断章:Ⅰ 召喚
冷たい。
最初に感じたのは、それだった。
硬い床の冷たさが、触れる肌からじわじわと体温を奪っていく。
そして次に知覚したのは、鼻を刺す、甘ったるい匂い。
なにかの煙なのか、喉が焼ける。
息がうまく吸えない。苦しい。
耐えかねて、ひどく重たい瞼を開ける。
最初に目に入ったのは、眩しく輝くステンドグラス。
そして、随分と高い円形の天井。
白い大理石のようなもので造られた、円形の大きなホール。
壁一面に嵌め込まれたステンドグラスを通した色とりどりの光が、鮮やかにその場所を彩る。
その中央、床に刻まれた巨大な魔法陣の上に、少女──ミコトはいた。
「…………?」
眠りすぎた後のように、頭が重く、働かない。
なにこれ。
いつもの自室じゃない。
なんで?待って、なんで?
端的なワードと疑問符が、頭の中を埋め尽くす。
途端、鼓膜にどっと大勢の歓声が叩きつけられた。
「成功だ! 神子様の神託は真実だった!」
「マレビトよ、よくぞ参られた!」
「女神の御心により、あなたは選ばれたのです」
「そのお力を奮い、我らをお救いください」
「我らが勇者と共に、この世界を滅ぼさんとする魔王を――」
豪華な刺繍のされた藍色のローブを纏う男たちが、口々に宣って歓喜する。
知らない景色に気を取られすぎて、微動だにしないそれらを人間と認識していなかったミコトは、びくぅ、と心臓ごと全身で跳ね上がった。
「な、……っぇ、…………?」
祝福。喝采。
なのに。
祝われているのに、誰もミコトを見ていない。
ミコトが渦中となった興奮と熱狂が身勝手に膨れ上がり、何かが進んでいく。
怖い。わけのわからな過ぎる状況に対し、率直にそう思った。
「(待って。
誰なの、マレビトって。
何の事。ここはどこ。
いや、知っている。
知っているけど、ありえない。
そんな事、あるわけない。
夢?ゆめ?どういうこと。
一体、何が…………」)
次第に息が浅くなる。
視界がぐらぐら揺れ始める。
そのとき。
「──静粛に。
いかなる時でも、女神様は我々を見ておられるのです。
はしたない真似はおよしなさい」
柔らかな声が、ホールを通り抜ける。
空気が止まった。
人垣が割れる。
ひとりの女性が、カツン、コツン、とヒールの音を響かせながら歩いてくる。
品のある金の刺繍が施された、簡素だが品のある、純白の法衣とベールの姿。
凛と背筋を伸ばした、不思議と目を引く佇まい。
ミコトよりも幼く見える少女ふたりを両脇に従えてすぐ側まで来た女性は、その視線をミコトへ向けた。
年は30を半ばまで過ぎた頃だろうか。穏やかな萌葱色の瞳が、ただ呆然と床に伏したままの姿を捉える。
そして。
「……可哀想に、震えているではありませんか」
悲しげに眉を下げ、そして叱責した。
ミコトを、ではない。周囲を一瞥した女は、狼狽える老人達を鋭く咎める。
「乙女をいつまでも裸でいさせるなど、ありえません。
まずは毛布と、この子に合う服を見繕ってください。温かい白湯も必要です。さあ、早く」
水を打ったような静寂の中、彼女はミコトの前にしゃがみ、そっと外套でミコトを包んだ。
人肌の温かさが、優しくじんわりと肌に染みる。
その時漸く、ミコトは自身が何一つ身に纏っていない事と、床に触れていた部分だけでなく、全身が異様に冷えている事を自覚した。
「……怖かったでしょう。大丈夫。ゆっくり息をして」
促されるまま、なんとか引き攣る呼吸を整えた。
間もなく、従者らしき女性が持ってきた毛布が掛けられる。
「名乗るのが遅れましたね。私は、キリエ。
この国、ルミナリア聖王国の教会組織……ルクス・カテドラルにて、大司教を務める者です」
少しずつ呼吸を落ち着けたミコトを慮りながら、キリエはゆっくりと告げる。
「説明しなければならない事が、沢山ありますが……これだけは、最初に伝えさせてください。
まずは、突然こんなことをして、申し訳ありません。
ですが我々には、どうしても貴女がいなければならなかったのです。
この世界──アルカナディアの、存亡のために。」




