断章:Ⅳ 『勇者』①
ミコトが、アルカナディアをゲームとして認識していた頃。
昼夜問わず空想の世界に没頭していた影響か、ミコトはよくスウィンの夢を見た。
夢の中。ミコトはどこか暗い、深い森の中にいた。
辺りの様子から、そこが魔王の城の直前、迷いの森の深部だという事がわかった。つい先程、眠るまで冒険を進めていた場所だからだ。
そこには4人の人影があり、最終局面に備えて束の間の休息を取っていた。
決して油断はできない場所だが、彼らの寝息は深く、疲労の程が伺える。
その中で唯一、焚き火に当たりながら夜警をする青年がいた。
歳の頃は20に差し掛かった程度だろうか。
白銀の鎧を身に纏う長身は、長い旅と日々の鍛錬により、細身な印象の外見よりずっと鍛えられている。
兜を脱いで混じり気のない白金のショートウルフを晒しており、顔立ちは男性らしい精悍さを醸しつつも美しい。
碧色の眼差しは、穏やかに舞い散る火の粉を見つめていた。
『……ああ、キミか』
青年──スウィンは、ふとミコトに気が付くと、その雰囲気を分かりやすく緩めた。
『キミのお陰で、誰も欠けずにここまで来れたよ。
きっと、魔王にも勝てるだろうと思う。……いや、ここまで来たんだ。必ず、勝ってみせる』
周囲はとても静かだった。
これがゲーム画面であれば、終盤のダンジョンに相応しい厳かなBGMが流れているような場面。
だが、現実に即したこの夢では、そんなものは存在しなかった。
『ありがとう。いつも、キミの采配に助けられてばかりだ』
魔法で火を起こした焚き火の前で座るスウィンは、そう言ってミコトに小さく微笑んだ。
ミコトは何も返さない。返せない、と言った方が正しい。
スウィンの夢を見る時、ミコトはスウィンへ何かリアクションをしたり、話しかけることができない。
冒険を始めたばかりの初対面ではスウィンも戸惑っていたが、今となっては慣れたようで、ミコトへとやかく問いかけはしない。
ふらりと現れ、何も言わずそこにいるミコトに気付くと、夢から冷めるまでの間、取り留めもなく気ままな話をしてくれるのが常だった。
『……実際のところ、物言わぬキミが何者なのか、俺には分からないのだけど。
それでも、ひとつは分かる』
焚き火の火が、ぱちりと弾ける。
その橙色が、スウィンの横顔を照らした。
『俺の今まで歩んできた道は、ずっと、キミが導いてくれたものだよね?
理屈じゃないよ。根拠もない。
……でも、キミと同じ気配を、俺はずっと感じてる。
とても安心する、優しい……包まれてるような感覚なんだ』
スウィンはそう言って、困ったように笑った。
そして、視線が不意にミコトを見るが、すぐ逸らされて。
また、戻る。
『キミの事になると、どうしても……冷静でいられない』
そう呟いてから、誤魔化すように小枝で火を突いた。
そして、手遊びの小枝を火へ焚べると、おもむろに手甲を外し始める。
素手を晒したスウィンは、傍らのミコトへとそっと手を伸ばした。
ミコトは動かない。そのまま、指先はミコトの頬を撫ぜるように動く。
だが、ミコトにはなんの感覚もない。頬に触れたはずの指は、何も掴めないまま、静かに空をなぞり続けた。
『……また、だめか。今くらいは、触れられると思ったのに』
スウィンは戯けて笑ってみせたが、その実本気で惜しがってもいる事は、ミコトにも察しがついていた。
なにせ、スウィンがこうしてミコトに触れようとして失敗した回数は、既に両手足の指では足りなくなっている。
そこまで多くない夢での邂逅全てで、スウィンはどうにかミコトに触れる機会を熱心に伺っているようだった。
『……、……変な事、言ってるかもしれないんだけど。』
スウィンは少しだけ視線を逸らして、再び焚き火へと視線を向けた。
戦場では一度も迷わない男が、こんな時だけ、言葉を選んでいる。
『キミとは、ずうっと前から一緒だった気がするんだ。
今この旅で、ってだけじゃない。きっと、もっと昔から。
……だからかな』
そっと、触れられないと知りながら、スウィンはミコトの肩に額を預ける仕草をする。
『俺は、キミに焦がれてどうしようもないんだ』
実際にそうできる訳ではない。あくまで、身体をそういう風に傾けているだけだ。
それでも、まるで本当に触れ合えているかのように、スウィンは心底から嬉しげにはにかんだ。
『海の悪魔を倒して鎮めた時に、長生きな精霊が教えてくれたんだ。
俺は、何回も何回も、勇者として生まれてきているらしいね。
勇者として生まれて、魔族や悪魔達を倒して、魔王を何度も殺してる。
それを聞いて、考えたんだ。
もし、その全てにキミがいて、全ての俺が、キミにこうして恋したのなら。
……誰かから見れば、そういう呪いだって思うかもしれない。
でも、それで構わない。だって、こんなに幸せなんだ。
この恋を、他でもないこれまでの俺自身が、運命だって何度も証明してる。
それは……すごく、素敵な事だと思う。
この気持ちひとつあれば、俺は何回だって、キミのために勇者になれるよ』
内緒話のような告白。
それらがスウィンの掛け値ない本音であることは、ミコトにも分かっていた。
何度も繰り返す物語の中で、夢で逢うスウィンは、ミコトに出会う度に愛を告げた。
そしてそれは、繰り返す事にその熱を上げている。
『(……わたしは、この人をこうしてしまう程、愛なんてものに飢えている……)』
スウィンは、ミコトの造った理想そのものだ。
優しく、強く、決して折れない、しなやかで美しい唯一の剣。
それだけを願ったはずだった。
なのに、夢の中のスウィンはミコトを愛していると言う。
こんな事を、ミコトの作り上げた理想の勇者が言うはずがない。
スウィンはマリアと結ばれる筈だから、と言うだけではない。
ミコトの描くスウィンの愛は、決して誰かを特別に扱わない。
誰もを愛して、誰かだけを愛しはしない。
ミコトは、彼をそう造ったはずだった。
だからこそ、ミコトはスウィンが好きだった。
そうでなければ、ミコトを自分の愛の犠牲にした彼らと同じになってしまうから。
だからこそ、このスウィンは偽物だと理性が告げる。
ミコトの弱さが生み出した、都合のいい歪んだ妄想でしかないと。
なのに。
『(……最悪だ)』
こんなにも、嬉しいだなんて。
どうしようもなく、胸が高鳴る。
誰かから与えられる、嘘偽りない愛情。
自分だけが、このうつくしいいきものにとって唯一だと告げられる喜び。
こんなものを惜しみなく浴びて、ミコトのような弱い人間が、正気を保てるわけがなかった。
この甘やかな悪夢に縋るあまり、投薬の量だって日々増えている。
『(本当に、最低だ。
わたしは、馬鹿な女だ。
こんなだから、スウィンに、こんな事までさせてしまう……)』
きれいに作ったはずのものを自分で穢している情けなさに、泣きそうになる。
だが、夢のミコトはなにもできない。
懺悔し涙する事も、スウィンを突き放すことも。
何もできないのをいいことに、目を覚ますその時まで、スウィンの愛を恣にしていた。
「…………」
随分と懐かしい夢から、目を覚ます。
頭が痛み、随分と目が腫れていた。
身を起こす動きひとつで、堪らなく身体が重たい。
「(……どうして……?)」
最初こそ純粋に疑問を抱いたが、まるで回らない頭が少しずつ覚醒に向かうにつれて、 それらすべての『理由』が、容赦なく頭の中に溢れ出していく。
「…………ぁ、……あ。……あー…、………あ゛ぁぁ………………」
思い出さなければよかった。後悔は先に立たない。
ベッドの上で身体をのたうち回り、シーツを爪で掻きむしる。
行儀だの恥だの、そんなものはミコトの頭から消し飛んだ。
どうせ、朝にこうして泣いて呻き回るのは3日目だ。扉の向こうの従者達にも、既に散々聞かれている。
狭い六畳間で息を殺す日々が、ミコトが贄にされたあの日が、ミコトの不幸の底だと思っていた。
今となってはお笑い草だ。
絶望に、底や際限などないのだから。




