたら、問答無用で反乱者扱いされるのはわかっているのであろうからだ。


「我らを攻撃した時点で、殿下の怒りに触れて改易でしょうね。それに……」


「それに?」


「我らが、伊達軍ごときに負けるとでも?」


「そうだったな! 明日からは、木村親子のいる佐沼城まで一直線だ!」


 翌日から、森・舟橋連合軍二万は一気に一揆方の名生城を占領し、そのまま休む事なく高清水城・宮沢城ヘ向けて進撃を開始していた。

 相手は一揆勢で自分達だけで討伐など出来るはずもなく、既に木村親子の統治は破綻しているので、秀吉からの援軍が来てから正式に彼らの討伐を行う事にしたからであった。


 今は、ただ木村親子を救出すれば良いのだ。


 シンイチと長可は、政宗にすら自分達の正確な進撃ルートを教えないまま高清水城・宮沢城などの諸城を落としながら抜いて行き、十一月二十五日には佐沼城を落として木村親子を救出して、十二月三日には会津黒川城に到着していた。


 最短距離で進路を妨害する一揆勢の城や軍勢を粉砕し、その獲った首の数は推定で三千ほど。

 時間が無いので全て討ち捨てて来たが、まさに鬼武蔵に相応しい活躍ぶりであった。


「ところで、伊達殿に挨拶もしないで戻って良かったのでしょうか?」


「『我らは、お前を警戒しているぞ!』と向こうに思わせるためです」


 一揆勢と政宗が手を結んでいるという噂は、落とした城にいた地侍達からも聞けるほど有名になっているようであった。

 なのでシンチイは、政宗と一切接触しないで会津へと戻って来たのだと、木村親子に説明をする。

 

 下手に会いに行って、暗殺でも企まれたら堪らないからであった。

 念のために、関東転封後に三万石で雇った風魔小太郎の手の者を配置はしているが、向こうも黒脛巾組という忍者組織を持っているので油断は禁物であった。


「だが、これが事実だとすれば、政宗もただでは済むまい」


「それを決めるのは、殿下ですけどね」


 それから約一ヵ月後、相馬領に到着した石田三成が政宗に対して秀吉からの上洛命令を伝え、長可、木村親子と共に大阪へと赴く事となる。

 ちなみにシンイチは、一旦関東に戻って春以降に始まるであろう一揆討伐に向けて軍勢を整えておくように命令を受けていた。


 そして、二月四日。

 上洛した政宗は、その生来の図々しさで一揆煽動と彼らと裏で繋がっている疑惑を否定。

 証拠とされる密書は偽造されたものであり、本物の自分の書状は花押の鶺鴒の目の部分に針で穴を開けていると主張した。


 実際に、曾根四郎助が持参した密書には針の穴が存在せず、秀吉は政宗の主張を認めて政宗に一揆を鎮圧するように命令し、援軍として羽柴秀次、徳川家康にも出陣を命じていた。


 五月に米沢へと戻った政宗は、六月十四日に再び出陣して本格的に一揆の掃討に取りかかったが、その犠牲は大きかった。

 一揆勢の激しい抵抗に、浜田景隆、佐藤為信ら重臣が相次いで討ち死にを遂げ、一揆の鎮圧には約二ヶ月の期間を要していた。


 しかも、一揆勢との戦いの前に正宗は秀吉から転封の命令を受けていた。 

 政宗に旧葛西・大崎領十二郡を与える代わりに、本来の所領十三郡七十二万石のうち、六郡が没収されて森長可に与えられていた。

 どうやら秀吉は、完全には政宗を許していないようであった。


 二百年以上も伊達氏が領有していた豊かな伊達・信夫・長井の三郡を含む六郡を失い、代わりに一揆で荒廃した葛西・大崎十二郡を得た。

 表面上の石高の損失は十四万石ほどであったが、実際にはそれ以上の経済的損失であった。

 

 政宗としては歯軋りする思いであったが、これに自業自得と言えよう。

 伊達軍が自分達の新しい領地を確保すべく、懸命に一揆勢と死闘を演じていた。


「伊達殿! 話が違うぞ!」


 そして、裏で組んでいたはずの政宗に裏切られて殺される一揆勢。

 しかも、なんな都合の悪い事実を知っている彼らを、あの政宗が生かすはずもない。

 主だった一揆勢はほど撫で斬りにされ、ここに葛西大崎一揆は終焉を迎える。


 この一揆での犠牲者は数万人を超え、一揆発生の責任を取らされて木村親子は改易となる。


 正直なところ、誰も得をしなかった無駄な戦いであった。


「信一よ。急に領地が増えてしまってな。木村親子は俺が面倒を見る事にしたんだが、俺もこんな大領を統治した事が無くてな。当然、力を貸してくれるよな?」


「ええと……。出来る限りは……」


「お前が関東でやっている、領地開発の資料を見せてくれれば問題ないさ。そうだ! 宇都宮の奴が邪魔だが、信長様のように真っ直ぐで太い道を繋いで交易なんかもしようぜ」


 周囲からは、敵を容赦なく斬り殺しているだけと思われがちな鬼武蔵こと森長可。

 だが、彼は今回の一揆で唯一の勝利者であったのかもしれない。


 会津黒川城のほぼ新築に近い築城と広大な城下町の建設や、肥後の時と同じような農地開発や、用水路開発などの治水や、商業・工業などを含むあらゆる産業の振興と、その販路である道路工事など。


 のちに常陸国主である佐竹義宣なども加わって、関東・会津地方は一揆で荒れた東北を捨てた流民などを受け入れつつも、積極的に開発が進められる事となる。


 シンイチは大阪などとの交易も拡大して運上金による利益を拡大し、長可や義宣などの領地も含めて合計五十万石を豊臣家の蔵入地として追加設定して秀吉を喜ばせていた。


 そして、今回の一揆の主役でもある政宗が懸命に鎮圧を続けている間に、シンイチと徳川家康は秀吉からの命令で、共に葛西・大崎十二郡の検地と城砦改修などを一緒に行っていた。


 家康は、本拠地である岩手沢城の改修作業を。

 シンイチは領内全域を盛政と回って、検地を行いつつ、懸命に何かの図案を書いているようであった。

 そしてそれが終わったシンイチは、家康と共に改修工事が続く岩手沢城内でお茶を飲みながら話をしていた。


「信一殿は、この地をどう思いますか?」


 家康は、大身となったシンイチに丁寧な口調で質問する。


「そうですね。俺や家康殿であれば、開発で百万石以上には拡大可能でしょう」


「あの伊達殿が、それをしますかな?」


 独眼竜と称されて、家督を継いでから戦いに明け暮れた人物である政宗が素直に内政など行うのか?

 家康は、それが心配なようであった。


「やって貰わないと駄目というか、戦で領地が広げられない以上はやらないと駄目でしょう」


 そう言いながら、シンイチは自分が書いた図面や計画書を家康に見せる。

 史実では川村重吉が行った北上川改修や、石巻港の整備や、鉱山なども豊富で製鉄も可能であったし、金山などもある。

 何より、三陸沖という漁場があるので海産物が豊富であり、江戸時代に三陸産の干し鮑やフカヒレは、『長崎俵物』として中国に輸出されていたほどであった。


「なるほど、この計画書を見るとここは宝の山とも言えますな」


 全て史実における仙台藩の開発計画のパクリであったが、家康はシンイチの計画立案能力に脱帽していた。

 しかも、シンイチにはそれを実現する実行力も存在する。

 

 おかげで、かなり扱き使われているようであったが、そんな彼を慕ったり仲の良い人物は多かった。


 浅野長政、長束正家、増田長盛、仙石秀久、脇坂安治、小西行長、加藤清正、福島正則、森長可、蒲生氏郷、黒田長政、佐竹義宣など。

 更に、あの生真面目で有名な石田三成も、シンイチの豊臣家への貢献とその人柄を認めているとの話であった。


 豊臣一族の中でも、先に亡くなった秀長は自分の死後にシンイチにその跡を継いで欲しかったらしいし、秀次は信濃・甲斐侵攻で自分に手柄を立てさせてくれたシンイチに好感を持っている。


 そして何より、秀吉とねねに気に入られているというのが大きかった。

 正妻が二人の養女というだけでなく、降伏・臣従後に律義者と周囲から評判になっている自分よりも遙かに秀吉の信用を得ているのだ。


 でなければ、関東という東の地とはいえこれだけの大領をシンイチに与えるはずもなく、しかも秀吉の期待以上に成果を出しているとも言えた。


「(徳川家の安寧のためにも、ここは縁を結んでおいた方がいいな)ところで信一殿、側室を増やす予定はありませぬかな? 勿論、殿下に許可を取っての事となりましょうが……」


「いやあ、さすがに側室の方は……」


 子供も十分にいるし、これ以上側室が増えてもどうせ忙しいのでと考えてしまうシンイチであった。

 それに、家康が自分と婚姻関係を結びたいのは理解できたが、四ヶ国九十二万石の太守の娘を、多分適齢期の娘がいないので家臣の娘を義娘とするのであろうが、それでも四番目の側室にするわけにはいかなかった。


「そうですね。お蘭の生んだ長女の愛を、福松丸殿と婚約させるという話では?」


「それは良い考えですな」


 こうして、史実であれば井伊直政の娘と結婚する予定であった家康の四男で後の松平忠吉と、シンイチの娘である愛の婚約が決まる。

 この件ではすぐに秀吉から許可が出たのであったが、この婚姻のせいで、後にシンイチはまた余計な騒動に巻き込まれる事となるのであった。


 そしてその話を終えたのと同時に、約束していた伊達政宗が二人の前に姿を現す。

 後ろにいる壮年の男性達は、あの有名な片倉景綱、伊達成実、茂庭綱元などであるようであった。


「伊達藤次郎政宗でござる」


 政宗は家康とシンイチに挨拶をするが、その表情は不機嫌そのものであった。

 一瞬だけ、自分よりも遙かに体が大きいシンイチに驚いていたようであったが、すぐにその表情を元に戻している。


「徳川殿と一緒に、葛西・大崎十二郡の検地と岩手沢城の改修は済ませました由に」


 シンイチも、家康も、政宗にはこれ以上何も言わなかった。

 なぜ、彼が領地を削られてここに転封されて来たのか?

 そんな事は、わざわざ言わなくてもわかる事であったし、秀吉がこれで許す事にした以上は、何か言う必要も無かったからだ。

 

 シンイチは、ただ自分で書いた旧葛西・大崎領の地図に、自分なりに考えた領内開発計画書を添えるだけであった。

 政宗は何も言わなかったが、それを覗き込んだ景綱と綱元は、その計画の見事さに驚き、細かい質問をシンイチにぶつける。


「これを、舟橋様が?」


「計画だけですよ。それに私案です。実行するしないは、この地を治める伊達殿次第です」


「「殿」」


 景綱と綱元は、縋るような目付きで政宗を見ていた。

 今回は花押のセキレイの目の穴で一揆勢煽動の罪を逃れたが、このような減封処分を受けたという事は、完全に無罪ではなかったという事なのであろう。


 ならば、暫くは大人しく領内を開発して国力を増し、時期を待つしかないのだと二人は考えていた。


「良く書けた計画書よな」


「殿もそう思いますか?」


「ふんっ! 机上の空論よな! こんな開発をする金など存在せぬ! こんな一揆で荒れた土地で、家臣達に禄すら与えられぬわ!」


「「「殿!」」」


 政宗の暴論に、今度は成実も一緒になって止めに入る。

 だが、そんな政宗の反論をシンイチは涼しい顔で聞いていた。


「金が無いのであれば、借りてでも早くするべきですな」


「誰に借りるのだ?」


「それは勿論、殿下からです。それと、大阪の商人達などから借りるも良いでしょう。借りた金を使って、時間のかかる開発と短期間で収入が得られる復興を同時に行いつつ、そのお金で家臣達を雇い借金も返済する。大体の概要はそこに書いてあります」


 確かに北上川改修や、新規の大規模新田の開発や、石巻港の整備には時間とお金がかかるし、金を産出する玉山金山は秀吉に取られてしまうが、他に金・銀・砂鉄・鉛・硫黄・石膏・珪石などが取れる鉱山が多数存在する。

 

 金を取っても良いし、鉄を作るのも良い。

 実は、シンイチは常陸の佐竹義宣に北部から産出する石炭を使って鉄を作ろうと考えていた。

 耐火煉瓦などを使った反射炉的な施設の建設からスタートし、生産された鉄や他の金属を材料に使う、様々な工廠や工房を隣接させた工業地帯を作ろうと考えていたのだ。


 更に、それら工房群をを海沿いに作って、船で各地に輸出する計画も立てている。

 他にも、秩父でセメント工場の建設も予定していて、その試作品を使って早速岩手沢城の城壁の修理などを行っていた。

 その便利さと強固さに、家康もそれを売って欲しいとシンイチに頼むほどであった。


「伊達殿の領内には、材料が揃っていて羨ましい限りですな。何でしたら、大阪の商人との仲介もしますが」


「それはありがたい」


 急に笑顔になる政宗であったが、次の瞬間には彼は新しい爆弾を放り込んでいた。


「この計画に従って国力が倍増したら、関東に攻め入りましょうか」


 政宗の強気の発言に家康や景綱達の顔が恐怖に歪むが、シンイチは特に表情も変えないで返事をしていた。


「会津百万石の鬼武蔵に、越後百万石の上杉家を抜いてボロボロになったところで俺ですか? それは、勲功をどうもありがとうございます。それに、そこで勝てても次の家康殿も厳しいと思いますけど」


「……。暫く、大人しくしておいてやる!」


「それは、東北の監視役としてはありがたいですな。正直に言えば、伊達殿さえ静かならほぼ任務は達成したようなもの」


「言うてくれるわ! この豊臣家の呂布が!」


 以上の経緯により、シンイチ関東地方の責任者としての地位と、東北地方の監視役という任務は固定化される事となった。

 上杉家への遠慮もあり付与はされなかったが、実質的な関東管領として約六百万石を差配する身分にまで出世する事となったのだ。


「なあ、信一殿。本当に、家臣達に禄のかなりの部分を金銭にして大丈夫だったのか?」


「あんな荒地を大量に貰って知行一万石とは、詐欺ではないですか。困窮している家臣達が金を出して土地を開墾するのなら良いですが、下手に地元にいる農民に賦役を課したらまた一揆の原因となります。米や麦は相場で俺が関東から運び込むので、金さえあれば家臣達は生活が維持出来る。それに……」


「それに?」


「伊達地の直轄地である荒野が新田になったら、伊達家の収入が純粋に上がるでしょうし。金で知行を補っているという事は、伊達殿に逆らえば金は貰えない。家臣の統制にはむしろ有利でしょう」


「信一殿。あんたは、俺以上の悪党だな」


 何だかんだと言いつつも、政宗はシンイチの助けを借りて領内の大規模開発の方に舵を切り、何かに付けて彼を頼るようになっていた。


「開発がある程度進んで国力と人口に余裕が出来たら、今度は蝦夷とその先の島々ですな」


「信一殿は、良くあんな地図を手に入れたな」


 正確には最初から知っていただけなのだが、シンイチは南蛮の商人から手に入れた事にして、日本列島周辺の地図を秀吉にも提出している。

 米はほとんど採れないが蝦夷・樺太の広さに秀吉は驚き、シンイチに徐々に蝦夷・樺太・千島列島などの殖民と開発を進めるように命令していた。


 当然、その下で東北の大名なども手を貸す事が義務付けられている。

 それに、確かに米の栽培は品種改良などを行わないといけないので時間が必要ではあったが、既にサツマイモ、ジャガイモ、トモロコシ、カボチャ、テンサイなど現物は手に入れていたし、その栽培も伊予時代から実験農場で開始している。

 

 あとは、これらを栽培方法や調理方法なども含めて関東・東北へと広めて行き、普及したら蝦夷に持ち込めば食糧の不足は無いはずであった。


「(蝦夷を上手く開発できれば、この男に勝てるかも)」

 

 いまだに野心を持つ政宗であったが、アイヌなどの異民族が居て広大な寒冷地である蝦夷や樺太がそう簡単に開発できるはずもなく、彼はこれ以降死ぬまで二度と騒ぎを起こさなくなった。


 そして、シンイチが秀吉に蝦夷開発を提案した理由。

 それは、これからすぐに始まる予定である朝鮮征伐に参加させられて、国力を落とすのを防ぐためでもあった。


 後の世で、シンイチの先見性と強かさを証明するエピソードとなるのであったが、当然また仕事が増えて忙しい日々を送る事となるのであったが。


「おかげで、真一の顔すら禄に見れないんですけどね!」


 忙し過ぎて、ようやくに正妻であるお蘭が産んだ長男真一にもなかなか会えない日々が続くシンイチであった。





「(殿も、こんな面倒な仕事を任せてくれて……)」


 少し戻って天正十九年の九月。

 東北地方で苦労しているのは、主君のシンイチだけではなかった。 舟橋家の軍事の全てを握る男佐久間盛政は、シンイチから命令されて一揆勢と同時期に蜂起した南部信直の家臣で九戸城城主九戸政実の討伐の任に赴いていた。


 簡単に言えば、家臣の反乱を自分では討伐できなかったのだ。

 盛政は五千の兵を率いて、豊臣秀次を総大将として蒲生氏郷、浅野長政、石田三成、小野寺義道・戸沢政盛・秋田実季・大浦為信などと九戸城を取り囲んでいた。


「信一殿から私にですか?」


 盛政は、シンイチからこの事件を収拾させるための献策を預かって秀次に書状として出していた。


「はい、秀次様が率いている軍勢で撫で斬りにするのは簡単かと思いますが、この度の東北の騒乱では多くの命が失われ過ぎました。あの何万人の一揆勢が田畑を耕し、生活に必要な道具を作り、それを販売して税を納めればどれだけの利益となったかとの事です」


「信一殿らしいな」


 秀次は、戦場では鬼武蔵も勝てないと思える勇猛振りを見せるシンイチが、実はあまり戦が好きでない事を知って、彼に好意を持っていた。

 自分と同じで、戦で荒れた国内を内政で富ませる事を重視している。     

 共に日本の政治を行えば、必ずや日本は良くなると考えていたのだ。


「それで、具体的には?」


「そちらの書状に」


 秀次は、シンイチからの書状を読み始める。

 

『関白殿下の惣無事令違反に違反した九戸政実やその兄弟達の罪は重い。よって腹を切るのが筋であるが、その家族や家臣達、彼らに従っている兵士達や領民には罪は無い。とはいえ、南部殿もこれら不穏分子が国内に存在するのは、後の統治において不安定要素となるであろう。よって、彼らはこの自分が引き受ける事とする。関東には、開発中で入植できる土地は沢山あるし、仕官を望む者がいれば受け入れよう。ただし、九戸の一族の者はその姓を捨てて貰う事となるが』


 秀次は、すぐに手紙を隣にいた三成に渡す。

 そして、それを一瞥した三成は、すぐにその内容を従軍している南部信直に問う。


「謀反の首謀者である九戸政実と大人の親族には腹を切って貰い、残された家臣や親族は距離的に離す。悪くない策だと思いますが。いかがですかな? 信直殿」


「私としては、異存はないです」


 信直としても、最初は一族を皆殺しにでもしないと気が済まなかったが、そんな彼らが遠くに行ってしまえば、後は従順な領民しか残らない旧九戸領を直轄地として版図に入れられる。

 そう考えると、特に反対する理由も無くなっていた。


「秀次様、では、その条件で交渉を行いたく思います」


「頼むぞ。三成」


 石田三成は静かに立ち上がると、九戸城へと使者として赴いてシンイチからの条件を政実・実親へと伝える。

 

「我らには武士の意地があったが、家族には罪は無いからのぉ。舟橋殿に忝しとお伝えください」


 天正十九年(1591年)九月四日。

 九戸政実、実親、政則の兄弟三人は、秀次の前で堂々と腹を切り、九戸城は開城・武装解除を受ける。

 そして、主だった親族、家臣、兵士、九戸氏を慕う領民やその家族などは全て盛政軍の保護下に入る。


「(思えば、昔に殿に降伏しなければ家族達も同じ目に遭ったのであろうな)」


 そんな事を考えつつも、盛政は彼らを連れて関東へと先に戻る事になる。

 だが、その途中で多くの東北各地で一揆に参加したものの、破れて現地に居辛くなった領民やその家族達が現れ、そんな彼らも武装解除しながら一緒に連れて行く事となってしまう。


 最終的には二万人ほどにまで膨らんだ彼らであったが、農民は新規開発中の農地へと、職人はそれぞれに割り振られ、武士は舟橋家に仕官する事となる。


「お前の得意な事は?」


「おらぁ。お侍さんの馬を育てていただ」


「なら、八王子だな」


 シンイチの持ち馬である黒王号であったが、彼はまだ健在であった。

 子供や孫の世代が増えたので、豊臣家直営の牧場からシンイチへと返され、関東移入の際に黒王号やその親族の馬達を相模にある津久井城・八王子城周辺などに設置した広大な牧場へと移設する事となる。

 これらの地で、軍馬の量産を効率的に進める事にしたからだ。 


 おかげで、まるで東北の大名達に恨まれる事なく多くの人手を得たシンイチであったが、一人だけ泣きを見た人物がいた。


「ところで、旧九戸領ですが……」


「検地ですかな?」


 邪魔な九戸一族の退去に大喜びであった南部信直であったが、そんな彼をある不幸が襲う。

 戦後処理の段階で、石田三成にとんでもない処分を言い渡されたからだ。


「当然、検地は我らでします。何しろ、旧九戸領は豊臣家の蔵入地となりましたので」


「いや、しかし! あの地は南部家の領地ですぞ!」


 信直は、勝手に旧九戸領が南部家の直轄地になると勘違いしていたが、そんな事は信直以外誰も言っていなかった。

 むしろ、本来自力で解決すべき家臣の反乱を、これほどの援軍を呼ぶ大事態にしてしまった信直の責任は重い。


 もし秀吉の機嫌が悪かったら、改易されても文句は言えない失態でもあった。

 むしろ、減封で済んで幸運とも言えた。


「異議がございましたら、大阪の殿下に直接どうぞ。では、私は忙しいので」


 そのまま立ち去る三成の後姿を見送りながら、信直は顔を引き攣らせるだけであった。

 

 そして、もう一つ。

 シンイチは、書状を三成に出している。

 ある紛争の火種を摘んで欲しかったからだ。


「これは、三成殿ではないですか」


 九戸政実の乱に兵を出していた秋田実季は、突如三成から呼び出しを受けていた。


「実は、舟橋殿からのお話なのですが……」


 奥州仕置で出羽秋田五万二千石を安堵された実季であったが、実は惣無事令が出た後も従兄弟である安東通季の反乱を平定したり、それに裏で手を貸していた小野寺義道や南部信直とも戦っていて、あまり政宗の事は言えない人物であった。


 更に、彼はもう一つ大きな問題を抱えている。

 奥州仕置では秀吉の裁定によって実季の家臣という事になっいていたが、実は犬猿の仲でその領地である比内郡の独立を謀る浅利頼平の存在であった。

 

 浅利頼平は秋田実季の家臣となって七千三百石の知行地を与えられ内二千石は実季の蔵入地に指定され頼平はその代官を兼ねることになる。

 だが、この処遇に頼平が満足するわけも無かった。


 なぜなら、頼平の父である浅利左衛門尉義正は、実季の父である愛季によって謀殺されていたからだ。

 

 しかも、この両者の争いは単なる奥羽辺地の紛争では終わらず、豊臣政権の五大老・五奉行を巻き込み、後の東西関ヶ原合戦の色分けの遠因ともなっている。

 

 シンイチとしては、放置するわけにはいかなかったのだ。


「浅利頼平殿。貴殿のお気持ちは理解できるが、このまま殿下の裁定に逆らっていると、貴殿を処罰しないといけなくなる」


「そんな! それは、あまりに一方的過ぎます!」


 長年の争いゆえに、頼平は三成の言葉に納得がいかないようであった。


「それに、私は関白殿下の直臣としてその義務に従う事に異議があるわけではないのです!」


「そうですか。となると、舟橋殿の裁定案を受け入れて貰います」


 三成は、頼平に一通の書状を渡す。

 そこには、『上野山田郡一万石に移封』という内容が書かれていた。

 

「頼平殿が比内郡に拘るのでしたら、実季殿の家臣として従って貰うしかないですな。なお、この一万石は、信一殿が自分の領地から割って頼平殿に出す予定の物。信一殿の好意を無にしない事を私としては期待いたします」


「……。このまま比内で抵抗を続けても無駄なのですな?」


「左様です。殿下の裁定に逆らう事になりますので」


「舟橋殿には、必ずやお礼に向かうと伝えておいてください」


 知っている知識で出来る限りの争いの芽を摘んだシンイチであったが、東北地方の大名は全員が親戚同士で仲が悪いのが特徴である。

 その後も、やはり相応にシンイチは苦労する事となる。


 それでも、次第にシンイチが行っている開発計画に加わって成果を挙げるようになり、争いも徐々に収まっていくのであった。 

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