尾登臥島の葛藤
「はなさんって、普段はあんな感じなんですか?」
「……そうや。すんませんね、淑女ちゃうくて」
今私は、漁師の家にお邪魔している。名前は幸康太と名乗った。歳は二十四と同い年だが、私よりしっかりしている。
聞く話によると山にはクマが出るらしい。それに今のシーズンは外里に降りてくる可能性が高いということで、たまたま通りかかった康太は安全確認のために近づいたという。
それからとんとん拍子で家へと招かれ、ここで泊まることになった。
「食事は?」
さっき食べたが、どうも食べた気がしない。おにぎり一個じゃ、夕食としては満たされない。
「何も食べてへん。腹ペコや」
ということで今は、仕事で獲れた真鯛の刺身をいただいている。さすが港町。新鮮な真鯛は身がコリコリしてとても食べがいがある。
久方ぶりの、そして最後の贅沢。ご飯が進んで、気が付けば三杯もおかわりしていた。
「女の子なのによく食べれんね」
康太のそれは関心なのか、それとも皮肉なのかはよくわからない。どちらにしろ、気を使うことはもうしなくていいことだけはわかった。
「久しぶりやねん。こんな旨いごはん」
「だとしても、ご飯三倍は食べすぎちゃう? 居候は二杯まで抑えるもんだろ」
「私は客や!」
もはや暴論だけど、話している暇があるなら少しでもおなかに食べ物を蓄えておきたかった。少しの時間も無駄にせず、タイを貪りつくす。
「ごちそうさん。旨かったわ」
満足この上ない。ただの栄養補給、生命維持活動だった食事で幸せになったのはいつ以来だろう。味なんか気にもしなかったのに、今日の献立はご飯もタイも、そして水も甘く感じた。
康太は食後の一服を嗜んでいた。吸っているタバコはメビウスのロングで、ちょうど私も愛用していた。箱に手を伸ばし、慣れた手つきで取り出す。口に咥えて灰皿の横に置いてあったマッチに火をつけた。
何も断りも了承も貰わなかったが、すべてどうでもいい。私はぬらりひょん。主人の妾のように大きく振舞おう。
「オレのタバコやぞ」
当然のことながら康太はイラついたような口ぶりだった。私もそうだが、喫煙者はタバコに関することでは許容範囲が狭くなる。普段気にしないことでも、それがタバコに関係する事柄であれば一気に血の気が荒くなり、攻撃的になってしまう人種だ。
口の中に広がる煙とメンソールの味と冷たさをゆっくりと吐き出し
「じゃあ、揉む?」
自ら谷間をチラッと見せつけた。
どうせ男性は女性の裸に敵わない。女がOKだというそぶりをみせたが最後、野獣となり野蛮人となりギンギンにイキり勃ったシンボルを携えて襲い掛かってくるに違いない。
どうせ男なんてそんなもんだ。実際に会ったことは少ないけど、インターネットに転がる情報じゃあ売春が結構広まっているらしいじゃないか。
付き合っていた彼氏は大人しめのほうだったが、あれはノイマリティの分類だろう。
「は? なに言ってんの?」
康太の顔はものすごく怪訝そうだった。
「だから、私とセックスするかって聞いてんの」
別にブスな方ではない……と思っている。だって私は……
「しないよ」
あっさり断られた。そんなことは今後一切ないといった意思を示した、百パーセントの拒絶ぶり。
「マジ⁉」
「マジだよ。というより、女の子が簡単にそんなことしたらアカンよ」
普通に注意された。
冷静に考えたらその通りで、いくらネット界隈でパパ活や立ちんぼが流行っているとはいえ、売春やマネーセックスが倫理的・世間的にダメな行動だということはいくら愚かなアホでも理解できる。
だけど同時に、私は康太の存在がとても不気味に映った。うら若きオナゴが目の前で裸になるというのに、花をささげるというのに拒絶をするなんて。
アレか。『初めては好きな人と』みたいな、童貞特有の理想の高さが原因か。
「お前、もしかして童貞?」
この謎を解決しないことには、これから先前に進めない。
康太はイケメンだがとても女性がいる雰囲気がない。港町の性か今日やってきてほとんど女性に出くわしていない。あった人たちも子供を連れていた。つまり人妻。
売春婦が目の前で胸チラさせていたのを止めるくらいの堅物に、不倫なんて大それたことができるわけがない。
「……」
私の立てた仮説は正しかった。
目を逸らしながら答えに窮している。間違いない、完全無欠の童貞だ。
違うのであれば、違うと言えるはずだ。だってヤリチンが童貞に間違われるなんて、年齢を+一〇歳以上間違われたレベルに屈辱的なことなのだから。
「へぇ~、童貞かぁ~」
私は康太の背後に抱き着いて、女性の誇りと捉えるべき胸を背中に押し付けた。
さっきまでの威勢はどこへやら。康太は面接を受ける就活生のように背筋をピシッと伸ばし、「あ……あ……」と変な声を出した。
エロ漫画みたいなテンプレリアクション。ありがとうございます。
「ねぇ、私とエッチしたくないの? 本当に?」
耳元で囁くように投げかける。鍛え上げられている胸筋を中心に指で撫でる自分の姿は、スケベな痴女の求愛行動そのもの。
さぁ、喰いつきなさい。私だって無駄に女やっているわけじゃない。男性を誘惑する悪女に憧れたことだってあるし、彼氏との初エッチの時はコスプレしたまんまヤッたこともある。
なにも抵抗しない康太の隙を縫い、腹へと左手を進行させる。
さすが漁師。身体は柔らかい部分が一つもなく、マネキンを撫でているみたいに引き締まっている。男性としては理想の身体つきだと思う。
「ねぇ、本当に?」
康太は何も反抗してこなかった。
私の左手はへそを通り、ついに康太の腰にまで行きついた。
首をなかなかな縦に振らない。だけどプルプルと肩を震わせているところから、我慢しているだけなのは伝わった。
最後の一押しさえ完璧に決まれば、私は勝てる
「ねぇ康太。私は、入れたいんだぁ」
自分でもビックリするくらい、ネチャっとした猫撫での音声。
そして左手を、そのままズボンの中にぶち込んだ。そしてパンツの中に手を入れた。中はチクチク、そしてサワサワしていた。手入れの行き届かなさは手の感触でも分かる。
「もう限界なんでしょ」
……恥を越えなければ、目的は得られない。どうせ残るものは何もないのだから。
「あなたの、〇・〇・〇・〇」
その一言がトリガーになった。
康太の鍛えられた腕のパワーによって、私の不躾な身体は畳に振り払われた。
高校時代にバスケ部で鍛えた体つきはもう遠い過去の話である。それに二四歳という年齢はもう若くない。身体(特に最初に畳についた左腕)はじんじんと痛み、腰を悪くぶつけたのか折れたように痛い。思わずエビ反りになって、痛みを和らげようと抵抗する。
康太は玄関に続く扉の奥で、私を見ながら口をパクパクさせていた。
「なにすんねん‼ ドアホ‼」
「とっととお風呂に入って寝ろ! そしてすぐに帰れ!」
……
「ボケ‼」
康太は慌てた素振りで階段を駆け上がっていった。
私も追いかけたかったが、そんな気力はもう残っていない。旨いこといきそうだった三文計画書が失敗したことは、自分が無能の牝豚であることを改めて思い知らされる。
結局私は、姉にはなれない。
諦めた。せっかくご用意してもらったのだから、お風呂に入ってさっぱりしよう。今日はとことん洗いたい。




