断章:Ⅱ アルカナディア
アルカナディア。
秩序の女神・リリィと、混沌の魔王・ルシウスの二者が支配するとされる世界の名前だ。
創世初期。
無軌道な命のうねりだけが満たされたアルカナディアに降臨したリリィは、昼や夜のサイクル、生き物という枠組み、生と死の法則を齎した。
総称して秩序と呼ばれる概念を得たそれらは、少しずつ、順調に世界へ拡がった。
だが、秩序の繁栄と同じくして、混沌という相反する現象が世界に発生する事となる。
やがて、秩序の象徴であるリリィの反存在のように、深い混沌の淀みから魔王・ルシウスが誕生。
あまねく生命に混沌の種を植え付け、世界各地に悪魔を生み出した。
魔王の生み出した悪魔、混沌の種はアルカナディアの大地を侵し、秩序から堕ちた魔族は、現代に至るまでで最も大きな争いを生んだという。
世界存続のため、リリィは一刻も早くこれらを鎮めなければならなかった。
だが、世界の理を操る権能の代償として、彼女は聖域から直接干渉する事を許されなかった。
それでも、アルカナディアの大地で猛威を振るうルシウスに対抗するため、リリィは自身の一部を用いて天使を創造。
強い秩序の力を持つ彼らを地上へ遣わせたが、天使は悪魔を抑えはできても、ルシウスの首へは力及ばなかった。
そうして、アルカナディアに生きる生命が、為す術もないまま、じわじわと混沌の坩堝へ溶けてしまおうとしていた頃。
人の内より、『勇者』と後に呼ばれる存在が現れた。
勇者は世界各地を旅して、魔王の配下たる悪魔を次々と鎮圧。
そして見事、魔王の討伐を果たすことに成功した。
突如として生まれた、女神にとっての理想形とも呼べる、圧倒的な秩序の象徴。
人間から生まれた奇跡の存在に、リリィは歓喜した。
そして、やがて寿命を迎えた勇者の魂を自身の聖域へと召し上げたリリィは、勇者へとある契約を持ちかける。
『世界を護りし、偉大なる勇者よ。
貴方の働きにより、世界は秩序と平和を取り戻しました。
ですが、かの者は再びこの地に蘇るでしょう。
その時に、ぜひ、貴方の力をお借りしたいのです』
女神のこの願いを、勇者は承諾。
以降、この世界に魔王が現れると抑止力として勇者も生まれ、魔王を倒し平和を齎すようになった。
これが、アルカナディアに伝わる創世録の一節、その概要である。
「──そうしてまた、前回の勇者による魔王討伐から約200年の時を経て、アルカナディアに魔王復活の兆しが顕れています」
ホールから連れ出されたミコトは、キリエの私室へと入れられていた。
与えられたワンピースに身を包み、ソファに座らされたミコトは、向かいに座るキリエをおずおずと見遣る。
ホールからこの部屋に至り、既に数日が経過している。
その間、キリエは始終ミコトに優しかった。
キリエに諌められて尚、ことを急いて何がしかを言い募ろうとする者達の一切を無視し、キリエの許可無しで立ち入ることを許されない私室のひとつを貸し与えてくれただけではない。
「お疲れではありませんか?もし辛ければ、ベッドで横になりますか」
「貴女の口に合うか分かりませんが、干した果実もありますよ。甘いものは、心を癒してくれます。私も、子供の頃からこれが好物なんです」
彼女はそう言って、小さな幼子へ接するようにミコトへただ寄り添った。
そしてミコトが落ち着くまで、ゆっくりと背を撫で続けてくれていた。
だからこそ、キリエがミコトを慰める合間に少しずつ話す事を、冷静に受け止めることができた。
この世界は、ミコトが今まで生きていた場所ではないこと。
キリエが所属する教会が、理由あってミコトをこの世界へ喚び寄せたこと。
その理由とは、マリアという教会の神子の神託によるものだと言うこと。
そして、それらの事について、ミコトにたった一つの心当たりがあるということも。
『アルカナディア・クロニクル』。
それは、ミコトが元いた世界でプレイしていたブラウザゲームの名前だ。
Stellarという開発チームがリリースしていた、AIとTRPG風にチャットで会話する事により物語を進める、王道ファンタジーのRPG。
そのゲームは、これまでのゲームと一線を画していた。
まず、このゲームに固定のストーリーはない。
ゲームコンセプトが掲げる『あなただけの物語』の通り、まるで本物の人間と対話するように、プレイヤーは自身の作ったキャラクターを操り、セリフを喋らせ、世界を自由に探検する。
そしてGMであるAI側の出してくるキャラクターも、固定のメインキャラ以外はプレイする度に変わる。
プレイヤーの行動ひとつで無限大に分岐するストーリー。
周回する度、主人公の出身すら変わる自由度。
高校に行けず引きこもっていたミコトは、偶然見つけたこのゲームにのめり込んだ。
1年間の間、本来は勉学や社会経験に費やすための時間を全てつぎ込み、ミコトは手のひらに収まる箱庭の世界に生きていた。
そのため、彼らやキリエが口にする『アルカナディア』という単語や話す悉くが、ミコトの知るゲームと結びつくのは容易かった。
そして、気の所為などでは到底片付けられないほど、ミコトの知るアルカナディアと、この世界は何もかも一致していた。
「(この人の言う”マリア”も……もしかしたら、わたしの知ってるヒロインの事かも……)」
神子マリア。高度な治癒と補助魔法を得意とする、僧侶の仲間NPCだ。
勇者とは旅の序盤で出会い、最初から最後まで、優秀なサポートとして活躍してくれる。
そんな彼女は、何回かゲームをクリアした頃に追加されたキャラクターだ。
登場以降のマリアは、物語のほとんどを勇者と共に旅する事になる。
その間に勇者へ抱いていたマリアの純粋な崇拝や憧れは愛へと少しずつ変わっていき、魔王を討ち倒した後、マリアはめでたく勇者と結ばれるのだ。
マリアと自身の主人公が最初に結ばれた時の事を、ミコトは覚えている。
自身が手塩にかけた勇者が手元を巣立つような寂しさと、自身の理想全てを注ぎ込んだ偶像的存在が、他の誰かに認められて心底から愛された喜び。
それらが綯い交ぜになった、奇妙な充足感があった。
そうして馴染みになっていたキャラクターが、この世界で存在しているのだとキリエは語る。
「マリアは、私が大司教となった頃、天使より神子として託された子です。
小さい頃からとても利発で、誰に対しても慈悲深く、そして誰より女神リリィを信奉し、熱心に祈りを捧げてきました」
そう語るキリエは、とても柔らかな表情で微笑んだ。
彼女はこの国最大の宗教国家の大司教であると同時に、マリアの育て親でもあるらしい。
その声色には、マリアへの温かで確かな信頼と親愛があった。
「彼女の才能は素晴らしく、女神リリィから与えられる神託により、何度も周辺国の天災や混沌の眷属の襲撃を予知してきました。
そして此度、復活した魔王を打ち破るため、異世界より招かれしマレビトが鍵になると新たな神託を受けたのです。
斯くして、女神の導きに従い執り行った儀式と神子の力により、この世界へ召喚されたのが、貴女なのです」
「マリア……さん、が、わたしを……」
思わず普段通り呼び捨てそうになり、慌てて敬称を取ってつける。
自分にとっては何度も苦楽を共にした仲間だが、向こうにとってミコトはただの見知らぬ他人だ。
「…………その、キリエさん。なぜ、わたしなんでしょうか。
わたしは見てのとおり、ただの人間です。戦いなんて、今まで一度もしたことないんです。
こんなわたしがいても、役に立てるとは思えません……」
だから、自分を元の場所へ戻して欲しい。
そんな、祈りに近い気持ちで吐露する。
自分で口にするとあまりに情けなかったが、実際問題として、全て嘘偽りない事実でもあった。
ミコトはただ、ゲームを遊んでいただけの人間だ。
いくら信憑性の高い神託だと言われようと、どう考えてもただの人間ひとり呼んだところでどうにもならない問題としか思えなかった。
だが、ミコトのそんな思いとは裏腹に、キリエはなんでもない事のように朗らかに微笑んでみせる。
「いいえ、神託に間違いなどございません。
お気付きではないのですか?貴女からは、溢れんばかりに清らかな力を感じます。どのような修練に励んだとて、努力だけでは得られない程の才能です」
「えっ……」
「ミコト様も、神官達の興奮を目にしたはずです。本当に貴女が只人でしかなければ、彼らもああはならなかったでしょう。
それほど、貴女は『救世のマレビト』として期待されているのです」
思わず、ミコトはキリエをまじまじと見つめる。
まるで思ってもいなかった事を言うキリエに、適当な嘘を言っている様子は見られない。
彼女の雰囲気に押され、思わず胸に手を当ててみる。
心臓の鼓動が微かに感じられるだけの、何の変哲もない身体だ。
彼女らには見えている、何かの力。
自分には全く感じられないせいで、ミコトの不安は何一つ解決されない。
ただひとつ分かったことは、『自分はなんの力も持たない無能だから帰して欲しい』という主張は不可能になったということだけだ。
「大丈夫。今は、私共の生きるアルカナディアについて、知らない事が多いだけ。
貴女の不安も分かります。そして私共には、貴女をこの世界にお呼びした責任があります。
貴女のここでの身元は我々が保証しますし、そのお力を振るうための方法もお教えします。
だからどうか、今この時は、私達に力を貸して頂きたいのです。」
かけられる言葉はどこまでも優しい。
そう、優しいのに。
ミコトが今最も求めている『元の場所』への帰り道だけは、決して提示されはしなかった。




