十六話
「秀長様。今日は、お体の方は大丈夫なのですか?」
「大丈夫と言えば大丈夫かもな。こうして、床から立ち上がってお前と話をしている」
北条攻めが決まってその準備に追われていたシンイチであったが、その忙しい時間を縫って、大和郡山城で床に伏している秀長を尋ねていた。
シンイチの来訪で気分が良いのか、秀長は床から起き上がっていたが、その顔色は悪く、もはやそれほど長く生きられないのは誰の目から見ても明らかであった。
シンイチも、出来る限りで体に良い生薬などを配合して贈っていたのだが、はやり人の寿命を伸ばすというのは難しい事のようであった。
「私は、ご覧の有様でな。北条攻めにおいては、長政殿に官兵衛殿と、秀次とお前などが主役となるであろう。半死の病人に仕事などないな」
更に、浅野長政、石田三成、長束正家、大谷吉隆、増田長盛、加藤清正、福島正則、加藤嘉明、脇坂安治などの若い世代も育って来ていて、自分などいなくても大丈夫であろうと秀長は語っていた。
「秀長様は、殿下の片腕ではないですか」
秀吉ほどの才能の持ち主ではないが、秀長はその補佐を完璧なまでに行い秀吉の天下統一に貢献してきた。
性格が温和で諸将達にも好かれている彼は、豊臣家にはなくてはならない存在であったのだ。
「いや。私など、兄上が豊臣秀吉だったからここまで来れたのさ。一介の農民の子が、大和・紀伊・和泉・河内百万石の大名になる。兄上ほどではないが、過ぎた名誉であろうな」
確かに秀長は、秀吉の弟だからこそ今の地位にあるのかもしれない。
もし秀吉がいなかったら、そのまま普通の農民として生を終えていた可能性もあったからだ。
だが秀長は、その身を削ってまで努力し、兄である秀吉を懸命に支えて来た。
決して、秀吉のオマケではなかったのだ。
「それに、私はここで死ねて良いのかもしれない」
今回の関東出兵と、その後に行われるであろう東北地方への仕置きで秀吉の天下は完成する。
そこで秀吉は全盛期を迎えるが、その後はどうなってしまうか誰もわからないのだ。
後継者である側室の淀殿との間産まれた鶴松は幼く、秀吉一代で成り上がった豊臣家には、信用するに足る親族も譜代の家臣達も少ない。
しかも、秀吉とて既に老人であり、いつ死んでしまうのかわからないのだ。
下手をすると、過去の歴史でも多数あったように、秀吉の死後に豊臣の家は滅んでしまうかもしれない。
ならば、その可能性すら見ないで死ねる自分は幸せかもしれない。
秀長は、聞く人によっては危険な内容の話を続ける。
「信一が相手だと、なぜかこんな危険な話でも普通に話せてしまうな。鶴松が普通に育つかもわからないし、幼い内に兄上が身罷られる事もあり得る。秀次は、このまま努力を続ければ兄上の後継者としては勤まるかもしれないな。だが、出しゃばり過ぎれば……」
秀吉の甥と言うだけで、十分に次期豊臣家当主としての資格を有するし、それは秀吉とて理解していよう。
今はまだ良いが、秀吉がその死を自覚し始めた時に幼いわが子と秀次を見て、老人特有の猜疑心に駆られる可能性を秀長は考えているようであった。
自分の死後に、まだ幼い鶴松を排除して自分が天下を取る。
その可能性に秀吉が気が付き、秀次を排除する可能性についてだ。
「となると、俺も危険ですかね?」
「いや、お前は血縁的に少し遠いからな。それに、どういうわけか。兄上は、お前が裏切るとは微塵も思っていないらしい」
普通は、シンイチのように多才な人物は警戒されるものなのだが、苦労性で人の手助けばかりしていて、しかもその見返りを全く求めないので、その軍事的才能を警戒して九州に追いやった黒田官兵衛とは違って、シンイチは秀吉に信用されていた。
「お前は、野心が少ないし友達も多い。多分、兄上は鶴松が成人するまでは秀次と共に支えて欲しいと願っているのであろう。それと……」
秀次が暴走した時の抑えという事なのであろう。
「秀長様は、やはり凄いですね。そこまで先の事を考えていたとは」
「こんな事は、思い付いても何も面白くないけどな。それとな……」
秀長はシンイチを傍に呼び寄せると、そっと耳打ちをする。
「もしかしたら、お前が将来は天下を取るかもしれないな。その際には、残された我が親族にはなるべく優しく頼むよ」
「いえ……。私はそんな大それた事は……」
「ふふっ。冗談だよ。今日は、楽しい時間であったな」
そのまま秀長の元を辞するシンイチであったが、それより僅か数ヵ月後に秀長は静かに息を引き取る事となる。
秀吉は、長年一緒に働いて来た自分の弟の死を悲しみ、その跡目には秀長の養子である秀保が継ぐのであったが、この秀吉の姉の子である秀保も、二代目の秀勝と同じで出来が悪かった。
シンイチは、秀長の死で豊臣家に大きな皹が入ってしまったような気がし、これからは自分の身の安全には十分に気をつけなければならないと考えるのであった。
天正十六年春に始まった小田原の役であったが、その総兵力は二十四万人を超えていた。
秀吉と秀長が率いる主力軍十八万人に、前田利家、前田利長、上杉景勝、真田昌幸、丹羽長重などが率いる北方軍約四万人。
それと、これらの兵站を支えるための輸送と、北条方の水軍に対応すべく、長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆、脇坂安治、小早川隆景などが水軍二万を出している。
シンイチも、伊予から水軍と一万人の兵を出していたが、その任務はいささか地味なものであった。
これらの軍勢が飢えないように長束正家が準備した多くの物資を兵糧を護衛・輸送する任務に就いていたからだ。
『何とも地味な任務ですな』
佐久間・片桐兄弟などは最初はつまらなそうな顔をしていたのだが、すぐにその考えを改める事となる。
毎晩のように、北条方の小部隊が食糧や物資を焼こうと襲いかかって来るので、その対応に追われる事になったからだ。
『こちらは大軍だが、大軍ゆえの欠点がある。地の利もある北条軍が、そこを突かないはずはないからな。大軍でも食糧が尽きれば戦えないし、そうなれば撤退しないといけない』
北条軍の意図を見抜いて的確な対応を命じるシンイチに、盛政達は自分の主君の凄さを再確認し、寝不足と戦いながらも致命的なミスを犯さずに食糧とその輸送ルートを守り切り、逆に七百個もの北条軍兵士や武将の首を秀吉に提出していた。
そしてその間にも、豊臣軍は山中城、鷹之巣城、足柄城と落としていき、四月三日には本拠地である小田原城に到着していた。
その後、小田原城下に到着した秀吉は、大道寺政繁を降して上野の諸城を落とし続ける北方軍に援軍を送りつつ、自分達は石垣山に一夜城を築き、千利休や、淀殿ら愛妾を呼んでの大茶会などを連日開いて、その余裕を北条方に対して見せていた。
だが、こんな優雅に城を囲む城攻めに退屈感を感じている男が存在していた。
肥後の大半を有する、鬼武蔵こと森長可であった。
だが、彼はその不満を直接秀吉に言うほど愚か者ではない。
秀吉の義息で、彼のお気に入りでもあるシンイチを通じて頼む事にしたのだ。
「茶の湯も良いが、戦なのだから戦をしないと駄目だろうに」
「北方軍への応援……。これは、もうほとんど仕事がないですね。武蔵の担当は家康殿ですし、長政殿が担当する下総方面ですか?」
「さすがは、俺の義弟だ。話がわかるな」
史実では、浅野長政と家康の家臣である内藤家長に任せていた下総方面であったが、今の家康の領地は三河・遠江・駿河の三国のみ。
そちらに援軍など送る余裕もなく、誰かが立候補すれば派遣されるはずではあった。
「殿下に頼んでみます」
シンイチは、律儀に秀吉に長可を下総方面に派遣して欲しい旨を伝えるが、彼は上機嫌でそれを認めていた。
「鬼武蔵は、あれでも茶の湯などに通じているのだがな。その腕前を見れなくて残念ではあるな。それにも勝る戦と功名であるか。鬼武蔵があまり暴走しないように見張るのじゃぞ。そうよな。権衛兵と氏郷も付けるとしようか」
「それって、何気に俺が抑え役というか……」
シンイチには、家臣にも同僚にも血の気の多い戦バカ達が多数存在している。
どうやら秀吉は、そんな彼らの暴走防止装置としてシンイチが働く事を期待しているようであった。
「それとな。もう一人面倒を見て欲しい奴がいるのじゃ」
「はあ……」
数日後、シンイチを総大将に、森長可、蒲生氏郷、仙石秀久、佐久間四兄弟、片桐兄弟などが率いる四万の軍勢が武蔵を家康軍に任せて、一気に下総へと進軍して行く。
途中、シンイチは徳川家康やその家臣達と顔を合わせていた。
以前に、彼の数名の大事な家臣達を討ち取っているので、嫌味でも言われるのかと内心ではビクビクものであったシンイチであったが、家康は表面上は特に気にもしていないようであった。
「舟橋殿は、堂々と一騎討ちおいて彼らを討ち取ったし、その過程では全く卑怯な真似をしなかった。そんな貴殿に文句など言ったら武士の名折れであろう」
家康の言葉に、本多忠勝や榊原康政や井伊直政なども無言で首を縦に振っていて、三河武士の素晴らしさに感動したシンイチであったが、そんな中で一人我が道を行く男がいた。
「戦場での恨みは、戦場でのみ返せるもの。家康殿も、信一も気にしない方が宜しいであろう。信一、早く戦場に行くぞ」
「「「「……」」」」
長可の言葉に唖然とする家康達であったが、同時に家康はポンとシンイチの背中をそっと叩いていた。
多分、身長差がなければ肩を叩かれたのであろうが、つまりは鬼武蔵の暴走監視役ご苦労様という意味だったのであろう。
家康にまで危険物扱いの鬼武蔵に、シンイチは引き攣った笑いを浮べるしかなかった。
「小田原で無聊を託つよりも楽しそうですね。ここは」
そして、シンイチが秀吉から面倒を見るように言われていた人物、黒田長政も長可と同じようにこれから始まる戦を楽しみにしているようであった。
「(よりにもよって、危険人物ばかり……)」
シンイチの、心の中の叫びが伝わっていたのか?
もう一度家康にそっと背中を叩かれるのであった。
「何だよ。全然味気ないじゃないか」
「精鋭部隊の大半は、小田原城に篭っているのだろうな」
「とはいえ、小田原にいても戦えないから戦功が稼げるだけマシか?」
シンイチの指揮する下総侵攻軍は、武蔵を無人の野を駆けるが如く通り抜けてから、小金城、臼井城、本佐倉城などの諸城を次々と落としていくのだが、そのあまりの呆気なさに長可、氏郷、秀久などは大いに不満があるようであった。
なお、落とした城や領地の管理は全てシンイチが取り仕切っていた。
さすがに一人では大変なので、片桐且元、佐久間勝政、勝之などや、長可達からも人を出して貰って統治を行っていたのだが。
降伏開城した城の管理や、占領した土地に住まう者達の管理やなど。
北条家は、全国でも有数の官僚機構が整った場所であったので、彼らに任せて逆らわないように監視するだけで良かったのだが、それでもシンイチはかなり忙しい日々を過ごす事となる。
それと、連れている味方兵達の管理も必要であった。
苦労して食糧や給金を払っているのに、現地で略奪でもされたら事だったからだ。
シンイチは、自ら違反者の首を刎ねてその決意を内外に見せていた。
そのおかげか、ほぼ下総の占領には成功したのだが、ここで新たな問題が浮上する。
本来、佐竹家の領地である南常陸の豪族達と、上総・安房に根を張る里見氏が不穏な動きを見せていたからだ。
「これは、どういう事だ?」
「簡単に言うと、火事場泥棒でしょうね」
常陸の領有を秀吉に認められて、先代当主義重が石田三成が攻めている忍城に軍を出している佐竹氏であったが、実は最近までは北条家に常陸南部を侵食されている状態であった。
その中でも、水戸城の江戸重通や南方三十三館の国人衆などが何か良からぬ事を考えているらしく、下総との国境沿いに兵を出しているとの報告であった。
多分、北条方と繋がっていて、シンイチ達が占領した下総に兵を送ろうとしているのであろう。
シンイチは、長政に自分の考えを説明する。
「殿下がこれほどの大軍を連れて来ているのに、まだそのような認識とはな」
「とはいえ、ここ百年はそれで通用したんですよ」
一国どころか、一村、一城、一郡を取ったり取られたりで一世紀を過ごして来た彼らには、秀吉の天下を理解しようとする気もその能力も無いのであろう。
「とにかく、そのままというわけにもいかないよな」
「そうですね」
せっかく苦労して敵地の占領をしているのに、それを再び荒らされては堪らないからであった。
そしてシンイチは、一つの劇物の処方を思い付く。
「殿下のいる小田原に参陣するわけでもなく、良からぬ事を考えている国人衆達か……。義兄上、出番ですよ」
「任されたぞ!」
シンイチは、この状況を素早く文に書いて小田原にいる秀吉へと送ると、森長可を大将に浅野長政を軍監とした南常陸討伐軍を再編成する。
そして、秀吉からの許可が降りた三日後に、彼らはこちらの予想通りに、シンイチ達が落とした下総の諸城攻略に向けて動き出した江戸重通と南方三十三館の国人衆の軍勢に突撃を行い、一気に粉砕。
敗走する彼らを追って、南常陸の攻略を始める。
当然、この事態に忍城に滞陣している佐竹親子は驚愕していたが、そもそも自分が常陸一国の領有を秀吉に主張して認められていながら、南常陸の管理を出来なかった彼らが悪いというのが世間の認識であった。
森・浅野軍は、佐竹家の管理が及んでいる北常陸との境まで一ヶ月とかからずに到達していた。
ちなみに、江戸重通と南方三十三館の国人衆であったが、鬼武蔵とその家臣達に散々に打ち破られてほぼ全員が戦死するか、領地も城も捨てて逃げ出していた。
「ようやく、戦らしい事をしたな」
これが、南常陸を長政と共同管理しながら述べた長可の感想である。
戦の時は敵を容赦なく殺すが、その占領地をすぐに安定させてしまう能力を持つ彼は、無難に南常陸に安定を与えている。
シンイチですら首を捻ってしまう、彼の二面性でもあった。
そしてそれと同時に、シンイチ達は上総と安房に向けて兵を送る事となる。
現地を治める里見氏は、里見義堯・義弘親子の時代に下総にまで勢力を広げて全盛期を迎えていたが、今では佐竹氏と同じく北条氏に圧迫されている状態であった。
実は、天正十五年に長束正家を通じて秀吉と誼を結び、安房・上総両国及び下総国の一部を安堵されたのだが、全盛期の夢よもう一度という事で何か良からぬ事を考えている可能性があった。
「大バカ者達だな。軍勢を整えたのなら、すぐに小田原に参陣しないと領地没収でも文句は言えないのに」
既に同じくシンイチは、秀吉に手紙を出していた。
『殿下に所領安堵を掛け合いながら、既に我らが占領した下総で落穂拾いを狙っている不届き者がいます』と言う内容で、その返事では、『早く彼らを脅かして小田原に出向かせるように』という秀吉の言葉であったが、彼らの行動は斜め上を行っていた。
当主である里見義康がまだ幼くて家臣や国人衆の統率が十分でなかったのか、勝手に下総のシンイチが管理している土地で略奪を始めたり、城への攻撃を開始していたからだ。
どうやら、まだ北条方の城だと思っているらしい。
結果、百名ほどの兵が討たれてしまい、シンイチは珍しく怒っていた。
「惣無事令違反だ! 長政殿! 先陣を任せる!」
「光栄の極みです」
シンイチも、主だった家臣達全員と、仙石秀久、蒲生氏郷、黒田長政などと共に全軍で現場に急行して里見軍を発見してそのまま攻撃を開始する。
「うちの殿は、色々と溜め込んでいたのかねぇ?」
「さあな。とにかく、今は勲功を稼ぐ絶好の機会だ」
自分の娘婿であるシンイチを心配する盛政と、その話を聞く弟の安政であったが、とにかく今は勲功を稼ぐ絶好の機会だと思って、里見軍に容赦のない攻撃を開始する。
元々数が少なく、自分達が勝手な事をしているのに豊臣軍には攻撃されないと思っていた里見軍は、短時間で崩壊してバラバラに逃げ出すも、容赦の無い追撃で次々と討たれていく。
里見軍の死者は三千人を超え、シンイチ達はそのままの勢いで上総・安房と各拠点や城を容赦なく攻め落として行く。
結局、何とか安房に逃げ延びていた里見義康は剃髪して降伏し、その身柄を送られた秀吉も、里見氏の惣無事令違反と、小田原に参陣しなかった事を理由に全ての領地を召し上げ、ここに里見氏は完全に滅亡してしまうのであった。
そして、七月十一日に北条家では主戦派であった氏政とその弟の氏照が小田原城の開城交渉に従って降伏して切腹し、ここに関東地方の雄であった北条家も滅亡を迎えるのであった。
「何で、こんなに忙しいんだ?」
「感情に任せて動くからですよ」
その頃のシンイチは、南常陸・下総・上総・安房などの管理で体がいくつも欲しいほどの忙しさの中にあり、愚痴を言っても且元に軽く流されてしまっていた。