断章:Ⅵ 破綻①
「──なさ……い、ごめんなさい、ごめんなさい…………」
祈る。ただ、祈る。
己の罪が赦されるように。
祈る先などない。
ただ、必死だった。誰でも、何でもいいから助けて欲しかった。
そのためだけに、祈っていた。
馬車の片隅に蹲り、立ち上る生々しい鉄臭さと断末魔の中で、ただひたすら懺悔を繰り返した。
ただ、赦されたかった。
一週間前。
旅立ちの日。
勇者一行を見送る式典は、大々的に開催された。
「聖なる秩序の女神に選ばれし、勇者、神子、そしてマレビトよ。
この世界に再び現れし悪しき混沌を討ち、無辜の民に平和を齎さんことを──」
三人横に並び、この教会の教皇だという壮年の男から洗礼を受ける。
式自体はとても単純だった。
ミコト達は、ただ跪いて頭を垂れているだけでよかった。低級の魔族であれば触れるだけで火傷するという聖域の泉に湧く水を金の聖杯から浴び、長い祝詞を聞く。
内容は、女神を讃える内容の、この世界の教典で代表的なものだ。特別なことは何もない。
そうして、訪れるだろう平和の時に湧く群衆達の歓声を背に、ミコトたちは与えられた馬車に揺られて出発した。
そして案の定、ミコトはスウィンからすぐに戦力外通告を受けた。
「マレビト。お前のレベルが上がる方法が見つかるまで、お前は馬車守をしろ。
戦えないのなら、せめて他の事で俺達の役に立つ方法を考えろ」
「スウィン!あなたはまた、そんな言い方を……!」
「……大丈夫です、マリアさん。……わかりました」
「そんな、ミコト様…………」
ルミナリアを出立して間もなく、馬を操りながらミコトを見もせずそう言い放ったスウィンをマリアが咎めた。
だが、ミコトはスウィンに言い募ろうとするマリアを直ぐに制し、スウィンの要求を呑む。
マリアは全く納得が行かないという顔をするが、ミコトがそれきり会話を打ち切る事で、それ以上何も言わせなかった。
戦力外通告を受ける事は当然予想していた。
むしろ、スウィンがミコトの予想通りの行動に出てくれた事はミコトとしてもありがたい。
それにマリアが口を挟む事で、せっかくの予定調和を崩されるだけならともかく、不必要にスウィンの不興を買ったり、下手に関わる羽目になる事は避けたかった。
それから、とても静かに、静かな緊張を孕みながらの旅は始まった。
道中はとても淡々としていた。
出てくる魔物をスウィンが屠り、マリアがスウィンの治癒を行う。
スウィンはミコトを徹底的にいないものとして扱い、マリアがスウィンの身の回りを世話したがったため、ミコトはスウィンに直接関係すること以外の細々とした薪割りや雑用を一手に引き受けた。
「スウィン、今日は麦パンを作りました。
保存も効きますし、焼きたてなので柔らかくて美味しいですよ。こちらのスープとどうぞ」
「ありがとう、マリア。君はすごいな……ご飯も洗濯も、君はなんでもできるんだね。戦うしかできない俺とは大違いだ」
「そんな……わたし達を守って戦ってくれるスウィンが一番すごいんです。これくらいの事はさせてくださいな」
森の中の少し開けた場所にて野営をすることになり、焚き火を囲んで仲睦まじく会話する2人から少し離れ、ミコトは淡々と食事を進める。
火にあたれないので、温めたパンもスープもあっという間に冷めてしまうが、どうせミコトには味わう余裕もないから問題ない。
そもそも、できるだけ気配を消すことに集中しているせいで、味もまともに感じられないミコトにとっては瑣末な事だった。
食事を必要最低限詰め込み、彼等が食事を終えて眠るまでに、手近な木から枝を集めて薪を蓄える。
馬車に備え付けされていた斧は重たく、降り慣れないために数度振り下ろすだけで息が切れた。
それでも、この森を明日には抜けてしまうため、それまでには備蓄の木材を間に合わせないといけない。
「……っはぁ、ハッ、……っ、」
息を切らし、滴る汗を拭う間もなく、何度も何度も太枝に重たい刃を振り下ろし続けた。
「──その程度の事にいつまでかかっている。うるさい」
その声に、びく、と肩が跳ねた。
火照っていた身体は一気に冷え、それまで重労働に比例して高まっていた脈拍は、全く別の意味合いを持って早鐘を打つ。
「……す、すみませ、ん」
「マリアが身を休めている。無闇に木を揺さぶって雑音を起こすな」
先程までマリアに向けていたそれとは全く違う、温度のない声。
声の主──スウィンは、ツカツカとミコトに近寄るとその手から斧を奪い、それまでミコトが精々枝しか手出できなかった木の幹に向かって斧を振りかぶった。
「──」
呟かれるのは風の呪文。武器に風の刃を纏わせた一閃で、ミコトが何度も振り下ろしても傷すら浅かった幹が、まるで最初からそこになかったかのように崩れ落ちる。
瞬く間にスウィンの手によって立派な薪が出来上がる間に、ミコトは両手に抱える程度の太枝たちを無言で集め、麻縄で結んだ。
「……これを明朝までに馬車へ積み込んでおけ。それくらいは静かにできるだろう」
「……はい、ありがとうございます……」
ミコトが数時間かけた作業を5分の1もかけず、かつミコトの成果より何倍もの量の立派な薪を拵えたスウィンは、言いたい事を言い捨ててから斧を地面に放って焚き火へ戻る。
残されたミコトは、既に疲労も睡魔も限界近い中で、乱雑に撒き散らされた薪を一つ一つ集め、力の入らない腕を叱咤して麻縄で縛り上げる。
手袋もない手に、繊維の荒い縄が擦れてとても痛い。
だが、間に合わせなければ行けない手前、手を止めることは許されなかった。
ルミナリアから一番近い街まで4日ほどの間、ミコトは完全にスウィンやミコトの小間使いとして駆けずり回った。
魔法がほぼ使えないミコトは、この世界では一般人と変わらない力しかない。
辛うじて行使できるなけなしの回復魔法と強化魔法も、完全な上位互換を扱えるマリアがいるから何の役にも立たない。
ミコトはいてもいなくても同じ。
むしろ殆ど足手まといの現状では、いない方がむしろ二人の世界にとって都合がよかっただろう。
文字通り『女神のお告げだから』という一つの理由だけでミコトはこの場に縛り付けられて、同時にそれ以外の部分では徹底的に排他された。
スウィンとマリアは、常に共に寄り添っていた。
スウィンは元々ミコトを蛇蝎のごとく毛嫌いしていたし、マリアも当然にミコトよりスウィンを優先した。
教会にいた頃から片鱗はあったが、衆人の目から解放されたマリアはいよいよ箍を外し、スウィンから片時も離れようとしない。
同時に、何もかもに心底興味がないと言わんばかりの態度を隠しもしないスウィンは、マリアといる時だけその無表情を心底嬉しげに綻ばせる。
マリアに関すること以外、まともに感情が機能しないらしい。
「(……いや、例外はある)」
ミコトを視界に入れる時だけ、スウィンは強い嫌悪を露わにする。
訳を聞いたところで、愛したスウィンと同じ顔で罵倒されるか徹底した無視をされ、無駄に傷つくだけであるのが目に見えているから、決してミコトから問い質したくはない。
とにかくミコトの存在そのものに虫酸が走って仕方がないと言わんばかりの態度を取るのがスウィンの常だ。
ミコトが一体何をしたのか。誓ってミコトからはスウィンに何もしていない。
何もしていないのに初対面から徹底した嫌われ方をしているせいで、むしろ対スウィンに関しては一種の慣れすら生まれていた。
問題は、そんな状態の両者を捕まえて、未だにマリアが『みんななかよし』を敢行しようとすることだ。
ミコトがわざわざ二人の世界に浸る傍らで食事を取らされているのもその一環だ。
『ミコト様!やはり仲間同士、同じ食卓を囲むことが和解への一歩だと思うのです』
本気で、そう信じている声だった。
疑うという発想そのものが存在しないような、澄み切った声音。
さも名案であると言わんばかりにそれを告げられた時、ミコトは一瞬完全に思考が止まった。
この少女は、一体何を見てそんな事を宣っているのか。
少なくとも、マリアが何か分厚いフィルターを通してミコトとスウィンを見ている事だけは確実だろう。果たして、マリアから見たミコトはちゃんとミコトとして見えているのだろうか。
ただひとつ確かなのは、そんなマリアの鶴の一声により、睦み合いの一環にしか見えない密な応酬を繰り返す二人の隅で、ただ淡々と冷めた食事を胃に詰め込む苦痛でしかない時間から逃れられなくなったことだ。
それでも、ミコトは耐えた。
次の街に到着しさえすれば、スウィンやマリアは新しいパーティを見繕う。
迎えられる人間がどのようなものだろうと、一人でこの寒々しい茶番を見続ける現状よりは幾分ましにはなるはずだ。
次の街に到着しさえすれば、状況は変わる。
そう思っていた。
──そう、思いたかった。
そのはずだったのに。




