十一話
「正確には、一万八千くらいですね。残りは、別働隊として北駿河の占領地を取り戻しに行ったのでしょう」
「数日で再合流だろうが、これも幸運だったな。秀次様への援軍の要請は?」
「出しています」
「よし。ならば、あとは時間を稼ぐのみ」
撤退して来た森・池田軍収容したシンイチは、駿河安倍郡と甲斐との境目付近に布陣して、徳川軍一万八千と対峙していた。
「目端の利く連中が逃げ込んでくれると嬉しいんだが……」
駿河北部を短期間で占領した森・池田軍は、占領した一部の城などに代官を置いて占領統治を行っていた。
このまま徳川家の北駿河奪還軍に討たれるか降伏するよりかは、甲斐に逃げ込んで欲しいと願うシンイチではあった。
彼らは、人手不足の甲斐統治にも十分に転用可能であったからだ。
なお、シンイチは、先に降伏した北駿河の国人衆にはまるで期待していない。
力のある方に素早く裏切るのが小物である彼らの生存術であり、処世術でもあるし、それを責めるのは酷であったからだ。
「やはり、全く減っておらぬの」
「池田軍は、相当にやられたようですね。長可様」
「うん? 完全に油断していたところを強襲だからな。義父殿と、嫡男元助殿、次男輝政殿も戦死している。唯一残った三男の長吉殿もなぁ……」
シンイチは、『そんなに一族を纏めて出陣させるなよ!』と思わないでもなかったが、よほど自信があったのであろう。
池田恒興は多くの一族を今回の中入りに参加させていて、その大半を失っていた。
実は、まだ十四歳の三男長吉が生き残っていたのだが、彼も大怪我をしていて、とても指揮を執れるような状態にないらしい。
更に、戦場では碌な治療なども出来ずに、かなり危険な容態との長可からの話であった。
「長吉殿は状態が悪くてな。意識も朦朧としているらしい……」
池田軍の残党は、遠戚にあたる老臣が何とか纏めている状態らしい。
しかも、この後に生き残っても池田家の残りの男子は、まだ幼い四男長政だけである。
池田家は、下手をすると断絶の危機を迎えていた。
「この苦境も、勝入斎(恒興)殿の油断が原因とも全く言えない事も無いですしね。ここは、奮戦していただいて貰うしかないですよ。その上で、四男の長政殿に養子先から戻っていただいて家督を継いで貰うように秀吉様に取り計らうのみです」
「そうだな。それは、俺も一緒に秀吉様に頼んでみよう」
共に意見が一致したシンイチと長可であったが、それよりも先に解決しないといけない事案が目の前に迫っていた。
そんな未来予想図すら簡単に打ち砕きかねない、徳川軍の大軍であった。
「援軍が来れば、守る事は可能です。となると、時間稼ぎですか……。長可様、暫く本陣の方を頼みます」
「お前、まさか……」
「一種の奇策ですけど……」
シンイチは、残存する自分の軍勢を且元と吾一に任せると、佐久間安政・勝之兄弟、片桐貞隆と、森軍から安田国継を借りて小勢で徳川軍の眼前に威風堂々とその姿を見せる。
「徳川殿はご健在か! 俺は、羽柴家家臣羽柴真一郎信一だ!」
僅か千人ほどで、二十倍近い徳川軍の前に堂々と立ち塞がるシンイチ達に徳川軍の将兵達は一言も発しないで、一斉にシンイチ達に視線を送っていた。
「久しいの、信一殿。長篠の戦い以来であったかの?」
「そうですな。徳川殿」
あの頃は、家康は同盟者とは名ばかりの信長の服属大名であり、シンイチは小禄の若造でしかなかった。
今も若造ではあったが、それでも全く立場は変わっていたのだ。
「時間稼ぎかな?」
「そうですよ。信濃から援軍がすぐに来ますので」
シンイチの堂々とした答えに、徳川軍から動揺の声が広がる。
だが、それをすぐに制したのは家康であった。
「この程度の時間稼ぎなど意味は無い。我が軍が勝利の後に休養も取っている。すぐに、そなた達は敗北する事となろう」
「やってみなければわかりませんよ」
「ならば、やってみられるが宜しかろう。すぐに戦の準備をなされると良い」
「徳川殿の温情に感謝いたします」
シンイチは、すぐに踵を返してから自軍へと戻って行く。
ところが、ここで家康の予想を裏切る事態が発生する。
後ろを向いたシンイチに対して、徳川軍の兵士が矢を放ったのだ。
かなり腕の良い兵士らしく、矢は真っ直ぐにシンイチの後頭部へと飛んで行く。
だが当たる寸前に、シンイチはまるで後ろの目があるかの如く素早く後ろを向いて矢を素手で掴み取ってしまう。
このくらいの事はシンイチからすれば余裕であったのだが、徳川軍には畏怖の感情を与えていた。
「バカな! 後ろを向いていたのに!」
「それよりも! ワシは戦の準備をせよと信一殿に言ったのだぞ! 勝手に卑怯な不意討ちをしたのは何者か!」
家康は、自分の顔に泥を塗ったのは誰なのかと激高していた。
自分で『戦の準備をなされよ』と言ったのに、それを信じて背中を向けたシンイチに矢を放ってしまったからだ。
現に、その様子を見た森軍などからは、『何が律儀者か! ただの卑怯者ではないか!』、『亡き大殿がいての律儀であったらしい。三河の田舎侍には、困ったものじゃ』などの野次が飛び始める。
「殿、申し訳ありません! 拙者の隊にいる者が勇んでしまいまして……」
「守綱、槍半蔵と言われたお前らしくもない」
シンイチに独断で矢を放ったのは、渡辺守綱の兵士であった。
槍の名人であり、常に先鋒を務める、史実では徳川十六将にも選ばれた猛将であったが、この時はたまたま運に恵まれなかったらしい。
部下の暴走によって、家康の不興を買う事になってしまう。
「我が兵の責任は、拙者にありもうす。その責任は、自分の槍で取り返すまで!」
守綱はそのまま家康の元を辞すると、槍を持ってから馬に乗り、単騎でシンイチの元へと駆け出し始める。
「我が名は、徳川の先陣渡辺守綱なり! いざ! 尋常に勝負!」
守綱の言う責任とは、堂々とシンイチと一騎討ちで戦って部下の恥を雪ぐ事であったらしい。
勝てば恥ずべき事など何も無い武勲であり、シンイチが受けなければ、それはそれでシンイチが武士として卑怯者であるという事にしたいらしいのだが、これだけの兵を率いているシンイチに一騎討ちを挑む守綱は、所詮は戦場の端武者と言うべき判断力しか持っていないのかもしれなかった。
武士としての恥を雪ぐために、懸命であったとも言えたのだが。
「羽柴真一郎信一。尋常に勝負を受けよう」
「かたじけない!」
ところが、大方の予想に反してシンイチは守綱の一騎討ちを受け入れた。
家康は、つい守綱への怒りを忘れて笑みを浮かべてしまう。
ここでシンイチが正々堂々と一騎討ちで討たれても、それは自分の恥にはならないからであった。
「(いくら信一が体が大きくても、守綱は槍の半蔵と呼ばれた勇者。負ける事などありえまい)」
家康がニコニコとする中で、非常に珍しい一騎討ちが展開される事となる。
両者は馬から降りずに、互いに馬上で槍を構えて激突する。
すると、勝負は一瞬の内に着く事となる。
「うがぁ……。ぐほぉ……」
シンイチは、守綱に一撃も攻撃させる事なく彼の喉元に長槍で一撃を入れていた。
守綱は口から大量の血を吐きながら、馬から落下する。
あの槍の半蔵が一撃で討たれたという事実に、徳川軍全体に動揺が広がる。
「守綱殿、お見事であった。首は獲らぬゆえに、丁重に葬っていただきたい。では……」
そのまま立ち去るシンイチの背中を見ながら、家康は漠然とした不安を拭い去る事が出来ないでいた。
「よう! 元気だったか! 俺の義弟よ!」
「なっ! どうしたのですか! 義兄上!」
「長篠の城は落ちなかったので、こっちに転進したんだよ」
「良く徳川軍に補足されませんでしたね……」
「俺を誰だと思っているんだ!」
シンイチが、渡辺守綱を討ち取ってから三日間。
羽柴軍と徳川軍の攻防は続いていた。
最初から兵数ではまるで勝ち目が無いシンイチ達は、軍勢を崩さないように徐々に甲斐方面に後退を続けつつ、時折り徳川軍の先手衆に少数の精鋭部隊をぶつけてその進撃速度を落とすという、名人久太郎と言われた堀秀政を彷彿とさせる指揮を森長可と一緒に取っていた。
しかも、シンイチは多くの徳川方の武将を討ち取っている。
渡辺守綱が討ち取られたのを見た多くの者が、『なら、今の彼を討てば勲章第一であろう』と、命令を無視してシンイチに突っ込むようになっていたからであった。
シンイチは、指揮を執りながらもそれら多くの武将達を逆に討ち取る事となる。
安藤直次、大久保忠佐、内藤家長などの大物から、その他小物まで。
実は守綱の件で、家康がシンイチに一万石の恩賞を賭けてしまい。
それに釣られる形で、多くの武将がシンイチの首を獲ろうと殺到した結果、大軍にも拘らず所々で指揮に齟齬を来たして、逆にシンイチ達を生き残らせる結果となっていた。
ただ、舟橋・森・池田連合軍の損害は、既に二千人を超えていて、一方の徳川軍の損害は千人ほど。
やはり、数の不利には逆らえない部分があったのだ。
「他にも援軍が来て良かったな」
「生き残れたか……」
三河長篠城周辺から大胆に敵勢力圏を横断して駆け付けた蒲生氏郷の軍と、信濃から佐久間盛政も援軍を率いて駆け付け。
戦線はほぼ国境線で均衡した状態となる。
そして、更に家康を追い込む出来事が発生する。
「信雄が降伏だと!」
「はい、頭を丸めて清洲城を明け渡したようで……」
更に、家康の不幸は続く。
「数正が出奔だと!」
西三河衆の旗頭であり、以前は切腹した家康の嫡男信康の後見人でもあった石川数正は、無骨者が多い三河武士の中でも内政や外交の能力を持った人物であった。
ところが、彼は信康の件で家中では孤立している部分もあったし、他の家臣達が秀吉との徹底抗戦を唱えるなか、彼だけは現実が見えていたので秀吉との講和を主張して余計に家中で孤立する羽目になっていた。
そんな中での突然の出向劇に、家康は肩をガックリと落としてしまう。
「正信よ。三河、遠江、駿河の三国で何とか徳川を生き残らせるように動いてくれ」
「かしこまりました」
天正十二年(1584年)の十一月十一日。
家康は秀吉と停戦交渉を行い、小牧山で抵抗をしていた本多忠勝と榊原康政は三河に退去する。
更に家康は、次男の於義丸を秀吉の養子(=人質)として差し出して降伏。
秀吉は、池田親子を討ち、小牧山では何度も攻撃部隊を退けた徳川軍の勇猛を賞賛して、三河・遠江・駿河の三国を安堵する事となる。
そして、ついでとばかりに越中にも兵を進めるのだが、その中には秀吉の軍門に下った徳川軍の姿もあり、佐々成政の心を完全に折る事となった。
彼は、降伏して坊主頭になっていた織田信雄の仲介で秀吉に降伏。
秀吉は、成政を許して越中新川郡のみを安堵した。
「秀勝様、お体の方は大丈夫ですか?」
「すみませぬ、義兄上。私が体が弱いばかりに」
「いえ、これからの世は戦よりも政治なのです。秀勝様の活躍する場は存分にございます」
降伏して、二千石の捨扶持を与えられて秀吉の御伽衆となった織田信雄と、同じく秀吉に服属して三国を安堵された徳川家康に、越中新川郡のみを安堵されて降伏した佐々成政と。
次々とライバルが脱落して、秀吉の天下統一事業は順調に進んでいた。
その際に活躍した武将達にも恩賞が与えられ、それぞれに加増を言い渡されていたが、中でも森長可は甲斐一国を与えられていた。
他にも、当主恒興を含む一族に多数の戦死者を出した池田家も、四男の長政が急遽養子先の片桐家から呼び戻されて相続を行い、前からの領地である美濃大垣周辺で五万石の加増を受ける事となる。
戦死した恒興は、尾張・三河二国の約束で秀吉方に付いたらしいが、家中にあれだけの人死にを出した後で二国を貰っても、まず統治など不可能という事で、このような恩賞となっていた。
そして、シンイチに二万石と言われて家康を裏切り、甲斐・信濃の統治を行っている大久保長安こと土屋長安は、正式に秀吉から信濃に三万石の領地を貰い、両国の安定化の任を受けていた。
言わば、正式に秀吉の家臣となったわけであるが、彼は後に全国の鉱山開発にその辣腕を振るう事となる。
そしてシンイチは、新川郡以外の越中を与えられた。
だが、秀勝の筆頭家臣という身分は変わらず、しかも秀勝も若狭を加増されているので、シンイチは余計に忙しい日々を送る事となる。
「従五位下越中守ですか?」
「そうじゃ。すぐに明日には叙任の儀があるので、準備しておくように」
越中・若狭・丹波と。
領地の統治に、人材の確保に、既に始まっている紀州雑賀攻めの後方支援などと。
シンイチは、佐久間盛政以下兄弟四人に、体調不良のために出陣できない秀勝の分も合わせて軍を預けて紀州攻めに参加させていた。
何しろ、この身が幾つあっても忙しいような状態だったので、他に人材がいる戦では今回は欠席という事になっていたのだ。
それに、十万を超える軍勢に攻められた雑賀党は既に崩壊寸前であった。
そこで秀吉は、大阪城で前田玄以と組んで朝廷工作を開始。
多くの官位を得る事に成功していて、そのあまりに早い昇進ぶりに、過去に遡って辻褄合わせが行われたほどであった。
そして、今の秀吉の官位は権大納言であり、それ以下の官位を気前良く家臣達にばら撒いている状態であり、そんな中でのシンイチの叙任のようであった。
「どこの馬の骨とも知らない俺に官位ですか?」
「信一は、ワシの大切な一門衆なのでな。無官というわけにもいかないのだ」
「ですが、どうやって公家達を誤魔化したのですか?」
「それは、お前の旧姓である舟橋にある」
未来では、舟橋博士の義理の息子という事でその姓を名乗っていたシンイチであったが、この時代の舟橋という姓はそこそこの名家であるらしい。
「舟橋家は、半家ではあるが堂上家の一員じゃぞ。知らんのか?」
「知っていますけど、別に血縁なんて無いですよ」
舟橋家は、第四十代天武天皇の皇子舎人親王の子孫で清原氏の流れを汲む堂上家であり、極官は正二位・侍従・少納言・式部少輔で、代々天皇の侍読(家庭教師)を務める。
家業は、明経道をもって天皇家に仕える公家であった。
「このような時代じゃからの。半家程度の公家は、経済的に困窮しておる。それは、理解しておるな?」
「ええ」
「そこに、ワシの義娘婿が舟橋の姓を名乗っておる。彼らは、どう考えるかな?」
「ご不満なら、改名しますけど」
「いや、大喜びじゃぞ。前に聞いたが、信一は孤児で両親の名前を知らないとか? そこで……」
舟橋家では、過去に現当主の弟が身分違いの恋をして家を出ているという事実を捏造し、その弟の息子がシンイチであると勝手に家系図を書いていた。
「本当に、そんな人がいたんですか?」
「十五歳で病死した弟がいたのは事実らしい。その年齢で博識な、なかなかに有望な若者だったそうじゃ。それにお前も、見かけによらず博識じゃしな」
戦場では呂布の再来と言われ、築城から後方支援にも長けていて、内政にも才能があり、古今東西の様々な書物を数万冊も一字一句間違いなく写本できるシンイチは、舟橋家の出であるという嘘にも耐えられそうな能力の持ち主ではあった。
「お前は歌も詠めるし、蹴鞠も上手だな。茶道もまあまあ合格点をやれるし、字も達筆ではないか。というわけで、舟橋家が力を貸してくれたので今回の叙任となった」
しかも、この舟橋家。
足利将軍家に仕えている娘を排出したり、細川幽斎の母親の実家であったり、あの細川ガラシャに仕えている者がいたりと、かなり戦国大名との関係が深い公家でもあった。
更に、あの賤ヶ岳の七本槍の一人である平野長泰は、舟橋家の庶流の出)とする説があるらしい。
「親戚が増えて良かったな」
「それで、その見返りにいかほど送れば宜しいので?」
この時代の公家は、ビックリするほど貧乏である。
なので、武士に権威を与えるのに無料という事はまずなかった。
「現当主の末娘が、十七歳だそうな」
「側室にしろと?」
「それで、持参金代わりに年に三百石ほど送れば、お前に役に立つと思うぞ」
「はあ……」
シンイチは、秀吉の命令で三人目の妻を迎える事になるのであった。