“重なる始動音”
共同執筆ルームの空気が、
久しぶりに「仕事の音」を取り戻していた。
キーボードの軽い打鍵。
タブレットに走るペン先。
紙に書き込まれる走り書き。
それぞれの音は違うのに、
不思議と、ぶつからない。
「……テーマ、少し変えたほうがいい。」
「……はい。
“対立”ではなく……
“すれ違いからの接続”に……
軸をずらしたほうが……
成功率が上がります。」
「成功率じゃなくても、
今のほうが、書いててしっくりくる。」
律は一瞬だけ、指を止めた。
「……しっくりくる、という感覚は……
まだ……数値化できません。」
「だからいいんだろ。」
「……そう、かもしれません。」
◆
新しいプロットは、
これまでよりも静かだった。
爆発もない。
極端な設計もない。
けれど、
登場人物が“間違える”ことを、
初めて肯定している。
「……ここ、
あえて失敗させるのか?」
「……はい。
失敗しないと……
関係性が……動きません。」
「珍しいな。
お前がそれ言うの。」
「……例外、です。」
その“例外”という言葉を、
火野はもう、茶化さなかった。
◆
昼過ぎ。
「……この一文、
少しだけ、俺に任せていいか?」
「……承認します。
ただし……
逸脱が大きい場合は……
構造を……補正します。」
「その条件、
もう慣れた。」
ペンが走る。
一気に書いた一文を、
律が静かに読み込む。
「……温度が……
高すぎませんか。」
「下げるか?」
「……いいえ。
今回は……
このままで……いきましょう。」
その判断に、
火野の目が少しだけ見開かれる。
「……珍しく即決だな。」
「……迷いが……少ないです。」
◆
夕方。
原稿の進捗バーが、
目に見えて前に進んでいる。
「……今日は、
ここまでで……いいと思います。」
「もうそんな時間か。」
二人同時に、
少しだけ肩を回す。
「……今日は……
久しぶりに……
“手応え”があります。」
火野はうなずいた。
「俺もだ。」
一瞬、間が空く。
「……その……」
「ん?」
「……手応えがあると……
少しだけ……
怖くなります。」
「なんでだよ。」
「……期待してしまうからです。」
火野は小さく笑った。
「今さらだろ。
もう、期待しないほうが無理だ。」
律は、しばらく黙ってから答えた。
「……そうですね……
もう……
後戻りは……できません。」
◆
帰り際。
ドアを閉める前、
ほんの一瞬だけ、足が止まる。
「……明日も、来ます。」
「当たり前だろ。」
短いやり取りなのに、
そこには迷いがなかった。
夜の廊下をそれぞれ歩きながら、
二人は同じことを思っていた。
(……今度こそ……)
(……今度こそ、
本当に、完成させる……)
失敗を恐れていた者と、
感情だけで突っ走っていた者。
その二つが、
ようやく“同じ原稿”の上で、
同じ方向へ走り始めた。
“重なる始動音”




