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魂と演算:AI世代の『物語』論争  作者: 済美 凛


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22/28

“触れたあとの距離”

数日後。


共同執筆ルームのドアが、いつもより静かに開いた。


「……おはようございます。」


「……ああ。」


それだけで、空気が止まる。


あの日、

風邪の夜に触れた手の感触が、

まだどちらの中からも消えていなかった。


机に向かうまでの数歩が、

妙に長く感じられる。


(……普通にしろ。

 何もなかったみたいに……)


そう思うほど、

視線は自然と逸れてしまう。



タブレットが立ち上がり、

原稿ファイルが開かれる。


「……体調は、もう大丈夫なのか?」


「……理論上は、完全復帰です。」


「その言い方やめろ。」


「……実感としても、大丈夫です。」


ほんの少しだけ、

空気が緩んだ。


それでも、

どちらからともなく、

あの夜の話題には触れられない。


(……触れたのは、俺なのに……)


(……手を離さなかったのは、私なのに……)


同じ記憶を抱えながら、

まったく違う顔で、同じ画面を見ている。



作業はいつもより静かだった。


会話は最小限、

やり取りは必要なことだけ。


「……この一文、

 少しだけ……温度が低いです。」


「じゃあ、もう一段、感情足すか。」


「……加減は、

 任せます。」


そのやり取りの“普通さ”が、

かえってぎこちない。


昼過ぎ。


コーヒーを淹れに立った火野が、

律の机の横を通る。


ほんの一瞬だけ、

視線が手元に落ちそうになって、

慌てて逸らす。


(……意識しすぎだろ……)


その動きに、

律も気づいていた。


(……なぜ……

 目を合わせないのだろう……)



作業の区切り。


「……今日は、

 この辺りまでで。」


「ああ……そうだな。」


帰り支度をしながら、

律がためらうように言った。


「……あの……」


「ん?」


一瞬、言葉が詰まる。


「……この前の件……

 来てくれたこと……」


火野は黙って聞いている。


「……改めて……

 お礼を、したいと……思っていて……」


「礼?」


「……はい。」


少しだけ視線が揺れる。


「……食事でも……

 よろしければ……」


火野は一瞬だけ固まってから、

小さく息を吐いた。


「……それって、

 “お見舞いのお礼”ってやつか?」


「……そういう……

 名目になります……」


「名目って言うな。」


苦笑しながらも、

火野は否定しなかった。


「……いいぞ。」


律の肩が、

ほんの少しだけ緩む。


「……ありがとうございます。」


その声は、

昨日よりほんの少しだけ、

落ち着いて聞こえた。



帰り道。


二人は並んで歩いていたが、

距離は、まだ慎重なままだった。


「……あのとき……」


言いかけて、

火野は言葉を止める。


「……いや、何でもねぇ。」


律は何も聞き返さなかった。


代わりに、

ほんの少しだけ、歩幅を合わせた。


夜風が二人の間を通り抜ける。


まだ、恋と呼ぶには早すぎる。

けれど、

“何もなかったふり”は、もうできない。


その微妙な距離を抱えたまま、

二人は次の約束へと進んでいく。



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